080_0900 月曜どうでしょうⅠ~転換期~
マンション各部屋の扉は、少々の爆発物ではびくともしない分厚さだ。乱打したい気分だが意味ないので、せめてチャイムを乱打した。
『なんだよも~……こんな朝っぱらから』
思ったよりは早く、長久手つばめが対応した。それでも充分に遅く感じられたが、堤十路は苛立ちを押さえ込んだ。
「堤です。大問題が発生しました」
『あー……はいはい。そういうことね。一日もたなかったか……』
説明せずともインターフォンのカメラで事態を知れたのだろう。玄関扉のロックが解除されたので、十路はマンション五階の部屋に入る。
そして肩に担いで来た大型犬を下ろすと、彼女は一目散に廊下の奥へと駆けていった。でも玄関マットで足を拭くのを忘れていないのは彼女らしい。
「……んで? 見当はつくけど、どうしたの?」
廊下途中のリビングから、四足走法の大型犬を見送ったつばめは、十路に振り向く。時間も時間なので、まだ寝ぼけ顔で髪ボサボサのパジャマ姿だ。
「なんでイヌになった木次を俺の部屋に送り込んだんですか?」
「まず勘違いの訂正」
鼻先に指を突きつけられた。ショートヘアがピンピン立った姿では迫力に欠けているが、いつにないつばめの強い態度に、十路は仰け反って口を一旦閉ざす。
「ジュリちゃんが《千匹皮》で変身してキミに近づいたのは、わたしの策略とかじゃないからね? 昨日イヌ捕まえたって聞いて部室に行って、初めて知ったんだから」
真実だろう。こんな半端な話ならば、つばめが嘘をつく理由も意味もない。
初顔合わせの時、無言の会話が成立していたが、《ヘミテオス》同士で無線通信でもしていたのだろうか。その後つばめの言い分に大型犬が慌てていたのは、そういう経緯か。
「なら、木次が変身して近づいてきたこと自体は……自分で考えて?」
「そういうこと」
「理事長に訊いても仕方ないですけど、なぜに?」
「ストーキング? 十路くんのプライベート、もっと知りたかったんじゃないの?」
「…………」
単色ではない感情が湧き上がり、どう反応していいのか困る。
まずは危機感が今更ながら。
猛獣としては警戒していたが、それ以上は考えていなかった。さすがに動物に変身する工作員は考慮外としても、爆発物や盗聴器を持たせた動物兵器は現実に研究されている。
相手が樹里だったからいいようなものだが、そんな想定を全くしていなかったのは元特殊隊員失格だ。
そして困惑も。
(えー……? マジで木次がストーキングというか俺相手に情報収集? なんのため?)
自問するまでもない。さすがにここまでくれば、『その可能性』も十路の中で否定できなくなる。
静岡旅行に付いて来たのも、十路のことを知りたいからと語っていたが、本気なのか。
「正体が木次だってわかってたなら、理事長も俺の部屋に叩き込まないでくださいよ……」
「いやいやいや。奥手なあの娘が勇気出したんだよ? 背中を押してあげるのが務めってもんでしょ」
「普段娘だと思ってないクセして、こういう時だけ母親ヅラするの、どうなんですか」
「えー。なんのこと? わたし、高校生の娘がいる歳じゃないよ?」
つばめの白々しい誤魔化しは相手にしない。時間と消費カロリーの無駄なので。
「余計なことだけはしてくれますね? 静岡行きで俺たちを同じ部屋どころかラブホテルに放り込んでくれた件、忘れてないですからね?」
「その件ならもう、ジュリちゃんに雷落とされたんだけど……物理的に」
「それで心停止でもしたなら、俺も溜飲を下げますけど」
「一度死ななきゃ下がらないの!?」
「理事長なら、その程度で死にはしないでしょうし」
無情と言うなかれ。この策略家はそれくらい強く言わないと繰り返すから。つまりはつばめの自業自得だ。
とはいえ報復はもうどうでもいい。樹里の件で吹っ飛んだ。
「あんな方法でスニーキングするなら、せめて最後まで俺に気づかせるなよ……」
「なんでバレたの?」
「起きたらケモ耳生えた木次が寝ててビビりました」
「ジュリちゃんのうっかりも考えられるけど、《千匹皮》のセーフティじゃないかな? 体はどうにでもなるとしても、脳ミソはそうも行かないだろうし。確か大型犬の脳ミソは人間の十分の一くらい。サイズ違いすぎるし、いくら《魔法》でカバーするにも無理あるでしょ」
「つまり変身に時間制限があるんですね……」
フィクションの『魔法』ではサイズが変わったり人外に変身することもままあるが、《魔法》で再現しようにもやはり現実仕様なのか。動物になったら知能も動物並になりました、では意味ない機能だろうし。
(危ないな……)
どうやら《千匹皮》の仕様は、つばめも断定できるほど詳しくなさそうだが、的を射てるから真実と考えていいだろう。
とすると、樹里は結構な無茶をしていたことになる。頭蓋内の小さな容量に収めるために脳を圧縮させるなど常識外だし、《ヘミテオス》の不死性と《魔法》で安全は保障されてるだろうが、常人なら脳出血一歩手前をずっと続けていたことにならないか。
なによりも、もちろん正体を知らなかったからだが、十路は変身した樹里を猛獣として警戒していた。彼女の抵抗でそうならない可能性が高いが、もしも不用意な行動があれば殺傷していた可能性も否定できない。
そんなことを考えていたら、扉の開閉音と足音がして、明かりをつけていない廊下の暗がりに人影が浮かぶ。
チェック柄のミニ丈プリーツスカートに、長袖ブラウスとスクールジャケットを重ねた、学生服に着替えてきた樹里だ。
十路に視線を向けない。ものすごく気まずいだろうこともあるだろうが、それ以上に怯えている。
「お、怒ってますか……?」
「……いや。言いたいことは色々あるけど、怒っちゃいない」
彼女の口から直接真意は確かめていないが、疑問が解消できれば怒りの感情はない。むしろ呆れている。
ただ。
樹里をジロジロと頭からつま先まで眺めてしまう。
どんな情報でも、どのように価値を見出すかは、受け手次第だと理解している。
だが彼女がそこまでして、堤十路を知ることに価値があるのだろうか。
「な、なんですか……?」
「服」
こういう発言も久しぶりだ。
無遠慮な視線にたじろぐ樹里に、意図して空気を読まない言葉をかけて、ぶち壊す。
「ストーキングと一緒に、ストリーキングもしてたってことだよなぁ、って今更ながら思って」
「……っ!!」
樹里の頬に朱が差す。まさか気づいていないとは思えないから、意識しないようにしていたか。
いくら毛皮に覆われて、他人からは人間として認識されないとしても、年頃の娘さんが全裸で屋外や男の部屋をうろつくのは、果たしてどうなのか。
危険性を挙げても効くかどうかわからない。それより羞恥心を煽ったほうが効果あると踏んだ。
遠まわしに『こんな真似、もう二度とやるな』と釘を刺した。
「それから……木次が俺のこと、どう思ってるのか知らないけど――」
そして更に、決定的な釘も打ち込んでおく。
「俺は誰とも付き合うつもりない」




