065_0040 【短編】 記憶の残照Ⅴ ~思い出しちゃった!~
嫌な予感はそれなりに的中した。
「やっぱり、俺が悪いんだろうか……?」
【当たり前でしょうが】
「さすがに完食前でコレは予想外だったんだが……」
【グロッキーになるまで食べさせる気だったのは、変わりないでしょう?」
十路とイクセスが会話している内容は、今の樹里には耳を素通りしている。
「けぷっ……!」
切実に胃薬が欲しい。食べても体は当然、胃だけでも成長はしなかったので、口を開けるとリバースしそう。現にゲップと共に、チーズの匂いが逆流してきた。
(あの程度も食べられなくなったなんて……)
早めの夕食でショックを受けた。意識は女子高生のままなので、キッズメニューを頼むことは考えもしなかった。大盛りでもないパスタとサラダが、今の自分には多すぎると、口にするまで想像もしていなかった。しかも満腹中枢の働き方まで変わっているので、気づいたら物理的に入らないところまで食べてしまった有様だった。結局料理は半分以上残し、十路の胃袋に入ることになった。
アサミはかなりの大食いだったのに。並の大人以上を食べて平然としていたのに。
今の樹里は彼女の影響を受けて幼児化していても、胃袋は反映されていないらしい。なんだか釈然としないものがある。
【それで、これからどうするんです?】
「どこで、ってのはないけど、時間潰しは決定。九時以降になってから、部屋に帰って匿う」
【なぜ九時なんて半端な時間に?】
「なとせが寝る時間だから。向かいに住んでるから、俺の出入りに気づくんだよ……」
【……あのマンション、壁も床も天井も装甲板入りで電磁波も遮断、防音どころか完全気密じゃありませんでした? きっと私のセンサーでも、察知できないと思うんですけど?】
「それでも気づくのがアイツだ……」
【理屈じゃないんですね……】
店を出れば、秋の陽は沈み、まだ夜空にはなってない暗い空になっていた。
その下を、十路が押して歩くオートバイに乗せられ、樹里は運ばれる。
「というか、時間潰すのにも苦労するんだけどな」
【学生という身分の社会的信用度を経験しましたしね。夏休み、ナトセと一緒に神戸を離れた際に】
「あん時は泊まりだったからなぁ……それと比べれば今日はマシだけど」
【ファミレスに居続ければよかったんじゃありません?】
「飯時で満席になっても居座ってたら、追い出されるわ」
【じゃあ、どうする気ですか?】
最低でも残り二時間余が、長い。
その後も、きっと長くなるだろう。十路の部屋で過ごすことに、また居心地悪くなるのは簡単に予想できる。
「今から裏六甲でも攻めるか」
【バイクが言うのもアレですけど、もっと普通に時間は潰せると思いますよ?】
「最近ムチャなライディングしてないし、暇ができたなら訓練に丁度いいかと」
【途中でジュリが行方不明になるの確実です】
あと、この《使い魔》乗りに任せると、不安になる。今の樹里を乗せて走り屋ばりに峠を攻めるなど聞かされると、先ほどまでとは別の意味で、十路に助けを求めたのは間違いではないかと思えてくる。
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家以外で、夜の時間潰しに最適な場所は?
駅前でアンケートを取ると、様々な場所が挙がるだろう。働き方改革で残業がなくなっても、家に居場所がないので真っ直ぐ帰らないフラリーマンたちから。
だが社会的・金銭的に不自由がある学生だと、選択肢は狭まる。
十路が選んだのは、大型ショッピングセンターだった。店にもよるが、夜のフードコートは、比較的空席がある。
出店しているファストフード店で『座席代』を支払い、本屋で買った本を広げて、時間を潰す。十路も樹里もスマートフォンを使っていない上に、今回は急にこんなことになったので、暇つぶしを用意しなければ時間を過ごすのも楽ではない。
(本、重っ……)
普段ならなんでもない雑誌でも、A4サイズは幼児には少々手に余る。
仕方ないので、ティーンズ向けのファッション雑誌をテーブルの上に広げる。幼児が読む本ではないだろうが、この際気にしない。
(なんか……どうでもいい)
元より樹里は、ファッションにあまり関心がない。
野生動物並の嗅覚を持っているから、シャンプーやボディソープ選びにも難儀するのに、化粧品やコロンなど考慮する余地がない。
電磁力学に傾向した『雷使い』だから、アクセサリーを身につけると抵抗熱や輻射熱で火傷する。
服も学生服以外だと、動きやすさを求め、汚れてもいいような色や値段になってしまう。
インスタ栄えさせるテクニックなどどうでもいい。彼女にとって個人情報とは守るものであって、自ら発信するものではない。
樹里の特性や、《魔法使い》であることを考慮すると、実用性重視になってしまう。
このようにして、支援部に所属していると、女子力が低下していく。《魔法使い》が活躍できる分野は、工業や軍事。女性も進出しているとはいえ、やはり男社会に首を突っ込んでいるのだから。
なのにトップがペッタリならずクセもないサラサラロングヘアを保つロシア娘や、これ以上ないほど見た目完璧な王女サマは、ちょっとおかしいとしか思えない。中身がアレなのはともかく、なぜ外見はあんなに女子力全開でいられるのか。
義務教育年齢のアホの娘と半ヒキコモリは、まだ女子力が問われる歳ではないので考慮外。とはいえあのふたりも、将来的に恐ろしいことになりそうな素材の持ち主なので、樹里は戦々恐々としている。
(別の雑誌のほうがよかったかな……)
月刊科学雑誌が生化学分野を特集していたので、《治癒術士》としては興味があった。開発段階の最新技術は、《魔法》に応用できることも多いので、ためになる。
だが、お値段がファッション誌の三倍だったので、出資させる十路に悪いと思い、諦めた。
――Grimms Marchen noch einmal(グリム童話名作集)
(……え?)
不意に脈絡もなく、なぜか思い浮かんだ。
古びた本だ。挿絵もなにもない、ただ素っ気なくタイトルだけが書かれた表紙で、紙も黄ばんでしまっている。気をつけて開かなければページが取れてしまいそうなほど、ボロボロになっていた。
(なんで突然、こんなこと思い出したんだろ……?)
とても貴重な物なのに。乱暴に扱ったかもしれないが、いつも開いて何度も読み返した気がする。
樹里が記憶にない記憶であって、他の誰かの記憶であったとしても、曖昧としてよくわからない。
考えてもそれ以上を思い出せないので、顔は雑誌に向けたまま、なんとなく樹里はチラリと上目遣いの視線を送る。
向かいに座る十路は、椅子に対して横に座り、背もたれに肘をついて文庫本を開き、時折フライドポテトをつまんでいる。
彼が読書する姿を見るのは、初めてではない。ただし受験勉強に使う参考書や教科書で、他の本も資料として開く場合がほとんどで、普通に読書していることはない。
更には、十路は意識の半分程度しか読書に割いていないと、樹里にもわかる。彼が選んだ席は窓から離れたフードコートの隅で、壁を背にしている。変な座り方をしているのは、テーブルが邪魔になることなく立てるから。そして今の樹里のように、時折上目遣いでフードコート全体を見ている。
いまだ抜けない非公式・非合法特殊隊員としての習慣か。不自然に思われない姿勢で周囲警戒をしている。
今に始まったことではない。部室でもそうだ。彼は誰かと一緒の時、それとなく距離を開いて、壁を背にして周辺を見渡せる位置に立つ。開く距離も絶妙で、なにか異変を察知すれば、すぐさま踏み込んで手が届く範囲を超えない。
視線に気づいたか。不意に十路が顔を上げて樹里を見てきた。慌てて視線を雑誌に落としたが、彼は本を置いて、手を差し出してくる。
顔と雑誌の間に入った手の平には、五百円玉が乗っていた。
「オマケ付きお子様向けセットが欲しければ、自分で買ってこい」
「なんで突然そんな話に!?」
相変わらずわざとか天然かわからない平坦なボケに、思わず樹里が顔を上げると、十路の左手はフライドポテトで横を示していた。
視線でたどると、ファストフード店からトレイを運ぶ、買い物を終えた体の親子四人連れがいる。
会話内容に意識を向けると、どうやら兄である少年は、レストランの食事を希望していたが、妹である少女がオマケ目当てにファストフードを希望して、ここに来たらしい。オモチャをもらえて少女はご満悦。外食が安く済みそうで母親もご満悦。しかし少年はやはり不満。父親も油分が気になるお年頃なのか気が進まない。そんな様子だった。
「なんかフライドポテトに文句あるんじゃないのか?」
樹里が雑誌を見ていないことは気づかれても、なにを見ていたかは気づかれていなかったらしい。
だが、どうやったらそんな疑問に辿りつくのか。思考回路が理解できない。
「や……食べ物はもういいれす」
ようやく腹が落ち着いたところなのに。あと原価一〇〇円にも届かないだろう、安物のオモチャで喜びはしない。今週のセット内容・プ●キュアは毎週欠かさず観ているが、《魔法》のイメージトレーニングのためだ。しかも実用性においては微妙で、まだ男の子向け特撮ヒーローのほうが見ていて役に立つ。
五百円玉はテーブルに置き、十路が再び文庫本に目を落としたの確認し、樹里も雑誌に目を戻す。だが本末転倒にこれで暇つぶしするのが苦痛なので、実際には読んでいない。
代わりに聴覚を意識する。BGMやアナウンス、誰かの会話やレジの音、個々に意味を持つさまざまな店内の音が混じり合うと、無秩序な雑音として耳に届く。生体コンピュータで分離しようにも、あまりに入り混じっているのでかなり困難だ。
ハッキリ聞き分けられるのは、あまり距離がない、先ほどフードコートに入った家族連れの会話くらいだ。
とはいえ、なんら特別ではない。子供たちの口からは、今日の『お出かけ』の内容が垣間見える。大人たちの口からは、子供の世話を焼く愚痴めいた言葉。
子供たちは成長すれば、大人たちは日々の忙しさで、いつしか忘れてしまうだろう、本当に些細な日常の一幕。
それが引金になったかように、樹里の脳裏に記憶が再生される。知っているものと知らないもの、ごちゃ混ぜで。
――ねぇねぇ、リヒトくん。半分コしよ?
――ン? 別にいいけド。ホレ。
――カレーは全部あげるから、ライスは全部もらうね。
――ちョッと待てェ!? なンだその分け方!?
――機械で作ってるのに『手ごね』な私のハンバーグは、『手ごね』をあげるから。
――足りねェなら素直に白メシ注文しろヨォ!?
あれはまだ、神戸に生活拠点を構えていない頃だっただろうか。姉と義兄がファミリーレストランで、夫婦とも漫才コンビともつかない会話をしている横で、樹里も食事していた。確かうどんをすすってた気がする。
――こんな無駄なことを……
――たまには付き合ってくれてもいいじゃない。
――栄養取れれば一緒だろう?
――それ言っちゃあおしまいでしょ。
――大体これはなんだ?
――知らない? ステーキって料理。牛の肉を切り分けて、焼いたもの。
――なんだそれ……?
どこかの大富豪の邸宅にあるような食堂で、親子三人で食事している。母はともかく、父は料理を気味悪がっている。
実際に口にするのは、微生物が作り出した、あるいは微生物そのものを加工した、代替食品だ。必要なカロリーと栄養素は保障されているが、常食できるほどのバリエーションは保障されていない。それを樹里は『知っている』。
だが、皿からのぼるかぐわしい匂いも、食器に触れさせる肉の感触も、恐る恐る口に運んだ際の歯ざわりと味も、本物のステーキとしか思えない。
映像と振動、香料で脳を錯覚させる、仮想現実技術による食事だ。ダイエットや食物アレルギー対策として、研究開発されている技術のはずだが、それを『思い出した』。
――うっわぁ~、すっご~い。いっつもこんなところで食事してるの?
――いつもじゃない。来る時は仕事だ。なんでお前たちを連れて……
――いいじゃない。『私たち』の誕生日なんだから。
――……ちゃんと支払えよ。
――そんなの当たり前じゃない。お祝いしてもらうんだから。
絵に書いたような高級レストランで、はしゃぐ着飾った女と、気の進まない様子の男と、三人で食事しようというのか。
確か『おねだり』に負けて折れ、連れて来られたのだった。
並ぶ料理は中華が主だ。三人、それもひとりは子供なのに、とても食べきれるとは思えない量の皿が、テーブルにところ狭しと並べられている。量のない皿に至っては、皿の上に乗っている。
中央には、日本人の感覚では特に違和感ないが、この場では本来不自然であろうバースデーケーキが、ロウソクに火を灯らせている。
団欒と呼べるかは個人個人によるだろうが、『彼女たち』にも皆、『家族』との食事の思い出があるらしい。
樹里は、自分が誰かもわからない。アサミも麻美のことも、まだよくわかっていない。
となれば、家族は、どうなのだろう。
例えば、麻美の記憶にある『母親』は、樹里が知るあの人物なのかどうか。記憶ではそういうことなっていて、あの時はそれしか考えられなかったが、色々と考えていけば齟齬が出てきて、混乱してくる。
(…………ぅん?)
嗅覚刺激で我に返る。
きな臭さを感じた。物騒なことが起こりそうな気配ではなく、なにかが焼き焦げた物理的な臭気物質だ。
見たところ、火の手はない。十路も感じていないようで、態度に変化はない。火の気があるだろう出店店舗にも異常は見られない。
気のせいではない。だが鋭敏すぎる感覚が、遠くの火種を嗅ぎ取ったなど、なんでもないことを感知したのか、判断できずに迷った。
そこへ、けたたましい火災報知機のベルが、異常事態を報せてきた。




