FF0_0110 在りし日Ⅱ ~横浜駅西口コーヒーショップ~
外出許可証をポケットに、駐屯地から外出した十路は、横浜市に赴いた。
陸上自衛隊富士駐屯地から一番近いのは、静岡県の御殿場市だが、近場を待ち合わせ場所にすると、同僚と鉢合わせする可能性が高い。しかも羽田空港を利用する相手の都合もある。
だから朝から高速バスに乗って東に、相手は少し西に移動した、横浜駅にほど近いコーヒーショップで合流することにした。
ランチにはまだ早い時間で、満席には遠いとはいえ、店内はそれなりに客がいる。メールを頼りに店内を見渡していると、先に着ていた相手が気づいて手を振ってきた。
「おぃーッス。ここ、ここ」
壁際のテーブル席を陣取り、モーニングセットのサンドウィッチをかじる少女がいた。
コーヒーだけを注文し、カップが乗ったソーサーを手に十路はその前に座る。
「久しぶり、兄貴」
ロングTシャツの上にはミリタリーベスト、ショートパンツから伸びる足にはカラーストッキング。十路が見る時にいつも被っているキャスケット帽はテーブルの上。
従妹であり義妹である、堤南十星は、朗らかな笑顔を向けてきたが、十路は微妙に居心地悪かった。
「なとせひとりか? 伯父さんは?」
「今回あたしひとりで日本に来た」
なにせ大した付き合いもない親戚が、突然妹として引き取られたのだから。十路は幼少期の頃から寮生活をしていたから、家族でありながら直接触れ合う時間はごく短い、距離感が掴みきれていない相手だ。
更には、電話で話すのはまだしも、直接顔を合わせる機会はそうない。なにせオーストラリアに住んでいるのだから、国際線飛行機で日本に来る機会などそうない。この稀な頻度が居心地悪くさせている。
ついでにこの頃には既に、南十星は立派なアホの子になっていた。『昔、こんなヤツじゃなかったんだけどな……オーストラリアの空気のせい?』と遠い目をしたくなる。
「向こうでなんか起こったのか?」
「うんにゃ。バイトでそこそこの金入ったから、遊びに来ただけ」
「バイトって……オーストラリアの労働法、どうなってんだ?」
「一三歳から働けるよ? 仕事によっちゃもっと低いし」
「なにバイトしてんだ?」
「ワニ再配置事業。あっちじゃ家の近くまで野性のワニ来るから、とっ捕まえて遠くに離すのさ」
「…………マジ?」
「ジョークだって。そういう仕事はあっけど、あたしはやってないって」
来日し、修交館学院に転入してから知ったことだが、この頃の南十星は、つばめ経由で十路の近況を知り、俳優業をやっていた。
そんなことを彼女はおくびにも出さず、十路もあまり踏み込んで聞かなかったから、全く知らなかった。あと、バイトとは俳優業のことだと思うが、神戸でイノシシを捕獲する姿を見ると、ワニ捕獲を本当にやっていた気がしてならない。
「なんとなーく兄貴のことが気になったから日本来たけど。なんか変わったことあった?」
この日、それらしいことはなにも言わなかったが、南十星が来日したのは、十路の近況を知ってのことに違いない。
「いや。特には」
その時の十路は、そんなことを知るわけもない。知っていたとしても行動は変わらなかっただろう。ただ素っ気なく、ブラックコーヒーをすすった。
彼の立場は、自衛隊内ではかなり微妙だ。単に《魔法使い》だからというだけでない。
やはり《魔法使い》である南十星を、ハーフで二重国籍という生まれを利用し、国外脱出させて、防衛省に手出しさせないようにしているから。それも訓練中に装備を持ったまま脱走し、脅迫するような形で。
危険人物と評する以外にない。だが同時に、南十星が人質に取られている状態でもある。稀少人種《魔法使い》で、反逆的態度を取ったのはその一度のみで済んでいるから、絶妙なバランスを保った様子見状態になっているが、十路を殺し南十星を利用する強攻策が取られる可能性は常に考えていた。
だから南十星に不安を与えるような言葉は慎んだ。十路がそのような立場にある原因は、彼女自身だと思っているのを察していたから。
しかし彼女は、十路の言葉を全く信用しなかった。血の繋がりがあるとはいえ全く似ていない顔を向け、アジア人には珍しい色素の薄い瞳で軽く睨んできた。
しばし店内の雑音が大きく響いた。こうなったら南十星は絶対に引かないのを知っているし、どこかで伝えないとならないと、仕方なく重い口を開いた。民間人もいる日中の店内で、直接的な言葉は避けて。
「……こないだまで、船橋に出向してた。訓練だけどな」
習志野駐屯地の所在地は、千葉県習志野市ではない。また、ミリタリーマニアでもない一般人に、習志野駐屯地の特異性は、それだけでは伝わらない。
「俺は今、いわゆるレンジャー隊員……そう言えばわかるか?」
遠まわしな言葉に、南十星の顔色は空白になった。意味するところは伝わった。
「…………また、どこかに行くの?」
「ハッキリとは。だけど多分、近々な」
危険な任務はこれまでにもあった。しかし少数精鋭の特殊作戦対応選抜チームに入れるだけの実力を持った。つまり十路は、より危険度の高い任務に派遣されるようになる。
羽須美が言った『本当の修了祝い』は、それに絡むと予想した。
政府機関に十路が危険人物か有用人物かを判断される危ういシーソーは、釣り合った状態ではダメなのだ。常に有用側に傾かせないとならない。
厳しい空挺レンジャー訓練に耐えられたのは、それだ。突然だった上官の無茶振りには色々思うことあるが、方針そのものに異議はない。
十路の望みを叶えるためには、強くあり続けなければいけなかった。
南十星は黙った。不安や制止を口にすれば十路の足枷になるから。ただ、手にしたカップのカフェオレに、眼差しを落としただけ。
と思いきや、突然顔を上げて、険悪な視線を放った。それだけでは済まず、中身の入ったカップを投げつけてきた。十路は反射的に上体で避けたが、カップは頭上を通過する。
何事かと誰何する前に、南十星は動く。食器を鳴らしてテーブルを乗り越え、十路も飛び超え、頭上で空中回し蹴りを放った。
「ご挨拶ねぇ?」
皮膚が叩かれる連続音の後、のん気な女性の声が続き、一瞬遅れて店の反対側まで飛んだカップが割れる音がした。次いで上下反対になった南十星と、至近距離で顔を突き合わすことになる。
十路は首を巡らし、背後というか頭上を振り仰ぐ。
「ねぇ? なんで十路の妹ちゃん、私にこんな敵意むき出しなの?」
小柄な少女とはいえ、腕一本で足を掴んで南十星をぶら下げる、私服姿の羽須美が立っていた。
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そのまま店で大人しく話をする勇気は、十路にはなかった。店のカップを割ったのはまだしも、客の視線が集中する中で本格的な喧嘩をおっぱじめられても困る。
「どうして羽須美さんが横浜に来て、しかも居所まで突き止めたのか、聞きたいところですけど……?」
「女の秘密」
「まさか、つけてきたんですか? バスに乗ってなかったと思いますけど」
「バイク」
「朝から酒飲んでませんでした……?」
日中の横浜市中心部となれば、人通りが多い。だが十路と羽須美が歩く周辺は、不自然なスペースが生まれていた。
間違いなくその原因――十路が小脇に抱える物体を、羽須美が指差した。
「それより妹ちゃん、人間辞めてるけど?」
「がるるるるっ」
南十星は軽くいなさられても懲りず、羽須美に飛びかかる気マンマンだったので、十路が拘束したまま運んでいた。
あと、そんなこと言うなら挑発しないで欲しかった。鼻先に触れようと指を突き出し、牙を剥く南十星が首を伸ばすのに合わせて引っ込め空を噛ませ、遊んでいた。
機会は片手で数えられるほどとはいえ、このふたりが顔を合わせると、万事この調子だった。彼女たちの初対面はもっと以前だが、南十星がオーストラリアへ生活するようになってから、やたら羽須美に噛みつこうとする。そのままの物理的な意味でも、比喩表現での意味においても。渡豪してから変な格闘技術を身につけたせいで、回を重ねるたびに激化している気もする。
「……なんでアンタがいるのさ」
ひとしきり暴れて羽須美には敵わず、十路の腕から抜け出せないことを理解し、不機嫌に兄と同じことを聞く。
それに羽須美は、先ほどとは違う反応を示した。肉食獣の笑みを浮かべていることから、わざとに違いない。
「ちょーっと十路と大人のデートでもしようかなーと」
「キシャァァァァッ!!」
「だから、大人気なく挑発しないでください」
再び野性化した南十星を一層強く抱き止める破目になる。
いっそ南十星の気の済むまで戦らせるのがいいのだろうか。間違いなく羽須美に叩きのめされて、拳を交えた末の友情など芽生えないだろうが。そもそも周囲からどういう関係と見られているのだろうか。ブラコン妹と年上の彼女? それはあながち間違いではないが、まさかの三角関係? いや荷物として運んでいてそれはないか。
子虎と猟犬の威嚇合戦から現実逃避するために、そんな益体ないことを十路は考えた。
「ま、本当のところは、妹ちゃんに会いたかったから、十路を追いかけてきたわけだけど」
「アンタがあたしに用事ぃ……?」
だが、強制的に復帰させられる。こうなるのがわかっていたから話さなかったのに、どうやって南十星の来日を知って、十路を追跡したか、結局なにも説明なかった。
「仲良くしたいから」
「Kiss my ass.(ふざけんな)」
「カワイイわねー」
ケラケラ笑う羽須美が抱く可愛さとは、犬が暇つぶしにダンゴムシをいじるものではなかろうか。遊び道具にされる側はたまったものではないような。
「なとせ……」
「兄貴になんて言われようと、この女だけはダメ」
南十星もコレだ。『丸まってるだけだと思うんじゃねぇぞ』と、取り付く島もない。
「羽須美さん……」
「んー? なーにぃ?」
『こんなだから、大人しく引いてくれ』と目で頼んでみたが、こちらも同様。意は間違いなく伝わっているのに、すっとぼけられた。
彼女が南十星に執着する理由など、日本政府や防衛省や意を汲んで、無所属の《魔法使い》を引き入れることくらいしか考えられなかった。いくら信頼する上官だろうと、十路もそこまでお人よしではない。だから可能な限り引き離したく、これまで南十星に会うのにくっついて来た時は、できる限りやんわりと断っていた。
羽須美も割合素直に応じていたのに、この日に限っては引かなかった。
「ま、多分……こういう機会ないから」
「?」
思えばの話だが、羽須美はただ単に、南十星と会うのが最後だと考えていたのだろう。
『最期』と考えていたかまでは、わからない。
「さーて。どうするー? 横浜まで来たなら中華街まで行っちゃうー? お姉さんがおごっちゃうぞー?」
「へー。特別コッカコームインがそこまで言うなら、バカ高いモンばっか頼むけど?」
「ちなみになに?」
「佛跳牆」
「……フカヒレとかアワビとかツバメの巣とか出さない辺り、さすがって思ったわ。でもそれ普通、予約しないとダメだと思うわよ?」
更には普段と変わらない、人を食ったような態度が、その時に十路が察することを拒んだ。




