050_0510 不本意な誕生日・日常Ⅱ~おそろしい捕食動物~
約一時間後、樹里は総合生活支援部の部室にいた。
「あぅ~……」
十路と野依崎が乗って出たので、《バーゲスト》はない。正真正銘の一人で、自分で淹れたミルクティーを飲み、陰鬱な息を吐く。
野依崎の誕生日を祝うための相談をするために、十路に言われた通り、他の部員たちにメールで連絡し、部室に集合することになった。
樹里の本音としては、メール連絡だけで済ませたかった。異能を知られて以来、彼女たちとの関係はギクシャクとしている。
その原因は、彼女たちにあるのではない。
(私自身が『化け物』だって思っちゃってるからなぁ……)
カップを左手にしたまま、広げた右手に意識を集中する。すると少女らしい手の平一面に《魔法回路》が発生し、変形する。サソリを思わせる甲殻と毒爪を持つ手に。また光を帯び、今度は半魚人を思わせる鱗と水かきを持つ手に。そしてまた光らせて、肉球と毛皮を持つ猫の手にしてみる。
「はぁ……」
少女の手に戻し、ため息をつく。
《魔法使いの杖》なしでも《魔法》が使えるのも立派に異能だが、それだけではない。こんな肉体変異まで行えるのは、完全に化け物の領域だ。
しかも樹里自身、この異能がなんなのか理解していない。更には完全に制御下に置いておらず、極度に興奮・恐慌すると、十路は『キレる』と表現する暴走状態を起こす。
だから、これまでのように彼女たちと接することに、引け目を感じてしまうので、できる限り直に接したくない。
なのに部室に集合し、直接顔を合わせて話すことになった。メールだと話が長くて面倒だという理由で。それも事実だろうが、多分彼女たちにも気を遣わせている結果なのだろうと、樹里にも予想できる。
(しかもこのところ、堤先輩に甘えっぱなしだし……)
彼が気を遣っているのは、樹里にも伝わる。なぜかセクハラめいている気の遣い方が正しいかはさておいて、クッション役・話の橋渡し役になってくれているので、なんとか他の部員と接し、部活に勤しめているのに。
なのに今、十路は野依崎と一緒に不在している。
そもそも樹里に、他の部員との相談を指示したのは彼だ。きっといい機会だと思ったからではないだろうか。
なんとも表現しがたい距離を、拒絶する壁でも敵意の鉄条網でもない、その気になれば飛び越えられるはずの溝を、このままにして置くのは良いことではないのはわかっている。
けれども溝はそれなりに幅があり、尖った杭が埋め込まれてるかもしれず、飛び越えるのは躊躇してしまう。
もっともそれは時間の問題になってしまっているので、彼女の意思に関わらず、その時が来てしまうのだが。
「はぁぁぁぁ……」
樹里は改めて重い息を吐き、ミルクティーを口に含んだ時。
「じゅーりちゃーん!」
背にしている入り口から、やや舌足らずな堤南十星の声が聞こえてしまった。
仕方ないといった態度で、樹里はティーカップを口につけたままノロノロと振り返り。
「パーティー食材ゲットだぜー!」
「ぷふっ――!?」
やって来た南十星を見て、ミルクティーを噴きかけた。みっともない水鉄砲は、乙女の根性で耐えたが。
学生服姿で腰にトンファーを提げ、更にそこにアタッシェケースの取っ手を引っかけた南十星は、ミニサイズのイノシシ二頭の足を掴み、両手で誇らしげに掲げていた。
「けほ……! なにそのイノシシの子供は……!?」
「そこでウロウロしてたから捕まえた。いやー、運命だね!」
「まさか、本当に食べる気?」
「もち!」
「かわいそうだからやめよーよ!?」
「じゅりちゃん。それよくない」
カップを置いて立ち上がり、近づいた樹里に対し、南十星は笑顔を消し、珍しく真面目一辺倒の顔に作り変えた。
「普段食べてるウシさん・ブタさん・トリさん、殺して肉になってんだよ? ギョーシャが殺したのは気にせず食べて、自分で殺して食べるのはカワイソウなんて、ちょっとツゴーよすぎない?」
「や、それ言われちゃうと、言い返せないけど……」
理屈は正しい。それは樹里とてわかる。しかし魚ですら昨今怪しいのに、鳥獣を自分でシメて捌ける現代日本人がどれほどいるだろうか。そもそも、なぜここで食育を受けねばならないのか。
南十星の手元に視線をやれば、逆さ吊りのウリ坊たちと目が合った。目が合ってしまった。
散々体をくねらせて束縛から逃れようとしていたが、今は疲れたのか動きを止めて哀れな鳴き声を漏らし、円らな瞳を潤ませていた。
通称どおり瓜のような小さな体は、茶色い柔らかそうな毛皮で覆われている。サイズ的にもヌイグルミじみていて、見ているだけでモフりたい欲求にかられる。大人のイノシシは凶暴な厄介者のイメージがあるが、子供であればギャップは凄まじく、世の女子たちの嬌声をかっさらう愛らしさ満載だった。
これを食すらしい。
(…………無理)
偽善なのはわかっている。成長して農作物に被害を出すようになれば、いずれ駆除されてしまうだろう。一時的で無責任な感情で命の取捨選択をするなど、農家の方々からすれば迷惑なエゴだ。
だが、可愛いは正義だった。どうやって南十星を止めればいいか、その方法を考えるためだけに、樹里の頭は動き出す。
「捌き方、知らないんだけど……」
「だいじょーぶだって。内臓出して毛ぇ剥がして丸焼きにするだけだし。こんくらいのチビならカッターナイフとバーナーがあれば充分――」
これでは止めらない。次はなんと言うべきか。しかし樹里が遠回りな制止の言葉をかける前に、なにか物々しい音が聞こえてきたので、会話が停止する。
遠くから爆進してきたそれは、土煙を立てて接近し、部室の前で急停止した。
「大人のイノシシまで来た!?」
「やっぱ昨日と同じヤツらか。あれ、このチビどもの親」
南十星が与えた電撃で、横面が焦げたままなので、区別はつくだろう。なにか灰色の物体を口に咥えた、威圧感を与える筋肉と毛皮の塊が、鼻息荒く南十星と子イノシシを見据える。
樹里は知らなかった。昨日もイノシシ親子が部室前にいたことを。
彼女はその時、自分のパンツを握り締め、衝動のままに飛び出していたから。
「どう考えても子供取り返しに来たよね!?」
「兄貴いないし、いても断るだろうし、どうやってサバこっかなぁ」
「やっぱり食べる気マンマン!?」
「とりあえず、コイツらお願い」
樹里のツッコミを無視し、南十星は子イノシシを押し付けて、親イノシシの前に立つ。
思わず受け取って、樹里はどうしてものかと泡を食う。まずは彼女の捕食行為を止めるべきか。あるいは子供を逃がすべきか。
だが動くより前に、親イノシシが決死の行動を取った。
「およ?」
猪突猛進・猪武者とは、大抵は短慮を示す悪口だが、実際イノシシの知能は馬鹿にできない。だから農作物の獣害被害が起こるのだし、教えれば芸も覚えるため、下手な犬よりも賢い。
だから、きっと昨日で懲りたのだろう。親イノシシは咥えて持ってきたものを地面に置き、南十星に腹を見せて転がった。
「ナニゴト?」
「無条件降伏するから、アレと交換で子供返してってことじゃ……?」
内臓の詰まった腹部は、動物の弱点だ。それを曝け出すということは、多くの動物に共通する降参ポーズに他ならない。縄張りやメスの取り合いで争う時、敗北を認めてこうすれば、勝者はそれ以上の攻撃はしない。
だが親イノシシの懇願に、南十星は胸を張り、腕を組み、仁王立ち、キッパリ明言する。
「断る!」
「お母さん泣いてるよ!? イノシシなのに泣きながら頼んでるよ!?」
「あたしはガラクタより、肉を選ぶ!」
大自然は過酷なのだ。サバンナで草食動物が腹を見せて転がっていたら、喜々としてトドメを刺されて、美味しく頂かれてしまうだろう。捕食はルール無用弱肉強食の争いなのだ。昨日遭遇した南十星から親子三頭そろって逃れることができたのは、彼女を止める十路が存在した偶然の結果でしかない。
そして今、彼女の捕食活動を止める存在は、残念なことに少々能力に欠いている。
しかもイノシシたちには最悪なことに、やや遅れて捕食者が追加されてしまった。
「今日のパーティ、野性動物料理を作りますの?」
本日のファッションは、ロング丈のシンプルなノースリーブワンピース。起動状態の装飾杖を地面に突き、コゼット・ドゥ=シャロンジェが真顔で問う。
「いやー、これは料理のし甲斐ありそうですねー」
本日もいつも通り学生服の上にピンクのカーディガン。起動状態の携帯通信機器を右手に打ちつけながら、ナージャ・クニッペルが笑顔を浮かべる。
「フランス料理だと、イノシシの大人は肉が硬いとか臭いって、子供しか調理しねーはずですけど」
「おおよそ保存と流通がイマイチだった、昔の事情ですよ。ほら、山に放牧されてドングリ食べてる毛深い豚と考えれば」
「……イベリコ豚」
「ね? 美味しそうじゃないですかー」
「やめてくださーーーーいっ!?」
部室にやって来てイノシシを見下ろす二人も、発想が南十星と同じだった。樹里が絶望するほどに。
「そもそもなんでイノシシが目の前にいて冷静なんですか!?」
それにコゼットは真顔で答える。
「言いませんでしたっけ? わたくし、留学前は身内に何度も殺されかけたって。珍しく公宮殿から出れたと思えば、『王侯貴族の嗜み』なんつって狩猟に連れて行かれ、何度誤射されかけたり、興奮した猟犬に噛まれかけたり、イノシシの前に突き飛ばされたことか。そん時と比べりゃ」
それにナージャは笑顔で答える。
「ロシアじゃ家の近くでイノシシなんて出れば、みんなで寄って集って流し台投げつけて車で轢いて、晩ゴハンにしちゃいますから。あと、ヒグマもよく出ますし。わたしも訓練で退治したことありますし。それを思えば」
ちょっと違う人たちだった。経験とか常識とか国民性とか価値観が。
「どなたか解体できます?」
「血抜きさえなんとかしてもらえれば。大きいですから、毛皮はがすのに時間かかりそうですけど」
「おーし! 食おうぜぃ!」
三人の会話を理解できずとも、本能で感じ取っているのか。腹を見せるイノシシは、完全に萎縮して動かなくなっている。漫画的表現をすれば、全身から冷や汗をダラダラ流している。
動けば死ぬと思っているに違いない。ライオンと豹と虎、食物連鎖の頂点に立つ猛獣に取り囲まれたかのように。
「お願いです……! お願いですから、食べないであげてください……!」
救いの手を伸ばすのは、樹里だけだった。
「えー? じゅりちゃんまでホーリツイハン言う?」
「違反してるならやめてよー!?」
不服そうな南十星に、それなら遠慮はいらないと、樹里は両手に抱いていた子イノシシを地面に放す。
二頭の子供は脇目も振らず、取り囲む捕食者たちの隙間を抜けて、親イノシシの体に鼻を埋める。わずか身を起こした親は涙をこぼし、我が子たちに顔をすり寄せる。
感動的な再会だった。生死の狭間を潜り抜けた親子三頭は、今ここに合流した。実際の距離は五メートル、引き離された時間は数分でも、当人ならぬ当イノシシたちにとっては、それくらいの危機を感じただろう。
「あらら。イノシシ捕って食べるの、日本じゃダメなんですか」
「法律違反なら仕方ねーですわね」
その光景に毒気を抜かれたわけではないだろうが、ナージャもコゼットも本能をしぼませる。
やがて親イノシシは立ち上がり、子イノシシを引き連れ、捕食者トライアングルの隙間を抜けて、一目散に山へと帰って行く。
「二度と学校に来ちゃダメだよー!!」
親子三頭の姿が見えなくなるまで、樹里は全力で手を振って。
「部長さん。ナトセさん。きっと木次さんのあれが、わたしたちがどこかで失ってしまった、女子力というものです」
「アホくさ。ンなこと言ってて《魔法使い》やってられるかっつーの」
「女子力ってイミフメーだから、とりあえず見た目ミスボラシくなくて、メシ作れりゃいいかと思ってる。『メシ』って言い方がもうダメらしいけど」
外見だけなら女子力満載。しかし少なくとも今は守ってあげたくなるオーラは皆無。女子力よりも女子力 (物理)な肉食系女子たちの会話は、背中で受け止め聞こえなかったことにする。
「でも女子力うんぬん以前に、イザって時に一番ヨーシャないの、じゅりちゃんだと思う」
「はぅ……!?」
南十星に言われても振り向かない。
「ミニスカートでバイクに乗るなんぞ、女子力ある女のやる事じゃねーと思いますけど」
「はぅ!?」
コゼットに痛いところを突かれても振り向かない。
「木次さんはもう少し、人の目を気にした方がいいと思いますけどねー……男の人的にはパンチラ嬉しいかもしれませんが、昨日なんてノーパ――」
「わーわーわー!? ってゆーかあれはナージャ先輩のせいですよね!?」
しかしナージャの評価は無視できなかった。
(なぁんだ……)
そして内心、樹里はほっとする。
十路がいなくても、以前と同じようなやり取りを、彼女たちと行うことができた。
決意が必要なことは、終わってみればなんでもないかもしれないが、やはり踏み込むには勇気が必要だった。
なし崩しに始まってしまったが、恐れていたのが馬鹿馬鹿しく思えるほど、彼女たちと以前と変わらないやり取りが行えた。
元通りとは言えないだろうし、思ってはいけない。彼女たちが樹里に気を置き、気など遣っていないというポーズを取ってるからだ。今は無言の感謝だけをし、樹里自身もその流れに乗ることにする。
「そんで、フォーちんの誕生日のこと、話し合うんだっけ」
「急に居なくなったと思えば急に帰ってきて、また急にお祝いって話が出てきましたね~」
「いつ帰ってきてもフシギないとは思ったけど、誕生日はヨソーガイだったなぁ」
「あーそうそう。十路くんから情報の催促来たので、テキトーなお店いくつかピックアップして、メールしときましたけど」
「兄貴任せもどうかと思うし、あたしたちもプレゼント用意するなら、とっとと決めないとね」
「困りましたねー。フォーさんの好みなんてわからないですから、なに用意したもんでしょうか」
イノシシへの未練を見せることなく、南十星とナージャは話しながら、半屋内の部室に入る。
しかしコゼットだけは、日向の部室前から動かない。
「これ、なんですの?」
「さっきのイノシシが咥えて持ってきたんですけど……」
彼女は地面に置かれた物体を見ていた。
今は土で汚れているが、灰色に塗られた金属製と思える、模型飛行機のような。
「確かこれ……あの時」
樹里は知らない。現状部室にいる面子では、コゼットが辛うじて認識した程度でしかない。
それは以前、十路の危機を助けた物体だった。




