FF0_0670 悪魔と悪魔と悪魔の愛弟子Ⅷ ~ジャザイール民主人民共和国 アハガル山地⑦~
数秒、頭部を失った『羽須美』の体は棒立ちになった。
如何に《ヘミテオス》が常識外の生物とはいえ、機能中枢を一瞬で、全て吹き飛ばすと、それ以上はなかった。ゆっくり地面に倒れると、次第に体は白い塵と化して崩れ始めた。
『羽須美』が完全に消えるのを見届けることなく、抵抗がないと知れた途端、十路は地面に倒れていた、本物の羽須美へと駆け寄った。
「お見事……」
「しゃべらないでください!」
「や、これ、ダメでしょ……」
倒れる羽須美が唇を震わせる度に、血を吐いていた。腹には無残な穴が空き、血が盛大に地面を濡らし、飛び出た内臓も砂漠の空気に触れて冷えつつあった。
どう見ても致命傷だった。《ヘミテオス》としての機能が剥奪されたと、十路は知るはずもないが、この傷では助からないと、戦場の経験が語っていた。普通の手段はもちろん《魔法》の応急処置でも、救命するには失われたものが多すぎる。《治癒術士》と呼ばれる専門技術者でない限りは治療不可能で、呼んでくるにも搬送するにも距離があると、頭の冷静な部分が判断した。
「こんな予定じゃ……なかったけどなぁ……」
寒さとは違う震えで覚束ない手を地面に這わせ、羽須美は投げ捨てられて転がる《無銘》の柄に触れた。逆の手を跪く十路に伸ばした。
戦士のものとは思えない、女性らしい、しなやかな手を握り返すと、生体コンピュータが挙動し、《魔法》を使う際に使用するABIS-OSが始動した。《魔法使いの杖》を手放しているにも関わらず。脳裏にウィンドウがいくつも展開され、作業経過を示すバーが表示され、大して待つまでもなく一〇〇パーセントを示した。
《環境操作プログラム Japan Army Arsenal形式 暗号圧縮形式再編》
《形式書き換え――Don-Quixote's Ten Commandments》
拡張子が突如として変更された。これまで脳内に蓄えられていた術式が一度脳の機能領域に解凍され、暗号圧縮形式が変更された状態のものと入れ替わった。
《魔法》は知識と経験から作られるもの。人生経験が反映される。
そう考えればありえるのかもしれないが、拡張子が変わるなど、聞いたことがない。
更には続けざまに、新たな術式が作成された。
《任意選択及び修復機能付加非実体ブレード》
《自動命名――刃無き正義.dtc》
人は斬れずとも城を切る偽善の《剣》が。
《汎用能動防御システム》
《自動命名――寛大なる忍苦.dtc》
守りのためと称する破壊の《盾》が。
《原子冷却機能有大質量可搬仮想有線式マルチコプター――》
勇とは無縁たる没義道の《鎖棍》が。
《無制限制限電磁投射設備――》
加減を知らない災禍の《弾弓》が。
《中性粒子ビーム照射装置――》
あまりにも強力すぎる無用の《弩》が。
《擬似アルクビエレ・ドライブ搭載極超音速無人攻撃機――》
真価を発揮すれば厄難となる《投槍》が。
《レーザー爆縮核融合式熱放射砲――》
造作なく破滅を生む《騎乗槍》が。
とても使い物になるとは思えない、色々な意味で壊れた《魔法》たちが、次々と生み出された。
十路が持っていたそれまでの術式は、陸上自衛隊兵器廠とつけられた拡張子に相応しい、兵器システムの名前で統括されている。
改変され、追加されたそれは、言うなれば騎士の象徴。心得であり、つき物の装備で、本当にキッチリ十の数を揃えるものではない。
ただし騎士道や英雄譚として語られるものとは明らかに違う。名誉とは無縁、戒めや功にならない、血塗られることが決定づけられた御為倒し。
空想的理想主義者の十戒。
拡張子の意味を推察したのは後の話で、この時の十路はロシアの作家イワン・ツルゲーネフの分類を知らなかった。ドン・キホーテの名は、物語の主人公である狂った老騎士でなければ、総合ディスカウントストアとしか認識できなかった。
知った後なら、空想的かつ無鉄砲で、分別に欠けた行動派という評には異論を述べたくなった。理想に対してだけなら、彼はむしろハムレット型の懐疑的な性分だと自己分析する。
羽須美がなにか操作したのは理解できても、なぜ全く別の《魔法使い》に干渉し、拡張子の改変や術式の任意生成が可能なのか。これが彼女の《ヘミテオス》としての能力なのかもしれないが、《魔法使い》や《魔法》の定説としてありえない。完成したデータを転送されたのか、なんらかの刺激を外部から受けて十路の脳が生み出したのか、それすらも未だわかっていない。
唯一わかるのは、それが羽須美から贈られた餞ということ。旅立ったのは彼女だというのに。
――十路がどんな戦場に立っても、帰ってこられるように。
――あなたが守りたいものが、守れるように。
そのために彼女から与えられた力。
本当のところ、彼女がどうするつもりだったのか、知ることはできない。結果としてこれら新たな《魔法》が、十路が空挺レンジャー過程を修了した祝いとなってしまった。
「私を、殺しなさい……殺したことに……しなさい……」
追加して、《騎士》の字も与えられた。
これも結果の話だ。任務としてその場にいた十路の立場を危うしないためには、不敗の《女帝》を殺したと報告し、軍事力としての象徴たる通称で呼ばれるのも自然な回帰だった。使い回しができないため、インターフェースを乗せ換えられた《真神》も貸与されることになる。
最後になにか、頭の中で火花が散り、意識が遠のいた。
いま思えば、これが記憶の封鎖だったのだろう。人間の記憶は画像データのように単純ではないはずだが、見たもののなかで《ヘミテオス》の存在に関わるシーンを、一時的なれど忘れてしまった。
なにかを託されたわけではない。
彼女はただ、十路が生きることを望んで、与え、奪った。
それで自分に課した役目は終わったと、羽須美は全身から力を抜いた。浮かべたのは笑顔というより、顔の筋肉の弛緩と呼ぶべき、穏やかな死者の表情だった。
「あは……人として、死ねるのは……よかったかも……」
「羽須美……さん……!」
否応なく訪れる最期を引き伸ばそうとするかのように、十路は崩れそうな体を支え、言葉で意識を繋げようとした。
だが無駄で、無情だった。
羽須美の体も白い塵と化し、崩れ去った。ひび割れたと思えばあっけなく砕け、風に乗って砂漠に消えた。人間離れした死に様だったが、ある意味では飄々とした彼女らしい消え方だった。
悪いオオカミに食べられても、猟師に助けられるくだりはない。
救いようのない『赤ずきん』の最期を見届け、十路は意識を失った。




