000_0000 ドン・キホーテ
ドン・キホーテ。
ディスカウントストアのことじゃないからな?
正確には『奇想あふるる郷士 ラ・マンチャの騎士キホーテ卿』。スペインの作家セルバンテスの小説。
日本でどれくらい読んだ連中がいるか知らないけど、聖書の次に発行部数の多い世界的ベストセラーなんだから、全然知らないってことはないだろう。
『いい歳したニートのおっさんが、厨二病を発症する話』って説明したら、大抵は変な顔するだろうけど。
いやそうだろ? 主人公は貴族でも、働きもせずに小説ばっかり読みふけってるわけだし。騎士道物語に入れ込んで、自分も世直しの旅に出ようなんて考えて実行するなんて、相当な有言実行オタクだろ? 何歳になっても夢や希望を失わない姿勢は、歓迎されるものかもしれないけど。
世界的ベストセラーって言葉に踊らされるなよ? 結構イっちゃってるおっさんだぞ? 翻訳や編集で印象変わるだろうけど、現代じゃ普通に犯罪になることを平気でやってるからな?
なんでこんな話を出すかというと、だ。
どうやら俺の意思とは裏腹に、生体コンピュータは、俺をこの、ドン・キホーテだと認識しているらしいから。
物理現象を超科学的に操作する術式は、《空想的理想主義者の十戒》なんていう、ふざけた拡張子がつけられている。
いま思えばの話だが、あの頃の俺は、腐ってたんだろう。
『校外実習』であちこちの任務に行かされて、大人の都合でやりたくもない穢れ仕事をやらされてて。
義妹のことがあるから、なんて自分で誤魔化して。
……それに、あの人もいなかったから。
限界だったんだろう。
だから、知らず知らずのうちに、望んでしまっていたのかもしれない。
狙撃や自動車爆弾の心配なんてせず、町を出歩けるようになりたい。
偽造の身分証明書なんてものを使わずに、普通に諸々の手続きができるように。
防衛学みたいな内部にしか存在しない特殊な座学じゃくて、ごく普通の教育を。
基礎体力向上、射撃、格闘……そんなのじゃない、ごく普通の体育を。
いきなり『校外実習』に行って、誰かを殺さなくて済む、ごく普通の学生生活を。
そんなものに、憧れていたのかもしれない。
無理なのは最初からわかっていた。
俺は《魔法使い》。常人の不可能を可能にし、既存の全てを上回る、史上最強の生体万能戦略兵器。
しかもその力で、何人もの人を殺してきた。
もちろんほとんどは、誰かや俺を殺そうとしてきた連中だ。だけど、俺のせいで、誰かが悲しむことになったのは、間違いない。
ふざけた《騎士》サマだと、自分でも思う。
そもそもそう呼ばれるようになったのも、《女帝》殺しが原因だ。
本当に、ふざけた通称だ。
叶わない願いを叶えようと旅に出た、妄想癖の『騎士』。
ある意味ではピッタリなのかもしれない。
俺の生活は、あの日を境に一変した。
ワケのわからない任務で神戸に来させられて。
民間主導の超法規的準軍事的組織なんて意味不明なものと関わって。
素人くさい女子高生の《治癒術士》に出会って。
やたら人間くさい《使い魔》に乗ることになって。
あれが痩せ馬と妄想の貴婦人?
だったら現実主義の従者は?
俺が空想的理想主義者など勘弁してほしい。
物語のラストシーンを知ってるか?
自分の屋敷に戻り、熱病に冒されたドン・キホーテは正気に戻り、家族や知り合いに見守られて、大往生するんだ。
俺がそんな幸せな最期を向かえられるはずないだろ?
それでも、もしも誰かは、俺がドン・キホーテだと言い張るのなら。
頼むから。お願いだから。
俺をもっと狂わせてくれ。
△▼△▼△▼△▼
『やぁやぁ、どう? 元気してる?』
スピーカーから聞こえてきた、若い女性の明るい声に、彼女は言葉と共にため息を吐いた。
「あのね、今更だけど……変な仕事、持ち込まないで」
『ホントいまさらだね』
女性は周囲を見渡す。
彼女は携帯通信機器の普及で昨今珍しくなった、公衆電話で話していた。それも電話ボックスなどではない。国際電話と看板が掲げられた、日本には存在しない簡易電話所だった。
そこから見える範囲の町並みも、日本人が見知ったものではない。これが高層ビルが立ち並ぶ都市部ならば、見分けがつかないだろうが、郊外に出て中途半端に田舎に行くと、特色が色濃く見て取れる。
「どうして借りた装備を富士駐屯地に返しにいったら、インドに飛ぶ羽目になってるのかしら?」
三輪タクシーが土煙を上げて走り去るのを見届け、ついでに外に停めている青いスポーツバイクに子供が群がっているのにもため息をついて、彼女は愚痴をこぼす。文句ではない。もう言っても仕方ないと諦めているので、ただ愚痴りたいだけだ。ちゃんとした情報を得たいのもあるが。
『インド旅行、ハマるでしょ?』
「ややややや。私は一度で懲りたクチだから」
日本人が海外旅行先にインドを選ぶと、二度と行きたくない人・何度でも行きたくなる人と、両極端になるらしい。他の国以上に価値観がことごとく覆されるのを、新鮮と取るか面倒と取るかで変わるとか。
『真面目に理由を話そうにも、ちょっと事情が複雑なんだよね。だから遥かなるガンジスの流れに身をゆだねてカレー食べて、自分探しってことで納得してくれない?』
「話さなければ、あなたが嫌がる呼び方で呼ぶわよ」
『ゴメンナサイ』
叛意は早かった。よほどの弱みを握られているのか。
『理由は大きく分けてふたつ。ひとつは多分察してると思うけど、人探し』
「どっち方面の人探しか、まではわからないんだけど。あなたか、私か、それとも『敵』か」
『どれも微妙にハズレ。強いて言うならジュリちゃん』
「……? 『私』じゃなくて、樹里ちゃん?」
『うん』
当人同士にしか理解できない、具体性を省いた言葉の応酬に、小首を傾げる。普段は女性バーテンダーとして働き、飲酒しても法的になんら問題はない年齢だが、不思議と幼い仕草にあまり違和感がない。
『五月のこと、覚えてない? アレの残党がまだ残っててねぇ……』
「あー……」
『だけどこっちはオマケで、主目的はキミに神戸から離れてて欲しかったからなんだよ』
「や。どうしてよ?」
『これも複雑でねー……』
「ややややや。ハッキリ言ってよ」
電話の相手はまともに取り合う気はないのだと、女性は解釈してため息をつく。
側の電光掲示板にはタクシーの料金メーターのように、電話料金が表示されている。とんでもない額が表示されているわけではないが、無駄話に費やして、納得できる金額ではない。
『うーん。キミに、っていうか、キミを会わせたくないコがいるの』
しかしやや迷いながらも、電話向こうは割とハッキリ応えた。
『関連してアメリカにも横槍入れて、リヒトくんの帰国をしばらく遅らせてもらってるんだけどね……』
ここで夫の名前が出てきたことを不審がり、ストローでクミンウォーターを飲みながら、女性は理由を少し考えて。
思い至る。彼女も先日初めて直接言葉を交わした、妹の口から時折名前が出てくる、オートバイを駆る男子高校生のことを。
「会わせたくないのって、もしかして、あの《騎士》くん?」
『うん』
「や~……そういうことね」
その詳しい理由もまた、いくつも存在する。
電話越しでは詳しい説明を躊躇する理由も、女性には察することができた。
『カレ、色々と知っちゃったみたいだから、絶対にキミたちに会おうとする』
「しかもリヒトくんは、彼のこと知らないはずよね……」
『ジュリちゃんの近くに男の子がいるなんて知ったら、うるさいことになりそうじゃない? なにか問題起こるのわかってるから、せめてリヒトくんとキミ、両方に会えるようにして、いっぺんで終わらせたいの』
童顔をしかめているのがわかる電話越しの声に、女性も小さく何度も頷く。
アレはダメだ。他のことなら頼りになる夫だが、義妹に関しては本気でダメ出しをしなければならない。同じ建物に住んでいるというだけだが、同じ学校に通っているというだけだが、同じ部活動に所属しているというだけだが。
義妹に近しい距離にいる男子高校生の存在を知ったら、絶対に暴走する。
そして女性自身も、できれば会いたくない。
「私も、自分で殺した男の子に、どんな顔して会えばいいのか、わからないしね……」




