070_1710 5th showdownⅡ ~獅子奮迅~
クロケルとは、ソロモン七二柱の悪霊たち序列四九番、四八の軍団を率いる浴槽の公爵だ。
堕天する前には能天使であったためか、ソロモン王に使えた悪魔の一柱に数えられるのに、銀髪と猫眼を持つ天使の姿で現れる。
芸術を好み、幾何学や教養学にも長け、埋もれた才覚を発掘すると言われるが、最も得意な能力は水。温度変化はもとより、河や海を支配し、温泉を見つけるとされる。
特筆すべきは、手にした氷の剣か。決して溶けることなく、切られると凍傷で腐ると伝えられる。
(そのふざけたデザインのどこに、天使要素がありますのよ……羽根ありゃOKっつーモンでもねーだろ?)
同名の戦闘形態を取った『麻美』は、伝説を踏襲しながらも、異なる異形だった。
背から一見羽毛に思える、雪と霜の翼を広げているが、移動には用を成していない。体育で二人一組で行う手押し車運動か、動物用車椅子をつけた人間といった風情で、地面に手を突いて移動している。下半身は糸車のような車輪を持つ戦車と化している。
しかも人の身は、鷲鼻、赤く爛れた目、耳まで裂けた口と、魔女然とした巨大な老婆だ。そんなものが木々を凍りつかせながら、なぎ倒して突進する様は、最早ホラーというかモンスターパニックだ。氷でできた弓を構えるネコとブタが乗っているが、リアルな上に人間のマッシブな上半身で、しかも老婆の腰部分から生えているので、メルヘンさなどない。
(そーいやホレおばさんは、零落した女神っつー説がありますわよね。そっちの要素が合体してますの?)
ゲルマンに伝わる女神ホルダ、北欧神話のフレイヤといった、動物に乗って夜空を騎行する存在に通じるとも言われている。地母神・豊穣神・狩猟の守護者としての側面を持ち、死者を慈しむという共通項もある。
博識なコゼットは、装飾杖に横座りして低空飛行しながら、そんなことを考えていた。散発的に氷の矢を射掛けられる程度なので、まだ余裕はある。
彼女は切実な理由で移動していた。
早々に仕留めるつもりで戦っていたから、《魔法使いの杖》のバッテリーに余裕がない。更なる人外加減を発揮した『麻美』を降すには、もうひとつの装備である本と併せて考えても不安がある。
(確かこの辺に……あった)
故に電力を現地徴収するために、西宮市側に建つ送電塔を目指していた。
(さすがに電気ドロボーすんのは、ちょっと勇気要りますけど……)
法や倫理に照らし合わせて気が引けるという意味ではなく、単純に感電死の危険で。その辺りは彼女の性格というか、支援部員共通の思考回路だ。
コゼットは鉄塔のわずかな足場に降り立つと、早速装飾杖を送電線に接触させる。
電力を吸い上げて周囲の《マナ》に移動させるのに、時間がかかる。その間に嫌でも周囲の様子が目に入る。
あちこちで閃光や爆音が発せられている。支援部員たちが、それぞれの敵と戦っている。部長としての責任から戦況は気になるが、気にしてなどいられない。
(――!? どうして!?)
ついでに背後を見て、息を呑んだ。
すぐ近くに西宮名塩ニュータウンがある。山の中腹からびっしりと並ぶ住宅群の景観もさることながら、麓のJR西宮名塩駅と斜行エレベーターで接続されるという珍しい開発がなされているため、映画やドラマのロケ地にも選ばれている。
まだ深夜と呼ぶには早い時間、あちこちの住宅から明かりが漏れていた。
「邪魔」
不意に気体操作術式《シルフおよび霊的媾合についての書/Fairy scroll - Sylph》による圧縮空気砲を上空に放った。
『おわ!?』
飛来してきた市ヶ谷に命中した。彼は体勢を崩し、送電線に着地せざるをえなかった。槍をバランス棒代わりにして、綱渡りしてみせた。
「なんだ。貴方でしたの」
『確かめもせずぶっ放すか!?』
そんなことはない。一応は確かめてぶっ放した。致傷性の砲撃ではなかったのが証拠だ。
協力しているとはいえ得物を携えた市ヶ谷がやって来た目的がわからず、しかも接近を許す間柄でもないから、そういう対応をしただけ。
彼が着地に失敗し、感電死ないし転落死しても、その時の話だと割り切っていた。その程度で死ぬ《魔法使い》が支援部の前に何度も姿を見せないだろうという、逆ベクトルの信頼もある。
「ンで? なぜここに?」
『手伝いだ』
「貴方がお手伝いするなら、クニッペルさんじゃありませんの?」
『その当人から『余所行け』って言われたからだ……』
機械変換された音声が、少し憮然としているような気がする。
コゼットの対応のせいか。それとも市ヶ谷=ナージャと紐付けされていることか。はたまたナージャに邪魔者扱いされたからか。
そんな市ヶ谷の心情などどうでもいいと、コゼットは森を驀進してくる『麻美』を顎で示す。
「ンじゃぁテメェひとりでアレに突貫してこい」
『なんつー横暴で理不尽なお姫様だ……!』
「コンビニもファミレスも深夜営業見直す時代だっつーのに、お淑やかな王女サマなんぞ、二四時間営業するわけねーでしょうが」
王女失格な暴論を吐いたが、為政者を思わせる真剣な顔に作り変え、電力を奪うコゼットは首の動きだけで背後を示す。
『……! ここらは警戒区域指定が発令されてるはずだぞ!?』
市ヶ谷もすぐに、ニュータウン内の照明を数え、コゼットと同じ危機感を漏らした。
「単なる明かりの消し忘れか、避難してねー方がいるのか、どっちだと思います?」
『わからない……確かめる暇もないな』
「支援部的にはひとりでも一般人の犠牲者が出たらヤベーんですわよ。避難判断は自己責任だっつっても、ウチを気に入らねー連中に情報操作のネタにされるの確実ですもの』
『だから?』
「時間を稼いでくださいな。万一の可能性だとしても、住宅地に被害が出る前に『麻美』をぶっ倒すしかねーですわ」
『地形変えるなよ』
「そりゃ無理ですわね。ま、ド派手な爆発は起こしゃしねーですわよ」
コゼットは語ったとおり、人命尊重よりかは組織防衛を優先して。
市ヶ谷は、国防精神だろうか。
動機はともかく目的は同じであれば、危機感を共有できたら話は早い。彼は最低限のやり取りだけで森へ飛び降りた。
闇と木々に姿を消した彼の働きぶりは、すぐに鉄塔の上から確認できた。
森の中から巨岩が突き出た。下からかち上げられた『麻美』は、ひっくり返って侵攻を止めた。
『麻美』の抵抗なのか、見る間に冷気が広がる。小規模な爆発や金属音が響くため、戦闘継続は予想できるが、低温の蒸気が赤外線透過を阻むため、市ヶ谷の様子はコゼットから確認できなくなった。
彼に『麻美』を倒せるとは思っていない。戦略級の《魔法》で物理的に消滅させることは可能だろうが、使うことはないだろう。
指示どおりに足止めに徹し、コゼットに任せるつもりらしい。
「巻き添え食らいたくねーなら、必死に逃げなさいよ」
そろそろいい。
鉄塔の上から地面にエネルギーと指令を照射し、更に地中を伝って半径一〇〇メートル以上の《魔法回路》形成の準備が整った。
『悪魔』を滅するには、悪魔を。
「《地獄の辞典/Dictionnaire Infernal》」
フランスの文筆家コラン・ド・プランシーによって、悪魔・占い・迷信・伝承や、それらに関する者のエピソードなどを、辞書形式でまとめられた本だ。オカルトに詳しい者ならば、この本の挿絵をきっと見たことがある。
同じファイル名を持つコゼットの《魔法》は、ページをめくることなくそれを再現する。
一角馬頭の魔人が。イヌとワシと人間の頭部を持つ竜が。双頭の竜にまたがる魔天使が。剣を手にしてオオカミに跨る烏天使が。サーベルを手にした鶫が。他にも。他にも。他にも。
土石を材料に、いずれも『麻美』に負けぬ巨体の悪魔たちが作られ、一斉に襲いかかった。
コゼットは悪魔の形をした複数の《ゴーレム》を操っているのではない。一体の《ゴーレム》しか操っていない。
ただし範囲数百メートルの土地すべてという、ケタ違いに巨大な《ゴーレム》を。
それが広域物質流動化制御術式《地獄の辞典/Dictionnaire Infernal》だ。
お釈迦様が掌から出さないだけでなく、指人形で孫悟空を叩きのめしてるような状態だ。こんな非効率な《魔法》、現実の戦場では示威行為くらいにしか用がない。
だが今回、相手が相手であるため、話が変わる。
コゼットが無事でバッテリーが続く限り、いくら悪魔たちが傷つこうと構うことはない。肉弾戦における相手の優位をなくし、《ヘミテオス》の不死性とも並び立てば、あとは手数。再生する片っ端から肉を潰し、骨を砕き続け、動かなくなるまで寄って集ってタコ殴りにする。外部から電力供給支援があろうと、《魔法》を帯びた土製の《ゴーレム》ではマイクロ波ビームを阻んでしまう。
ある意味では丁寧ヤンキーらしいとも言える戦術だった。
『麻美』が低温物理学に傾向しているのも幸いだった。熱を好んで使う相手だったら、こうはいかない。
とはいえ、どんな抵抗であろうと、やれるものならやってみろと言いたくなる酷さだが。
『怪獣同士のケンカに巻き込むんじゃねぇ……!?』
森から脱出し、命からがらといった風情で肩で息する市ヶ谷が、鉄塔を見上げてくる。
「よく無事でしたわね」
『巻き込んだアンタがそれ言うか……!?』
遺憾なく発揮される理不尽っぷりに、ヘルメットの中から感情たっぷりな変換音声が返ってくるが、やはり理不尽なコゼットは気にしない。
彼が領域から脱出したならばと、脳内で術式に新たなコマンドを入力する。
巨大な象人が出現する。半分肉塊と化した『麻美』を長い鼻で締め上げると、肉も骨も潰される音が鳴る。
彼女に最早逃れられる術はない。チェックメイトだ。




