075_0030 【短編】ファム・ファタールをもう一度Ⅳ ~惨死~
暗闇の中を疾駆した。
武器は己の肉体と日用品のみ。銃器メーカー製のタクティカルペンと、百均で買ったごく普通のボールペンで渡り合った。
肉弾戦の合間に点穴針として突き刺し、怯んだところへ重要な血管付近にボールペンを力任せに突き刺した。手放す際にペンの尻をへし折ると、太い注射針と化して噴き出す血に慌てていた。
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「――!」
「わぷ!?」
覚醒と同時に十路が飛び起きたら、水音と悲鳴が上がった。
「……は?」
腰を浮かせていた見渡すのは、人造大理石で作られた、大して広くもない部屋だった。いや一般家屋で考えると充分広い部類だろうが。
室内は湿気どころか、設置された『くぼみ』には湯が充満している。
要するにバスルームだ。間取りはともかく置かれたシャンプー類は十路が使っているもの。
なぜか自室の浴槽に浸かっていた。
もっとも理解できないのは、浴槽に浮く小さな背中だろう。
「ぷはっ」
背中はすぐさま起き上がり、水面に突っ込んだ頭を振る。赤髪から水滴を飛ばすと振り返り、薄くソバカスの浮く幼い顔を歪める。
「急に動くなであります……」
そして野依崎雫は、ノソノソと後ろ向きで、伸ばしていた十路の足に乗ってくる。
どうやら座椅子が急に起き上がったから、野依崎は投げ出されたらしい。
この少女はよく小柄な体を利して膝に上がってくるが、今はヤバい。風呂場なので当然、十路は裸だ。野依崎は一応水着を着ているが、それでも小さな尻を密着させてくる感触はダイレクトに伝わってくる。
それ以上にヤバいのは、ここに至る経緯がまるでわからない。ピクシーカットのつむじを見ながら記憶をさらっても思い出せない。
「……なんで俺、フォーと風呂入ってる?」
「アタマ大丈夫でありますか?」
心配されているのか、馬鹿にされているのか。無感情なアルトボイスでは判断つかない。
あと恥じらいも全く感じない。いつの間にか寝床に潜りこんでくるなど、心臓に悪いことを平気でやるネコみたいな少女なので、一緒に入浴など恥らうに値しないのか。
「真面目に記憶が飛んでんだが」
「自分の食生活が不健全だからと部長に拉致られたものの、部長に緊急の部活動が要請されたため、十路の部屋に放り込まれたであります」
「それでなぜ一緒に風呂?」
「十路が入浴しながらウトウトしてたためであります。返事がないため、部長にセキュリティ突破を強要されて突入、発見後に自分はここに放置。溺死の可能性を考えたものの、起こすのもどうかと思ったので、自分も一緒に入ることにしたであります」
「わざわざ水着着てまで?」
「自分は別に全裸でも構わなかったでありますが」
「その気遣い、別方面に使ってほしかった」
要するにコゼットに押し付けられたらしい。学院の地下で半ヒキコモリしている野依崎の節介を焼いているのが、不測の事態で十路に回ってきたのか。
まどろんでいたから一緒に入浴という判断が妥当なのかは考えない。というか野依崎に常識を求めてはならない。
「緊急の部活って?」
「ビル建設現場のクレーン倒壊であります。幸い死傷者や要救助者はいないものの、二次災害の危険性が高い状態で安定したため、部長が招集されたであります」
その内容ならば、十路と野依崎が召集されていないのも、一応は納得できる。
「部室が爆発したとか、部員の誰かが死んだとか、そういうことは?」
「寝ぼけてるでありますか?」
コゼットが死んだあの光景も、やはり現実ではないのか。
全く納得できないが。何度も続く記憶の錯乱が、素直な理解を阻む。
そんな十路の混乱など知るはずもなく、野依崎は防水ケースに入れたタブレット端末でアニメを見ている。
「動くぞ」
「ん」
とにかく野依崎を膝から下ろして立ち上がる。見せびらかす特殊性癖はないので、持ち込まれていたタオルを腰に巻くのも忘れない。
「待つであります」
「をい!?」
そのまま湯船だけでなく風呂も出ようとしたら、気配を察知したのか、後ろからタオルを引っ張られた。ずり落ちそうになり、慌ててガードする。
「十路は頭髪も体も洗浄してないでありますが、そのまま出るつもりでありますか?」
記憶にないが確かにそのとおりなのだろう。体はともかく髪は湿気を含んでても濡れていない。
でも、小学生女児と一緒の入浴を長引かせたくない。ロリコンの謗りを受けたくない。
「自分の尻でチ●チン立たせたところで、別に気にしないであります」
「お前のそういうところにピクリとも来んわ」
やる気も色気もゼロな言い分に、怠惰さを消して真顔になってしまう。
「おにぃちゃん……フォーと一緒にお風呂、いや……?」
「ロリボイスでガチ演技はヤメロ」
かといって、妙なやる気を出されたら、それはそれで気まずい。いつも無気力感満載なこの少女、意外と演技派で、器用に無表情で感情豊かなアニメ声を出すのだし。
ともあれ、こうなれば野依崎を気にするほうが馬鹿らしくなってきた。全裸ではなく、使ったことがあるのか怪しいスクール水着を着ているのだし。
十路は普段どおりにバスチェアに腰掛け、シャワーから湯を出した。
頭と体を洗う準備をしていると、斜め後方で水音が立ち、曇った鏡に土器色と紺色が映る。つまり野依崎が湯船から出て、十路の背後に立った。
なんのつもりかと、濡らした頭にシャンプーの薬液をふりかけていたら、小さな手が髪に触れて泡立て始める。
「なんの真似?」
「部長と一緒に入浴する時には、こうしてるからでありますが?」
見た目は完璧な金髪白人美女と、見た目はそれなりに可愛いらしい赤髪褐色肌美少女が、一緒にお風呂で洗いっこ。普通の男ならキャッキャウフフな妄想を膨らませ滾るのかもしれない。
しかし彼女たちの実情を知る十路では、風呂を嫌がるネコを洗うような、コゼットが野依崎の首根っこ押さえつける図しか思い浮かばない。
それはともかく、非力な少女では物足りなさを覚えるが、理容店以外で誰かに頭を洗われる感触は存外悪くない。
他の部員たちが死ぬ間際、普段の態度を裏切る『女』を魅せてきたため、また行われるのを警戒していたが、しばらく様子見しても野依崎にそんな様子は欠片もない。頭を灌がれ背中や肩に移行しても変化はない。十路は自然と強張っていた背筋を意図して緩める。
「交代であります」
特に何事もなく洗い終えたので、腰のタオルを巻き直して、場を野依崎に譲る。
「俺のシャンプー、トニック系だぞ?」
「別に構わないであります。以前は石鹸で洗ってたでありますし」
「いや、石鹸とはかなり違うだろ……あと部長に散々小言言われただろ、それ」
「なので今は結構高いシャンプー買わされてるであります……」
野依崎の髪は以前、視界に侵食するまで伸び放題、絡まった枯れ草の塊みたいだったが、石鹸で頭を洗ってゴワゴワだったからなのか。
コゼットのお節介の賜物だろう、今は短く整えられた艶ある赤髪を濡らしながら、『構わない』と言われたものの使っていいものか迷う。トニックシャンプーは洗浄力が高いため、油脂分の多い男性向けだ。あと慣れない間は頭がスースーする。
だが野依崎が後ろ手で足を叩いて急かすので、十路は彼女の頭にシャンプー液を載せた。子供の頭皮なのでひと際気をつけて、指の腹でマッサージするように泡立てる。
「やけに手馴れていないでありますか?」
「まぁ、そこそこに? 誰かの頭を洗うのは初めてじゃない」
「相手はミス・ナトセ……ではないでありますね、多分」
そんなことを話しながら、野依崎の頭をワシャワシャしていたら、足になにか柔らかいものが触れた。
「――っ!?」
正体を確かめた直後、十路は息を呑んで飛び退った
なぜ風呂場に、あの黒い子犬がいる。
そして、この子犬がいるということは、次は。
「どうかしたでありますか?」
戦慄きながら、野依崎の背中に首を向ける。
後ろから見た頭がおかしい。シャンプーで髪が乱れているのはともかく、なんというか、ごっそり『削れて』いる。
「え」
十路の手にはシャンプーの泡と共に、大量の赤い髪が絡みついていた。
いくら髪質や肌に合わなくても、脱毛剤みたいな作用が現れるはずないのに。
「十路?」
「ひ……!」
野依崎が体をひねって無造作に振り返る。
その顔の半分が強酸でも浴びたように、無残に爛れていることを、まるで自覚していない。無事な残り半分でいつもの無表情を浮かべたまま、じっとなにかを目で訴えている。そうこうしているうちに瞼も解け落ち、頭蓋から眼球が零れ落ちそうになる。
どうやら洗い流しを催促していたらしい。十路が動かないと理解すると向き直り、野依崎は自分でシャワーノズルを手に頭から湯を浴び始める。
シャンプーの泡と共に赤髪もどんどん流れ落ちる。彼女が髪をかき上げると、皮膚も一緒にズルリと剥ける。頭蓋に貼り付いていた肉も溶け落ちながら垂れ下がり、骨まで露出する。頭部だけでなく、湯が流れ落ちる肩や背中も同じように。
明らかな異常を、十路は強張った顔で見守ることしかできない。彼は戦場で無残な死を幾多も目にしているが、これは違う。最近の映像技術なら同等の恐怖を作り出すだろうが、酸性の刺激臭と腐臭が現実以外に誤解させてくれない。
骨が露出した小さな手でシャワーを止める。普通は髪からポタポタ雫を滴らせるだろうが、今の彼女は垂れ下がる肉からだ。その肉もボタボタ溶け落ち、床のタイルに湿った音を響かせる。
「あ……あ……」
そして野依崎は崩れ落ちた。辛うじて形を保っていた血肉が、タイルにぶちまけられて広がる。腕も根元から千切れ飛び、さっきまで動いていたのが腐肉の塊だったかのように水に溶けて腐臭を放つ。




