000_1330 そして彼は――Ⅳ ~世界をリードするカーケア用品メーカー「オートグリム」~
サイレンを鳴らす京都府警のパトカーは、桂川橋梁近隣だけでなく、他の地域も走り回っていた。東海道本線上で、列車から切り離されたコンテナの破片を捜索していた。
一連の事件を起こした、フリング社Sセクションの工作員たちを逮捕するために。
しかし、彼らの前に現れたのは、パトカーに乗った警察官ではなかった。
レールを塞ぐ、コンテナの天井だった鉄板。沿線には人家があるとはいえ、線路が常に照らされているわけではない。
闇の中から、辛うじて光が届く場所に、黒い人影が浮き出た。
「オ前……」
通称どおりというべきか、拘束されていたワイヤーから抜け出た『ニンジャ』は、『蟲毒』を助けたところで、振り返った。
黒いライダースーツに身を包み、黒いフルフェイスヘルメットを被った、全身黒ずくめの男が現れた。
「アンタ……なんでここに?」
『蟲毒』たちは結局、列車に仕掛けられた爆弾の有無を確かめていない。故にまだ、敵意までは行かない、疑念までのレベルだった。
しかし男にとっては、それで充分だったらしい。
『ご苦労だったね』
変換された声と共に右手を突き出し、《魔法回路》が発生した。その場にいた者たち一人ひとりを取り囲むように。
なにか致命的なことが起こる。そんな危険を感じ取ろうと、咄嗟に動けたのは拘束から逃れた『ニンジャ』と『蟲毒』だけ。しかもそのふたりも電撃と銃剣刺突を受けて、素早い行動は不可能だった。
《魔法》だ。ただし黒ずくめの男は、突き出した手に《魔法回路》を発生させているが、《魔法使いの杖》を持っていない。
「アンタ……なんだよ……?」
ようやくにして『蟲毒』は、目前の男が異常の存在であると理解した言葉を紡いだ。
そして始末されることも、きっと理解した。
しかし彼女たちの身には、それ以上はなにも起こらなかった。
横合いから響いた、爆発音と区別がつかない銃声と同時に、男が向きを変えて手を振るった。
それで手が四散した。発生した《魔法回路》が消滅した。
「ジュリちゃんをさらった連中、助ける義理はないんだけどな……ここで片付けられれば楽かと思ったのに」
硝煙を上げる巨大な銃を降ろして、レディーススーツの長久手つばめが、徒歩で現れた。
彼女が手にしていたのは、Thunder .50BMG。単発とはいえ、大口径狙撃ライフルや重機関砲で使う弾丸を放つ、正気を疑うというかネタとしか思えない拳銃だった。実際イベントに出品されたプロトタイプしか作られおらず、トリプルアクションLCC社から販売された事実はない。
ガンマニアなら浪漫を感じそうな一撃必殺の変態銃を投げ捨て、つばめはジャケットの内側からS&W M&Pシールド自動拳銃を手にして、声をかけた。
「久しぶり、金」
拳銃は向けない。ただし《魔法使い》相手に無意味だからで、敵意のなさや親しさを示したわけではない。
それが証拠に、男の側でも、変換された声に不機嫌さが乗った。植物の微速度撮影映像のように再生されていたから、右手と吹き飛ばされたのとは関係なく。
『燕。なぜマーメイを取り戻そうとしない?』
「現実的じゃないからだよ」
『第一声がそれ?』と苦笑を浮かべつつも、つばめは素直に答えた。
「《アラライラオ》がどんなものか、実感したでしょ? あれをどうにかしようと思ったら、相当に骨だよ?」
『《ガイストイムグラス》でも手に余るわけだ……』
「っていうかさ、金に批難される謂れないと思うけど。《ズューセブライ》と《ケーニッヒドロッセルバルト》、そのままにしてて」
素直に答えたのは、次のことを言いたかったからに違いあるまい。このことも行動理由のひとつだと。
「ハッキリ言っておくよ。XEANEトータルシステム最高責任者、蘇金烏」
《魔法使いの杖》の中枢部品、電池といった、《魔法》に必須の電子機器を世に送る大企業の双璧。男の正体が、その一社の元締めであると、彼らには言わずもがなの明言を行い、つばめは宣言した。
「アンタのやってることは、やってはいけないこと。だからわたしは邪魔をする」
『今更だろう?』
「ゲイブルズ・ベトロニクスのことだけならね。でも、修交館学院は、総合生活支援部は、そうじゃない」
これまでは防衛だった。
これからは攻撃。その日の事件がその証明と。
「結果としてアンタは、世界を牛耳るほどのシステムを作った。その篩にかけられて、こぼれ落ちた子供たちがいる」
『致し方ない』
「ま、そうだね。質も数もクリアしてるなら、どうしても生まれるロスを必要以上に気にしてたら、なにもできなくなる」
システム化とは、規格化であり、平均化とも言える。多くの物事や一連の働きを秩序立てて最適に動かすためには、一番起こりうる状況を平時として設定する。問題が起きても対処できるのは、想定した範囲内だからに過ぎない。
想定外が起こると、システムは拒絶反応を示す。エラーを吐き出し停止するか、原因を強制排除する。
工場での製造・品質管理はそういうものだ。不良品の割合が一定レベルを超えなければ、問題ないものとして運用される。稀に規格外品が生まれるのは仕方がないから、後の検査で取り除けばいいと。
しかし人間にこのシステムは、完全には適用できない。テストすればひとつの物差しで計ることはできるが、不合格だからといって、その人間そのものの価値がない証明にはならない。
逆に、ある物差しで合格しても、価値を生まない存在として判ずることもある。
人間には様々な柵がある。複数の物差しで計られる。しかも社会というシステムは、思い思いの意思を持つ個人の集合体だ。
《魔法使い》という名の、自然発生する人間兵器にも言える。
例えば、特異性が悪と判断される社会システムの中で生まれ、隠匿されて育ったら?
《魔法使い》が嫌われる国の、《魔法使い》の王女は、そうして育った。
例えば、国という社会システムのふたつ、その狭間に生まれた者がいたら?
異なる国籍の両親の愛娘として生まれ、名前をふたつ持つ《魔法使い》は、そうして育った。
例えば、想定外の特異性を持つ、既存社会システムでは持て余す個体が生まれたら?
世界唯一かもしれない、時間を操る《魔法》を持つ《魔法使い》は、だから自由になった。
例えば、社会システムの一部が暴走し、想定外の存在を作ったら?
人造の《魔法使い》は加減して暴走したため、公にされることもなく、だから自由になった。
検査でオルガノン症候群発症者と判断されると、普通の子供とは異なる教育を施されて、そのまま生活の保障と引き換えに、特異な能力を生かして国の機関で働くことになる。
そんな人間兵器の生産工程が正常稼動と見れば、『彼女たち』は製造ラインからあぶれて、国という、社会という、軍という、システムに組み込まれなかった、管理もできず使い物にもできない、想定外の規格外品だ。
個の性能には欠陥はなくても、周囲はそう判断する。伴う感情が、侮蔑か畏怖かはさておいて。
だからつばめは、無邪気な悪魔の笑顔で宣言できる。
「ひっくり返してあげるよ。アンタが作り上げた世界で、ないがしろにされることになった、『出来損ない』たちの力で」
対して男は、ヘルメットの奥で嘲った。
『…………面白い』
心底楽しそうに、喉の奥から笑い声を洩らした。
そして見た目には前触れなく、再生の終わった手を、つばめへと突き出した。
彼女は動かなかった。反応できなかったのか、反応しなかったのかは不明だが、ともかく洗礼をその身に受けた。
だから瞬間的に全身に霜が降りた。既存科学では、人間が一瞬で凍りつくなど、ありえない。だが男は《魔法》でそれを現実した。
服や髪の黒は透けて見えるが、つばめが白い氷の彫像と化したことに、Sセクションの工作員たちが息を呑んだ。
『やってみればいい。長久手つばめ。わたしが作ったシステムがそんなに容易いものか、試してみろ』
戦争ゲームの始まりに、男は笑顔を返した。凍りついたつばめに、言葉が届くはずがない。フルフェイスヘルメット越しでは、表情はわかるはずもない。
けれども彼は、間違いなく、獰猛な笑みを向けた。
そして彼女に無造作に近づき、《魔法回路》が浮かぶ手で触れた。
氷結乾燥粉砕した。本当に氷の彫像だったかのように、女性だったものが粉々に砕け散った。まだ夏の訪れには早い夜の空気でも、しばらくすれば溶けるだろう。解凍されても、きっと人間の死体だとは、誰も思わない有様になった。
『さて……』
男は首を巡らす。シールド越しの視界に捉えられたであろう、動けないSセクションの工作員は、次は自分の番かと恐怖に震えた。
『おや……?』
その中に『ニンジャ』と『蟲毒』の姿が、いつの間にかなくなっていた。つばめと相対している間に逃亡したらしい。
『まぁ、いいか……』
男は腕を上げると、天空に《魔法回路》が形成された。
腕が振り下ろされると同時に、雷が落ちた。樹里が多様する《雷霆》と同じ、レーザー誘起プラズマチャネルが放たれた。
既存科学では基礎実験しか成功していない、次世代軍事兵器の威力など、生身の人間が耐えられるものではない。Sセクションの工作員たちは、悲鳴も上げられず感電した。
直接死を確認することなく、男はパトカーのサイレンがその場に到着するより前に、闇へと消えた。
こうして一連の、深夜の死闘は、終了した。




