075_0040 【短編】ファム・ファタールをもう一度Ⅴ ~暴死~
すっかり暗くなった夜の時間だったが、その場は明るかった。
「兄貴、今からどっか行くん?」
「コンビニまで。ペンのインクが切れて、あと誰かが夜食を絶滅させたから」
「え、誰が?」
「…………」
「あ゛ーーーーっ!? あたしが悪うございましたぁぁぁぁっ!! グリグリ攻撃はやめてぇぇぇぇっ!?」
「最初から素直に謝れ愚妹」
そんな、彼らにとっては何気ないやりとりがなされた後、暗い場所に足を踏み入れた。
△▼△▼△▼△▼
「――!」
覚醒と同時に、十路は飛び起きる。今度は普通にベッドに寝ていた。
壁紙ではなくコンクリにペンキを塗っただけの壁。パイプベッドとスチールロッカーと小さな机の三つで、部屋のほとんどは占められている。整理整頓するほどの私物はなく、大抵の人は殺風景と断じるだろう。
「は……?」
この素っ気ない部屋に見覚えがある、どころではない。だから殺風景でも見分けがつく。
なにしろ実家よりも長い時間を過ごした場所なのだから。修交館学院に転入するまで過ごしていた、営内生活隊舎――陸上自衛隊富士駐屯地内の寮、十路の自室だ。
だが、もう存在しないはず。学院への転入に伴う後始末は全て人任せになったが、全ての私物が現在のマンションに送られているのだから、宿舎の部屋は片付けられたとしか考えられない。
なのに、なぜ。
十路が混乱する頭で考えようとした矢先、前触れなく部屋の扉が開いた。
「あ~、やっぱりまだ寝てた」
「え……」
若い女性だった。
目尻はどちらかというと垂れ気味、鼻はどちらかというと小ぶり、顔の造形は『まぁ……可愛い?』といった程度だ。間違いなく不細工ではないが、かといって騒がれるほどの美形でもない。
背はそこまで高くない。日本人女性平均身長よりも頭ひとつ抜けてるぐらい。肩幅は普通と称するか、やや広いか。目を引くのは、背中の中ほどまで無造作に流れている長い黒髪。
誰だかわかるが、誰かはわからない。十路の記憶には、全く同じ顔の人物が複数存在する。
「……悠亜さん?」
「は?」
怪訝な顔と声音は、人違いと言っている。
「……鄭雅玲の関係者?」
「……誰?」
やはり怪訝な顔と声音は、人違いと言っている。
「ってことは、まさか……羽須美さん?」
「寝ぼけるのもいい加減になさい」
ツカツカと近づいて、鼻の頭を弾かれた。
それでもまだ信じられない。姉貴分にして上官だった衣川羽須美は、死んだのだから。
しかも。
「えっと……なにコスプレしてるんですか?」
スクールブラウスの襟元を飾るのは臙脂色のネクタイ。その上からジャケットを重ね、プリーツの効いた膝丈チェック柄スカートをはいている。
羽須美は修交館学院高等部女子の標準学生服を着ていた。
客観的には大人びた女子高生と言い張っても通用する若々しさだが、十路が認識する彼女の年齢は享年二五。どうしてもそういう目で見てしまう。
「ほー? そんなに目覚ましが欲しい?」
拳を握りバキボキ骨を鳴らし始めた笑顔の彼女に、十路は慌ててベッドを降りる。これ以上グズグズしていれば鉄拳制裁と、長年の経験が全力で警告する。
「ほら。さっさと着替える」
ロッカーにかけていた服をハンガーごと投げ渡された。
戦闘服やジャージではない。すっかり見慣れた修交館学院高等部男子の標準学生服だ。
△▼△▼△▼△▼
(おかしい……)
おかし過ぎる。
こんな『現実』を知らないし、荒唐無稽で空想する余地もない。
(俺になにが起きてる……?)
古典的に自分で頬を引っ張ってみても、痛いだけでなにも変わらない。寝ぼけて夢を見ているなんてことはない。
十路が籍を置いていた育成校は、富士駐屯地内にある陸上自衛隊富士学校の一部門に過ぎない。『学校』とあるが、学校教育法に定められた教育機関とは厳密には違う、防衛大臣の直轄機関だ。
だが服を着替えて学生鞄を手に、羽須美に連行されたのは、修交館学院の高等部校舎だった。
そもそも自室があったあの建物は、敷地内に建てられた学生寮、らしい。
『らしい』というのは、十路の認識には存在しない建物だから。支援部の部室があるはずの辺りが造成されて、知らない建物が存在していた。
更には、羽須美もまた高等部三年B組の教室に入り、先に登校していたクラスメイトに挨拶し、十路の後ろの席に着く。
羽須美と十路が同級生などありえないのだが、『ここ』ではそうらしい。
「俺、さん付けで呼んでますけど、同級生……?」
「あー。そういうこと言う? 一月ばかりの違いだけど、私の知ってる十路は、ちゃんとお姉ちゃん扱いしてくれたのになー」
姉貴風はそういう設定らしい。
しかも、クラスメイトは誰も知らない。羽須美と一緒に登校して声をかけられたが、誰ひとり見覚えがない。
「和真とナージャは……?」
「や。誰?」
「じゃあ――」
他にもクラスメイトの名を挙げてみたが、やはり返事は芳しくない。
「支援部……総合生活支援部は……?」
「なにそれ? なにするクラブ?」
部室だけでなく、部そのものが存在しないことになっている。
「《魔法使い》の部活ですよ……普段は駄弁ってるだけですけど、たまに学内からの依頼でいろんな手伝いしたり……あと、事件が起きれば警察や消防の要請を受けて借り出されて……」
「はぁ?」
羽須美には知らないことらしい。
いや、まだ納得できる。本物の羽須美は部設立前に死んでいる。
「《魔法使い》って?」
だが、この反応にはショックを受けた。
「オルガノン症候群発症者……先天的な脳の異常発達症状で、一部がバイオコンピュータと化した人間……専用のインターフェースシステム 《魔法使いの杖》を持つことで、史上最強の生体万能戦略兵器と化す……」
「なによそれ……マンガの設定?」
彼女も知っていなければならないはずの知識がない。
「いくらなんでも変よ? 保健室行く?」
いつも飄々としていた羽須美が作った記憶のない、深刻な心配顔を向けられる有様だった。
十路が勝手に抱くだけだが、場違い感は半端ではない。知っている世界のはずなのに、知らないことばかり。
「いえ……なんでもないです」
夢なら早く覚めてほしい。
だが、いくら確かめても覚めはしない。
いや、あれが現実?
電子機器を持つだけで軍事兵器となる人間が?
高校生である前に自衛隊の秘密工作員をやっていたのが?
王女サマと元諜報員とアホの子とデザイナーベビーと『化け物』と一緒に、部活動という名の戦争をやるのが?
それこそフィクションみたいじゃないか。
普通の学生が、そんな風であるはずがない。
これまでこそがずっと夢を見ていて、今こそが現実、なんてことも考えられる――
△▼△▼△▼△▼
――などと考えるのは、十路には無理だった。
ごく普通の学生生活だった。これ以上もこれ以下もなく。
授業はごく普通。物理・数学・外国語・現代文・体育・情報と、特段変な内容はなく、変なことも起こらずに終わった。
休憩時間もいたって普通。四限終了のチャイムが鳴った途端、教室だけでなく校内が賑やかになり、あちこちで昼食を摂りながらの談笑か開始される。
放課後も極めて普通。部活動に勤しむ者、帰宅する者、用もないのに学内で時間を潰す者。様々だった。
非常に能く能く大変とても然許りなんとも甚だ、絵に書いたような誰もが思い浮かべる、普通の学生生活だった。
だが十路の目には、ものすごく奇異に映った。同じような光景をほぼ毎日見ているはずなのに。いやだからこそ、か。
「十路……? 本気で大丈夫? 今日一日変よ?」
十路自身はなにも変わらない。変わりようがない。社交性にやや難があり、クラスで浮き気味なのも相変わらず。
普段それをフォローしているのが、仲が良い高遠和真やナージャだが、いない今は羽須美が担っている設定らしい。
「気分転換にボバりに行く?」
「……ボバ?」
「え……まさか、ポッピングボバ知らない?」
「生き物ですか? 食い物ですか? 施設設備ですか?」
「食べ物みたいな飲み物。別名食べるジュース」
「最近のトレンドは、タピオカミルクティーから移行して、チーズティーかずんだシェイクじゃ?」
「や。逆になにそれ? 豆打餅のずんだ?」
このように十路の認識と微妙なズレがあり、話が噛み合わないため、羽須美くらいしか話しかけてこなくなった。
周囲から浮くのは、育成校時代に散々経験して今更なので、大して気にしない。
「ワンカップ酒じゃないんですか?」
「あのねぇ……? どうして私を二〇歳以上にしたがるわけ?」
それよりやはり、学生服姿で隣を歩く羽須美への違和感が、遙かに気になる。
「私と十路は同級生、幼稚園の頃からの付き合いでしょうに……なんでそんな発想になるのよ」
新たに発覚、幼なじみ設定。
一〇年以上の付き合いだが、十路が子供の頃には彼女は既に思春期の少女だった。それで『幼なじみ』と呼ぶのは無理があるし、唐突に認識を覆せと言われるのはもっと無理がある。
ともあれ羽須美に、敷地内の寮ではなく、学院の外へと連れ出された。
見慣れた風景を見ながら、下校している他の学生と共に歩いて山の麓に下ると、一気に住宅が増える。
(やっぱり……)
そこにあるはずの、支援部関係者が暮らす特徴的な五階建てマンションは、影も形もない。
それどころか、神戸のどこからでも見えるはずの、淡路島の《塔》も見えない。
十路が知っているものが存在しない。
△▼△▼△▼△▼
神戸中心部・三宮まで出て、見知らぬジューススタンドで『甘いイクラ』とでも表現したい初めての食感に付き合って。
「なーにボーっとしてるのよ」
メリケンパークの岸壁際、整備された遊歩道から海を見ながら、軽く黄昏れていたら、軽くゲンコツが落とされた。
「いや、結局タピオカミルクティーと同系統の飲み物だな、と」
「ややややや。全然違うじゃない」
「羽須美さんなら『食感はナタデココ』とか言うんじゃないかと思ってました」
「や。そのブーム、知らないわよ……だから、なんで私を年上にしたがるのよ」
たった一日では見慣れぬ学生服姿を除けば、やはり羽須美は、十路が覚えている彼女のままだった。
並んで歩く速さも距離感も。長い髪を耳にかけてストローを咥える仕草も。他愛ない世間話で笑う横顔も。
「ほんと、今日の十路はどうしたのよ……なにがあったか、お姉さんに話して御覧なさい?」
「年上扱いされたくないなら、その姉貴風、どうなんですか」
故に違和感が半端ない。転落防止の柵に体重を預け、できる限り羽須美を視界に入れないようにする。
「なにって、単に夢見が悪かっただけですよ……」
何度も訊かれるために、事実半分嘘半分を明かす。いや、なにが事実で嘘なのか、十路も判断ついていないが。
「どんな夢?」
「知り合いが次々と死んでいく夢ですよ……」
「私も?」
視界の隅で、羽須美がジュースのカップを手に、海に背中を向けて転落防止ワイヤー柵のポールに腰掛けた。
兵士としての彼女なら、真顔で切り捨てただろうか。夢どころか、それが現実に起こりうる立場だったのだから。
女子高生の彼女は、心中がわからない顔で話に付き合う。
「……えぇ」
「そっか。私はどんな風に死んだ? そのとき十路はどう思った?」
羽須美が死んだ場面は、十路は夢ではなく現実で見ている。夢ということにしたら、予想外に兵士のようなドライな反応が返ってきた。
「砂漠で、胸を貫かれて死にしました……どう思ったかは、よく覚えていません。そこで飛び起きたので……」
事実にわずかな嘘をブレンドさせると、足元からカリカリと音がする。
あの黒い子犬が、『嘘をつくな』とでも言ってるように、十路のスニーカーを引っかいていた。
(あぁ、また……)
この子犬が現れたということは。
確信を抱きながらも、十路は恐る恐る、羽須美へ首を巡らす。
「ん?」
彼女は視線に気付き、ストローをくわえたまま表情を動かした。
その表情がなんなのかは、わからなかった。
背後にした海から、突然巨大なものが飛び出してきて、彼女の上体を隠してしまったから。派手な水音に混じり、肉と骨が潰れる音も認めてしまったため、表情など永遠に確かめられないのも察してしまった。
海から飛び出し、遊歩道でのたうち回るのは、パニック映画級の巨大なサメだった。現実には絶滅したため存在しえない、鋭い歯を持つ肉食性種の巨大個体。
そんなものに、羽須美の上半身は食い千切られた。腸がはみ出た下半身だけが、タイル舗装に無残に転がっている。
「は、は……ははっ……」
水飛沫と血飛沫を浴びた十路は、ありえない死に笑ってしまう。
そうでもしないとコワれてしまうと、冷静な部分が評価している。




