FF0_0310 在りし日Ⅵ ~南ヌビア共和国 難民キャンプ②~
明かりも満足ないキャンプでは、食事が終わってひとしきり騒げば、夜も深く早かった。
静かに沈む闇の中、ポンチョを繋ぎ合わせた簡易天幕の中に、装備を装着したまま寝られる大きめの寝袋を準備した。周辺には毒虫捕獲として粘着面を上にしてテープを張り巡らせておくのを忘れない。
十路が天幕から出ると、羽須美は焚き火の側でスキットルを傾けていた。
「任務中の酒は控えてもらえませんかね?」
近づきながら、離れた場所に立つ男のシルエットを小さく指差し、十路は注意した。
難民たちは寝静まっているが、不寝番を立て、武器を手に警戒していた。闇で見えないその視線は、羽須美たちに向けられているに違いない。
十路は敵地のように警戒していた。相手に明確な敵意や問答無用さがない分、本物の敵地と比べれば遙かにマシだが、のん気に寝られるほど安心できる場所ではない。
だが彼女は、だらしない指先で、離れた場所で行儀よく停車しているオートバイを指差した。
「大丈夫よ。サージがいるし。いざとなれば、十路もいるし」
「ここ一応、戦場ですよ? 頭の働き鈍らせないでくださいよ」
身体能力だけでなく、頭脳で戦う《魔法使い》にとって、アルコールは大敵となる。飲酒可能年齢に達していないのもあるが、十路はそう考えている。飲酒そのものまで咎める気ないが、状況を考えろと。
だがやはり羽須美にはスルーされた。
「女の子を守って、男の甲斐性見せなさいよ?」
「…………」
「この子はなに言いたいのかしらー? 話せるものならお姉さんに話してごらんなさーい?」
「いだだだだだ!?」
何歳だろうと女性は永遠にオンナノコなのだ。いつまでも女性として見られたい・扱われたいのだ。少女の折には一人前のレディとして。歳を取っても『妻』や『母』ではなく『女性』として。プリンセスとまでは言わず、子供扱いされたいわけではない。でもほんのちょっぴり男よりも下の立場に甘んじていたいセンチな時もあるのだ。丁寧に扱われる。リードされる。ちょっとしたワガママを聞いてくれる。そんな些細な特別扱いで充分なのだが、世の男性には理解されない願望だ。『俺より強くてしかも二十ウン歳で女の子とかなにヌかしてんだこの人?』などと考えてしまったがため、モギられそうな力で耳を引っ張られて、強制的に座らされることとなった少年のように。
だが、それ以上の教育的指導はなかった。足の間に座らされ、抱え込まれた。ベストの装備が背中に押し付けられ、体の柔らかさは伝わってこないが、埃っぽい女性の匂いと煙草の匂いが鼻をくすぐり、ほんのりアルコールで熱くなった息が耳元をくすぐる。
そこまでの酒量ではないはずだが、酔っぱらったのか。抱きついてきた以上はなにもなく、なにもしゃべらない。性的なアピールなどではなく、単純にくっつきたいだけなのかと、羽須美の好きにさせておいた。
「羽須美さん。今回の任務、目的なんなんですか?」
「んー? 政府からのオーダー。それじゃ納得できない?」
「他にあるでしょう?」
非合法の任務である『校外実習』は初めてでないが、戦場という表舞台のことを差し引いても、あまりにも常軌を逸脱している。移動時間が省かれていても、映画の主人公並の強行軍だ。軍事兵器としての《魔法使い》が、いかに戦場で需要があるといっても、限度がある。
しかも、実際に戦闘行動を行ったのは、ほぼ十路だけだ。羽須美は指揮とバックアップに専念し、直接の手出しは少なかった。
戦闘を早く終わらせるだけなら、ふたりで行動、むしろ彼女だけのほうが早い場面もあったはず。しかも時間制限や、状況や装備の制限など、必要と思えない妙な注文までつけられた場面もあった。
「だったら、十路を鍛えるため?」
羽須美はアッサリと、血なまぐさい実地訓練だと肯定した。
舐めるを超えて、冒涜的と言える。命の危険をないものと見なし、人を殺すことを訓練などとのたまうのだから。しかし残念ながら現実を見れば、発展途上国の正規軍でもない武装勢力など、《魔法使い》と比較すれば、それだけの戦力差がある。
「私を守れるくらいになってよね」
「想像できない領域なんですけど……しかも現状でも、いっぱいいっぱいですよ」
強くなる必要性は、十路自身もわかる。望んだものでもある。
だが普段の訓練然り、空挺レンジャー過程然り、なんにつけても羽須美の要求レベルは高かった。気力体力を振り絞っての末ながら、なんとかついて行っていたので、ギリギリを見極めた要求かもしれないが、『自分を基準にしないでくれ』と十路は考えた。
害意を跳ね除けられる力は望んでも、最強までは望まない。そこまでの必要性は、考えていなかったから、羽須美に疑問をぶつけた。
「なんで俺をそこまで強くしたいんですか?」
専属インストラクターや家庭教師でも雇わない限り、マンツーマンで特定個人に最適化された教育など行われない。《魔法使い》同士だから、という理由もあるにはあるだろうが、それにしても羽須美は十路個人に構いすぎていたきらいがあった。
「仕事だから、っていうのが一番の理由だけどね」
自衛官としての衣川羽須美には、十路を指導する義務がある。階級上の問題だけでなく、同じ《魔法使い》であるなら、尚のことと見られるだろう。
それはわかる。だが違う。
「どんな状況になっても生き延びられるようにっていう、親心というか、上官の親切心というか。ま、戦う技術しか教えてあげられないのが、自分でもどうかとは思うけど」
彼女の指導には、衣川羽須美個人の感情や意図があると、十路は漠然と感じていた。
だから十路は、だらしなさに文句を言い、無茶振りにケチつけながらも、基本的には彼女に従ってきた。ただの上官でも師としてだけでなく、母や姉に対するように。
「あなたはいずれ、大きな流れに巻き込まれる」
「第三次世界大戦でも起こるとか言うんですか?」
「ちょっと違うかな? 私が想定してるのは、もっと大きなこと」
「世界大戦より大きいって……」
巨大怪獣の出現か、宇宙人の侵略とでも言う気か。その時の十路は呆れて流したものだが、彼女が語っていたのは違ったことだろう。
例えば、世間に明らかになると王女の誘拐という国際級大問題になるため、秘密裏に多国籍の戦闘団を殺すことなく撃破する。
例えば、自分たちの脅威性を世間に隠したまま、市街地で敵性《魔法使い》と交戦する妹を回収し、そのまま撃退する。
例えば、《魔法》が使えない上に銃火器なしで、二重スパイ化した仲間を殺さないように戦いながら、特殊装備を持つ特殊部隊を撃破する。
例えば、破壊不可能な兵力を相手にし、一般市民を守りながら、敵戦略兵器と宇宙空間からの戦略兵器を同時に相手どり破壊する。
例えば、まともな攻撃では破壊不可能な、本当に怪獣と呼べる存在と戦い、殺さないように勝利する。
戦術・戦略レベルでの大きさよりも、作戦が想定外というか『想定するわけないだろ』と言いたくなる過酷さを話していたのではないか。
「十路がどんな戦場に立っても、帰ってこられるように。あなたが守りたいものが、守れるように」
彼女が宿していた『悪魔』は、過去と未来を知る。
もちろん羽須美が語ったことは、超能力などであるはずがない。
長久手つばめという人物と繋がっていたらなら。彼女と南十星との交流を知っていたなら。ゲイブルズ木次悠亜を名乗る女性と、リヒト・ゲイブルズと繋がっていたら。木次樹里と名づけられた少女を知っていたなら。
十路の現在を予期していても、なんら不思議はない。
この時どころかそれより以前から、違った。
十路は漠然と、陸上自衛隊に所属したままで、羽須美の隣にいるものだと考えていた。自覚はしていなかったが、他の可能性を全く考慮していなかった。
「そのために、強くなりなさい」
だが彼女は、違う道を往く、未来は己の近くに彼がいないことを前提にしていた。
十路はその時そんなことはわからずとも、異様な雰囲気に飲まれていたが。
「……ん?」
羽須美の身じろぎと、《真神》からの小さなアラームで我に返った。
【主へのメッセージが届きました】
「誰から?」
【不明です】
「はい?」
羽須美は立ち上がり、車体に近づき、ディスプレイを操作した。すると見る間に顔が困惑で歪んでいくのが、暗い中でもわかった。
「もっとわかりやすいの送ってよ……困ったことになったわねぇ……」
「俺が見て大丈夫な内容ですか?」
「駄目」
ということは、機密文章かなにかが送られてきたのか。
羽須美の立場を考えれば、なんら不思議ないことなので、十路はそれ以上の疑問を抱くことはなかった。煙草を吹かし始め、考えをまとめているらしいので、大人しく彼女のアクションを待つ。
ギリギリまで吸い終えて、吸殻をちゃんと携帯灰皿に収めてから、羽須美は顔を向けた。
「十路。明日から別行動」
その顔には、なにかの決意が浮かんでいた。
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翌朝、結局何事もなく難民キャンプから離れたところで、十路と羽須美は分かれることになった。
「ちょっと待ってください……? 別行動ったって、限度あるでしょう?」
「大丈夫よ。空間制御コンテナあるし。これくらいで死ぬような、ヤワな鍛え方してないわよ」
アフリカ大陸が暗黒大陸と呼ばれた理由は諸説あるが、一番の理由は地形とされている。
北部に広がるサハラ砂漠。東部のナイル川流域の熱帯雨林。中部には危険な大型生物が多数暮らすサバンナ。そういった人を寄せ付けない地形を持つため、長らく原住民以外の侵入を阻む、未開の地だった。
「マジ歩いて行く気ですか?」
そのサバンナと砂漠を、単身移動しようなど、普通は寝言だ。危険な移動に挑戦することこそが目的の冒険家ならともかく、移動した先で行う仕事が目的ならば。
「いや。さすがに《魔法》使うわよ?」
十路の心配に対し、カービン銃と共に背嚢を背負った羽須美は、手にした追加収納ケースをバンバン叩いて見せた。
確かに羽須美は柔ではない。《魔法》が使えるならば、地形など関係なく、新幹線以上の速度で移動するだろう。
「突然入った任務の内容は、俺が聞いちゃいけないことなんでしょうけど……」
状況や心境をどう評したものかと、十路も口ごもってしまう。
羽須美は北西、サバンナ地帯の国境を越えて、別の任務に赴くことに。
十路は東。それまでの続き、同国内の戦場を転戦することに。
別行動が不安というわけではない。羽須美の強さと優秀さは、身に染みている。内容不明の任務が失敗することや、彼女の負傷や失敗は考えなかった。
だが、それまでも充分な強行軍だったが、ここまでくれば異常と呼べる。十路の割り当ては《魔法使い》だからという理由でともかく、彼女への命令が常軌を逸脱している。アクション映画の主人公だって、ひとつの事件を追って各地を転々とすることはあっても、こうも別件で引っ張りだこなんてことはない。
それに物資も確認しながら仕分けし直したが、武器類はほとんど十路の空間制御コンテナに入ったままだ。
しかも《使い魔》までも十路に預けて。
「大丈夫よ」
微笑んだ羽須美がふわりと手と伸ばしてきた。土埃に塗れた彼女の匂いが鼻に届いた。背は十路が高いから、抱きすくめたというより抱きついたという形だが、彼女の腕の中に収められた。
「十路は自分の心配してなさい。課題出したんだから、私がいない間も、ちゃんとこなすこと」
「『《魔法》使用禁止』とか『ナイフクリア』とか『ステルスプレイ』とか『ヘリ撃破は最後』とか、どんな無茶振りですか……」
ゲームのやりこみプレイではあるまいに、意図的な無茶をしない限りやらないことが列挙された。もはや命を奪う行為が、ゲームと大差ない扱いにされていた。
《魔法使い》が軍事兵器扱いされるとはいえ、彼女の要求はそこまで高く、非人間的なものなのかとゲッソリした。
十路の、《魔法使い》としても異常な実戦経験は、ここに由来する。この作戦で、全て無茶振りをこなすなど不可能だったが、羽須美が消えた後も、機会があれば自主的に課題をクリアすることを自分に強いていた。
「サージ。十路のこと頼んだわよ」
【了解】
十路の心情は、無視どころか気づくこともしなかった。羽須美は《真神》に命じ、主ではない部下に預けると、踵を返す。
「それじゃぁ、頑張りなさいよー」
その後のことなど、なにも感じさせない気楽な調子で、羽須美は歩み去った。




