065_0080 【短編】 記憶の残照Ⅸ ~見られちゃった!?~
「ぐぇぇ……!?」
樹里は目覚めた途端、七転八倒した。いや七転八倒せざるをえないがため覚醒した。その際ベッドから転げ落ちたが、痛みを気にしていられない。鶏が縊られるような悲鳴は乙女としてどうなのかとか、どうでもいい。
なにせ服が拘束具&凶器と化したのだから。
まずは床に転がったまま、対処が簡単なパンツから脱ぎ捨てる。大きさが合っていない穴に無理矢理足を突っ込んだ状態だから、引き抜くことすらひと苦労だった。
肌着は脱ぐのを早々に諦めた。急いでブラウスの前を開く。引きちぎるような勢いで、ボタンがいくつか弾け飛んだが、気にしてなどいられない。目についた、机の上のハサミを手にし、女児用肌着を切り裂く。
ペタンと割座で座り込み、荒い息をつくことができた。
(ホントだ……元に戻ってる)
見慣れた自分の両手だ。生体コンピュータも正常に稼動し、自身のパラメータは見慣れた状態で落ち着いている。
夢で聞いたとおり、大して心配する必要もなく、体が女子高生のものに戻っていた。
ハッと気づき、樹里はブラウスの上から胸に触れる。
「胸が……! 胸が……!」
ある。確かにある。地殻変動が起こり隆起している。たとえバスト七九Cカップ大した大きさじゃないと言われようと、手に少し余るくらいしかない大きさであろうと、おっぱい復活の感動に打ち震える。
「……?」
ひと心地ついたところで、ようやく疑問を覚えた。
着替えた記憶はないのに、なぜブカブカだったはずのブラウスを着て寝ていたのか。昨日着ていた子供服は、畳まれてテーブルの隅に置かれている。
考えてみれば、なぜベッドから落ちたのか――いやその前、なぜベッドで寝ていたのか。
見回せば、物の少ない、機能的というより殺風景な十路の部屋だ。上がるのは初めてではないから、それはわかる。
昨夜気絶した十路を苦労して引きずって、この部屋に来たことも覚えている。しかし玄関に入った直後、記憶がプッツリ途切れている。
時計が指している時間は、普段まだ起きる時間でもない早朝だ。窓から差し込む秋の陽は、まだ少し薄暗い。
十路の姿はない。彼が毎朝トレーニングに出かけることは知っているから、軽く疑問に思った程度で、それ以上は考えない。
というか、考える余裕がない。ひたすら腹が減っている。体が蓄えていたカロリーが、急成長に費やされたせいで、飢餓と呼んでいい空腹さ加減だ。
ともあれ樹里は、着替えを探る。なにせ今は裸Yシャツ状態。着ているのはYシャツではなく、女もののブラウスだが、そこはどうでもいい。
ちょっとはしたなく四つん這いで、部屋の隅にあった子供服専門店の袋に近づく。樹里の学生服はそこに入っているはず。
だが出てきたのは、ジャケットとリボンタイと、あとブラジャーだけ。
「そうだったぁぁぁぁっ!? スカートもパンツもないぃぃぃぃ!?」
「うるせぇなぁ……」
背後で扉が開く音と、不機嫌な男の声がした。
首だけ振り返ると、普段よりボサボサ頭で首筋をかく、Tシャツ・ボクサーパンツ姿の十路がいた。トレーニングに出かけたものかと思ったが、どうやらトイレかなにかでいなかっただけのようだ。
彼は樹里を見て、固まっていた。
この様子だと、樹里の体が元に戻ったのは、十路が部屋を出た後なのだろう。肌着が締まって目覚めたことを考えれば、かなりの急変化だったに違いあるまい。突然幼児が女子高生になっていれば、驚くのは当たり前だ。
そこで樹里ははたと気づく。今の自分の格好を。
ボタンを飛ばしてしまったので羽織っているだけの裸ブラウスで、四つん這いになって部屋の出入り口に尻を向け、そしてついさっき自分で脱いだから、ノーパン。
彼が固まった理由は、果たしてどちらか?
「…………あー、うん。なんか、スマン」
(やっぱり見られてるぅぅぅぅっ!?)
気まずそうに目を逸らされた。固まった理由はやはりそっちだった。
「着替え要るなら、男物でよければ、クローゼットから出して使え……トイレにこもってるから、終わったら声かけろ」
しかも気を遣われてしまった。樹里の体が元に戻ったことは、どうでもいい風情だった。
乙女の沽券に関わる己の迂闊さに涙しながらも、姿を消した十路に言われたまま、樹里はクローゼットを開く。
上半身はいいとしても、下半身の服だけは借りないとならない。使用済みボクサーパンツの履くのはどうなのか。洗濯されてるからばっちぃとは思わないが、男性用下着を借りて履くのは男的にも女的にも果たして許されることなのだろうか。しかしわざわざ新品を出すのもどうなのか。
そんなことで迷っていたら、扉が開いた。今度は玄関のが。
「兄貴ー! 朝練行こうぜー!」
トレーニングウェアの南十星がズカズカと上がりこんでくる。彼女も毎朝トレーニングをしているのは知っているが、十路と一緒とは知らない。いつものことなのか、たまたま今日は誘っただけなのか。
部屋に入った南十星は、半端な姿勢で止まった樹里を見て、固まった。
兄の部屋なのに兄は不在。代わりに半裸の女がいて、しかも兄の下着をあさっていれば、果たして妹はどう思うものだろうか?
「…………あー、うん。なんか、ゴメン」
(なにか誤解されてるぅぅぅぅっ!?)
気まずそうに目を逸らされた。やはり一夜の過ちが起こったと思われた。いや下手したら見てはならないもの扱いされた。
「違……! そうじゃ……!」
『なにもなかった。昨日急に縮んで今朝急成長したから下着をあさっていただけ』という真実は話せない。それを話したら、主に『アタマだいじょぶ?』方面で、南十星が樹里を見る目が決定的に変わる気がする。
「あぁぁぁぁ……」
だが弁明の機会は与えられず、南十星は部屋を出て行ってしまった。『行かないで』と言わんばかりに手を伸ばしても、彼女は気づきもしなかった。
しかし頭を抱えて数秒後、南十星はすぐに戻ってきた。どうやら向かいの部屋を往復しただけらしい。
「とりあえずコレ、返しとくね? 昨日、結局ツラ合わさなかったし」
赤い追加収納ケースが差し出された。財布も携帯電話も部屋の鍵もなにもかもを入れてしまったため、昨日なくて困っていた。中には着替えも高カロリー輸液も入っている。
「あと、これもしかして、じゅりちゃんの? 昨日、部室ン前に落ちてたけど」
ミニ丈のプリーツスカートと、パステルピンクのパンツも差し出された。昨日、十路に抱え上げられた時、すっぽ抜けてしまった服だった。
いま欲しているもの全てが揃った。それはいい。それはいいのだが。
「兄貴とナニしようと、あたしがケチつけることじゃないけどさ……さすがにまっぴるまからガッコーで、青カンはどうかと思うよ……?」
「違……! そうじゃ……!」
この勘違いは困る。
そういう帰結になるのは理解はできる。スカートどころかパンツまで脱ぎ置かれていて、今朝は十路の部屋で半裸でいれば、そう思われても仕方ないと思う。
だが当人からしてみれば、突拍子もない勘違いだ。なのに真実は話せない。樹里の語彙力と口先では、誤魔化す言葉も思いつかなかった。
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半日あまり、樹里は大変な目に遭っていたが、日常はなんら変わらない。そんな気分ではなくても、学校に登校して授業を受けなけばならない。
「…………」
せめてもの抵抗であるかのように、樹里は登校した途端、自分の席に突っ伏していた。
「木次さん、どうしたんですか……?」
「さぁ……? 学校来た途端アレだからな……」
「またパンツでも見られた……?」
友人たちがヒソヒソ話しているのが耳に入るが、極力右から左に素通りさせている。どんより曇ったオーラ以上の自覚はないが、併せて『話しかけんな』オーラを出しているらしく、距離を置いて話すに留まっている。
「おーい、樹里ー……? なにがあったー……?」
だが、意を決した様子で、友人代表として井澤結が、恐る恐る声をかけてきた。
「大切なものがいろいろ失われました……」
自分で言って、樹里は泣けてきた。突っ伏したままなので、目から溢れて出てきた汁は見られることはない。
脳内センサーの反応によると、結はしばしリアクションに悩んだ様子だったが、結局深入りしないことを選んだ。教室の後方に下がり、残る友人二名に成果報告をしている。
全ては一五時間ほど前、この教室で気づいた時から始まった。思い返せば、なんと目まぐるしい時間だったのか。
まず失ったのは、女子高生としての体。いつからか、体が縮んでいることを指摘されて気づき、慌てて部室に駆け込んで隠れた。
次にパンツとスカート。他に選択肢はなく、十路に助けを求めると、学院から連れ出された。その際にすっぽ抜けた。
次はプライドその他。幼児として連れてられたファミレスではいろいろあった。正体を怪しまれたり。トイレに落ちかけたり、溺れかけたり、吐きそうになるほど食べ物詰め込まれたり。
そしてちょっとの自信。その段階で結構ヘコんでいたのに、ショッピングセンターに移動して火事に巻き込まれて、幼児化した自分の役立たずさに落ち込んだ。
最後には、乙女のプライド最後の一線、元の体に戻ったはいいが、色々と恥をかくことになった。
結局南十星への弁明に、十路は助けてくれなかった。樹里がなんとかしようとしている間、トラブルご免の彼はずっとトイレにこもってしまった。
ちょっと恨めしく思うが、彼は本当に助けが必要な時には助けてくれる。今回その恩恵に授かっておいて、それ以上を望むのは過ぎているとも思い、不満は自分の胸で解消することにした。
(はぁ~……ただでさえ堤先輩と顔合わせにくいのにぃ……なっちゃんに変な誤解されちゃったから、余計に……)
SHRの時間になり、出欠確認と連絡のため、クラス担任がやってきた。さすがに突っ伏していたら体面悪いので、学生が自分の席に着くざわつきの中、仕方なく身を起こす。
出欠確認が終了し、クラス担任が生活の諸々を連絡しているのを、樹里はボンヤリと聞き流す。
窓の外を見れば、秋の済んだ青空。
遠くには、空にそびえる《塔》。直接は見えないが、その根元には淡路島がある。
あの地を訪れて、様々なことを知った。樹里が望んでいたはずだが、知ったことで戸惑いも生まれている。
一生忘れられない記憶になることは、間違いない。
(ねぇ……アサミちゃん)
自分と同じでありながら別人である、あの少女のことも、忘れることはないと断言できる。
(あなたがどういうつもりで、私にデータを渡してきたのか、いまだに全然わかんないし――)
樹里は自分が何者か、いまだ理解していない。知識も不十分であるし、噛み砕いて嚥下するほどの時間が経っていない。
昨夜のこともだ。
コンピュータ・システムとしての《魔法使い》は本来、相互運用性、移植性を持たない、古臭いクローズなシステムとなる。容器が人間である以上、別のシステムからデータを移植するなんてことは、想定すらされていない。樹里の場合、《ヘミテオス》の上に『管理者No.003』だから起こった、特例中の特例だ。
システム上の最適化で起こった、いわば偶然の事故でしかない。夢で見た『彼女』もそのように言っていたし、そもそも樹里が考えてしまうことを止めていた。
(どういうつもりで私を子供にしたのか、それもわかんないけど……)
だが、あの姿になってしまったことは、少女自身の意思が介入してしまったようにも思えてしまう。もちろん非科学的で人間的で空想的な考えとは、樹里自身にもわかっているが、考えてしまう。
だとすれば、なぜ。死者の心残りのように、未練があったのか。
それはわからない。本物の少女が感知するところではない、樹里の空想であろうと、自己完結することができない。
(私は、私以外になれないよ……?)
自分は、記憶がなくても漠然と信じて込んでいた、『木次樹里』という存在ではないらしい。
麻美の欠片。『管理者No.003』のひとり。烏白馬角、亀毛兎角の実在。
それでも。
詳細を知らなければならない。現実を受け止めなければならない。
修交館学院・総合生活支援部所属《魔法使い》、木次樹里として生きる以外の道はない。




