075_0070 【短編】ファム・ファタールをもう一度Ⅷ ~必死~
これまでの死はどうだっただろう。彼女たちの死を見たと思ったら、夢かと誤解するほどに、すぐ次の場面に移っていたように思う。
今度は変わらない。樹里の死体が転がっていて、なにも変化がない。
自衛隊他と戦闘中だったはずなのに、静かになってしまったが、それ以上の変化はない。
「間違えて殺したんじゃないかって、俺を不安にさせようって腹か?」
何者かの意思が介入している。
誰かが人為的に、現実ではない現実を十路に見せている証左だ。
「お前……じゃないな」
靴を引っかくのが、その『何者か』とは考えにくい。
「お前は、死の前触れなんかじゃないのか……」
十路は身を屈め、また現れた黒い毛並みの子犬を抱き上げた。
『何者か』が作り上げた舞台装置なのかと思いきや、今回も出てきたのは奇妙だ。
この子犬が登場するより前に樹里を殺したのは、きっと『何者か』の想定外だろう。自動的に登場する仕組みで遅れて出てきたのだろうか。
「……?」
目を合わせて、子犬の瞳が赤いことに初めて気付いた。現実であれば先天性白皮症でない限り、こんな虹彩にならないはず。
野良なら不思議ないが、爪はかなり伸びている。多くの犬種で切除してしまう狼爪も残っている。
だが同じ色合いで毛に埋もれて気付かなかったが、首輪を着けている。ということは野良犬ではない。
首輪には、迷子札というより、認識票と呼ぶべきものがあった。
打刻された文字は――"Bargest"
「まさか……!?」
黒い犬。赤い目。鉤爪。死の前触れ。不吉の象徴。その名。
合致するのは、偶然なのか必然なのか。
もしも子犬が『彼女』だとすれば……言うなればアイコン。要素や行動を端的に示しているもの。理解が遅れるほど端的すぎるのは、なにか制限があるのか。
状況がまるで理解できない。弱くとも『彼女』の側から接続するなど技術的に可能なのか、十路の知識では判断できない。
だがもしも、推測どおりのことが起きているなら。
『彼女』はやはり、十路を守ろうとしている。
「堤十路の権限において許可する……」
ならば応えねば。
相棒ならば。
「《使い魔》《バーゲスト》の機能制限を解除せよ!」
直後、脳内でOSが起動し、システムログが猛烈な勢いで流れ始める。あってはならないはずの、《使い魔》との脳機能接続が確立する。
「うお!?」
同時に子犬が炎上した。燃料入りの皮袋だったのかと思うほどの、激しい炎が膨れ上がった。
十路は反射的に子犬を投げ出したが、身を守れるタイミングではなかったはず。
だが体はなんともない。光はともかく熱はない。
代わりに周囲が焼ける。猛烈な火炎旋風が吹き荒れて、破壊された神戸市を一瞬で飲み込む。
後に残るのは、ワイヤーフレームだった。ハリボテを燃やして骨組みが残ったように、ほの暗い空間に光で物体の形状だけが描かれた、アニメ的なサイバー空間が出現する。
現実を仮想に変えて炎は消え去った。空間には十路と、もう一頭だけが、現実の物体であるかのように存在する。
子犬ではない。黒い毛皮に覆われた体躯は、十路よりも巨大に成長している。鉤爪と角を持ち、首輪から伸びる太い鎖を引きずっている。
イングランドに伝わる邪悪な妖精――バーゲスト。
それが赤い瞳を向けて牙を剥き、聞き慣れた女性の声で吼える。
【遅い!! とっとと反応してくださいよ!?】
「ムチャ言うな!? バイクが犬になるとか誰が考える!?」
【ハ?】
魔犬が前脚を見下ろし、振り返って自分の体を見て、尻尾を追いかけ一周回る。怪物然とした姿なのに、コミカルな動きで己を確かめた。
【……なぜ私はこんな姿に?】
「俺が知るわけないだろ」
【トージが私の入力データをどう認識してるかって話ですよ。この仮想空間は、外部入力された五感情報による脳内エミュレーション……平たく言えば、人為的に作られたトージの夢です】
「そんなところとは思ったけど、どうやって?」
【トージなら『第六の戦場』を知ってますよね?】
技術の発展と共に、組織や国家が争う舞台は、陸・海・空・宇宙・サイバースペースと拡大してきた。
その先に想定される未来の戦場は――
「脳に《魔法》でハッキング仕掛けられてるのか?」
人間の頭脳だ。
脳波や神経電流で機械を操作するためのブレイン・マシン・インターフェースは、今後普及が確実な技術だ。
常人以上の身体能力を機械で代替する人間が、現実に登場しうるなら、その技術は必須となる。
人体に機器を埋め込むことなく、考えるだけで機械を操作する研究も行われている。
フィクションでいくらでも描かれている、五感の感覚器を介さず直接脳にデータ入出力することで認識する仮想空間技術が、現実に登場したら。
そんな社会が実現して、サイバー戦の延長でインターフェースにハッキングを仕掛けられたら。
人間の精神に直接浸透し、その在り方を歪め、支配することも可能になるかもしれない。
もちろんそれは未来の想定で、現代ならば《魔法》を使うしかない、限定的な条件だ。
とはいえ、《魔法》でもありえるとは思っていなかった。
精神への作用は、オカルトの『魔法』と科学技術の《魔法》を、明確に分かつ要素なのだから。
「だったら、実際の俺は?」
【昏睡状態です。捜査によると、夜コンビニに買い物へ出た際に拉致されたようですが、覚えていないのですか?】
「うっすら記憶にあるけど曖昧なんだ。今の俺だと、どこまでが現実か判断できない」
まぁ、それはいい。あとで追及すれば知れる過去だ。いま確かめなければならないことは他にある。
そして、こうでなくては。今まで登場しなかった彼女との、打てば響くようなテンポが心地いい。
「俺の身柄は、保護されてるってことだよな?」
【はい】
映像が脳内に送られてきた。ベッドではなくストレッチャーに、私服姿の十路が寝かされている。
だだっ広い周囲の様子からすると、どうやら病院に搬送されたわけではないらしい。様々な機器が取り囲まれているが、部屋の様子は病院とは思えない。
人工呼吸器や点滴チューブや医療用モニターに接続された重症患者のような状態だが、十路に施されているのは全て電気的な配線だ。
その一端はどうやら、視点の持ち主に接続されていると思えた。
「なのにこの状態が続いてて、イクセスが機能接続してきたってことは……ハッキングを止めさせられない?」
【既存の術式とは違う未知の《魔法》です。強制的に敵性 《魔法使い》とのリンクを解除したら、トージの脳にどんな影響があるか不明なので……コゼットとフォーが色々考えて色々やって、私がコンタクトすることになりました】
「ということは、犯人の身柄も確保してて、俺が目覚めれば万事解決って段階か」
映像の中では、十路と並んで女性が寝かされていた。
腹の上に置かれた右手は、金属と樹脂で覆われている。それが彼女の《魔法使いの杖》なのだろう。スイス軍の盾型……というか、昨今ならば立ったままプレイできる某カードゲーム用デバイスを想像するかもしれない物体だった。それもやはり半端に分解されて、接続されたケーブルがあちこちに伸びている。
「相手はまさか、《夢魔》とか呼ばれてる《魔法使い》か?」
【さすが《騎士》。ご存知ですか】
「あやふやな噂話を知ってるだけだ。実際お目にかかれるとは思わなかった」
脳内映像が切り替わる。ほとんどが黒く塗りつぶされた、人物評価データが表示された。
十路の横に寝ている人物と同じ、東南アジア系の顔写真があるが、非公式も非公式、紙での保存しか許されていない、表に出せない超級の秘匿データだろう。きっと野依崎あたりがどこかから探ってきたのか。
精神に作用する《魔法》など眉唾と思っていたが、実在するとは。知識ある常人なら一笑に付すだろうが、十路ならば素直を認められる。
心や精神を脳機能の一部と定義するならば、神経電流や脳内物質による物理的制御可能な現象に過ぎない。原理的には《魔法》で介入できない理由はない。
しかも前例がある。実在が疑われた奇跡の三流ヘッポコ非合法諜報員、『最凶の《魔法使い》』と謳われた眉唾存在が近くにいる。
「それで、どうすればいい?」
【トージは演算能力だけ貸してくれれば充分です。後は私たちに任せてください】
魔犬が言うなり、脳内で新たなシグナルが灯る。
そして黒い毛皮から、茶色い和犬の子犬――いわゆる豆柴がひょっこり顔を出す。
『リンク!』
まだ幼さを残す少女の声で吼えると、《魔法回路》が描かれた。
まるで召喚魔法。ワイヤーフレームの輪郭が描かれ、テクスチャが貼られると、3DCGとは思えない生物が登場する。
『成功しましたわね……クソだりぃ思いした甲斐ありましたわ』
鬣のないメスのライオンが、憂鬱そうながらも、百獣の女王の貫禄を見せる。
『…………』
いつもマスコット的な天真爛漫さを発揮する子虎が、今は不穏な危うさを牙と爪で見せつける。
『Очень приятно.(はじめまして~) 実在があやふやな《魔法使い》さーん。わたしもお仲間ですよ~』
肩を鳴らすようにユキヒョウが首を回す。いつでも駆け出せる低い姿勢のままで、戦意が垣間見えている。
『さすがに誰かの頭脳をハッキングするのは、自分も初体験でありますよ』
愛玩動物として家畜化されたイエネコとは明らかに違う、怠惰さと野性を放つヤマネコが、尻尾をくねらせる。
コゼットが。南十星が。ナージャが。野依崎が。
新たなアイコンが登場し、彼女たちの死は幻覚だと証明された。
【さぁて。敵性存在・《夢魔》。現状打破の悪あがきを少しだけ止めて、話を聞いてもらえませんか?】
これで準備が整ったと、魔犬がコンピュータグラフィックスの虚空へ吼える。
十路の無意識下の認識が変わったのか。彼女たちがなにか行ったせいなのか。
『貴女の《魔法使いの杖》は、テキトーに改造させていただきましたわ』
ライオンが、装飾杖を肩に担ぐ、金髪碧眼白皙の女性に。
『お前と《魔法使いの杖》の機能接続に介入し、バイパスする形で十路との接続を維持してるであります。お前の意思だけでは強制終了できないでありますよ』
ヤマネコが、《妖精》を従え異形の装束をまとう、赤髪土器色肌の少女に。
『つ・ま・り、バトルフィールドは十路くんの脳から、外部に移動してるんですよ』
ユキヒョウが、白金髪をなびかせて、黒刀を提げる女性に。
『兄貴を人質に取るようなマネは、もうさせない』
子虎が、トンファーを構える、ジャンパースカートに身を包んだ少女に。
【私たちにサイバー戦で勝たない限り、あなたは逃げられません】
そして魔犬は、学生服で装う、髪の長い少女の姿に。
猛獣から人間兵器へとモーフィングした彼女たちは、それぞれバラバラの方向を見据えて、装備を構える。
十路が認識する現実での攻撃を、この世界でも別の形で発揮するつもりなのか。いや逆か。彼女たちがなにかしようとしているのを、十路がそう認識しているだけか。
【せいぜい頑張って、《魔法使い》六人分の演算能力によるDOS攻撃を跳ね返してください】
悠亜は、体のあちこちに《魔法回路》と、獰猛な笑みを虚空へと浮かべた。




