075_0060 【短編】ファム・ファタールをもう一度Ⅶ ~銃殺~
「――ぱい! 先輩!」
今度は飛び起きることができなかった。まだ幼さを残した少女の声に、十路は漫然と覚醒した。
「しっかりしてください! 堤先輩!」
瞼を開いて目に入ったのは、まだあどけなさを残す少女の、泣きそうな顔だった。
(今度は……木次が死ぬのか……)
何度も親しい人たちの死を見せられて、ただでさえ鈍い心が更に鈍い。対尋問訓練で鍛えられた精神が、無意識に意図して心を凍らせて、理性を保っている。
彼女は中々登場しなかった。やはり不仲というか罅の入った人間関係では、思い起こす頻度に差が生まれるのだろうか。
それにしても、なぜ彼女は薄汚れているのか。露出した肌や学生服は煤け、ミディアムボブの髪は乱れている。
気だるく十路が身を起こすと、その理由がわかった。
「……は?」
理解そのものはできても、現状に至る経緯はまるで飲み込めない。
彼らがいたのは神戸市内、中心部の三宮から少し離れた場所なのだろう。特徴的な神戸市役所や神戸交通センサービルが見える。
見えすぎる。他の建物に隠れるはずなのに、粉塵や煙を上げて倒壊している。
更にはオリーブラブ色の残骸も見える。十路ならば、大破した八七式偵察警戒車とUH60-JAヘリだと判別できる。
神戸市中心部で、なぜ自衛隊装備が擱座しているのか。
ついでに十路は、《八九式小銃》の紐を肩にかけている。更には装備ベルトもベストもつけ、様々な装備やアクセサリーを身に着けている。肘・膝パッドも装着し、スニーカーは戦闘靴に履き替えた完全装備。
「堤先輩は、爆発の破片を頭に受けて、気絶していました……治療はしましたけど、まだ気分悪いですか?」
樹里の言葉は、戦闘に巻き込まれた事実を補強してくれる。
「相手は……?」
「記憶が飛んでるんですか……?」
たったそれだけの質問が、樹里の顔が曇らせる。
そこへ駆動音が響く。回転翼機の羽音にしては、実戦経験豊富な十路でも聞き覚えがない。
その理由が、まだ建つビルを越えて登場した。
MQ-8C ファイアスカウト。有人ヘリコプターの機体に高度な自律制御装置を搭載した、回転翼機型無人航空機だ。
十路の記憶では、アメリカ海軍のみが運用し、他国軍はもちろん自衛隊は導入していないはず。
「見つかった……!」
樹里が長杖を構え、大砲のような《魔法回路》を仮想形成させると、即座に機能を稼動させる。高出力レーザー誘起プラズマチャネル《雷霆》――何度も十路が見た、彼女の対兵器用術式だ。
人工的な雷が直撃した無人ヘリは電子機器を焼かれただろうが、オートローテーションでローターを回転させたまま視界から消えた。
『敵』は自衛隊と、在日米軍なのだろうか。
あれは無人機の斥候だったが、同様に隠密偵察か威力偵察を行うために出陣したのであろう、有人の八七式偵察警戒車とUH-60JAヘリは。
やはり同様に、樹里が――
「先輩! 移動しますよ!」
涌いた疑問をどうこうする前に険しい顔の彼女が、十路の腕を掴んで駆ける。
大人しく引っ張られながら、彼女の行動の理由を十路は聞いた。
弾体サイズからするとごく小さい連続発射音の後、至近距離での爆発音。迫撃砲による級梯射。その爆風と粉塵に背を押され、ふたりしてアスファルトを転がり、交差点の中ほどで止まる。
そこで目にしたのは、道路上に停車した九六式装輪装甲車A型と、その周囲に展開した自衛隊員たち。十路たちが出てくるのを待ち構えていたのか。
装甲車の四〇mm自動てき弾銃が明らかな害意を持って動く。隊員たちも車輌の陰や路面に伏せて小銃を向ける。
「先輩! 目!」
だが発砲される前に、淡い青白と強烈な紫白が閃光する。樹里が《雷霆》で砲撃した。
指示に従い閃光防御した腕を外すと、チカチカした十路の目は、屋根で煙を噴く九六式装輪装甲車を捉えた。超高圧電流により、九六式四〇mm自動てき弾銃が暴発したのだろう。
そして周囲には、焼け焦げた自衛隊員が倒れ伏している。レーザー誘起プラズマチャネルは、金属製の兵器にも通用するプラズマ兵器だ。生身の人間相手では感電死はほぼ確実だろう。
樹里が、人を殺した。
彼女も覚悟を持って部員を務めているのは知っている。誰かを殺す可能性も、誰かに殺される可能性も、ないと考える楽観主義者は支援部にいない。
だがそれでも、十路にとっては衝撃的な光景だった。
「しっかりしてください」
無様に転がっていたら、樹里に腕を取られて立ち上がらされた。
(違うだろ……それは、俺の役割だろ?)
いつもの十路ならば、転倒せずに回転受身を取って、彼女よりも早く攻撃しているだろう。
そして、なぜ樹里は、人を殺しておいて、なんの痛痒も感じていない。
そんな非情に戦える人間、《騎士》と謳われ畏れられた、十路だけでたくさんだ。
とにかく状況がわからない。
自衛隊と戦うことになった経緯は戦略的・政治的なものだろうから、そこはひとまず置いて、直近で必要なのは戦術・作戦レベルの状況把握だ。
「他の連中は、どこに?」
鈍い頭で把握しようと、きっと同じ状況であろう部員たちの配置や状況を問うただけだが、躊躇するように樹里が視線を足元に落とした。
だが彼女すぐに眦を決して顔を上げ、意図して感情を抑えた声で。
「……全員、死にました」
「は」
笑い飛ばしたかった。あんな、殺しても死にそうにない彼女たちが、アッサリ死ぬはずなかろうと。それになんの証拠もない。
だがこれ以上ない真剣な樹里の表情と、散々彼女たちの死を見た後では、かすれた息しか出てこない。
もう、なにがなんだかわからない。戦場で一番やってはいけないと理解していても、考えることを放棄したい。
だが許されない。
「走ってください!」
獣の挙動で首を巡らした樹里が、またも緊迫の動作で十路の手を引いて駆け出す。
その理由は、空を叩くローター音だった。
爆音を立てて飛行しているのに、その音の広がりは一定ではなく、特に真正面に対しては意外な静音性を持っている。更には障害物を利用して低空飛行で接近するため、音量から距離を測れば見誤ることも少なくない。
まだ建つビルを盾に接近し、横滑りしながら登場した。AH-64D アパッチ・ロングボウ。現状最も世界で配備されているであろう攻撃ヘリコプターの射線に、無防備に体を曝すことになる。
それどころか後部のパイロットとは風防ガラス越しに、前部のガンナーとは照準装置越しに、目が合った。
臨戦態勢の十路なら、やはりそんな認識するより前に反撃しただろうが、今の彼では出遅れた。
故に樹里が《魔法》で迎撃した。雷閃に目を焼かれながら、乗組員がヘリもろとも高エネルギープラズマの餌食になるのを、十路は見た。
「先輩……戦ってください。でないと、死にます」
雷鳴と爆音による麻痺の復活を待っていたように、必死さを押し殺して、樹里が促してくる。
言葉が浸透すると、凍らせていた心が解凍される。その熱源は、怒りか。
「誰だお前」
無意識の行動だった。ずっとぶら提げていた小銃を素早く肩付けにし、口から飛び出した言葉に、他ならぬ十路自身が驚いた。
しかし納得できるから、銃口を逸らしはしない。
「……先輩」
樹里はキョトンとしていたが、やがて困惑を浮かべる。
「なにトチ狂ってるんですか……」
「違う。お前は木次じゃない」
ずっと違和感ばかりだった。近しい彼女たちが普段見せない態度を見せ、不可解な死を遂げて。
特に死に方には荒唐無稽さが際立っていたが、ある程度までなら、なにかが違えば起こりえるかもしれない可能性、と考えることもできなくはない。
だが、これは違う。絶対にありえない、彼女への侮辱だ。
非常時の考え方は、正反対と言っていいほど相容れない。十路は効率と確実性を第一に考え、樹里は情で動く。
部活動として戦闘を指揮先導する彼に、彼女はいつもブレーキ役として戦いを望まぬ言動を見せていた。一番危険な展開を十路が受け持ち血みどろになれば、顔面を削る勢いで血を拭いながら反省を促された。
戦わざるをえないなら、傷つく者が少なくなるよう、敵ですら命を奪わず済むよう、彼女は可能な限り立ち回っていた。
彼らは学生、行うのは部活動。戦争する立場でなく、殺す義務など存在しない。そんな支援部の偽善を一番に体言する部員で、甘い戯言を実現する実力もある。
慈悲なく《魔法》で人を殺め、彼女が十路に戦いを促すなど、ありえない。
「じゃあ、私は誰だって言うんですか?」
「本人じゃなければ、誰でも同じだ」
そもそも木次樹里は、多数の同一人物が存在する『管理者No.003』《麻美》のひとり。
更には誰にでも化ける権能を持つ《麻美》とも戦った。
近しい誰かの姿をしていようと、こうも決定的に違えば、十路は迷わない。
なにか反論しようと、樹里は口を開きかけたが。
「もういい。黙れ」
先じて引金を引いた。
発砲音と共に樹里の額に赤黒い穴が穿たれ、後頭部から血と脳漿が飛び出した。
なにか起こるかと思えば呆気ない。『信じられない』と表情を固めたまま、樹里は仰向けに倒れた。




