070_0210 2nd spoofⅡ ~轍鮒之急~
食事を終えて残りを遊びやおしゃべりに費やすだろう、昼休憩時間の賑やかな構内で。
「言ったじゃないですかぁ~。演技だってぇ~」
「ンなこと言っとらんわ!? ガチで怪我しとるわ!?」
「愛を囁いたのは?」
「知るか! 寝言は寝て言え!」
声そのものは二種類とも聞き慣れているが、どちらもあまり聞かない調子だった。ソプラノボイスは常に底抜けに明るく、男の声は平坦でボソボソしてるのに、今は違う。
構内の道路で、見覚えありまくりな高等部の男女ふたり組とすれ違うところだった。実習用の作業服に着替えて、台車に載せた大きな資材や工具の陰に隠れていたからか。それとも単に言い争いの最中だったからか。彼らはコゼット・ドゥ=シャロンジェに気づく様子はなかった。
(ま、いっか)
昨日の襲撃現場以降、十路の姿を見ていない。話には聞いていたが、あの調子ならば本当に大事ないだろう。コゼットはその目で確認できただけで良しとして、台車を押して資材を運ぶ。
「部長。なんでドアなんか運んでるんですか?」
すれ違ったはずの野良犬チックな男子高校生が追ってきた。なにか揉めていたのでロシア人女子高生は放置か。
「最近寒くなってきたので、部室の壁に穴を空けて、別の出入り口を取り付けようかと思いまして。中を暖房で暖めても、シャッターで出入りしていると、意味がありませんから」
「それも訊きたかったことですけど、どこから持ってきたかというのが一番の疑問なんですが」
「作りました」
「……ドアって普通、自作するものです?」
「普通は購入するものでしょう。作るにしても、大きな資材が必要ですから、端材ではなかなか難しいですし」
衆目がある場なので、十路が『気色悪い』と嫌うプリンセス・モードをONで応じたが、さすがにこの場ではなんのリアクションもなかった。下手すると倒れそうなドアを支えて並んで歩く。
そうして敷地の端にある、支援部部室までふたりして運ぶ。ちなみに部室に近づき人目がなくなった時点で、バックに花を散らせたプリンセスタイムは終了だ。
コゼットがスイッチボックスを鍵で開けて、電動シャッターを上げると、普段とは違う部室が目に入る。
(クソAIがいねーと、なーんか張り合いねーですわね……)
コンセントに充電ケーブルを伸ばす大型オートバイの姿がない。日頃オートバイと口ゲンカという、言葉だけ聞けば頭の心配をされることを行う彼女だが、それだけ馴染んでいるのだから、やはりイクセスのことも心配はする。
とはいえ機体は修復不可能なほど大破したものの、中身は無事であることも聞かされたので、コゼットは気落ちというか拍子抜け以上はない。
資材を台車から下ろしていくと、十路もギプスをしていない片腕だけで手伝うので、思考はそちらに移る。
「わたくしは次の講義ねーですけど、堤さんはのんびりしてたら五限に遅れんじゃねーです?」
コゼットは空間制御コンテナから自前の電動工具を取り出す。
「それまでには帰りますよ。建機動かすならともかく、内装の職人仕事なんて真似できませんし」
十路は逆側からソファの背もたれに座り、態度でも『荷下ろし以上は手伝わない』と主張している。
「特技なんぞあるに越したこたぁねーでしょうけど、建機動かせる時点でどうかと思いますけどね……」
「施設科じゃないのに本当はいけないですけど、自衛隊でちょっと穴掘るくらいなら、動かしてましたから」
「元自衛隊員なら、てっきり戦車かと」
「それも動かしてました」
「それ、もっとどーなんですのよ……」
「建機なら、部長だって動かすことできませんでしたっけ?」
「三トン未満のブルドーザーとかショベルカーとかホイールローダーなら」
「どこ向かってるんですか。車の免許は持ってませんでしたよね?」
「車はさすがに時間が足んねーですわよ。二日で取れる建機の免許と比べるなっつーの」
高校生と大学生、しかも片方は王女の会話ではないと誰もが断じるだろうが、これが支援部における現実だ。
筋交いを切断せずにどこに穴を空けようか。別の筋交いを入れて壁パネルを一部剥がすか、コゼットがプレハブガレージ改造の算段をつけていると、なにが面白いのか十路はずっと見てくる。
日頃王女の仮面をつけて過ごすコゼットにとって、注目されることなど日常茶飯事だ。しかし十路は大体が無関心だ。部室で他の部員がなにかしていても、一瞥以上は興味を示さずに、宿題なり受験勉強なり整備なりボランティアなり、自分の用事を始める。
なのに、なぜか今日は違う。
「あの……堤さん? ドアの取り付けくらいだったら、ひとりでできますけど……?」
ドアはそこそこの大物なので、細腕のコゼットならば、手伝いがあったほうが楽ではある。とはいえひとりで出来ないことでもない。
しかも手伝ってくれず、ただ作業の様子をじっと見られるのは、非常に居心地が悪い。まだなにか用があるのかと思ってしまう。
「いえ。部長の作業着って、珍しいと思って見てただけです」
「さすがにこの姿でウロウロしてねーですけど、初めてでもねーでしょう……?」
「まぁそうですけど。なんというか、ギャップ萌え?」
結構ズボラなコゼットとしては、大学にいる間ずっと作業服でも構わない。高校生以下のように制服などないのだから、そういう使い方ができる服があれば便利がいい。けれども王女サマの仮面と周囲の認識が許してくれないため、最低限は女子大生らしく着飾っている。『最低限』で普通の学生では届かない容姿なのが、素材のハイレベルさというか殺意の源と呼ぶかは人に拠るのでそれはさておき。
逆からソファに座っていた十路が立ち上がり、なにげない足取りで一歩間合いを詰めた。それと同時にコゼットの足も自然と下がった。
逃走はそれで終わり。先ほど穴を空けようと考えていた壁に背が着いた。けれども十路はまだ詰めてくる。今やもう懐かしい言葉となった壁ドンどころではない。ギプスをつけた腕で肘ドンされている。息が触れる至近距離に、見下ろしてくる十路の顔がある。
「やっぱり部長って、美人ですね」
「光栄ですけど……落ち着きましょう……? 今日の堤さん、ちょっと変ですわよ……?」
プリンセスモードではないのはもちろん、地の丁寧ヤンキーでもない、乙女な部分が顔を出してしまう。それでも年上成人の威厳をなんとかかき集め、引きつった笑顔を浮かべる。
「変、かもしれませんね」
顔の輪郭をなぞるように指先で頬を撫でられ、顎が軽く持ち上げられた。取り繕った笑みなど、乾いた喉に無理矢理唾を落としたと同時に吹き飛んだ。
顎クイも初めてではない。まだオートバイに乗り慣れていない頃、ヘルメットを被るのにモタついていると、十路が顎紐を調整するのによくやられていた。
けれどもその時とは違う。ぶっきらぼうな彼らしい事務的な手つきだった。ゆっくりと優しい、同時におぞましさを感じる今とは異なる。
「部長とふたりきりになることなんて、そうないですからね……部室だったら他の連中はもちろんですし、いつもイクセスがいますし」
「だから、ムラムラしたとでも……?」
「昨日、事がありましたしね」
「男性が危険な目に遭うと、生存本能が刺激されて性欲云々っつーのは、ヨタ話と思ってましたけど……」
「因果関係は微妙でしょうけど、あながち間違いとも言い切れないですよ」
「今までどうしてたんですわよ……」
「そりゃまぁ、ひとりで、ね」
コゼットが対応にまごついている間に、足の間に十路の膝が差し込まれて密着された。これでは金的でひるませて逃げることも叶わない。胸を押し返そうとした手も軽く捕まえられて、頭上で固定された。
十路のことを、コゼットは嫌っていない。むしろ好意を持っているし、自覚もしている。
とはいえ、あからさまな獣欲を向けられれば、恐怖心が芽生える。
「今回は、わたくしを性欲処理に使おうっつーことですの……」
それでも生まれ持った王女としての矜持か、コゼットは精一杯の強がりを振り絞る。
「大丈夫ですよ。最初から部長にハードなこと求める気ないですから」
それも彼は軽くいなし、少しだけ顔を遠ざける。行為を止めたのではなく、片手一本でコゼットの両腕を頭上で押さえつけた。彼女の動きを完全に封じた上で、十路は片手を空けた。
ジャケットを閉じていたファスナーが音を立てて引き下げられた。着込んた機能性肌着越しであるが、女性らしく隆起した胸が開放される。
「…………っ!」
十路の手がベルトのバックル部分に下りる。片手だけで器用に緩めて外し、カーゴパンツの留め金とファスナーが下ろされる。下着しか穿いていない下半身に冷たい空気が直に触れた。
普段はあまり意識していないが、《魔法》が使えない状況で、権威に屈しない相手であれば、否応なく非力な女性であることを自覚させられる。喉がひりつき、悲鳴を上げることもできない。
「――ッ」
犯される。そう思ったタイミングで、唐突に舌打ちした十路が、身を離した。磔状態から不意に自由になったため、コゼットは壁に背を預けたままズルズルと崩れ落ちる。
「部長。まだ今度」
十路はそれだけ残し、部室から立ち去った。
なぜ彼が止めたかなど、考える余裕はなかった。コゼットは着衣を正すことも後回しにして、震える体を自分で抱きしめた。
△▼△▼△▼△▼
「あれ……?」
部室のシャッターが開いていることに、樹里は顔を曇らせた。昼休憩に来たのは、誰もいない時間を見計らったつもりだったが、当てが外れた。
日中にいるとすればコゼットか。彼女は単位免除されている講義が結構あるので、空き時間は部室で潰していることが多いのを知っている。
樹里の用事は、今である必要はない。しばらく部室に顔を出していないので、樹里がやっていた管理や仕事がどうなっているのか、確かめたかっただけだ。
とはいえ部室の近くまで来て、Uターンするのもどうかと思ってしまう。
それに、脳内センサーで捉える中の様子が妙だった。
樹里は物音を立てぬよう、そっと移動して中を目で確かめた。すれば嫌でも見えた。着崩れた服で壁際でへたり込むコゼットの姿が。
「部長!? どうしたんですか!?」
気まずさや後ろめたさなど吹き飛ばし、慌てて近づいた。
《魔法》の目を使って診断するが、コゼットの体に異常らしい異常は認められない。
「いえ、なんでもねーですわ……」
「なんでもないって、そんなわけ――」
鼻を鳴らして匂いを確かめる。コゼットが身にまとう紅茶の香りに混じり、知らない匂いが残っている。
「誰と、なにがあったんですか?」
「……………………え?」
真実を隠そうとしたのではない。樹里が発した当然の疑問が、コゼットにも正確に伝わったがために、答えがなかった。




