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近ごろの魔法使い  作者: 風待月
《魔法使い》の第六戦
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075_0010 【短編】ファム・ファタールをもう一度Ⅱ ~毒死~


 闇に堕ちた。


 まだ辛うじて周囲の様子が(おぼろ)げにわかっていたが、突然なにも見えなくなった。

 きっと意識を失った。



 △▼△▼△▼△▼



「――!」


 覚醒と同時に、十路(とおじ)は飛び起きる。座ったまま突っ伏していた。


「……………………え?」


 そして理解できずに困惑する。


 教室(ホームルーム)だった。電子黒板上にある壁掛け時計は、四限目終了直後を指している。つまり昼休憩になったばかり。学生たちはそこかしこで弁当を広げ始め、昼食を摂りに構内営業店舗や学食に仲のいい者と外に出ている。

 凄惨な記憶と繋っていない、あまりにも平和で普通な光景だった。


(……夢?)


 血だまりに倒れる南十星の体を抱き上げた感触は、ハッキリと残っている。

 けれども両手は血に汚れていない。すっかりゴツくなってしまった、見慣れた己の手だ。浴びたはずの盛大な返り血は、顔を拭っても手につかない。代わりに前髪が貼りつくほどの寝汗を感じただけだ。


「と~ぉおっじくんっ」


 呆然としていたために、背後から柔らかい感触が押し付けられるのに、なんの反応もできなかった。


「……あれ?」


 抱きついてきた存在も、リアクションのない十路を不審に思ったか、背中から剥がれて前に回ってきた。


「まだ寝ぼけてます?」


 日本人女性平均から頭ひとつ抜けた長身。長袖のカーディガンで覆う白い肌。学生服を押し上げる抜群のプロポーション。アジア人にはない整い方の顔。腰まで流してリボンでひとまとめにしてある、白に近い金色の珍しい髪。


「……ナージャ?」

「はいはい。そうですよ~。ナージャさんですよ~」


 春先の溶けかけた雪ダルマみたいな緩い笑顔を向けてくるのは、修交館学院高等部三年生、ナージャ・クニッペル。十路のクラスメイトにして部活仲間だ。


「四限のLHR(ホームルーム)中、ずっと爆睡してましたねー。先生も呆れてましたよ?」


 これまた珍しい紫色の瞳が覗き込んで、からかい調のソプラノボイスを投げかけてくるが、腑に落ちない。


 これでも学校での十路は、優等生で通している。部活でよく授業を抜け出すので、平常点と心証を悪くしないよう授業中に居眠りなどしない。

 座学が眠いのはどこでも一緒なので、そういう時には陸自隊員の必需品・ハッカ油スプレーを目元に吹きつけて耐える。たまに手元が狂って目に入り、地獄の苦しみを味わう。


「俺、いつから寝てた?」

「ちょっと? 本気に大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないから訊いてる。いつからだ?」

「一限から三限までは知りませんよ? 選択授業で十路くんとは違いましたし」


 記憶がないため寝ていたとも考えられるが、朝からずっとは考えにくい。高等部校舎は教科エリア型なのだから。つまり実験や実習の際に理科室や音楽室に移動するように、数学の時には数学の専門教室、国語の時にも同様にと、学生は教室移動を繰り返す。誰も起こしてくれなかった切ない可能性もありえるが、やはり考えにくい。クラスで浮いているのは否定できないが、そこまでぼっちではない。


「朝は?」

「ふつーに登校して、ふつーに出席で返事してましたけど? そこまで覚えてないんですか?」


 本気の不安が表れた眉の角度で言われても、やはり記憶にない。


 唯一の記憶は、やはり。

 確かめるために、十路は携帯電話の画面を見もせずに電話をかける。


『あいよー。どしたー?』


 わずかワンコールで能天気な声が返ってくる。中等部も休憩時間だから対応が早い。


「生きてるか?」

『生きてるさ』

「頭をどこかに落さなかったか?」

『落としてたら、あたし今どーやってデンワしてるのさ』

「そんだけ」

『は?』


 多分なにも理解できないだろうが、一方的に南十星との通話を終える。


 こうなると、ずっと学校で寝ていた間の夢だったと結論づけるしかない。首筋をなでながら悩んでも、他に考慮の余地はなく、いくら()に落ちなくても。


「ほら、十路くん。お昼ご飯ですよ」


 ()れたのか。それとも気分を変えようと気を遣われたのか。脇に腕を入れられ、体を引き上げられた。

 こんな目立つ容姿でありえないと思ってしまうが、ナージャは元々ロシアの情報機関に所属した非合法諜報員(イリーガル)だ。軍事訓練を受け、戦闘技術も磨いている彼女は、それくらいの腕力を持っている。


 もっとも、十路が素直に従って、立ち上がったからでもあるが。

 普段ならば朝か小休憩時間に、購買で昼食用のパンを仕入れているが、ずっと寝ていたなら用意はない。



 △▼△▼△▼△▼



「今更だけど、いいのか? 勝手に調理実習室使って」

「ちゃーんと許可取ってますよ」


 ふたりは料理実習室の冷蔵庫にある材料を使い、調理実習室で調理して、料理実習室の食器で昼食を食べて、調理実習室の後片付けをした。

 ナージャは支援部員になる以前は料理研究部員だったので、勝手知ったるなんとやらで、我が物顔でこの部屋を使った。食材は料理研究部の部費で用意しているものらしい。

 そこに至るまでに『十路が寝ぼけていたから昼食に出遅れた。ロクなもの残っていない』などと散々言われたが、もう済んだ話だ。


「条件に『なんか作って残しとけ』と言われましたが、そのくらいなら楽なものです」


 料理研究部員のオヤツになるのだろう。時短スイーツを冷蔵庫に収め、ナージャはようやくエプロンを外した。

 一時間もない昼休憩時間なのに、昼食を料理して、食べた後にデザートまで作り、更に片付けまで終える手際はさすがだった。

 しかも茶まで飲む余裕がある。


「珍しいな? ナージャがコーヒーなんて」

「料理部の皆さんはコーヒーかジュースなので、ここに紅茶はないんです。所属していた時には持ち込んでましたけど、転部する時に片付けましたし」


 ロシアは紅茶文化で、彼女も毎日のように飲んでいる。

 今日はインスタントコーヒーを淹れたマグカップを手にし、調理実習台に体重を預け、ホケ~として立つ十路に並ぶ。


「にが……」 


 一口すすったナージャは舌を出すと、スティックシュガーとポーションクリームをまとめて投下する。十路の好みは彼女の口に合わないらしい。

 もう一口すすって味の調整に満足すると、体重を預けてきた。コーヒーの匂いにまぎれて、甘い香りが鼻に届く。いつもナージャが身にまとうバニラの香りだ。

 彼女が体を寄せてくるのは、今に始まったことではない。十路は気にすることなく加糖ブラックコーヒーをすする。


「なんかもう面倒くさいですねー。五限サボっちゃいましょうか」

「ナージャがサボるのまでは止めんが、俺まで巻き込むな」

「むー」


 『一緒にサボりましょーよー』と肩で体を揺すってくる。マグカップから溢れる危機感を抱き、十路はまだ冷めきっていないのを我慢して水面を低下させる。


 気のない態度で無視していたら、ナージャはやがて諦めて動きを止めた。

 と思いきや、彼女はカップを置き、更に十路のカップも強奪して置いた。


「おわ!?」


 次いで十路の足を払った。つっかえ棒を外されたように、ずり落ちて床に倒れそうになったが、その前に軽い掌底で胸を突かれて調理実習台に倒れる。気を抜いていたとはいえ、さすがロシア軍隊格闘術(システマ)の使い手、これくらい他愛なくやってのける。


 しかもナージャも覆い被さるように、ベッドほど低くない台に上がる。彫りの深い顔、紫色の瞳が除く垂れ目、大きめの口。距離わずか二〇センチ先に、現代日本人の感覚では少し崩れた、けれども整ってると呼べる顔がある。ひとつにまとめられた長い髪は背から滑り落ち、一部は十路の頬に触れている。


「おい、ナージャ……」

「こんなことするなんて、らしくないって思っちゃいます?」


 確かにらしくない。十路には普段から平気で体をくっつけたり、ふざけてそれっぽいことをしてくるが、ナージャは一線は引いている。

 好意を持たれているのは、空気を読めないと称される彼でも、さすがに察している。だが交際までは発展しないレベルのものであるはず。十路も冗談でそれっぽい態度を返せば、逆に慌てるのが彼女の常だった。

 悪友以上、恋人未満。それがふたりの関係のはず。


「わたしだって、女なんですよ?」


 けれども今、ナージャから距離を詰めようとしている。物理的にも精神的にも。

 次の瞬間に『な~んちゃって』と笑いながら身を離すことを願っても、いつまで()っても現実にならない。


 彼女を嫌ってなどいない。トリックスター的振る舞いにゲンナリすることはあれど、それも魅力のひとつと思える程度には十路も子供ではない。



 時間が止まる。会話もなく見詰め合えば、特殊教室棟である十一号館は休憩時間でも人気(ひとけ)はないため、遠くの賑やかな声がよく聞こえてくる。

 (ゆえ)に、カツカツとなにか固い物が小さくぶつかる音にも気付いた。


「……は?」


 十路は音源を探して首を巡らし、困惑した。

 窓の向こうで黒い子犬が、ガラスを引っかいていたから。


 敷地内に動物が紛れこむくらいなら、不思議でもなんでもない。なにせ修交館学院は神戸野性王国圏内、夜ともなればキツネやタヌキ、イタチやイノシシが平然と闊歩(かっぽ)している。

 だが昼間の校舎にとなれば話は変わるし、しかも調理実習室は二階。簡易的なバルコニーの外に、子犬が前脚の肉球を見せているはずない。

 同一個体か見分けつかないが、見覚えある子犬が確かにいる。ガラスや室内に対する興味ではなく、ハッキリ十路を見て、必死に存在をアピールしている。


 だが無視せざるをえない。頬をなにかが叩いたから、再び上を向く。


「え……」

「え?」


 頬を叩いたのは、ナージャの涙だった。

 否、そう呼ぶのは正しくない。彼女の目尻は透明ではなく、ドス黒く(うる)んでいるのだから。しかも目の粘膜からだけでなく、鼻からも血が垂れ始めた。


「ごはっ!?」


 ようやく自覚したらしいナージャが口元を押さえたが、それより早く吐血した。血生臭い温もりを顔から浴びると同時に、彼女は十路に倒れこんだ。


(毒……!?)


 調理実習室には誰もいない。

 長時間ナージャと同じ空間にいて、同じものを飲食したが、十路はなんともない。

 考えられる摂取方法の筆頭は、無差別な犠牲で食器に毒物が付着していた。次点で十路たちも気付かないほど静かに毒物を投射し、ナージャの飲食物か体内に撃ち込んだ。


 元特殊作戦要員の経験が冷静に訴えるのに嫌気を覚えながら、十路は覆いかぶさる体を横に退()かし、そのまま応急処置に移行する。こうなれば調理実習台の上だったのが幸いというべきか。


「飲め! 吐け!」


 呼吸器系を機能阻害する神経毒とは、症状が明らかに異なる。

 この出血量では粘膜の細胞は相当に破壊されている。胃洗浄だけでは応急処置にならない。

 多くの死を見た経験が(ささや)く冷徹を否定しながら、必死に処置をしながら《治癒術士(ヒーラー)》に電話をかけるが、虚しくコール音が繰り返される。


「おい、ナージャ……!!」


 痙攣(けいれん)すらもどんどん頼りなくなる。口の中に手を突っ込んでも、無理矢理飲ませた水を吐かなくなってしまった。

 即死でも衝撃的だが、命の炎が小さくなっていくのを()の当たりにすれば、絶対に慣れることのない違う感覚になる。


「ナージャ……! おい、死ぬな……!」


 それが腕の中でとなれば尚更に。

 守りたいものが砂のように指の間からこぼれ落ちる感覚。

 己の非力さと無力さを、《魔法使い》などと呼ばれていてもなにもできない役立たずさを、嫌になるほどかみ締めることになる。

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― 新着の感想 ―
[一言] 久々に開いたらナージャ回ぽかったのでヤッターって喜んでたらホラー展開で真顔になってしまいました。
[良い点] 更新ありがとうございます! [気になる点] おおお……何が起こっているやら。 作中の常識としては『洗脳や精神攻撃に類する魔法はない』のだと思いますが、非常識の実例(ナージャ)がいるのでその…
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