075_0050 【短編】ファム・ファタールをもう一度Ⅵ ~怪死~
(なんなんだよ……)
気がつけば、人が行き交う空港のターミナルにいた。基本的には国内線のみの地方空港である神戸空港ではない。もっと大きい国際空港の規模だ。羽田か関空かまではわからない。
十路はノーネクタイで立っていた。側にはキャスター付きのスーツケースもある。
「ほら。行きますわよ」
「は……?」
横にはコゼットがいた。普段ほとんどアクセサリー類を身につけないのに、胸元や耳で揺れている。シンプルな装いを好む彼女には珍しく、フリルで飾られた女性らしいブラウスを着ている。
彼女に腕を取られて、出発ゲートに歩くよう促される。足を動かしても腕を放さずに絡ませてくる。二の腕に胸の膨らみが触れているにも関わらず、彼女はまるで気にしていない。
「行くって……どこに?」
「しっかりしてくださいな。ワールブルグですわよ」
彼女がクスリと笑う。王女の仮面を被っている時はまだしも、地むき出しで顔を合わせる十路にはあまり見せない、自然で上品な笑顔だ。
「わたくしの両親に結婚の許しを得るとか、意気込んでいたじゃないですの」
もしも彼女にこんな笑顔を向けられたら、普通の男ならどうするのだろう。鼻の下を伸ばすのだろうか。照れくささに苦笑するのだろうか。それとも高貴な笑顔を独り占めできる優越感に浸るのだろうか。
十路の場合は、背筋に怖気が走った。彼女がどうこうの問題ではなく、これからを予想して。
そのうち危惧したとおりに、あの黒い子犬を目にした。
するとすれ違った男が急に刃物を振り回し始め、彼女は背中から刺され、胸から突き出た刃と共に血潮が噴き出した。
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(俺は、なにを見てるんだ……)
気がつけば、見知らぬリビングのテーブルセットに着いていた。下着だけで寝ている十路には珍しく、パジャマを着ていた。
背後から聞こえる調理の音に振り返ると、カウンターキッチンに女性がいた。エプロン姿でフライパンに視線を落とす彼女は、見覚えあるが見覚えない。
「…………なとせ?」
「ん?」
思わず洩れた言葉に、女性が顔を上げた。
日本人にすれば色素の薄い髪や瞳は、南十星のものだ。
だが今の彼女は大人びている。幼さと大人っぽさが不思議と同居した彼女の顔は、今や『童顔の大人』だった。
アホの子全開な愚妹の姿は、そこにない。
「どうかした? やっぱコーヒー飲む?」
「いや……お前、なとせ、か?」
「寝ぼけてんの?」
保温されているコーヒーメイカーからマグカップに淹れると、彼女はスリッパを鳴らしてキッチンから出てくる。
高いとは言えないが、人並み程度には身長は伸びている。エプロンを押し上げる胸元は、決して大きくはないがちゃんと存在する。小学生男児に間違われることなど決してない、大人の女性だ。
「兄貴ぃ、しっかりしてよね? 今日が大事な日だって、ちゃんとわかってる?」
十路の前にマグカップを置くと、彼女はキッチンに戻る。それ以上の説明はない。
どういう意味かわからず、十路は手がかりを求めて首を巡らした。
室内はやはり見慣れない。モデルルームのような、品良く整えられたリビングキッチンだった。
生活臭を感じる物といえば、どこかの配布物をそのまま使っている、愛想のない壁掛けカレンダーくらいだろうか。
記された西暦は、十路が認識する『現在』よりも一〇年以上先のもの。
花丸に囲まれた日付が、今日なのだろう。
あと現状把握の役に立ちそうなのは、テーブルに投げ出されている封筒くらいか。
「こういうイベントがヤなの、わかるけどさ? 現実逃避してないで、諦めて晒し者になろうよ?」
彼女の言葉を半ば聞き流して、十路は封筒の中身を確かめる。中には結婚式場の契約書や、イベントプログラムが入っていた。
本日、新郎・新婦共に『堤家』の結婚披露宴が執り行われるらしい。もちろん同姓の誰かの結婚式ではない。『十路』『南十星』なんてキラキラネーム二歩手前な同姓同名が偶然双方いるとか考えられない。
「……え゛?」
ちょっと意味わからない。血縁上は従兄妹で婚姻できるとはいえ。
「あたしも正直、今更って思うよ? ずーっと兄妹やってて、一緒に暮らしててさ。しかも、兄貴があたし引き取るのも保護者的な義務感だろうし? 来年三十路だってのに男の気配ゼロでサーセン」
キッチンに振り返ると、フライパンの中身をいじりながら、彼女は十路を見ていた。
言葉の端々から知れる結婚までの経緯は、十路でも『愛情ねーじゃん』と思ってしまう。彼女の眉の角度も、苦笑と諦観が表れている。
「それでもさ、あたしは嬉しいよ、兄貴? ……ん? 今日からは『あなた』?」
けれども口元が形作る微笑は、新婦らしい幸福感に溢れている。
それを見て十路は、やはり怖気が走る。
素足に鈍い痛みを感じるから。
テーブルの下で、あの黒い子犬が足をひっかいているに違いない。
料理ができあがったのだろう。皿に移し変えようと、彼女がフライパンを持ち上げた。
途端、コンロから猛烈な炎が噴出した。
天井を焦がして彼女の上半身を飲み込むと消え、そこには人型の消し炭が残り、一拍おいて崩れた。
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(こんなの……何回見りゃいいんだよ……)
気がつけば、座っていた。縁側と呼ぶよりはウッドデッキか。民家のリビングから庭に出る場所に、日向ぼっこの体で腰掛けていた。
「あ。今、蹴りましたよ」
「ナージャ……?」
ソプラノボイスに振り向くと、隣に女性がいた。
白に近い金髪に、嬉しそうに細めた紫の瞳。超レアな特徴を持つとなれば、その女性はナージャに違いない、はず。
自信を持てないのは、彼女が持つ立派な胸よりも大きく膨らむ腹のせいだ。
更にはいつも背中に流してまとめている長い髪は、緩く編んで前に垂らしている。着ているのはゆったりしたマタニティドレス。
誰がどう見ても、出産間近な妊婦の姿だ。
「ほら。触ってみてください」
彼女が十路の手を取り、自らの腹に触れさせる。
布越しなので温かさは伝わらない。そんなタイミングよく中の動きがわかるわけもない。
「不思議ですよねぇ。十路くんとの子供が、ここにいるんですよ」
実際感じられるかはどうでもいい。こうしていることに意味があるのだと、彼女は満面の笑みで伝えてくる。
きっと絵に描いたような、初めての子に喜ぶ若夫婦の図なのだろう。
十路はまったくそんな気になれない。
ウッドデッキ下に黒い尻尾が見え、サンダルをカリカリしているから。
やがて彼女が膨らんだ腹を押さえて苦しみ始めた。
陣痛でない。なにをしても無駄だとわかっているから、十路は気遣いの声もかけない。ただ『またか』と心を死なせて見守る。
やがて、血を全身に浴びた。
SFホラー映画の完全生物さながらに、彼女の腹を食い破って、人間ではないなにかが誕生した。
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(まだ終わらないのか……)
気がつけば、穏やかな日差しの下、どこかの公園らしき芝生にレジャーシートを敷いて座り込んでいた。
そして胡坐の上に、子猫のように丸くなる少女が。
赤毛と土器色肌を持つ少女となれば、野依崎に違いない……はずなのだが、なんか縮んでる。小学五年生であることを加味しても野依崎は小柄だが、幼児並みにちんまくなっている。
「パパぁ……」
更には、寝言どころか冗談でも彼女が言いそうにない二人称名詞を呟かれた。スラックスにしがみつかれながらでは、人違いとも捉えにくい。
「その子ちょうだい」
ハスキー気味な女性の声と共に背中を突かれた。
振り返ると、背後にも赤毛土器色肌の女性がいた。『少女』ではなく『女性』だ。外見年齢は十路と大差ない。
「フォー……?」
「その呼び方、久しぶり」
大人の彼女は、十路の足から幼女を抱き上げて、クッションとひざ掛けで作った簡易お昼寝スペースに寝かせた。
その幼女をまじまじと見てしまう。縮小ではなく、分化だったらしい。
「……俺とフォーの娘?」
「婚姻可能年齢になった途端に孕ませておいて、今更なにを」
エセ軍人口調を止めても、恥もへったくれもないセリフは、確かに彼女の物言いだが、内容は信じられない。なにせ幼女の見た目は、父親のDNA完全敗北。野依崎スケールダウン版だ。
十路が知る野依崎は、いつも無愛想で社交性がない。だが表に出さないだけで、相応に喜怒哀楽は持っている。
知らずに見れば事務的に子供を寝かしつけているだけだろうが、彼女の顔には慈愛が見てとれた。
公園のあちこちで、家族連れがのどかな時間を楽しんでいる。野依崎とその娘の姿も、そのひとつに過ぎない、なんでもない幸せな家族の光景なのだろう。
十路はまったくそんな風に思えない。
幼女がいなくなった足の上に、黒い子犬が居座ろうとしているから。
やがて危惧は現実になった。目覚めた幼女が彼女を殺した。
まるでスプラッターホラー映画の、連続殺人鬼の魂が乗り移った人形だ。ありえない残虐さが逆にコミカルに思えて、笑えてきてしまう。




