065_0060 【短編】 記憶の残照Ⅶ ~にげちゃった!~
街中にある少し大きめの公園といった風情だ。遊具だけでなく短いながらも遊歩道も広場もある、遊びから犬の散歩まで、子供から大人まで、周辺住民たちに利用されているだろう。
それは日中の話であって、夜の今は人影などない。
ミニアスレチックの、暗い滑り台の下で、怯えるように膝を抱える樹里は、考えに耽る。
(もしこのまま元に戻れなかったから……)
現状の把握が優先され、漠然としか考えなかったことを、明確な恐怖として感じてしまった。
こんな常軌を逸脱した状況では、女子高生としては生きていけない。別の身分で生きなければならないだろう。
『木次樹里』ではなくなることが、なによりも怖い。
樹里は幼い頃の記憶がなく、ただでさえ自己があやふやなのに、先日淡路島で明かされた。
ある日突然沸いて出た、人のような別のモノ。《ヘミテオス》としても不完全極まりない出来損ない、と。
親はいない。出生記録もない。幼い頃を知る人物もいない。それらは全て『麻美』という人物には存在しても、『木次樹里』には存在しない。
彼女にとって『木次樹里』であるという認識だけが、ただひとつの、自己を確立する証明だ。
この異変が続くなら、それすら剥ぎ取られてしまう。
「……!」
耳が捉えたバイクの駆動音に、思わず身を固くする。
【海沿いにいないとなれば……この辺りでしょうか】
外れる可能性もあったが、近づくのは予想どおりだった。スピードに応じた擬装のエンジン音を立て、《バーゲスト》は公園脇を徐行運転で通過している。
【……一時停止しますよ】
しかも公園内に入ってきた。
《バーゲスト》のセンサーなら、上手く隠れていないと見つかってしまう。樹里は滑り台の陰で一層小さくなる。
その一方、聞こえてくるのはイクセスの声だけで、十路の声がないのを不審に思う。いくら自律行動可能なロボット・ビークルとはいえ、まさかオートバイだけが独り言を呟きながら走っているわけはないだろう。誰かに見られたら怪談話を広めてしまう。
しばし迷った樹里は、可能な限り物音を立てず、身を低くして、滑り台の影を出た。
内外を仕切る生垣に身を隠して覗くと、遊歩道に設定されたベンチに、《バーゲスト》からずり落ちるようにして十路が移動するところだった。
「ヤベ……気ぃ抜けたらクラクラしてきた……」
彼は背もたれに体重を預け、気だるげにヘルメットを脱ぐ。怠惰なのは十路の常だが、普段と違って異常が感じられる。
【無茶しすぎですよ……救助も消火も急ピッチで進めましたから、一時私から離れる場面もありました。輻射熱で火傷したり、煙を吸っているでしょう?】
「仕方ないだろう……」
消火や救助を終えて、その後の引継ぎをしている姿から、そんな雰囲気はなかった。学生服にダメージがあるのは見て取れたが、十路自身もそこまでダメージを受けているなど考えもしなかった。
同時に当然とも樹里は納得した。危険な部活動ともなれば、死ななければ問題ないと言わんばかりに無茶なことをするから、樹里が後でブツクサ文句言いながら治療し、わざと痛くなる力で血を拭っていたのだから。
もっとも、しばらくそんな真似していない。人間関係の問題でできなくなった。
「《治癒術士》が参加できないから、仕方ないだろ……」
【死者が出るような事態になってたら、ジュリがなぜ参加しなかったのかと取り沙汰されたでしょうけど……】
結局また十路に迷惑をかけてしまったのか。『邪魔』の一言で救助活動から外されたが、それどころか今の樹里は存在するだけで迷惑になっていると、一層沈んだ。
だが真相は少々違った。思えばイクセスの、本音を理解しているが咎めずにはいられないといった声音は、ずっと樹里の解釈を否定していた。
「それに……確実に他の部員を召集させないためには、強引でも俺ひとりで片付けるしかなかった……」
【アサミのことを知ってるから、今のジュリを見たら確実にバレるでしょうけど……トージの場合、用心が過ぎて、別のトラブルが起こってるじゃないですか?】
「俺が力技で解決する以上の方法があったか……?」
【あなたの場合、優先事項の設定がおかしいんですよ。ジュリの秘密保持を最優先とするなら、トージの行動は間違いなく最良でした。でも、そこまで一極集中せずとも、自身の安全とも両立できたはずです】
「そんな器用じゃない……」
結局は、樹里を守るための無茶だった。
そうだった。彼はそういう人間だった。理解すれば当然だとも思ってしまう。
やる気なさげで、無関心で、ぶっきらぼうで、理屈屋で、素直じゃなくて。
彼を知らなければ、冷たい態度に敵意を抱く。
だけど結局は、誰よりも頼りになる。
「少し休む……」
【ちょっと、トージ!?】
姿に隠れてしまい、十路が見えなくなった。慌てるイクセスにも、あと彼の立場からすれば樹里を捜索中のはずだが、構わずベンチで横になったようだ。
まず樹里が憂慮したのは、一酸化炭素中毒だった。火災現場に突入し、『クラクラする』『煙を吸った』などと話していたのだから、真っ先に考える。ならば一刻も早く対処しないとならない。
その一方、踏み出すことを反射的に躊躇してしまった。彼女が発揮していた十路に対しての内弁慶は、このところの急変で完全に鳴りを潜めてしまっている。
「…………あぁ、もう!」
悩んだが結局は、理性と義務感とお人よし加減が勝った。生垣を飛び超えることはできそうにないので、物音に頓着せず走って回り込む。
【やはり、ここにいたのですか】
「明かりを頂戴」
感知していたのか、ただの推測なのか、イクセスの言葉には応じることライトで十路を照らさせる。
樹里が出てきても、十路はなんの反応もしない。意識を失っているのだから当然だ。
明かりの中で見た顔色は、ドス黒いと評していいほど悪い。体調不良を訴えても見た目そうは見えないのが、一酸化炭素中毒の最たる特徴だ。ならば除外してよいかと思うが、予断は許されない。
樹里は医療関係の術式を起動しようとした。だが手をかざして何度試しても、原因不明のなにかに阻まれ、《魔法回路》が形成されない。
《魔法》が使えないのはわかっていたが、《治癒術士》としての能力が必要なこんな時にまで、と思ってしまう。
「なんで……なんで《魔法》が使えないのよぉ……!」
【落ち着きなさい。私と接続すればいいだけのことじゃないですか】
生体コンピュータそのものは稼動している。《使い魔》との接続が可能なのは試している。
また泣きそうな気分になりかけたが、指示どおりにハンドルを掴み、脳機能接続を行う。するとイクセスが樹里の大脳を使い、《魔法》を行使することができた。
マフラーに擬装された出力デバイスから照射される、各種診察用の《魔法》によると、体内部に火傷が見られる。高温の空気を吸ったためだろう、気道熱傷を負っている。換気障害、もしかすれば酸素化障害も起こしていると診断する。
半ば酸欠状態でありながら、十路は平然としていたことになる。ここまでやせ我慢していたのを、怒ればいいのか、呆れればいいのか、感心すればいいのか。
だから、ただ感謝する。
樹里が彼を『化け物』に変えてしまったことにより、単なる先輩後輩では済まない関係になってしまった。元々十路は優しいなどと言われる性格ではないが、同じ場にいても無視するかのように目も合わさず、必要な内容であっても可能な限り直接言葉を交わさない、かなり寒風吹き荒ぶ関係になっている。
だが、それでも、十路は樹里を守ろうとしている。
理由を訊けば、きっと『頼まれたから』などという正当な理由が返ってくるだろう。非情な裏仕事もこなしてきた元非公式・非合法特殊隊員としては、私情と切り離した行動などお手の物だろうが、それでも。
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人間は、体重の倍も持ち上げることができれば、オリンピッククラスの怪力と言ってもいいだろう。
(重いぃぃ……!)
幼児化した樹里にとって、気絶した十路の体重は、倍どころではなかった。ほぼ引きずっているので、限界重量じゃ変わってくるが、普通は動かすのを諦める重さであることに変わりない。《バーゲスト》に乗せる際は、まだイクセスが協力してくれたからよかったが、降ろしてマンションに運び入れるのは、樹里ひとりで行わなければならない。
「ふんぬぅ……!」
たった十数メートルが、とてつもなく長い。挫けそうになる度に休憩を入れ、背伸びしなければ手が届かないセキュリティに挫けそうになり、それでも背負うというか体を割り込ませて、四つん這いで体を前に進め、十路を運ぶ。その歩みは遅く、カタツムリと競争しても多分負ける。他に荷物もあるが、彼を運ぶだけで精一杯だ。
それでも、彼を置いていく選択は、考えもしなかった。今の姿で誰かに助けを求められない以上、樹里が運ぶしかなかった。
(……ん?)
不意に背中にかかる荷重が変わった。感覚を研ぎ澄ませてみても、先ほどまでと変わったことは、特に感じられない。ない腕力にものを言わせて無理矢理運んでいたが、たまたま重心が乗って運びやすくなったのか。
これならなんとか運ぶことができる。それ以上は考えず、樹里は力を振り絞る。
監視カメラに映ってしまっているが、管理しているのはオーナー兼管理人権最高責任者であり、樹里の同居人だ。しかも機材は部屋にある。異常の相談先に知られて困ることではないし、後で記録を操作することもできなくはない。
(疲れた……でも、まだ……)
エレベーターに乗り込んで、肩を大きく上下させながら息を吐いたが、目的地は二階なので、すぐに降りてまた運ばないとならない。エントランスからと比べたら距離が短い分、まだ救われる。
時刻はすでに深夜と呼んでいい。十路が警戒していた出入りの問題は、きっと大丈夫だろう。
「ふんっ……!」
ずりずりと部屋の前まで這いずって、引きずって運んだ十路を、一度廊下の壁にもたれかけさせる。
ここまで来ればあと一息。頑張ってる。だからもうちょっと頑張れ。
樹里は自分を鼓舞しながら、スラックスのポケットから部屋の鍵を取り出し、十路の手を引っ張って指紋認証させる。
そうして訪れるのは初めてではない部屋の玄関に、十路を引きずり込んで、オートロックの音を聞いて、潰れた。
(もう、無理……動けない……)
精も根も尽きた。十路の下から抜け出すのが精一杯で、それ以上は動けないし、動きたくない。
精神的にも肉体的にも疲労する時間を過ごし、もう限界だった。
「……うん。まぁ、玄関に放り出すなよと言いたいけど、仕方ないか」
十路の声を聞いた気もするが、もはや夢と区別つかなかった。
意識があったら『途中で目が覚めたなら起きろ。人間関係のこと棚上げにするために寝たふりするな』と、いくら温厚な樹里でもキレていたかもしれない。




