050_1240 必要は無知なる人々をも走らせるⅤ~宇宙女子~
そして呼応する別の作戦は、神戸から離れた場所で準備を終え、次のフェイズに移行するところだった。愛知県小牧市郊外、ロケットエンジンの実験も行う人里離れた広大な敷地の片隅で。
「水、食料、酸素、燃料……あと『イカロス』もよし、と」
国際宇宙ステーションを利用する今作戦に必要な『土産』は、本来ならば部品を鹿児島県種子島宇宙センターに搬入されて、そこで組み立てられる。しかし今回は複数社で製造された部品を、ある重工業企業の航空宇宙システム製作所で、夜通しの突貫作業で組み立てられた。
宇宙ステーション補給機『こうのとり』。国際宇宙ステーションで使う実験装置や、宇宙飛行士の生活物資輸送を担う、日本製の無人宇宙補給船だ。
姿勢制御スラスターを持ちながらも、言い切ってしまえばただの容器でしかないため、ロケットに搭載して打ち上げなければならないが、『こうのとり』はポツンと地面に鎮座している。奇妙なのはそれだけでなく、カプセル上部にフックがかけられ、黒いワイヤーが伸びている。長さはとんでもないらしく、規則的な蛇腹状に敷き詰められて、周囲の地面を埋め尽くしている。そして最後尾には『こうのとり』に負けない大きさの、ガラクタを寄せ集めたような物体に繋がれている。
「ジュリィィ……本当に行くのかァ……?」
その近くで、刺青と鼻口ピアスのファンキーな男が、どこかにいそうな普通の女子高生に涙目ですがりつく姿は、見るに耐えないものがある。いや見るだけならまだマシか。突貫作業に疲れているだけかもしれないが、実際に作業員たちは、白けた目で遠巻きに眺めているだけだ。
「義兄さん……離してくれない?」
すがりつかれる木次樹里は、柔らかい声がドス黒く低くなり、人懐こい顔が引きつるほど苛立った。
夜中からずっとだった。そのまま静岡へ向かう姉――ゲイブルズ木次悠亜のバイクを降りて、義兄――リヒト・ゲイブルズに合流すると、人目を憚らず抱きつかれた。自分が一緒だと『こうのとり』の組み立てや、頼んでいた《魔法使いの杖》拡張部品完成が遅れると判断して、成年の義兄に無理矢理近くのホテルに部屋を取らせて、寝ることにした。
そして朝、再合流したら病気も再発した。
「宇宙だぞ宇宙! わかってンのかァ!? 日向は暑ィぞ!? 日陰は寒ィぞ!? 息できねェンだぞ!? 普通は宇宙服なければ死ぬンだかンなァ!? 宇宙服あっても正気じゃねェンだぞ!? そんな場所にジュリを送りこむだなんて、オレは、オレはァァァァ……」
「あの、早くしてくれない?」
心配されるのは家族愛の証と理解している。しかし過ぎるとうざったい。おおよそ思春期と同時期に訪れるだろう反抗期だからではなく、樹里にとっては度を越しているから。いや彼女でなくても、鼻水まで垂らして泣く大の男に抱きつかれたら、大抵は誰でもそう思うだろうか。
もう我慢しなくて構わないだろうか。作業してもらわないとならないから、ずっと耐えていたが、過保護・過干渉を炸裂させるこの義兄を気絶させても問題ないだろうか。人前だから《雷撃》は使えないが、接触状態の今なら《雷陣》を実行してもバレやしない。引きつけかなにかと思われるだろう。
そんな普段は考えもしない過激思想が、樹里の中でうにょんうにょんと渦巻いていく。未知の領域に足を踏み入れる不安など、とうの昔に吹っ飛んでいた。
「ここでグズグズしてるほうが、私にとっても危なくなるんだから」
「うぅ……」
宥めるようにも、拒絶のようにも聞こえる言葉を放つと、ようやく納得したか、リヒトが渋々と手を離す。
しかし対義兄対策は、これだけでは駄目なのだ。普段ならまだしも、今のような時には。
「ん、んっ」
どこか愛らしく咳払いし、演技派の支援部女子部員三人を連想してスイッチを切り替えて、樹里は満面の笑みで作った声音を出す。二面性王女と元スパイよりも、元俳優兼本当の義妹キャラ分多めで。
「義兄さんっ。私のことを心配してくれる義兄さんも、嫌いじゃないよ? でもね? ここで快ーく送り出してくる、キリッとした義兄さんが、私は大好きかなっ」
「よっしゃァァァァッッ!! 任せろォォォォッッ!! あとは仕上げだけだァァァァッッ!!」
急に意気込み始めたレザージャンパーの背中を見送り、演技派でなさそうな支援部女子部員残る一人のように、樹里は学校でも他の場所でも見せない顔で嘆息する。
「めんどくさいなぁ……」
相手限定で男を転がし、樹里はいつもの学生服の上から、特殊ケースに入れたボンベを背負う。《魔法》が使えるなら、二酸化炭素を酸素にすることはできるが、空気のない場所で酸素を作ることはできない。だから出発前から背負った。
続けて銀色の外衣を身にまとう。断熱シートにアルミを蒸着したスペースブランケットを、フードつきのマントに加工したものだ。宇宙服のように機密は保てないが、直射日光や宇宙線を凌げれば充分だった。
そして赤いパニアケースから長杖を取り出す。遠巻きにしていた作業所の従業員が、サイズの合わない物体を出現させる、『魔法使い』らしい光景に小さくどよめいた。
開けた途端に《マナ》が拡散してしまうため、空間制御コンテナは今回は使えない。必要な物は『こうのとり』に納められているため、手持ちの装備以外は義兄に預ける。
とても宇宙旅行とは思えない軽装だが、部活時に身に着ける腕章を腕に通せば、樹里当人の準備は完了してしまった。
そして待つと呼べるほどの時間もたたず、リヒトの用意もできてしまう。ケースに入れて持ち歩いていれば、シンセサイザーと思うかもしれない。しかし外に出したそれは、分厚い金属の板にしか見えない。
「Zillah also gave birth to Tubal-Cain, the forger of every cutting instrument of brass and iron.(またチラ、トバルカインを生り。彼は銅と鐡の諸の刃物を鍛ふ者なり)」
聖書の一説を唱えてセキュリティを開放し、地面に突き立てるように置くと、変形する。隙間が生まれ、圧縮空間が開放され、やはり見た目の容量と合わない質量が噴出する。そのほとんどは工具を備えた数々のロボットアームで、レトロフューチャーな趣を感じる操作卓となった。
リヒトが使う作業用《魔法使いの杖》――《トバルカイン》。『創世記』に記された、アダムより七代目の子孫。ゴルゴダの丘で救世主を処刑した槍を鍛えたとされる、鍛冶の祖。世界初の《魔法使い》にして、初源の《付与術士》が持つにふさわしい名が与えらている。
リヒトがケーブルと繋がったグローブを装着すると、要所に《魔法》の輝きが宿り、本格駆動する。手を動かしているが、大量の機械腕とは関係ない。やはり内部に収められていた部品を引き出し、同時並列で複数個所の接合を行う駆動は、とても二本の腕と一〇本の指で作れるものではない。前もって部品が作成されていたため、小規模の《魔法》で溶接や表面処理を行い、すぐさま完成形ができあがる。
「《Insubordinate tail》 complate.(《反抗的な尻尾》完成)」
今は重力を制御されて宙に浮く、両手で抱えなければらならないほどの物体は、なんとも表現しがたい物体だった。先端部は板状発信部を放射状に束ねるリング部分には、先端が鈍った拳ほどの棘が、列を成して連なっている。
『尻尾』と呼ばれる風情は、欠片も見受けられない。
「ジュリ!」
リヒトの呼びかけに応じ、近づいた樹里は、長杖を真っ直ぐ突き出す。コネクタに接続し、リングが絞られて固定されると、物体の奇妙さが凶悪さに変貌した。
「《NEWS》――"Holy water sprinkler" mode...OK.(《新式拡張型武器システム》ホーリーウォータースプリンクラー・モード、問題なし)」
人間に振り下ろす鈍器に『聖水を振りまく』とは、どんな悪い冗談かと思う、聖職者に愛用された戦棍の別称だ。物理的にも機能的にも長い柄に接続された今は、同様かそれ以上の愚鈍な破壊力を見せつけている。
「重っ……!」
《魔法》による固定が解除され、拡張装備の重量が細腕に一気にかかった。見た目は鈍器でも実体は電子機器であるため、樹里は慎重に地面に降ろす。
「集積した《マナ》はもう装填されてる。搭載デバイスは一周一二発かけるの三列。これだけあれば大丈夫だと思う。使い方は直接アタマに送るぞ?」
「……うん。ありがと、義兄さん」
拡張部品の制作を頼んだ際、具体的な完成予想図はなかったが、それでも戦棍形状などとは思っていなかった。しかし脳内に送られてきたデータを参照して、必要な機能は充分以上に満たしていること確認する。
「順序いいナ? 計算どおりのタイミングでやれば、無事国際宇宙ステーションとドッキングできる。ひとつひとつの手順を確実にナ?」
「わかった」
「上空に問題ねェ! 射線オッケー! 行くゼ!」
シリアスモードの義兄に余計なことは言わない。ただ素直に言葉を受け取ると、リヒトは砲身のような《魔法回路》を発生させる。『こうのとり』本体ではなく、ワイヤーが繋がれた先の、金属の塊に対してだ。
「Go!」
そしてカウントダウンもなく、電磁加速で段階的に、わずか東向きに発射された。応じて結びつけられ、周囲に並べられているワイヤーが、危険な風切り音を立てて空へと上っていく。
スカイフックと呼ばれるテザー推進が考案されている。ロケットを使わずに宇宙と行き来するための、軌道エレベーターのようなものだ。
《魔法》の強引な出力があれば、衛星軌道に物を運ぶこと自体はわけない。しかし国際宇宙ステーションに『こうのとり』を安全に届けないとならない今回は、工夫が必要であるため、この自転型スカイフックを応用する。
ワイヤーで錘と接続し、長大な捕獲武器のように回転させてベクトルを変えさせ、タイミングを見て切り離す。通常ならば数日間かけて軌道修正を行うが、今回は樹里が無理矢理修正し、国際宇宙ステーションとランデブーを行う予定だ。
「じゃぁ、行ってきます」
上空と、残り少なくなるワイヤーを確かめていたリヒトが、まっすぐ緑色の瞳を向けてくる。
「無事に帰ってこい」
「うん!」
彼女自身不思議なほど躊躇なく、樹里は《魔法》を実行する。なんとか長戦棍の先端を真っ直ぐ天に構えて、ローファーの足元を宙を浮かせる。
「《疾雷》実行!」
そして電磁加速で天に昇る。
歯を食いしばって暴風に耐え、《魔法》を連続で実行する。一気に加速すれば体が耐えられないから、段階を踏む。少しでも長戦棍をぶれさせれば姿勢を崩して失速するため、姿勢を変えることはできない。
空気を切り裂き、空の青がどんどん深味と黒味を増していく。ひたすら加速に耐えていると、不自然に静かに、無風状態になった。音速を突破した証だった。
これ以上の上昇は、生命維持を行わないと、気絶して血液が沸騰する。だから全身に《魔法回路》を張り巡らせて、新たに《魔法》を実行する。
わざとずれている軌道で、ワイヤーに引かれた『こうのとり』が追い抜いていく。もし合流できないと、折角用意した物資が星空の藻屑と消えてしまう。
樹里は更なる加速を行い、人類史上初めて、生身で対流圏を飛び出した。
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あっという間に小さくなった義妹を見送り、リヒトは展開していた《魔法使いの杖》を折りたたむ。
「さァて……最後の保険、かけとかねェとな。ギリギリかァ?」
気合を入れるようにひとりごこち、それをケースに入れて担ぐ。
彼がこれから向かうのは、中部国際空港。




