000_0210 始まりは有無を言わさずⅡ ~Green Ride「INU」~
落下ダメージを与えるヒップドロップではなく、横方向のヒップアタックという技は、どちらかというと『腰をぶつける』と説明したほうが正確だろう。
「~~~~っっ!!」
その方向で尻を上げてぶつけると、路上で悶絶する女子学生のように、尾てい骨を強打して当人がダメージを受けるかもしれないので。
「お、おま……!」
十路は鼻から溢れる血をボタボタ垂らしながら、声にならない声で非難しようとした。もちろん鼻血は女子学生のスカートに顔を突っ込んで、パンツに包まれた尻の感触に興奮したからではない。オートバイから投げ出された人体を顔面で受け止めたせいだ。いくら細身の少女とはいえ、人間の体重をぶつけられて、無傷で済むはずはない。
「ご、ごめ、んなさい……! 大丈夫、ですか……?」
「大丈夫に見えるか……?」
少女は息を詰まらせながら安否を確認してくるが、十路は憮然とした鼻声を返した。大きな怪我をしていれば話は変わるが、見たところその様子はない。ならば少女の無事を喜べる心の広さは、十路にはない。タイルに胡坐をかいて、軽くうつむいて鼻を指でつまんで、出血が収まるのを待つ。
尻を押さえながら立ち上がった少女は、へっぴり腰で遠ざかる。謝罪もなしに立ち去るのかと思いきや、彼女は路上駐車している大型オートバイに歩み寄った。
そこでようやく気づいた。
(……? あのバイク、なんでコケてないんだ?)
走っている最中に少女が投げ出されたのだから、滑りながら横転していないとならないのに、大型オートバイはロータリーの片隅に行儀よく停車していた。
少女は不自然さを気にした様子もなく、ヘルメットを脱ぎながら近寄り、後輪右横のアタッチメントに引っ掛けていたケースと手に取る。
外装が金属のブリーフケースだった。可愛らしく肉球ステッカーが貼られているとはいえ、ビジネスマンが持つような無骨さなので、女子学生の持ち物としては変だった。
「ホントはこういうこと、しちゃいけないんですけど……」
戻りながらケースは、少女の手の中で駆動音を発して割れた。青白い光が漏れると、機械の腕が支える、どう考えても入るはずのない二メートルほどの棒が出現した。『備品番号 XX-04-003 NEWS』と書かれてたシールが貼られている。
(空間制御コンテナ……!?)
思いも寄らなかったアタッシェケースの正体に気づき、十路は顔が引きつった。
《魔法》により空間と積載物の質量を制御することで、車載コンテナほどの容量を片手で提げられるサイズに圧縮している。収納と取り出しの際には環境が変化するため、生体コンピュータの演算能力が必要だが、ただ状態を保管するだけならば搭載された装置のみでの行える、機能が特化された《魔法使いの杖》。
少女が持つものは外装は異なるが、十路が持っている黒いケースと同じ機能を備えていた。当然ながら、その辺りに歩いている女子学生が持てる品物ではない。本体価格でも億を超え、莫大な電力を消費する運用費用は、家庭で払える額ではない。
しかも取り出された棒は、もっと問題だった。鈍い金属光沢を放っているのだが、少女は片手で軽々と扱っている。下に向けている石突は、補強された上で丸まっているが、上に向けた先端には、デタラメにつけたような平たい金属部品が装着されている。様相としては毛のないモップか、山芋掘り専用のシャベルか。
ただし平たい部品は、電子機器のコネクタを思わせる端子が覗いており、宝玉にも思える全方位型レーザー出力端子まで備えている。
(《魔法使いの杖》……!? 《魔法使い》だ……!? こんな場所に……!?)
少女の持ち物らしく、小さなヌイグルミが握りの部分で揺れているが、兵器になりうる電子装備だと推測できる。
ならばそれを持つ少女が、《魔法使い》であることも当然。
少女の正体は、皆目見当がつかない。内戦の際に日本に利益がある勢力に肩入れしたり、犯罪組織を壊滅したりしているので、誰かに恨みを買われていても不思議はない。だが陸上幕僚監部や中央情報隊が集めた情報の中に、少女のような《魔法使い》兵士のことは、記載されていた記憶がない。
この距離ならば、空間制御コンテナから装備を出すよりも、ブーツに隠しているセラミックナイフを使ったほうが早い。立ち上がらずに片膝を突き、ナイフを抜く同時に襲いかかることができるよう、警戒しながら低い声を投げかけた。
「お前、どこの所属だ?」
「ふぇ?」
少女は不思議そうに、ミディアムボブを揺らして小首を傾げた。目の前にいる野良犬が、喉笛を食い千切ろうとしていることに、気づいてもいない無警戒ぶりで。
あまりにも素人すぎる態度だった。これが暗殺者が身につけた演技だとしたら、拍手喝采しながら自分が殺されるだろうと、十路が眉をひそめるほどに。彼が知る《魔法使い》とは、国家に所属し、戦闘技術を修得した兵士ばかりだったのに。
困惑して動かない十路に、首の角度を戻した少女は、左の無手を伸ばしてくる。
「やー……ホントはダメなんですけどね……」
もう一度繰り返したのは、彼女自身への言い訳だからだろう。
細い指が十路の鼻に触れると、わずかな熱を持った。自分の顔で行われていることだから詳しく見えはしないが、《魔法》使用時に発生する《マナ》の励起光であることはわかる。
「はい。これで大丈夫です」
始まりも唐突だったが、終わりも唐突だった。少女の指が離れると、光も消えた。
なにが変わったのか、十路自身には自覚がなかった。しばらくしてから、鼻を流れる液体の感触がなくなったことに気づいた。
出血が止まっている。
「《治癒術士》……?」
「わ。詳しいですね」
《魔法》を医療技術に使う《魔法使い》の総称だが、人口に対する医療従事者の割合を考えれば、相当に珍しい存在だ。
原子単位の物質操作は、《魔法使い》ならば誰でも行えると言っていい。しかし人体になると、こうはならない。ミクロレベルで考えれば、生物の体も物質であるのに、人は無意識に別のものだと考えてしまう。
《魔法》は知識と経験を糧に生み出されるもの。人生経験から生体コンピュータが術式を自動生成する。
だからこんな、どこかにいそうな一〇代の少女が、身につけている技術ではないため、不審に思った。
とりあえず殺害せずとも害はなさそうだ。少女は《魔法》の発動体である長杖を持っているため、完全に気を抜くことはできないが、ひとまず危険ではないと十路は判断する。吹っ飛ばされた時に転がったペットボトルを拾い、手にあけた水で口周りの血を洗い流し、差し出されたハンカチを受け取って拭いながら立ち上がり。
「……お前、何者だ?」
「や、あの、私が怪我させちゃったので、不機嫌になられても仕方ないと思いますけど……初対面で『お前』はどうかと……」
十路のセリフに少女は不服そうだった。彼の不特定二人称は『お前』がデフォルトだからなのだが、呼ばれて気分いいものではないだろう。
「お前、《魔法使い》だろ? どうしてこんな場所にいて、空間制御コンテナに《杖》入れて持ち歩いて、平然と《魔法》使ってる?」
しかし十路は改めない。不信感が態度の軟化を許させなかった。
「……《魔法使い》って、普通は国家機関に所属するものですけど、神戸市には民間の《魔法使い》がいるんです。普通の人と一緒に生活して問題ないか、どんな影響があるかを調べる、社会実験チームって名目ですけど」
『お前』呼ばわりを少女も諦めたのか、やや落胆した様子ながら、説明した。十路が《魔法使い》だとは思っていない内容だったが。
(民間の《魔法使い》……?)
十路には胡散臭ささしか感じなかったが、不意に思い出した。駐屯地内でなにかの拍子で耳にした記憶があった。
学校で《魔法》を使う、学生《魔法使い》たちの部活動。
「あれ、マジで存在したのか……」
「ふぇ?」
軍事兵器の《魔法使い》からすれば、与太話にしか思わなかったので、聞き流して忘れていたが。
だとすれば納得だと、改めて十路は少女の姿を改めた。
服装はどうみても学校の制服だ。バイクに乗るためか、ミニスカートの股下を挟んで、キュロットパンツのようにしていたのか、洗濯バサミがぶらさがっていたのは例外として。
(羽須美さん……?)
落ち着いて少女の顔を見て、反射的にある人物を連想してしまった。
(いや、全然違う……)
黒目がちのドングリ眼が見返してくる、あどけなさの残る顔は、上に見積もっても高校生を脱していない。そこそこ可愛いと評することもできるのだが、生死の狭間を何度も潜り抜けた十路からすると、危機感のない顔だった。
もちろん『彼女』の顔とも違う。ミディアムボブを伸ばし続けて、一〇年もすればもっと近づくかもしれないが、今の雰囲気のまま成長しても、かけ離れる予感がする。
(別に自分が《魔法使い》ってことにこだわってないが……こんなのと一緒くたにされたくない……)
戦場に放り込まれたら、まず間違いなく真っ先に死ぬだろう。どういう経緯なのかはわからないが、彼女からは硝煙や暴力の臭いが全く感じない。軍事経験者とは思えない。
ただ、研究職に就いている《魔法使い》もいるので、皆無ではないのだが、少女はそういった人種とも違う気がする。
少女について考えていると、頭痛がしてきそうな予感がしたため、十路は視線を移すことにした。
やや離れた路肩に停車している、白い大型オートバイに。
「あれ、《使い魔》だろ? なんで放り出されてんだ?」
「わ。それもご存知なんですか?」
《魔法》フリーク程度にしか思われていないのか。これだけ詳しければ察しろよと、自身の空気解読能力を棚に上げて十路は無言で非難するが、少女が気づくはずもない。
二輪車形状の《使い魔》は、市街地での隠匿性を重視した、《魔法使い》の軍事用戦闘車両だ。あっさり認めることで、関係者以外の人間に明かしていい情報ではないというのに。
「実は、今日配備されたばかりで、私も乗ったのが初めてなんですよ。《使い魔》に乗ること自体は初めてじゃないですけど、勝手が全然違って」
子犬の笑顔で明かす少女に、十路は本格的に頭痛を感じ始めた。
(コイツ、ダメだ……)
決定的に危機感が足りていない。
極力考えないために、十路は白いオートバイに近づくことにした。
サーキットレースに出場するようなスーパースポーツタイプの大型車を、軽量化したような形状だ。車両としては凶暴な印象のデザインになり、実際足回りが強固で出力が高いのに車体は軽いという、スピード性能においては高い攻撃能力を発揮する。
車種ジャンルの通称はストリートファイター。もともとはヨーロッパで懐の余裕のない若者たちが、スポーツバイクを改造したのが始まりと言われている。舗装された道はもちろん、オンロードバイクでは不向きな悪路でも走る踏破性を持つ。
後輪両サイドに、積載量の少なさを補うための追加収納ケースを載せるアタッチメントがあるのが、この手の車種には珍しいだろう。
本当に配備されたばかりのようで、風雨にも砂塵にも一度もさらされたことのない輝きを持っている。
十路はフロントに埋め込まれたインストルメンタル・ディスプレイに手を伸ばし、特定の操作をする。すると擬装のため、アナログな計器類を表示していたタッチパネルが切り替わり、システムメニューが示された。
"Bargest" Unify & Communication System Software Ver.20XX-0001-"S"
システムそのものの名前が、片隅に記されていた。
(車体名が黒妖犬なのに、ペイントが白って……)
ミスマッチを強引に無視し、続けて指を動かして機体状態を引っ張り出して、今度こそ困惑で手が止まった。
「おい……まさか、テストモードのままなのか?」
「あ、はい」
これが少女が振り落とされた原因かと、十路は顔をしかめた。
システムが覚醒していない。オートバイとして乗る分には一応問題ないが、《魔法使い》の装備としては使うことができない状態だった。
「とっとと使用者登録しろよ。でないと、盗難でもされたら大変なことになるぞ」
あと必要なのは、使用者の生体情報同一性チェックだけ。
システムは既に使用者専用に設計され、搭載されているだろう。DNAを提出してスイッチを入れて簡易的な《魔法》が起動すれば、自動的に指紋・掌紋・静脈・骨格・脳波を照合して、本格起動するはずだ。そうなれば使用者と、許可した者しか触れることができなくなる。
「やー。私の《使い魔》じゃないですから、そう言われても……」
「……?」
少女の言葉に『お前が主じゃないなら、なんで乗ってる?』と思ったものの、彼女が所属しているのは『部活動』だ。他に主役になる『部員』がいると推測し、気にしないことにした。
代わりに画面をスワイプし、数々の設定項目を引き出した。
「セミ・マニュアルで動かせないからって、中途半端にセミ・オート設定するなよ……」
「あぅ……すみません。設定周りはいじったことがないので……」
設定されている自動化レベルはⅠ。バランサーや自動ブレーキなどの、一部の安全運転支援システムは働いているが、通常の技術で開発された、現行で市販されている最新四輪自動車と大差ない。タイヤ空気圧やサスペンション駆動などまで操作する、自動二輪型ロボット・ビークルの特性は緊急時以外に発揮されていなかった。
普通、機械の設定に半手動なんて言葉は存在しない。あったとしても半自動との違いに悩むだろう。自動二輪車型《使い魔》にしか存在しない運転モードなのだから。
要は機械主体か人間主体かの違いだ。セミ・オートはギアチェンジやクラッチ操作を排したAT車の運転方法そのままであるのに対し、セミ・マニュアルは生きた馬に乗っているイメージが一番近い。搭載された人工知能の判断で動くため、要所要所で人間が操作すれば済む、《使い魔》に乗る時には一番楽で一般的な操作モードだ。たまに予期しない動きをするので、注意が必要だが。
「こんな時は、いっそフル・マニュアルにしたほうが動かしやすい。《使い魔》乗りなら、問題ないだろ? まさかオートマ限定でしか動けないなんて、甘っちょろいこと言わんだろうな?」
「や、まぁ……動かしたことがありますけど、それ、もう普通のバイクと同じですよね……?」
「だから?」
少女がなにを言いたいのか、よくわからない。わからない以上は無視する。
相互理解などという言葉はどこかに置き去り、十路は自動化レベルをワンタッチでゼロにした。
それで終わりだ。
そもそも《使い魔》を他人に触らせていること自体、十路は常識を疑いたくなる。セキュリティが働いていないので、どんな細工をされるか、警戒して当然だろうと。任務で《使い魔》を使う時、整備担当者がキチンと仕事をしても、十路は絶対に自分の目で確かめていたほどなのに。
今回は、彼が勝手に触れていたのだから、それはまぁいいとした。
しかし、少女が大人しく待っていたのは、なんなのか。
振り向くと、特になにか反応するわけでもなく、頭ひとつ分高さが違う十路を見上げていた。なんとなく足元でお座りし、じっと顔を見上げてくる子犬を連想する姿だ。
「終わりだ」
「はい。ありがとうございます」
これ以上、用事はない。
遠まわしに宣言しても、感謝が出てきただけで、なにも変わらない。少女は動かず、十路の顔を見上げていた。『見とれてる』とか『睨んでる』でもなく、ただ眺めている。
「……まだなにか、俺に用があるのか?」
だから仕方なく、直接問うことにした。
ヒップアタックで吹っ飛ばされた件は、彼自身がうやむやにしてしまった気がするし、《魔法》で治療されたからまぁいい。だったらもう用事はないはず。
その上、この《魔法使い》だというのに、危機感皆無の少女と関わるとトラブルになると、本能が警告していた。
だから十路としては離れたい。具体的に嫌な予感までしてしまっていた。待ち合わせ中だから、彼の側からこの場を逃げることはできなかったが。
「やー……私、急遽、初対面の人をお迎えに来たんですけど」
少女が弛緩した笑みを浮かべると、とがった犬歯がわずかに覗いて見えた。こういうところも犬っぽいなどと、ボンヤリ十路が考えていたら。
爆弾発言を投げ込んでくれた。
「もしかして、陸自の非公式特殊隊員《騎士》って人――」
薄々予想していた嫌な事実が的中した。だから十路は最後まで言わさずに少女の口を塞いだ。いや顔の下半分を片手でガッシリ掴んだ。
「むぐーーーー!?」
「お・ま・え・は・なぁ……!? 非公式って言葉の意味、わかってんのかぁ……!?」
これこそ十路からすれば、正気を疑いたくなった。いつどんな手段で誰が聞いているのかわからない状況で、平気で表沙汰にできない情報を暴露するのだから。
「んー! んー!」
顔を掴んでいる腕がパシパシ叩かれた。それもかなり必死に。リミットラインを超えた苛立ちが握力となって、過度に締め上げていたらしい。
もう少しこの能天気娘に《魔法使い》の現実を思い知らさせるため、主に巻き添えを食らわないために、物理的に締め上げたかった。だが初対面の少女だ。いや付き合いがあれば多分年下の少女を締めしてもいいという理屈はないが。
とにかく、仕方ないので解放した。
「じゃぁ、やっぱり、あなたが堤十路さんですか?」
「顔写真も見てないのかよ?」
「やー……三〇分くらい前、つばめ先生が『忘れてた』とか急に言い出して、なぜか私が新品の《使い魔》に乗ることになって……」
とりあえず少女の弁から、その『つばめ先生』とやらが、ロクでもない人間でないことは確信した。
ついでにまだ知らぬ今回の任務が、ロクでもない内容であることも。
「で、お前は誰だ?」
「あの、さっきも言いましたけど、『お前』はやめてください……」
ため息混じりに少女は、防衛省の桐紋と警察庁の旭日章、雪の結晶を図案化した消防章が記された、生徒手帳と一体化した不可解な身分証明書を見せつけた。
そのロクでもない任務に、そしてその後も深く関わる人物の、十路が抱いた正直な第一印象は――
平和ボケした子犬。
「修交館学院高等部一年生、民間緊急即応部隊『総合生活支援部』部員、木次樹里です」




