000_0430 そこは悪魔の掌Ⅳ ~SUBROSA 手榴弾型ワイヤーロック「COMBAT LOCK」~
どうやら『無様』という言葉は、地面に倒れる十路に向けたものではなかったらしい。
「Shut up……(黙れ)」
身を起こした『ニンジャ』は、どこか決まり悪げに、『蟲毒』へ返した。
「おぉっと、お嬢ちゃん。余計なマネはナシだよ」
『蟲毒』が蓮っ葉な日本語を操る。彼女の視線は十路ではない。麻痺で自由の利かない体をひねるり、その先を確かめると、幼猟犬の気配を放つ樹里が、油断なく長杖を構えていた。
「《魔法》を使うんじゃないよ。でないと、コイツがどうなるか……わかるだろ?」
そして自身に集る大量のスズメバチも見えた。『蟲毒』が右手で操る、左腕に装着されたコンピュータで、いつでも十路に致死量の毒を注入できる体勢を作り上げていた。
迷いの色を浮かべる樹里の黒瞳が、十路の現状を確認してくる。
(《魔法》使え……! なんとでもなるだろ……!)
少女の瞳を、交戦の意思を込めて、十路は見返した。
しかし意思は伝わらなかった。なにか決意するような色が浮かんだが、それだけ。
「……わかりました」
樹里は長杖を地面に放り捨てた。
(馬鹿……!)
普通の人間と同じ感覚でいてどうする。史上最強の生体万能戦略兵器《魔法使い》であることを自覚しろ。《魔法回路》形成の時間さえあれば、敵対者を戦闘不能できる。その間に十路に毒を注入されようと、《治癒術士》ならば死ぬ前に血液をフィルタリングできるだろう。
喉は動かず、また毒の影響がなかったとしても声は飲み込んだだろうが、十路の心にそんな罵声と、伝えることができなかった作戦案が浮んだ。
「大人しく、こっちに来な。ゆっくりと。妙なマネしたら、そこのボウヤを殺すよ」
しかし十路の意は微塵たりとも伝わることなく、両手を軽く挙げた少女は、『蟲毒』の指示に大人しく従った。
「堤さん、毒は大丈夫ですか?」
「……っ、……っ」
襲撃者たちのほうにゆっくり歩みながら、樹里は問う。十路にとっては、のん気に武装解除した当人からの言葉なので、苛立ちしか感じなかったし、それ以前に荒い呼吸しか返せなかったが。
彼女の足が一度だけ、十路の真横で止まった。
「早くしな」
しかし蓮っ葉な日本語に、再び足を動かすことになった。
『なんだ、コイツ……』
「詮索は後だよ。行くよ」
襲撃者たちは、十路の正体を知らなかった。樹里とは入れ違いに近づく『ニンジャ』が、腰から手榴弾を奪い取ってそのまま行き過ぎ、樹里の《魔法使いの杖》と空間制御コンテナを拾い上げる。裏社会ではそこそこ有名になってしまっているのだが、防衛省の防諜も無意味ではなかったらしい。
だから十路は危ぶんだ。襲撃者たちの目的は樹里の命ではなく、身柄のようだから、ひとまずそちらはいい。
問題は彼自身の命だ。『ニンジャ』の奇襲を阻み、『蟲毒』の顔を見ている。
彼らは心配そうな樹里を引き連れ、背を見せて立ち去ろうとしているが、毒で無力化しているとはいえ、戦闘能力を持つ十路を、果たしてこのまま見逃すだろうか。
そんなはずはない。
力の入らない体を懸命に動かし、投げ捨てた拳銃に這いずる。
『ヘイ』
そして危惧したとおり、拳銃に手が届いたと同時に、『ニンジャ』が取り上げた手榴弾を放り捨てた。
「混蛋! (バカ!)」
『蟲毒』が慌てたが、もう遅い。手榴弾は安全ピンが引き抜かれたため、空中で安全レバーが分離した。
十路は伏せたまま、拳銃を片手で構える。手首に力は入らないから、一キロ未満の重量が重い。数瞬固定して照準を合わせることもできない。両手で狙うには時間がかかる。
『弾切れだろ』
再装填は決定的な隙を生むため、発砲回数を数えるなど、銃を扱うなら当然のこと。『ニンジャ』が自分で銃を使わないのであれば、十路が一〇発発砲したのを数える余裕もあるだろう。
だが、HK45T自動拳銃のカタログデータは、装弾数『10+1』と書かれている。前者の数字は弾倉に入る弾丸数で、『+1』は薬室への装填を示す。普通問題となるのは弾倉容量で、そちらに関心を寄せることない。
そして十路は、前もって薬室に弾丸を送ってから、一発弾倉に給弾している。
『+1』を考慮しなければならない、計一一発のフル装填。一〇発撃ってもまだ残っている。襲撃者たちはその様子までは観察してなかった。
そもそも弾切れと同時にスライドが下がった状態で固定された、ホールドオープンになっていないのに。
毒の影響で狙いが固定できない。ならばと逆に渾身の力を込めて、腕を振り上げた。
銃の重さに引かれて腕が落ちる前に、左右のラインを定める。
そしてまだ空中にある手榴弾と、落下する銃口が、一直線に並んだ瞬間に、引金を引く。
連射したため減音器の効果が半減した銃声は、ほぼ同時に轟いた、手榴弾の爆発音にかき消された。
爆発の圧力は基本、上に逃げる。空中で爆発し、十路は地面に伏せていた。しかも実際の手榴弾には、映画のように建物を吹き飛ばすほどの破壊力はないのに、身につけていたのは攻撃型手榴弾――その名とは逆に、銃撃しながら使うことができる、小型で威力が低い手榴弾だった。
「ぐ……!」
近距離で爆発されたとはいえ、ほぼ無傷で済んだ十路が顔を上げて確かめると、樹里たちも地面に倒れていた。爆発の衝撃波も破片も、ほとんど水平よりも上へと向かうものなので、上空での爆破した影響はその程度しかない。あとは建物のガラス片を被ったくらいか。
彼らは素早く体勢を立て直し、衝撃波で聞こえなくなった耳ではわからない罵りを上げて、少女を引きずって場を離れる。
体育祭が行われている学校内で、小規模とはいえ爆発が起こったのだ。グラウンドから離れているとはいえ、確実に誰の耳にも聞こえただろうし、誰かが様子を確かめに来るのは間違いない。
女子高生の誘拐現場など見られれば、不要な騒ぎが起こるに決まっている。もう十路に構ってなどいられるはずはない。
一方、十路も武装しているのだから、一般人に見られるのはまずい。薬莢など拾っている暇はないから、放置するしかない。
ベルトの応急措置セットから、アドレナリン自己注射薬を取り出し、太ももに押し付けた。
生物毒は、解毒剤が作れない場合が多い。ましてや経口摂取などではなく、直接体内に注射された。だから肉体を興奮状態にし、痛みや症状を誤魔化すしかない。
「くっそ……!」
休みたいが、動かないわけにはいかない。状況的な問題だが、休んでいたら窒息死しそうな予感もある。十路は体に活を入れ、呻きながら立ち上がった。
(やってくれやがったな……!)
歯噛みする。その間から危険な息が洩れた。
まんまと樹里の身柄と、装備を奪われた。請け負った任務は失敗した。
だが、これで終わらせはしない。終わらせてはならない。
校舎の壁に肩を押し付け、引きずるような頼りない足取りで、けれども精一杯急いでその場を離れながら、ハーフパンツのポケットから携帯電話を取り出す。
△▼△▼△▼△▼
グラウンドでは大縄跳びが行われている。いくら風変わり競技が多い体育祭とはいえ、縄が燃えているなどという奇行はない。どこかで行われるのと同じ、ごく普通のルールだった。
その様子を後目に、歓声と跳んだ回数を数える声から背を向け、つばめは貴賓席テントの裏側で、スマートフォンに耳を当てていた。
「――わかった。こっちでも対応するけど、トージくんはどうする気?」
『連中の逃走を阻止します……! 《使い魔》借ります……!』
「大丈夫? なんかヤバそうな声だけど」
電波越しでも荒い声に、懸念と心配をかけたのだが、途切れてしまった。十路が気絶したのではなく、通話そのものが向こうから切られた。
丸っこい頬を指先かいて少し考え、つばめは液晶画面を操作して、今度は逆に電話をかけた。
「やっぱりジュリちゃん、攫われちった」
三コールほどで電話に出た相手に、つばめは挨拶もなく用件を切り出した。事実は事実として、それ以上の感情はなく、気軽に。
『あ、そう?』
相手の若い女性も、返事に特別感情を乗せなかった。押し殺したのではなく、『買い物のついでに頼まれた物、売り切れてたよ』程度の、大した問題ではない報告として受け取っていた。
妹に愛情を持っていないのではない。
『や~。話を最初に聞いた時も、正気を疑ったけど……まさか、よりによって樹里ちゃんに、本気で手を出すなんて』
「誘拐の可能性は、いっつもジュリちゃんに言い含めてるから、どこかで死体がゴロゴロって事態にならないと思うけど」
『そうなっても不思議ないってのに……あの子の正体を知らないから、平気でできるんでしょうけど……』
心配の必要がないからだ。
つまり大人たちは、この状況を予測していた。
そして樹里も、自分が誘拐される可能性を知っていた。
だから装備と抵抗を放棄し、襲撃者たちに大人しく従った。
『やー……それにしても、陸自の《騎士》ってのも、案外大したものじゃないわね』
「そう言わない。カレ、器用な人間じゃないみたいだし。物事をスマートに片付けられないけど、諦め悪く足掻き続けるタイプだね」
直接関わった者の中で、この時点で知らないのは、十路だけだった。
「そこが可愛かったんじゃないの?」
『私に訊かれても困るんだけど?』
知ったとしても、彼がなぜこの任務に就けられたか、推測することはできなかっただろうが。
『ま、なんでもいいわ。とにかく予想どおりになっちゃったから、私が樹里ちゃん助けに行くわ』
「もう少し待ってあげてくれない?」
『……まさか、まだ《騎士》クンに任せる気?』
「それもある」
『やー……いくら樹里ちゃんに言い含めてるからって、《騎士》クンひとりに任せるのは、危なすぎでしょ? 状況的には、あの子がいつ暴走してもおかしくないわよ?』
「だから余計に、だよ。それにカレ、なんだかんだいっても、まだ子供だよ?」
『どんな関係があるのよ?』
「男のコはみんな、負けず嫌いで見栄っ張りって、相場が決まってるモンでしょ? カレの場合は余計に」
『なに企んでるんだか……まぁ、どうせ答えないでしょうから、それはいいとして。私が出張っちゃいけない理由、まだ他にあるの?』
「うん。詳しいことは時間がないから省くけど。今日はせっかくの体育祭なんだから、楽しんじゃおうよ?」
具体的な説明はすることなく、つばめは通話を切った。
丁度その時、拍手が鳴る。赤組の勝利で、大縄跳びは終わった。
行進曲と共に、出場した学生たちが退場するのを待ち、つばめは放送機材の前に陣取っていた学生に声をかけてから、マイクに向けてしゃべる。
「体育祭実行委員の皆さんは、本部テント裏に集まってください」
途端、その場にいた学生たちが、嫌な顔をした。
彼らも体育祭実行委員だ。
そしてこの学院における最高責任者の認識は、唐突にヘンなことをし始める厄介な人間だ。
暴君ではない。自主性はかなり重んじられている。だが時折、傍若無人さを発揮する。
社会に出れば組織図上のトップの思惑に、右往左往するなんことはよくある。それが学生のうちから体験できるのが、学校法人・修交館学院である。誰も好き好んで体験したくないだろうが。
「心配しなくても、次の競技をちょこっといじるだけだって」
なにも知らない学生なら額面とおり受け取り、本性を知っていればより一層不安になるであろう、無邪気な策略家の笑みを浮かべて、つばめは無線機も取り出す。
「フォーちゃん。聞いてる? どぞー」
『なんでありますか?』
「キミの《魔法》、フル活用してもらう」
『面倒であります……』




