055_0010 【短編】これが彼女の処世術Ⅱ 武井百獣王(小学生・一一歳)
肝心の内容を語る前に、その少年と、その少女について、少し触れないとならない。
武井百獣王は、新年度の教室や病院で、一度も名前を正しく呼ばれたことがない。音訓関係ない当て字を見れば、名づけ親以外は『当たり前だろ』と答えるであろうが。
唯一無二を目指したであろう名づけ親の目論見とは裏腹に、周囲はその名前を論う。幼少の頃はまだしも、小学校五年生にもなれば、自分の名前がいわゆるキラキラネームであると知ってしまう。
だから百獣王は、ひねくれた少年に育ってしまった。
ただ厄介なことに、単純にひねくれただけではない。家では成績優秀で素直な良い子を振る舞う、子供なりの処世術を身に着けてしまっていた。
学校でも扱いに困る少年だった。成績はむしろ良好で、リーダーシップも発揮しているのであるが、教師の間でたびたび名前が挙がる問題児未満でもある。『未満』なのは、問題が起こった時に彼は表立っていないので、怪しいと思いながらも流すしかないといった具合だからだ。
彼は子供ながらに、表立つことなく人を意のままに動かす狡猾さを身につけてしまっていた。
悪いことに彼の家は裕福で、多忙な両親は子供を構えない罪悪感を、物を買い与え、小学生では多額の小遣いを与えることで、誤魔化していた。駄菓子や小額なおもちゃ、マンガくらいならば、誰かに奢ることができるくらいに。
だからクラスの男子は、いわば体のいい僕になっていた。
正義感の強い女子は、次第に横暴さを発揮する彼を批難する者もいたが、同調する周囲の男子によって意気消沈し、いつしか口を閉ざすようになった。
当人にその意図があったか不明だが、勉強で時間が拘束されなければ実に居心地のいい場所に、クラスを作り変えていった。
しかし彼にとっての異物は、五年一組内にまだ存在していた。
それが野衣崎雫という少女だった。
赤毛のボサボサ頭で、いつもエビ茶色のダサいジャージを着た、小汚いと言えてしまえる身なり。似合っていない額縁眼鏡の奥には、なにを考えているのか予測できない、眠そうな眼差し。
見た目だけでも異物感満載だが、決定的なのは、彼女は《魔法使い》という話だった。
ただでさえ休みがちで、登校しても誰も話しかけないし誰にも話しかけない。好奇心いっぱいの子供でも、近づく者などいない。いや《魔法使い》ということで、年度始めには数名いたのだが、授業中以外ではまず開かない口を動かして毒舌を発揮し、遠ざける結果となった。というか瞳を光らせて虚空を見つめていれば、誰も近づかない。《魔法》の無線を使って脳内でインターネットデイトレードをしているとは理解できずとも、普通にコワい。担任教師もなんとか周囲に溶け込まそうと腐心していたようだが、半ば諦めてしまっている。
視界に入れば奇妙な存在感を発揮しているが、自己主張は全くしない。友達がいないことを気にもせず、マイペースな学校生活を送っている。
だから当初は百獣王が気にする存在ではなかった。
しかし最近、彼女は変わった。
髪型が変わった。枯れ草の固まりのようだったボサボサ頭が、ピクシィヘアに短く整えられた。視界を侵食していたモッサリ髪が嵩を減らし、額縁眼鏡を外すと、目元にソバカスが残る、周囲が思っていたよりも愛らしい顔が作られた。
服装が変わった。色あせたジャージから、初等部推奨の学生服を着て登校するようになった。指定のベレー帽ではなく、ネコミミちっくなフェルト帽を被っているが、ずいぶんと小学生らしくなった。
評価が変わった。常人には理解のつかない方法を用いた、《魔法使い》による無差別攻撃から、市民を守るために《魔法使い》として戦い、町を守った。
元々成績は、優秀だった百獣王を上回っている。怠惰な風情にそんな雰囲気は欠片も感じないが、実は運動能力そのものは評価が高い。
小学生の時分に人気者になれる条件を、意外と持っている少女なのだ。人間性はあまり変化がなく、《魔法使い》という存在そのものへの畏怖も根深いため、掌を返したように騒がれることはないが、水面下では意外と好評価を集めるようになり始めた。
それが百獣王にとっては、面白くない。
だからといって排除しようとしても、少女が全く気にかけていないところが、彼にとって更に面白くない。
なにせ今まで孤立していたのだから、クラス全員示し合わせて無視や一挙一動を嘲笑したところで、堪えるはずがない。
机の中に虫の死骸を入れても、悲鳴のひとつも上げずに、素手で掴んでゴミ箱へ捨てる。
示し合わせてドッジボールで速球をぶつけようとしたら、ぬぼーとした無表情のまま片手で受け止める。
側を通り過ぎる際、引っ掛けようと足を出すと、見ているかのようにかわす。
油性ペンで彼女の机にラクガキしたはずなのに、登校した少女が天板をひと撫でしただけで、消えてしまう。
少女は普通にいじめられていたが、当人が全く気にかけていなかった。
しかし直接ぶつかる、決定的なことが起こった。
目撃者がいない時分だった上に、その当事者たちの話が荒唐無稽じみていたが、総合すると以下のようなことが起こったらしい。
次の授業が音楽である、休憩時間。
ノソノソと教室移動の準備をしていた少女の帽子を、取り巻きである男子児童たちが奪ったとのことだった。
「……返すであります」
特に慌てるでもなく、少女は顔を上げて、いつもの眠そうな無表情で呟いた。
しかし少年たちが素直に返すはずもない。
しかし少女が帽子を奪い返そうと動く気配もない。
普通ならば、少年たちが帽子を投げ渡し、少女がそれを懸命に追いかけ、やがて泣き出すような場面だろう。しかし少女が動かないことで、誰もが反応に迷った。
「また、お前の指示でありますか」
単に眠たげな半開きではなく、意図して細められた、光る瞳を向けられた百獣王は、そう感じたらしい。
少女の逆鱗に触れてしまったと。
ただし、それ以上は理解はできなかった。
「もう一度だけ、警告するであります」
少女がワンピースのポケットから手袋を出した理由も。
そのグローブに妙な装甲がついている理由も。
手にはめると妙に金属質な接続音が響いた理由も。
少女の全身からメキメキと、なにかを引き絞るような音がした理由も。
「帽子を、返せ」
少年たちに構わず、少女は近くの壁を殴った。
外の光景が見えているのだから、当然現象は理解している。しかし正確になにが起こったかは、頭脳が認識を拒絶した。
小学生の少女が、コンクリートの壁を殴って、人の頭ほどの穴を空けたなどという現実は。
「……返却は、拒絶するでありますか」
少年たちは驚愕で固まっていることを、少女は全く考慮しない。
再びメキメキと全身から音を立てて、少年たちに近づく。
小さな体から放たれる覇気。先ほど証明された超人的戦闘能力。
「化け物……!」
野良猫の風情を漂わせる少女は、史上最強の生体万能戦略兵器であることを理解し、百獣の王と名づけらた少年は恐慌に陥った。




