070_1320 flakey ordinaryⅧ ~常在戦場~
「ねぇ。鄭?」
不意に悠亜が厭らしい笑顔を浮かべた。
応じて老婦人が眉根を寄せて警戒を浮かべる。
「あなたがいくら頑張ったところで、蘇金烏はアンタを『麻美』だとは思わない」
未来のオリジナルと、データ転送されてこの時代で生まれた《ヘミテオス》の、スワンプマンの哲学問題とは違うそれ以前。
分化してそれぞれの時間を過ごした『管理者No.003』たちは、元の『麻美』とは違う存在に決まっている。
「あなたの頑張りは全部ムダ。決して報われることはない……『管理者No.003』を全員回収したところで、ね」
悠亜の口から語られた些少を知っているに過ぎない十路では、彼女たちの関わりはよくわからない。『管理者No.003』同士でないとわからない、赤の他人が口出しできる領域ではない。先ほどまでの女同士のやり合いとは違う理由で息を潜める。
常人に理解できる範囲ならば、彼女たちは決定的に仲違いした姉妹、というのが一番近いのだろうか。
悠亜の言葉は親切心だった。
敵対関係にあるが、相手が憎いわけではない。生死を分かつ完全決別をするつもりならば容赦しないが、ならないならば越したことはないと。
「……今さら後戻りできるわけないでしょう?」
老婦人が顔を撫でた。《魔法》の光を漏らして手を外すと、白髪頭はそのままに皺のない鄭の素顔が現れる。
暗い笑みを浮かべているが、悠亜と全く同じ声は、嘲笑よりも自嘲の割合が高い。
「アンタはママの道を選んだ。私はパパの道を選んだ。それだけのことだけど、やり直しが効くものじゃないでしょう?」
父親は、破滅の未来を変えるために神となって人々を導こうとした。
母親は、世界の未来を変えぬために悪魔となって闇に潜んだ。
娘婿は母親に従い、娘たちはそれぞれに別れた。
「投げ出せばいいじゃない……と言いたいところだけど、あなたにはできないわよね」
悠亜が『麻美』の一部、女性の理想像であるならば、鄭は自己の外的側面。社会の中で求められる役割を演じるために、役者が身につける仮面。
それも、舞台を降りても外すことができない、呪いの仮面。
彼女は『娘』になろうとする、鄭という『管理者No.003』以外にはなれない。
「だったら叩き潰してあげる」
女性の理想像は二面性を持つ。慈しむ大地母神でありながら、破壊の具現たる鬼子母神でもある。
その証明のように、悠亜が邪悪な笑顔を浮かべ――隣に座る十路の肩に手を置いた。
「この子たちが」
「悠亜さんって、やっぱ理事長の娘だって、すっげー納得します」
自称『もっと性格悪いの』は伊達ではなかった。シリアスを簡単にブチ壊すつばめを相手するように、十路は破壊衝動を抑えるために意図的に冷淡になる必要があった。
「順番からすれば、俺たちが悠亜さんを巻き込んでるって自覚ありますけどね……? でも挑発してハードル上げて丸投げって、すごくイラッとします」
「ややややや。私だって体をイクセスに貸して、《コシュ》で参戦するわけだし、丸投げじゃないわよ?」
「…………」
唐突に始まったふたりのやり取りに、老婦人は白けた目を向けている。
それに気付いた悠亜は、コホンとわざとらしい咳払いで、気と場を取り直し。
「ねぇ? あなたたちの全力は、いつになれば出せる?」
今回の部活動は、悠亜の戦いでもあると宣言する。
「面倒なことをせず、総力戦よ。全部全力で叩き潰してあげるから、出せる戦力を全て出してきなさい。ま、あんまり調子に乗ってたら、自衛隊と人民軍で日中開戦ってことになりかねないけど」
一歩間違えれば本気でそういう事態になりかねない。戦争の引き金になるなど絶対に嫌なので、十路は内心ハラハラしながら推移を見守もろうとしたが、老婦人は悠亜を無視する。
「堤十路、そっちはどうなのかしら?」
「お前が手出ししてくるから、こっちも対応せざるをえないってだけの話なんだが?」
事実を使って答えをはぐらかせておく。
部員たちの《魔法使いの杖》の修理が終われば、《魔法》フル活用で準備が行える。進捗状況にもよるが、自衛戦力のみならば完動状態に近いところまで回復しているはず。だがそれを馬鹿正直に鄭に伝える理由もない。
そもそも問題は十路が考える迎撃までを含めた戦術だ。街中で戦闘して戦闘機を市街地に撃墜するわけにもいかないから悩んでいるが、いい案がまるで浮かんでいない。やはりこれも伝える必要はない。
「そちらはどうせ《窮奇》次第でしょう? 《魔法》で無理矢理修理することも不可能ではないでしょうけど、コクピットブロック総取替えではそうもいかないでしょうか」
イクセスに交代しても十路はすぐ区別ついたが、ずっと悠亜がしゃべっていたため老婦人はすぐには理解できなかったか。それとも『デブ鳥』がなんの比喩か理解できなかったか。一瞬眉を寄せた。
「違う。運ぶ艦次第だ」
十路が元陸自所属で艦艇運用に詳しくなくとも、このくらいはわかる。
戦闘機の海上拠点は、自衛隊哨戒機に発見されて撤退した。それがなければ鄭たちの支援部襲撃はままならない。
「東シナ海を渡るのに? 上海から神戸までの距離はおよそ一三〇〇キロ。戦闘機の航続距離ならば届くでしょう?」
「あのな……いくらバイクだからって、戦闘行動半径を知らないのか?」
十路が元陸自所属で空戦に詳しくなくとも、このくらいはわかる。
確かに陸上を走る車輌は、燃料切れになれば不時着か墜落するしかない航空機と違うので、その概念は薄くなりがちではあるが。
「状況によって大違いだけど、作戦行動可能な距離は、単純計算で航続距離の三分の一から半分だ。単独なら戦略爆撃機でないとまず無理。コイツらが使ってるSu-27系はかなり飛べるけど、それでもギリ届くかどうかって距離のはずだ」
行って、戦って、帰る。これができなければ軍事作戦とは呼べない。
少なくとも現代では。
「神戸まで来て、何分か飛べれば、問題ないじゃないですか」
「それは――」
反論しかけて、十路は遅れて気づいた。
第二次世界大戦時の大日本帝国軍は、いわゆる神風特攻隊の機体には、片道分の燃料しか搭載しなかったと言われているが、実際のところデマだ。
支援部と戦うつもりなら、本当にその覚悟で来い。帰還を前提とした甘い考えなんて捨てろと、イクセスも挑発している。
言外の言葉は正確に通じた。鄭の瞳がすっ、と細くなる。
「どうせ《ダアト》とやらの権限は、トージを破壊しなければ奪えないのでしょう? そして『衣川羽須美』として近づく手段は、私がいるのでもう不可能です。できる限り早く強襲する以外に、私たちに勝つ方法はなくなりますよ」
悠亜の追加がダメ押しとなったか、鄭が口角を吊り上げる。
△▼△▼△▼△▼
「羽須美さんが持ってたっていう《ダアト》とやらのアクセス権、イクセスの《悪魔の欠片》ですよね?」
無線の出力を絞った走行中ならば、盗聴される心配はない。
鄭とは話し合い以上のことは起こらなかった六甲山牧場を出た十路は、二人乗りで県道一六号線を走りながら、先ほどの話を確認した。
【そうよ?】
『えぇ……その通りです』
悠亜はあっけらかんと、悠亜は渋々と、推測を肯定してくれた。
【やー。まさかねー。私もイクセスが持ってるって知らなかったから、機能接続してビックリしたわよ】
「やっぱり理事長の仕業ですか?」
【えぇ。後で確認したわ。私とリヒトくんで《バーゲスト》を組み立てた時には、そんなデータ入れてないもの】
黒幕も確認できてしまえた。やはりあの策略家が原因か。
「鄭は《ダアト》を発電衛星って言い方してましたけど、イクセスが隠してたことからすると、そんな可愛い代物ではないですよね?」
【間違いではないけどね。《塔》のエネルギー源って、ありていに言えば地球なのよ。だけど《ダアト》は太陽から直接取ってる。そういう意味じゃ発電衛星】
「でも単なる太陽電池パネルなんかじゃないでしょう?」
『《塔》と同様にサーバーであり、工場でもあるようです。どうやら《ダアト》は、《塔》のバックアップであると同時に、隔離倉庫のような使い方をされているようです』
説明は悠亜が引き継がれた。これまで頑なにしゃべろうとしなかった内容だが、ここまで明らかになれば隠す意味がないと判断したか。
『例えば五月、トージとジュリで実行した空間隔絶無差別跳躍。まぁ、フツーに考えて禁止兵器ですよ。出力が充分なら地球を抉りますし。あの術式は一時的に《ダアト》からダウンロードしたもので、私が保有しているわけではありません』
効果はよくわからずとも、ヤバイのはなんとなく語感でわかる。そしてイクセスの《魔法》でもないのも理解した。
「隔離倉庫どころか、大陸間弾道ミサイルサイロの扱いじゃないか……連中が手に入れたいわけだ」
《魔法》がこの世に現れる前の、核兵器のような存在なのだ。絶大な戦力であり、使わずとも抑止力として機能する。
蘇金烏側は是が非でも手に入れたいだろうし、つばめたちも手放すはずはない。羽須美が宇宙に隠した理由も、なんとなしには理解できる。
「というか、そんな重大なものを持ってるなら、イクセスが参戦するのもどうかと思うんだが」
幸いにして、相手は権限を十路が持っていると誤解している。そう見せかけているだけの可能性も否定できないが、そこらは考え始めると限がないので考えない。
もしも現管理者が破壊されて、また《ダアト》のアクセス権が宙に浮いた状態になってしまったら。その危険を考えると、彼女を戦わせるのもいかがなものかと考えてしまう。
『……ハァ?』
『馬鹿にしてる』どころではない、軽蔑レベルの低い声が返ってきた。
これが羽須美だったなら、逆鱗に触れたことを察して首をすくめている。人物は違っても同じ声なので、十路はビクッと肩を震わせてしてしまった。
『今まで散々コキつかっておいて、私が人間になれば掌返したようにお姫様扱いですか? 排気ガスしか出ませんね』
「お前、エンジン車じゃないだろ……」
『ものの喩えですから、どうでもいいです』
ここでオートバイなりの言い回しを出されても困る。人間ならばため息が該当するのか。それとも毒のほうだろうか。
『ジュリがブチ切れるの、トージのそういうところですよ? 優しさとかではなくて、単に不信から遠ざけてるだけじゃないですか。何様のつもりですか?』
樹里の話題を今ここで出さずとも。ヘルメットの中で思わず十路は顔をしかめてしまう。
【樹里ちゃんがキレるって……】
悠亜が深刻な声を出すが、察した悠亜は『大事ではない』と嘆息つく。
『《千匹皮》による暴走ではありません。瞳孔開いた目でジ~ッと見つめて、低い声で静か~にキレるんですよ。爆破五秒前って雰囲気で、傍で見てても危機感覚えます』
【ややややや。それメチャクチャ怒ってるじゃないの。そんな樹里ちゃん、私も見たことないわよ?】
『実家ではリヒト相手にキレないのですか?』
【普通に怒るわよ? それがあの娘の『キレる』だと思ってたけど……まだ上があったのね】
『その更に上がありそうで怖いんですけど……』
樹里が内弁慶なのは知ってる。身内には負の感情も素直に出す。
だが他人の十路には出すまいと圧縮され、結果爆発して家族にも見せない本気を披露するのか。
【ふ~ん……樹里ちゃん、《騎士》くんには甘えてるんだ】
『「は?」』
『どうしたらそんな感想が出てくる?』以外の感想がない言葉に、十路だけでなく悠亜も怪訝な声を重ねてきた。
【人はなぜ怒るのか? それは期待と甘えがあるから……って言ってわかる?】
「期待のほうは……裏切られるようなことがあれば怒りますけど、最初から期待してなきゃ苛立ちもしません」
【うん。それで、それって甘えでもあるよね? 心を許した相手でなきゃ、本音なんてぶつけられないもの】
「誰にでもすぐキレる人間は?」
【それも甘え。自分が気に入らないことがあれば、平身低頭誠心誠意言いなりになってくれるだろうって、相手からすれば『ふざけるなよ』って言いたくなる期待を無意識にしてるわけ】
「はぁ……まぁ、そう言われれば確かに」
【樹里ちゃんはそこまで非常識じゃないのに、本音ぶつけても関係壊れないって思ってるくらい、《騎士》くんにずいぶん甘えてるって考えるしかないのよ】
なんだかあまり触れられたくない話題になりそうだった。樹里との人間関係については、やはり後回しにしたい。
そんな十路の気持ちを察したわけではないだろうが、直近の疑問を悠亜が確かめてくる。
『ところで、どこまで行くつもりですか?』
「このまま宝塚まで行ってみようかと」
なんといっても宝塚歌劇団の本拠地がある歌劇の町。昨今では漫画の神様・手塚治虫が生まれ育った町としても売り出している。
観光地化された場所から外れれば、閑静な住宅街を有していることから、大阪・神戸のベッドタウンといった赴きも強い。
「鄭があの様子じゃ戦闘は確実だし、早いところ戦う場所を選定したい。あの辺りはゴルフ場が多いし、自衛隊の演習場もある」
『開けすぎですよ。長尾山演習場なんてハイキングコースでしょう? 強権発動して、地対空ミサイルでも配備したほうが使い道ありそうな気しますけど?』
「能動ステルスなんてものを持ってる相手に、レーダー誘導ミサイルなんて撃ったら、どうなるんだ?」
『航空自衛隊ならなんとかなりそうですが……陸上自衛隊の装備だと?』
「赤外線誘導の対空だと、九三式近距離地対空誘導弾くらいじゃないか? ぶっちゃけ地上戦力は、航空戦力と真っ向勝負なんて考えてないからな」
『結局、《魔法使い》の相手は《魔法使い》にしか務まらない、ですか』
そんなことを話しているうちに、完全に六甲山系の山道から降りて、西宮市から宝塚市に入った。住宅地脇を東に走ると、市を縦断する武庫川へと出る。
十路は初めて宝塚市に来た。渋滞多発地帯として全国区で有名だった中国自動車道・宝塚トンネルも利用したことはない。『へー。あれが大劇場かー』などと赤い屋根を眺めながら、完全なツーリング気分で川沿いを走り、宝塚駅で一時停止することになった。
「人間の体って不便ですね……」
悠亜が生理的反応を訴えたから。
駅舎規模はかなり大きいが、日中の利用客はさほどでもない。タイル張りのコンコースを歩いて渡り、女性用トイレへと連れて行く。
彼女が用を足して出てくるのを待っている間、なんとなく十路は、壁に設置されたパンフレットスタンドが目に付いた。
バイト情報が掲載されたフリーペーパー、旅客会社の一日乗り降り自由の企画切符パンフレットや、旅行代理店が発行している国内ツアーなど、大して興味のない目で見やり。
「……ん?」
うち一枚を手に取り、食い入るように内容を確かめる。
(そうか……ここに誘い込むことができれば……! 充分な遮蔽物がある! 絨毯爆撃されても少しの間なら耐えられる! 降りてくれば渓谷だから相手の上を取れる! しかも機動力だって殺されない!)
懸念事項は全長たった四.七キロ。徒歩でも二時間かからない。
だがそれを除けば、これ以上を望めない好条件を持っている。
「なにやってるんですか?」
「イクセス……あったぞ。ベストな戦場」
女子トイレから出てきた悠亜に、十路は西宮観光協会発行、『JR福知山線 生瀬・西宮名塩~武田尾 廃線敷マップ』とあるリーフレットと共に、獰猛な野良犬の笑みを見せる。




