070_1700 5th showdownⅠ ~快刀乱麻~
ビフロンスとは、ソロモン七二柱の悪霊たち序列四六番、二六の軍団を率いる地獄の伯爵だ。
死体を入れ替えたり、墓の上に蝋燭の火を灯すと伝えられている。そのため死霊術と関連付けられることが多く、生と死について探求する魔術師たちが召喚を目指した悪魔と言われている。
その姿は、グシオン同様にやはり判然としておらず、召喚者が定めるまでは、ただ『怪物』としか伝えられていない。
同じ名を冠した『麻美』の姿は、巨大な骸骨だった。人間のものよりも数倍大きい頭蓋骨が宙に浮いている。
体は確認できない。小規模複合電子対抗手段で稼動している《マナ》が濃密度でまとわりつき、ローブというかボロ布のように隠してしまっている。
人型の時にナージャが抱いた印象の、死霊さながらの姿を取っている。
そして発揮している戦闘能力は――
「あぁ、もう!」
ナージャは目隠しのバンダナをかなぐり捨てた。絶え間なく《魔法》の光が発生していれば、暗所恐怖症は顔を出さない。
それに視覚を使わずに対処できない状況になっていた。
さしずめ死霊術の科学的再現だとでもいうように、あるいは童話の小人たちであるかのように、《ゴーレム》に取り囲まれていた。それも河原を埋め尽くすほどの軍団だ。
小石混じりの川砂を材料とした土人形であるため、対処は容易だ。左腕で振るう刀よりも、部分的に《鎧》を起動した蹴りで直接破壊するほうが手っ取り早い。
ただし木っ端微塵にしようと、すぐに河原から新たに腕を伸ばしてくる。こんなことを何度も繰り返していれば、いい加減手足がくたびれる。
《ゴーレム》使いの厄介さが、遺憾なく発揮されている。このままではいずれ土人形に飲み込まれ、窒息死か圧死するだろう。
更にナージャは右手を使っていない。《魔法使いの杖》を逆に持ち、上部を握りこんで、腰元から動かしていない。
動かせない。下手にそのまま殴って『中身』が漏れたりしたら、大変なことになる。
足を駆使し続けているため、膝丈のスカートは裂けてしまっている。構わず白い太ももをむき出しにして、ナージャは跳び回し横蹴りで土人形をなぎ払う。
『お? サービスいいな』
と、そこに、両側に曲がった小さな刃が突き出た上鎌十文字槍が、土人形を貫通し、河原に突き立った。
『らしくないなぁ? なに手こずってんだ? ナージャ・クニッペル』
その石突に片足で、ライダースーツからヘルメットまで黒尽くめの男が立っていた。
市ヶ谷だ。
「否定しにくいですけど、別に手こずってるわけでもないですが」
ナージャの答えは強がりとでも捉えたか。ヘルメットの中から鼻息のような音が漏れた。
彼は柄から飛び降りると、河原に着地するよりも早く槍を引き抜き、横殴りに振るう。刃ではなく柄を叩き付けて、背後の《ゴーレム》を一掃した。
そうして若干の余裕を作ると、ナージャと背中合わせになり、土人形の奥に佇む『麻美』を顎で示す。
『それで? あの化け物なんだ?』
「わたしも初体験ですけど、あれが《ヘミテオス》の本領らしいですよ」
『淡路島のアレと同じか』
市ヶ谷が槍を向けて、周囲に《魔法回路》を複数形成した。
「ちょ!?」
ナージャが止めるには遅かった。『麻美』が光の粒子が形作るローブを、翻そうとしていた。
体で《魔法使いの杖》を握りこんだ右手をかばうのが精一杯だった。
直後に紫電の奔流に飲み込まれる。静電気の刺激が体を叩き、部分的な《鎧》も剥ぎ取る。
だが右手だけは無事だったことに、ナージャはホッする。
もう生身で握っていられる状態ではない。こんなところで『暴発』など、冗談ではない。
「余計なことしないでください! 遠距離攻撃しようとしたら、《魔法》のキャンセル能力で潰しにかかるんです!」
『先に言えよ!?』
「ほえ? 今回は協力してますけど、わたしとあなた、ぶっちゃけ敵同士ですよね? なのに言わなきゃいけないです?」
『…………』
なんだかヘルメットの奥から、哀愁の気配が漂ってきた気がしなくもない。彼の表情はシールドに阻まれて、確かめることはできないが。あと土人形を潰しながらの会話なので、確かめる余裕もない。
「そういうわけで、お手伝いでしたら不要です。他の人をお願いします」
なのでナージャは、市ヶ谷の気持ちに構うことなく一方的に伝える。
「というか、ここにいたら、巻き添えで死にますよ」
彼女なりの親切心も、いくらばかしか含まれている。
『大丈夫なのか?』
「大丈夫です」
十路と似たような心配をする市ヶ谷に、ナージャは少し笑ってしまう。
「さっき首を刎ねた時より楽です」
人間相手でも斬ることができた。
『悪魔』ならば、迷うことなく斬れる。
時間稼ぎの最中、《ゴーレム》の相手をし続けるのは辟易したが、『麻美』は積極的な攻勢ではなかった。《魔法》の妨害能力が関係しているのか、彼女の真価は不滅の歩兵生産・指揮戦力であって、強力な兵器の代替となる能力は発揮していない。
もちろん常人は当然、普通の《魔法使い》でも、大量の《ゴーレム》はとても敵わない相手だろうが、ナージャならば。
しばし迷ったようだが、やがて市ヶ谷は軽く頷くと、槍に電磁加速を与えて飛び立った。
変わらず土人形を相手しながら、彼の姿が感知領域内に消えるまで待ってから、ナージャは軍勢に守られた『麻美』に顔を向ける。
もういい。充分な時間を稼ぐことができた。逆に溜めすぎるのもよくない。
「八月に支援部が、ロシア軍参謀本部情報総局の特殊部隊と戦った事件、どこまでご存知ですか?」
『アンタが師匠を斬ったことまで』
「なら話は早いですね……これはその時、師匠を斬った剣です」
人間時とは段違いの奇声じみた返答に、左右逆の居合腰に構えたナージャは哂う。
「でも、違います」
あれは師の腕を奪うためだけ。切断面を朽ちさせる程度の、最低限度の出力で充分だった。
まだ支援部員になる前、非合法諜報員の現役時にも、この《魔法》は何度も使っていない。全力でとなると、皆無と言っていい。
推測は可能だろうが、きっと真の姿は知られていない。知られたところで生半可な手段では対処できない。
ナージャはずっと、ごく小さい時空間制御領域内部に、《マナ》との通信とエネルギー譲渡に利用するレーザー光線を照射し続けていた。
時間の流れを加速させた空間は、通常空間との境に、物理学上最速の存在である光子すら捕らえてしまう。
鞘を形作る右手中には、純粋な光を留め込んでいる。
「これが本当の《白の剣》です!」
居合いのように抜き、刃のように領域を伸ばす。
極光の白刃が抜き放たれただけでも凄まじい。光量は闇夜を完全に塗りつぶす。輻射熱が流水を一瞬で蒸発させて砂を融解させる。放射圧が土人形たちを土塊へと還す。
直撃した『麻美』など、ひとたまりもない。《魔法》をキャンセルされ、時空間制御領域は消滅したかもしれないが、留め置かれていた莫大な光までかき消すことはできない。
蒸発するよりも早くプラズマ化し、大爆発が起きた。




