055_0030 【短編】これが彼女の処世術Ⅳ キース・B・エイリング(脳科学者/電子工学者・享年六二歳)
ただでさえ窓がなく、閉塞感のある四畳半ほどの部屋に置かれている家具は、簡素なパイプベッドと、事務用のデスクだけ。収納もダンボールの空き箱で済ませているので、殺風景に映ってしまう。
複数設置されたモニターと産業用高性能パソコンは、その部屋の中で浮いて見えてしまう。あるいは趣を変えてしまっている。
三台のうち二台は、通常手段での情報操作を行っているパソコンと、株の超高速取引で、ほぼ常時稼動している。
デスクの前についた少女は、常には使用していない残る一台の電源を入れ、ケーブルを引き出した。
(今日中に軍医療施設のメインフレームを、攻略したいでありますね……ヤツの脱走劇で、データが失われていなければいいのでありますが)
ジャージの下に着ている、《魔法使いの杖》という通称の電子機器にして兵器に接続する。
(《男爵》チームが開発した、遠隔起動のアルゴリズム……どこかに残っていないでありますかね?)
灰色の瞳に光る幾何学模様を浮かべて、脳に収まる世界最高のスーパーコンピュータとも接続する。
そして少女は、戦場に赴いた。
第五の戦場――コンピュータ・ネットワークに。
△▼△▼△▼△▼
ADXフローレンス刑務所には、スーパーマックスという異名が存在する。
北中アメリカ連合内最高を誇る、厳重な特殊警備が行われているからだが、考え方を変えると、別の意味にも思える。
収監されているのは、米国犯罪史に名を残すであろう、重犯罪者であること。
うち二割は前収容施設内で、囚人を殺していること。
最高クラスのエリアでは、他者と接する機会はなく、一日のほとんどを独房で凄さなければならないこと。
日光を浴びる機会すらなく、周辺の風景は入所する時にしか見れないこと。
所内での生活に、更正プログラムがほとんど存在ないこと。
終身刑の囚人を収容するだけの容器。受刑者が朽ちるのを待つ巨大な棺桶。
そう言っても過言ではない。
その中の、レンジ13と呼ばれるエリアに、No.735――暗号名では《墓場の男爵》と呼ばれた少年は収容されていた。
彼は大量殺戮を行ってまで、生まれ育った軍施設を脱走し、最新鋭戦闘艦を奪取し、日本国内でテロ行為を行った。
その時点で関係者からしてみれば大問題だが、少年が逮捕されてからも問題だった。
彼は遺伝子工学的に生み出され、人工子宮で育成された存在だから。
国籍も親も持たず、兵器として秘密裏に製造された人間のためめ、神戸で起こったあの戦闘で死んでくれていたほうが、後腐れなかっただろう。少なくとも真実を知り、後始末に奔走した者の中には、そう考えた者がいたに違いない。
結果として様々な者の思惑が入り混じり、紆余曲折の末に、少年はロッキー山脈のふもとに閉じ込められることになった。
身長も体重も成長著しい少年だが、肉体年齢は間違いなくまだ子供である彼が、そういった、しかも大人用の施設に入ることも一応問題視された。もうひとつの問題の前に、小さなものでしかなかったが。
最大の問題は、彼は常人の不可を可にする《魔法使い》であることだ。映画やアニメに出てくる超人的凶悪犯罪者を閉じ込めるような、特殊な独房が必要でないのかと誤解したのだ。
しかし《魔法使い》は、《魔法使いの杖》と呼ばれる電子装備がなければ、ただの人間と変わりない。刑務所に入る時以前に、少年が拘束された時点で回収されているのだから、杞憂だ。
いま少年は完全防音の独居房で、汚れた冷たい床に直に座り、体を丸めて親指を噛んでいた。
噛むたびに、記憶をどんどん遡る。起点はなぜ自分がこんな場所に閉じ込められているか、だったはずなのに、気づけば彼が覚えている最初の記憶まで戻り、そこから時系列に沿って考えていた。
(そうだ……ボクが負けたのは全部、あのジジイのせいだ……)
その男は、優秀だった。
しかし天才と呼ばれることはなく、決して短くはないが長くもない生涯を終えてしまった。
少年が覚えている彼は、常に自分が基準だった。彼ができること、知っていることは全て、他人も同様にでき、知っているものだと考えていた。他人が理解できないことが、当人に理解できないのだ。
ある意味では天才型の思考回路と呼べるだろう。人間誰しも自分を基準にして考えてしまう。そのズレは社会生活の中で修正し、世間一般での『常識』を身につける。
だが彼は、そんな当然のことも理解できないほど、社交性に難があった。まさに『ナントカと天才紙一重』を地で行く人物だった。
なによりも、上回る優秀さを見せつける存在が、側にいたことが一番の問題だった。半分ほどの年月しか生きていない若造が、彼の行く道を先に立って歩いていた。計画責任者はその青年であり、賞賛は全てその若き研究者が浴びていた。
研究者のプライドを刺激する若造を、彼は到底認めることなどできなかった。
二体の《ムーンチャイルド》試作実験体が生まれたために、チームが分割されたのが幸いか、青年に直接的な感情を向けることはなかった。
代わりにその意識は、彼が受け持つNo.735に向けられることになった。
青年が担当するNo.44チームよりも、上回る成果を出そうと。
制式採用され、《ムーンチャイルド》計画の最大目標である、量産化されるようにと。
彼にとってNo.735というモノは、研究対象と成果でしかなかった。他の研究員たちにも、生命を作るという禁忌に手を染めた罪悪感から逃れるため、そうした意識の傾向は見られたが、彼の場合は最初からだった。
思い出せば、地黒で皺が刻まれた顔を歪ませ、しゃがれ声で怒鳴る姿ばかりが脳裏に浮かぶ。
だが、目標が達成できた時には、菓子が与えられた。クラッカー、ミルクチョコ、チョコバー、スポンジケーキ。なんの特別でもない、アメリカ全土どこの店にも置いてあるような菓子が、少年にとっては初めて目にする特別で、努力目標にするには充分だった。
曲がりなりにも飴と鞭を使い分けられる人物だった。少年には不幸なことに。
一応の成果は上げていた。
高精度・高汎用性の《悪しき護符》。
広範囲・自律性制御型の《ヴードゥーの死》。
少年に適正があった《ゴーレム》を最大限活用する専用デバイスを開発し、燕尾服の形状にした汎用型ウェアラブルデバイス《祖先の叡智》で統括制御する。
人間が当たり前のようにこなせることでも、機械に置き換えると、とんでもない高性能の制御であることは、珍しくない。二足歩行であっても、ロボットで再現するのに相当な時間と開発費がかかっている。
指揮官の意思決定を支援して、作戦を計画・指揮・統制するための情報資料を提供し、決定された命令を部隊に伝達する。これもそういった複雑なものに分類される。兵士部隊そのものも《魔法》で作成するとなれば、その複雑さは跳ね上がる。
曲がりなりにもそれを再現せしめ、《ゴーレム》による不死の軍団を作成しえたのは、彼の功績と呼んでいいだろう。
彼の構築したシステムは、どんなに技術が進歩しても代替が難しい、歩兵戦力の代わりとなる、画期的なものだった。《魔法使い》という万能戦略兵器は、使いどころの難しい決戦兵器としてのイメージが強いが、通常戦力として用いることが可能な利便性は、地味に思えても巨大な意味が存在する。通常戦力で片が付くなら、決戦兵器の出番などないのだから。
少なくともNo.44には引けを取らないと判断される程度には、価値が見出された。
だから上層部は企画した。二人の《ムーンチャイルド》のどちらが優れた『兵器』であるか、優劣をつけようという演習を。
開発チームとしても一大事だった。具体的な通告なかったが、上層部の印象や予算が変わることは予想できるのだから。
そもそも同じ研究所内で、ほぼ同時期に、二人の《ムーンチャイルド》を開発すること自体が、想定されていなかったことなのだ。最悪、劣ると判断された研究は凍結・廃棄されることまで考えることができた。
同時に彼は、若き天才よりも、自分の才が上回っていることを示すチャンスだと思った。
躍起になり、少年をより優れた存在にしようとした。
教育という名目で暴力を振るわれることも、珍しくなくなった。
だから少年は、No.44という少女も憎んだ。
《ムーンチャイルド》がひとりだけだったら、彼女が存在しなかったなら、少年が苦しむことはなかった、と。
しかし同時に少年自身も、優劣を競うのはチャンスだと、無意識で考えていた。
だから演習直前、No.44が研究所を脱走したと聞いた時、反射的に憎悪が湧き上がった。
安堵ではない。これで優劣を競わずに済み、結果自分が負けていたらどうなっていたか、という不安が消えたのではなかった。
同じ研究所内とはいえ、《ムーンチャイルド》同士の交流は皆無だった。だがその日、少年が使っている端末に、本文のないメールが届いたから。
――You win.(お前の勝ち)
送り主はNo.735チームの関係者だったが、直感的に本当の送り主が理解できた。
そしてNo.44に、情けをかけられたのだと理解した。
後から考えれば、少年自身も不思議に思うのだから、会ったこともない少女のことを、心のどこかで認めていたのだろう。
どうしても避けられない争いでないから、回避した。敵う相手ではないと見定めたから回避したのではない、強者の余裕だと思ったのだから。
実際、少女は厳戒態勢の中、見事に脱走を果たした。少年が同じことをしようと思っても、無理だと判断した。
《魔法》でなんとかしようにも、管理する側は、《魔法使いの杖》を持つ《魔法使い》を警戒しないわけがない。幾多のセキュリティが存在する。
更に、最大の問題は、研究所の外だ。
《ムーンチャイルド》は外の世界を知らない。兵器として製造されて秘匿された人間を、容易に人前になど出せるわけがない。また管理する側も、なにも知らなければなにも望まず、万一の際にも行動を推測しやすい。
風切り羽根を切られた篭の鳥。人に育てら、獲物の狩り方を知らない、檻の中の猛獣。
《ムーンチャイルド》はそういう存在だ。外の世界では度を越した世間を知らずで、ましてや子供の形で社会を生きられるはずはない。
だが何日経っても、No.44が鹵獲された様子はなかった。GPSも搭載している《魔法使いの杖》も持ち出しているので、当初はすぐに終息すると思われた騒ぎだが、いつまで経っても少女は研究所に戻らなかった。もちろん少年に全ての情報が与えられるはずはないが、死体が回収された様子すらも伝わってこなかった。
No.44は、外の世界でも生きていられる野性を持っていた。
それに少年は嫉妬し、憎悪した。自分が同じ真似をしようと思っても、できないのは想像できたから。同じ《ムーンチャイルド》でも、少女のほうが優れていると、納得できてしまえたから。
それだけ。
少年の生活には、なにも変化が起きなかった。演習がなくなり、それきり同様の話がなくなったのが、唯一の変化と呼べることか。
心の奥底には、熾火のような燻りを残したまま。
(今度は……『フィクサー』は……助けてくれないの?)
しばらく経って、ある男から秘密裏の連絡が届くまでは。
彼の指示どおりに動いたあの日、燻っていた熱は炎上し、真っ先に老人を殺害した。
あとは簡単だった。《魔法使いの杖》に仕掛けられたセキュリティは、なんの意味も持たなかった。ロケット弾も防ぐ隔壁は、簡単に穴が開けることができた。警備兵たちが放つ銃弾も、塵と化せばなんの役にも立たなかった。
目に付く端から研究員たちを殺し、初めて外の世界に出て。
そして少女への憎悪も再燃した。
情報も菓子も新たな戦う術も艦も与えてくれた男がいたから、という事実を忘れて。いや少女には、初源の《魔法使い》がいたのだから、という言い訳をして。
だが日本で、彼は敗北した。
(ボクはやっぱり――)
その結果、少年はここにいる。
「…………フ」
だが、少年は暗い笑みを浮かべる。
少女に勝てないまでも、いまだ負けたとは思っていないから。
△▼△▼△▼△▼
ハッキングのイメージには、ハッカーがすごい勢いでキーボードを叩いているものがあるだろう。飾り気のない黒い画面に文字を打ち込んでソースコードを作り、常人にはわからないなにかを行っていると。
しかし実際のハッキングは、おおよそ静かなものだ。ディスプレイに表示されるコードを眺め、プログラムの働きを想定し、脆弱性を見つけることに時間を費やすのだから。
なのに少女のハッキングは、さながらゲームだった。内容の意味でも、侵攻速度においても。
《V.mcqp》――仮想現実パターン認識型共感覚再現術式の効果で。
共感覚とは、一部の人しか持ち得ない、特殊な知覚現象をいう。
ある人物は、特定の文字に色がついて見えるという。
ある人物は比喩ではなく、本当に『黄色い声』が『見える』という。
ある人物は、味を『形状』として感じるという。
五感のうち、ひとつの感覚への刺激なのに、複数の知覚が刺激される、稀有な感覚現象だ。
少女の術式は、それを擬似的に、ただしもっと高度に再現している。
彼女の脳はソースコードを映像として認識し、脆弱性をシューティング標的に置き換える。パターン化できるものなら大きなものに、はっきりしないものは小さなものに。
それを撃つ。即応性が必要ならば機関銃を連射し、強固ならば対物ライフルで強引に穴を空け、大量にあるなら散弾銃や擲弾発射器の出番だ。小さな標的は慎重を期して狙撃銃で。仮想現実の映像では武器として認識しているが、実際には対応するハッキングツールを起動する。
完全にファースト・パーソン・シューティングゲームの要領で、凄腕ハッカーでも時間がかかるセキリュティ突破を、わずか数秒で行ってしまう。
(……ここでありますか)
脳で視ている仮想の戦場に、ロックのかかった扉が現れた。手に入れた弾丸を叩き込むと、あっけなく扉は開く。
サーバーが存在する現実の場所は、表沙汰にならない虐殺事件から復興途中という情報を得ていた。これまで医療研究施設なので、貴重で危険なウィルス・細菌の保管に、最低限は動いていたのだが、施設の大半は稼動していなかった。それがようやく、ハッキングを仕掛けることができるほど、復旧した。
しかもまだ本格稼動しているわけではないから、少女の電子戦に呈して、人的な対抗はできない。まだ施設にいた頃にもなかった、今後二度とないかもしれないチャンスだった。
扉が開いた先には、様々な小部屋が存在している。施設内でのローカルネットワークだ。
部屋の扉に記された名札からすると、施設で働いていた者の個人フォルダだった。少女は一瞥し、仮想の廊下を進んでいく。
そして目的の部屋を見つけた。
ロックのかかっていない扉を開くと、一応の部屋が存在している。隣の扉との距離を考えれば、ありえない広さだが、あくまで仮想的に再現されている映像だから関係ない。
内部には家具はひとつ。引き出しの詰まった棚があるだけだ。
部屋の持ち主は几帳面な人物だったのだろう。個人フォルダに乱雑にデータを積み込んでいると、物置小屋のような状態になる。
ただ、あまり親切ではないらしい。引き出しは番号やなにかの略語が記されているだけで、自分にさえわかればいいという状態だ。
少女はひとまず、近場の引き出しをひとつ開いてみようと、手をかけた。
「……ん?」
重い。
現実ではなく、仮想再現された感覚だから、開ける前から引き出しの重さはわかる。なのに開こうとした手触りが違う。
しばらく動きを止めた少女は、ツールを起動させて、ファイバースコープを隙間に突っ込んで覗き見する。
すると効果がわかりやすい、時限爆弾が存在していた。
(論理爆弾……?)
条件が満たされると自動的に動作する、コンピュータを論理的に破壊する悪意あるプログラムだ。
ただのコンピュータウィルスとは根本的に異なる。機能障害を起こすウィルスでも、その機能を起動させるには、コンピュータが正常に動いていないとならない。だから感染後でも、ワクチンなどの対策手段が存在しうる。
しかし論理爆弾は、プログラムそのものが稼動しなくなるほど徹底的にシステムを破壊するため、起動前に駆除する以外に対策手段がない。ハッキングの証拠を残さない手段としては便利だが、同時にかなり悪質だ。
目的のためならば、少女は非合法なハッキングも躊躇せずに行う。しかし支援部の情報担当をしていると、否応なく悪質なハッカーや興味本位のハッカーとも戦うため、どちらかというと気質は善良なハッカーに近い。
なので少女にとっては、論理爆弾は使用を忌避する手段だ。
(まさか、フォルダを開いただけで起動……?)
外部からの感染も考えたが、これは自爆用に設置されたもの。パスワードを間違ったら、なんて起動条件ではない。仕掛けた当人がうっかり操作ミスしただけで、多大な影響を出しかねない危険な設定ではないかと推測する。
他の引き出しにファイバースコープを突っ込むと、やはり時限爆弾が存在する。
次も、次も、その次も、やはり論理爆弾が仕掛けられている。結局爆弾が仕掛けられていない引き出しは、ひとつだけしか存在しなかった。
(この部屋の主、相当の偏屈でありますね……)
フォルダー丸ごとコピーされた時や、実際に施設に潜入するスニーカーハッキングには、原始的ながら有効な情報秘匿手段だろう。片っ端から調べようとしたら、端末を巻き込んでデータが消滅するのだから。
仕掛けた相手の悪意が垣間見える。
唯一の安全な引き出しを開くと、また引き出しが。今度は鍵が仕掛けられている。
試行回数制限も、自動変化もない、単純なものだ。使用者が毎回パスワード入力をする程度の、ケタ数の少ないロックだと推測する。
人間による常時監視システムもないため、少女は短機関銃の形をした総当り攻撃ツールを取り出し、力技による解錠を試みた。
やがて、ロックが解除された。日常的に使用していたものだから、設定されていた文字数が少なかったため、大して時間はかからなかった。
紙ファイルとして認識するフォルダの名前を見て、少女は無表情をほんのわずか笑みの形に歪める。
「Hello. Our uncle――Dr.eiling.(こんにちは、我々の生みの親、ドクター・エイリング」




