000_0420 そこは悪魔の掌Ⅲ ~Joey Ruiter's 「Moto Undone」~
移動しながらなので、体操着のまま戦闘装備ベルトだけを装着しただけだが、そこに入れていた得物は本物だ。小型の応急処置セットは除外して、後ろ腰に差している、大型ナイフよりも刃渡りある柄の長い銃剣。ベルト全体にワイヤーを通して隠し持つ、バックル部分に金属環を出した絞首具。
そして手榴弾と、ホルスターに収めていたHK45T自動拳銃。自衛隊制式装備ではないが、Tの名が示すように十路の任務と相性がいいため、予備武装として申請所持している。
どこに民間人がいるかわからない状況で、《魔法使いの杖》を出すのも問題だが、拳銃であれば背に隠せる。銃剣の問題もあるが、ベルトそのものもランニングシャツの裾で半分隠してしまっているので、『何か持ってる』とは思われても、『何を持ってる』は誤魔化すことはできる。
建物の角で様子を伺いながら、銃口に減音器を装着していたら、ついて来る樹里がそっと囁いた。現代日本人ならばなにか反応するだろうが、武装についてはさほど不審を持っていない様子で。
「堤さん、どこへ?」
弾倉を叩き込み、初弾を薬室に送り込んで、弾倉を落とす。
そして.45ACP弾を一発押し込んでから、再度弾倉を叩き込む。いつでも発射できるよう安全装置をかけることなく、トリガーガードに指を添えた。
「あの部室を考えてる。他にいい場所があるなら――」
『意見を聞く』という言葉は、続けることはできなかった。ふと違和感を覚えて振り向いて、白い校舎の壁に貼り付いているものを見つけてしまったから。
虫だった。細かい種類は十路には判別できないが、大型のヤママユガだと思われた。翅の威嚇模様を目だと認識したのかと思ったが、違う。
ただの蛾ではなく、胴体に小さな電子部品を背負っていた。
「急いでここを離れるぞ!」
「ふぇ!?」
それまで慎重に進んでいたのに、十路が顔色を変えて慌てる理由がわかるはずないだろう。警戒を放棄し、彼が全速力で腕を引っ張られるのに合わせて走りながら、樹里は問うた。
「一体どうしたんですか!?」
「ハイメムスが放たれてる! 連中はもう俺たちを補足してる!」
「なんですか、それ?」
「虫のサイボーグだ!」
Hybrid Insect Micro-Electro-Mechanical Systems(ハイブリッド昆虫マイクロ電子メカニカルシステム)。略称HI-MEMS。蛹状態で電気回路を移植し、羽化した成虫を遠隔操作で操る。十路が知る限り、まだ研究開発中の技術だったが、先ほどの蛾は、胴に監視デバイスを取り付けられていた。
(これがか……!?)
消去法で、もうひとりとは違うと判断した。
「キャサリン・範……香港の三合会構成組織・鐵笛の裏切り者……結構謎の多いヤツなんだが……」
相手に居場所を察知された。生きた監視カメラが一匹であるはずがない。移動してもどこから監視されているかわからない。
ならば交戦しやすい場所に少しでも早く移動したほうがいいと、十路は判断を下したのだが。
「待って!」
腕を引っ張っていた樹里が、逆に腕を引っ張り返して、急停止させた。
「なにかいます!」
「を!?」
それどころか細腕一本で十路を引っこ抜き、入れ替わるように前に出た。
少女の馬鹿力に驚いたのもあるが、それ以上に護衛すべき対象が積極的に行動したことを、反射的に危機感を抱いた。
『――っ!』
なにも起こらなかったとしても、結果論でしかない。
前方で見えないなにかが舌打ちし、布の音と着地する足音がした。後で考えればの話だが、目標は十路に襲いかかったが、目的である樹里が替わって出てきたため、攻撃を諦めたのだろう。
「壁に貼りついて小さくなれ!」
体制を立て直すより前に、樹里に指示を出しながら、十路は片手で拳銃を発砲した。
減音器を通しても、銃声は消えない。しかし相性のいい弾丸を使っているので、話し声程度に小さくなり、発射音は低くこもった。普通の人間にはなんの音か理解できない。
そして、空中が弾けた。体制を立て直しながら連射した三発目が、見えないなにかに命中し、空間が波打つように像が歪んだ。
現象が起こった、小さくなった樹里の目前に、続けざまに弾丸を叩き込む。ごく普通の女子高生が棒立ちにならず、すぐ側で銃弾が飛んでいても装備を用意するのに感心しながら。
五度連射した時点で十路は発砲を止める。同時に樹里もアタッシェケースを持ったまま、飛び下がる。
そして並んでケースを捨てて、長杖を両手で構えた。
二人が目にする風景に、破損したディスプレイのように、というより、事実そうなのであろうが、銃弾が命中した黒い非表示部分が浮かんでいた。
それが言葉と共に投げ捨てらる。見えない状態から破損したため、元の形状はわかりかねるが、どうやらスッポリ体を覆う外付けのデバイスを持っていたらしい。
捨てると代わりに手甲と脚甲を装着し、背に直刀を背負った、ステレオタイプとも呼べる忍び装束が出現した。
(マジの光学迷彩かよ……どこがあんなの開発したんだ……?)
光学迷彩は今や、SFの架空技術ではなく、現実のものになっている。とはいえ研究開発段階で、色を合わせて周囲に溶け込む擬態でしかない。しかも設備は大型化するため、
十路が目にしたのは、個人携行型の驚くべき高性能技術だった。映像投影と電磁非自然光屈折物質を併用した、透明化と呼んでも差し支えないほどの。
「本気でエセ忍者だったんだな……」
「堤さんがご存知の方ですか?」
「会ったのは初めてだけど、裏社会でなかなか有名人。本名ゲーリー・ナシモト。日系オートストラリア人。通称はまんま『ニンジャ』。忍者にあらず」
忍者とニンジャは別物だ。忍者とは諜報員であり、ニンジャのようにトリッキーな兵士ではない。本場日本に住む者としては、韓国人が演じることも多いハリウッド製にそう言いたくなる。音声では伝わりにくいニュアンスの違いを盛り込んで、樹里に説明した。
『どうして分かタ……』
(確かに……どうやって察知した?)
驚きを零す『ニンジャ』に、十路は心の中で同意し、並ぶ樹里に横目で、驚き冷めやらぬ視線を向けた。彼女の異能を知れば、常時起動している生体コンピュータが差異を検出したと想像つくが、その時はまだ知らなかった。だからそれなりの戦場経験がある彼が、全く感じなかった奇襲の予兆を、女子高生が看破したことを純粋に驚いた。
「周囲を警戒してろ!」
それ以上は引きずることなく切り替えて、それだけの指示を与えて、十路は片手で構えたまま前に出た。現在の彼ならば、共闘ないしもうひとりの索敵・撃破を指示していただろうが、その時にはそんな発想は全くなかった。
奇襲失敗から立ち直った『ニンジャ』は右手一本で刀を抜いて、ついでに頭巾と鉢金の奥にある緑色の瞳で、交戦の意思を示したのだから。ただここは十路が排除しないとならないと考えた。
間合いを詰めながらの三連射は、避けられた。銃というものは素人が考えるほど、簡単に命中するのものではない。射線を想定して銃弾をかわされるなど、十路の経験ではよくあることだ。
しかも相手は避けるどころか、腰に回した左手から、四方手裏剣を放ってきた。
だから十路は慌てることなく、空間圧縮コンテナを盾にしながら接近し、銃を上へと放り捨てる。空けた右手は腰に回し、銃剣を構えた。
追加収納ケースに新たな傷跡が刻まれた直後、刃同士が擦り合わされ、鈍い金属音と火花が散った。
二度、三度、振るわれる直刀を銃剣で逸らし、ランニングシャツに覆われていない拳や肘を、ジャジー越しに膝や脛をぶつける。
忍び装束の下に、防具を着ている感触が返ってくる。防弾ベストとは異なる、もっと硬質で、動きを阻害しないものだ。
『ニンジャ』の戦術は、兵士のそれではない。動きが派手な技を使いたがる、離れて暮らす義妹との組手を連想した。この頃の十路はまだ、南十星が子役アクション俳優として活動していることを知らなかったが、それでも映画のアクションじみていて、実戦形式との違いを感じることができた。
だから十路は、打撃技が通用しないことも慌てなかった。
代わりに銃剣を上に放り投げる。渾身の刺突でも致命傷を与えられるか危んだため、試しもせずに。
『……っ』
それを『ニンジャ』は、どう思ったのか。自ら得物を捨てる愚かさを嘲笑ったのか、訝しさに眉をひそめたのか。
とにかく頭巾から除く瞳を歪ませ、一気に仕留めようと直刀を振りかぶった。
決定的な隙を作った。
「バーカ」
だから十路は入れ違いに手元へ落ちてきた、HK45T自動拳銃を向けた。
頭巾から覗く翠瞳が、驚愕に見開かれた。投げ捨てたとしか思えない、彼の武器交換を目の当たりにした時、よくある反応だった。
本来ならば《魔法》が使えなければ対抗できない《魔法使い》に、生身や小火器で対抗するために編み出した戦術なのだ。敵の目前で武器を捨てるなど危険極まりないが、意表を突くことができれば、知らなければ即死に繋がる致命的な隙を生み出すことができる。
十路は防具に守られていないその瞳に、無慈悲に引金を二度引いた。
「『――ッ!』」
舌打ちが重なった。逸早く立ち直った『ニンジャ』が動いたため、銃弾は鉢金を打った。衝撃に脳が揺さぶられ、細身なれど長身の体が吹き飛んだが、致命傷までは与えられなかった。
ともあれ、相手が転倒したなら、チャンスには違いない。今度は拳銃をただ投げ捨て、それだけでなく空間圧縮コンテナも捨て、再び手元に舞い戻ってきた銃剣を両手で逆手に構えた。
刃に勢いと体重を乗せれば、たとえ防弾繊維越しでも貫通できる。そう判断すると馬乗りになるために、十路は足に力を込めた。
「堤さん! ダメです!」
樹里の悲鳴を聞いたと同時に、その足に、首筋に、二の腕に、複数個所にわずかな痛みを覚えた。
「――ぐ!?」
針でつつかれた程度の刺激であったが、体は即座に異常を訴えた。血液は心臓から末端に至り、静脈を通って心臓に戻るまで、一分程度しかかからない。しかも複数個所から送り込まれたのだから。
神経が麻痺を始めたと同時に走る悪寒に、毒を注入をされたとわかった。
手段がわからず混乱しかけたが、十路は構わずに駆けた。
この感覚は神経毒だ。ジャングルで毒蛇に咬まれた時、砂漠で蠍に刺された時、青酸ガスを吸った時、注射銃で筋弛緩剤を撃ち込まれた時、過去の経験が既知としている。量が充分ならば運動麻痺が進行、嘔吐、知覚麻痺、言語障害、呼吸困難、血圧降下――そして死に至る。
ならば動けなくなる前に『ニンジャ』を殺す。その後のことは、《治癒術士》に任せるという考えは浮かばなかった。ただ目の前の脅威を排除しなければならないという考えしかなかった。
「うぶ!?」
しかし叶わなかった。茶色の壁が目前に出現したために。
それは視界を埋め尽くす、数百匹の蛾が作る奔流だった。銃剣を突き立てようと顔の前に構えていたため、腕で目はかばえたが、体を叩かれるだけに留まらず、半開きだった口にまで飛び込んできた。
『ニンジャ』を倒すどころではない。足を止めざるをえなかった。一秒後、奔流が去るまで、蛾を吐き出すこともできなかった。
(なんだこれ……!)
サバイバル経験豊富で、昆虫食も平気でやる十路だが、さすがに小さな電子回路と融合した蛾を生きたまま飲み込む勇気はない。
そもそも感覚が鈍っていても伝われる舌の違和感に、本能的な危険を抱いた。
地面に吐き出し、唾液で飛べなくなりバタついているのは、チャドクガだった毒蛾ともなれば、普通は幼虫時に毒針毛を持つ。成虫となってもアレルギー反応を起こす物質を分泌する種も存在する。とはいえ、その毒性は決して強いものではない。よほどの不運が重ならない限り、死に至るようなことはない。
なのに十路の体は、一気に異変した。既に体内に注入された毒物が悪化させているにしても、急激すぎる。
もう『ニンジャ』を仕留めるどころではないので、先ほど痛みを感じた箇所に手をやると、肩に止まっていたスズメバチが払い落とされた。その胴体には、やはり電子機器が融合している。
もしかすれば、自然に存在するものよりも、強力な毒を分泌する虫なではないか。『蟲毒』と呼ばれる謎の多い殺し屋は、オカルティックな通称とは裏腹に、最新遺伝子工学と生物化学を操る者なのではないか。
視界が歪み、平衡感覚が失われ、立っていられなくなった十路は、思い至った。
「無様だね」
気圧差にさらされた時のように、くぐもって聞こえる新たな女の声が、耳に届いた。
うずくまることも、四つんばいで耐えることもできず、地面に横倒れになった十路は、億劫な首を動かした。
身を起こす『ニンジャ』の背後から、作業着を着た女が近寄るところだった。
顔の造詣は、先ほど見た写真と同じ。しかし狐を思わせる切れ長の瞳は、スポーツグラスと一体化した小型頭部装着ディスプレイで隠されている。また市販品とは全く異なる、ミニパソコンと周辺機器を改造したと思えるものを、左腕に装着している。




