045_0070 【短編】灯に暈ける祭の追憶・捌 剣機変神
ビルの隙間を縫って飛び、公園外周に生える木を傷つけることなく落下した自動車は、フロント部をへしゃげさせて転がり、長さが四分の三ほどになって腹を見せた。
オートバイに跨ったまま公園に乗り入れた十路は、それを呆れ気味に眺め、無線に語りかける。
「おい……先走って車投げ飛ばしてきたの誰だ?」
『ゴメン。あたし』
すると南十星が応じた。
『なんかさぁ、路上駐車の取締りしてた婦警さん方が、駐禁取られた運転手どもに絡まれてたからさぁ。手っ取り早くてイッセキニチョーかと思って』
「まず、よく車を投げ飛ばせたなと訊いておこう。なとせの《魔法》でできることじゃないと思うんだが?」
『触ったもの限定だから飛べやしないけど、あたしも重力制御使えんの。新しい術式が作られない代わりに、《躯砲》がちょこちょこバージョンアップするから、重い物でも持ち上げられるようになったのさ』
「そういうのはちゃんと報告しろよな。そして次。レッカー移動する車を壊していいなんて理屈はないんだが、どうやって弁償するつもりだ?」
『そりゃーぶちょーが《魔法》で直すの期待してるに決まってんじゃん』
『コルァッ!? 余計な面倒増やすんじゃねーですわよ!?』
状況を伝えた途端、とんでもない援護をしてきた説教は、割り込んできたコゼットに任せる。
浴衣姿で白刃を手にするオルグを一瞥し、十路はやはり黒刃を手にする、肌脱ぎした浴衣姿のナージャに問う。
「どうする? 割り込んだ方がいいのか?」
詳しい事情はわからない。だが、先日袂を分ったはずの師弟が戦っているのは、単純な《魔法使い》の事情によるものとは思えない。だから大きく飛びのいて車を避けたナージャに、確認を取る。
「お気持ちはありがたいですけど、ちょっとだけ邪魔しないでもらえませんか?」
「了解」
視線すら向けず、援護を邪魔とまで言うなら仕方ないと、十路はディスプレイを見て――イクセスと顔を見合わせ、軽く肩を竦めて《バーゲスト》から降り、ヘルメットを脱ぐ。
十路は戦士であっても剣士ではない。敵を倒し戦いに生き残る技術を持ち、強さの誇示に使わない信念は持っているが、生涯かけて探求する武の奥義にはほど遠い。
けれども理解は示すことはできる。ナージャにとって、師を持つ剣士にとって、これは必要な儀式なのだろう。
それに今の彼女なら、負けると思えない。勝負は時の運で、根拠を作るのは危険だが、止めなくても大丈夫と信じて戦いを見守る。
余計な横槍で睨み合いは、仕切り直された。二人は地面を均すように足袋で足元を確かめ、改めて足を置き腰を定める。
そして二人は、先ほどとは構えを変えた。
オルグは肩を突き出すように半身になり、左肘を引き、刀身を顔横に置き、白刃の切っ先を突きつける。
威圧を与える構えのため、侍を絵で描く時によく選ばれるが、本来この構えは両手で構える、古式剣術のものだ。
当世具足を身につけ、兜と袖と小手で上体を守りながらの刺突――霞の構え。
ナージャは《魔法》の黒刃を消滅させ、先を右手で握り、腰に構えた。
左利きの彼女が取る、逆の居合腰。
「《白の剣》か」
「いいえ。先ほど言った通り、《黒の剣》だけです」
「では鞘もなく、居合で挑むか」
人なれば、触れれば必殺に導く、彼女の切り札。
その使用は否定したが、それ以上はオルグの問いには答えない。代わりに。
「御刀、砕かせて頂きます」
ナージャは勝利宣言を漏らす。
花火の爆音は余韻すらも消え失せて、嵐の前触れに似た静寂が支配している。
同時に垂れ流されていた形なき闘気は、睨み合う二人に集まり収束されていく。
遠くで小さな破裂が起きた。また新たな花火が夜空に上り行く。
そしてオルグが肉弾と化した。
突進し、理想的な動作で突き出される打刀の切っ先は、白い喉元へと苛烈に迫る。
そしてナージャが動いた。
最小限度の動きで、携帯通信機器の底部で、切っ先を受け止める。
彼女は這わせた人差し指でタップすると、角度も位置も正確に置かれた《魔法》は、白刃を巻き込みながら起動する。
打刀の刀身が途中から消失した。代わりに逆手に構えた黒刃が出現した。
「今度は斬れますけど、まだ続けますか?」
突き出される腕と交錯し、オルグの内懐に飛び込み、刃を彼の首筋に突きつける。
《魔法使いの杖》と接続し、ナノ単位の誤差も把握できる今だから可能だった神業だった。
「…………それも初めて見る手だな」
殺意を突きつけられて尚、彼は顔色を変えはしない。
「手の内を隠すなんて《魔法使い》の常識ですし、師匠が教えたことでしょう?」
質問を跳ね付ける言葉を吐きつつも、ナージャは語る。
「《黒の刃》は《魔法使いの杖》から接触状態で発生しますから、順手か逆手か選択できるんですよ……まぁ、ナイフならまだしも、剣を逆手に持つことなんてないですから、使う意味ほとんどないですけど」
所詮は奇策だ。二度とは通じない。卑怯と蔑む者もいるだろう。
けれどもナージャを自らの剣で、師であるオルグを上回った。
証明できれば充分と、ナージャは踵を返す。十路の方に歩み寄りながら《魔法》の刃を消し、取り込んでいた刀の破片を宙に散らす。
「で、ナージャ。現行犯逮捕した方がいいのか? 殺人未遂は確定だし、あと密入国だろうから、入国管理法違反もあるだろうけど」
「その二つ、親告罪ですっけ?」
「日本語ペラペラなのに、たまに理解してるのか不安になるぞロシア人」
多くの日本人は日常会話で使わない日本語だが、さすがに被害届を出さないと警察が取り扱ってくれない犯罪ではないのは、誰だってわかる。
もちろんナージャも、本気でそう思ってるわけではないだろう。
「じゃ、見なかったフリしてください」
右目だけ紫の瞳を閉じて、人差し指を立てて、イタズラめいた笑顔を浮かべる。
オルグを見逃せと。
部員たちには連絡しているが、民間人への被害はなく、目撃者もいなさそうだ。諸々の事情で見なかったことにはできないが、十路たちが口を噤めば、『逃げられた』とでもすることはできる。
だから十路は面倒くさい態度で、話し相手をオルグに変える。
「ってことらしい。俺も面倒事は御免したいし、とっとと消えてくれないか? アンタ一人じゃないなら、部下も連れて」
直後、空中を紫色の線が奔り、オルグのすぐに足元で極小の落雷が弾けた。樹里の《魔法》に違いない。
遅れてやや離れた地面に、精巧な彫刻にも思えるコンクリートの投げ槍が突き刺さった。コゼットの《魔法》に違いない。
狙っている。退かないなら次は命中させる。数キロ離れていても狙撃可能だと、存在感を表現した。
「折角の祭に、これ以上は無粋であるな」
支援部員が狙ってることなど意に介した様子はないが、オルグは素直に応じた。離れた場所に落ちた鞘を拾い、鍔元しか残っていない打刀を、隻腕で器用に納める。
「師匠……大事な御刀、壊して申し訳ありません」
《魔法使いの杖》を懐に収めたナージャは、振り返り、直角に腰を折り、深々と頭を下げる。
「長らくお世話になりました。不肖の弟子で申し訳ありません」
完全なる決別。弟子の側が求めるのだから、破門と呼ぶよりは絶縁を。
「ならば、最後に言わせてもらおう」
オルグも師として応じる。
ただし最後と証した言葉は、ナージャが言い放った意味とは少し異なる。傍から見る十路にはそう感じた。
卒業というニュアンスに近いと。
「プラトンに便りのひとつでも寄越してやれ」
オルグは視線を動かし、十路にまで言葉を残す。
「彼奴を頼むぞ」
そして彼は、公園の出口に踵を返した。常夜灯の明かりがあろうとも、夜陰と木々の陰で阻まれる都市の暗がりへと、姿を消した。
(保護者やってんなぁ……こりゃナージャ殺そうとしたのはフリだな……)
まるで父親のような言葉だった。十路に残す言葉ではないから、呆れたくなるが。
娘を預けるような気持ちであれば、男に対するものではない。愛弟子を託すのであれば、敵に頼むことではない。
もう消えてしまったので、反論はできないが。
「着付け、後でちゃんと直してもらった方がいいぞ」
「そうですね……」
代わりに肌脱ぎした片袖を戻すナージャに声をかけ、十路は全てを把握していない事情を問おうとした。
「それで、どうして十路くんがここに?」
しかしそれより先に、ナージャが背中を向けたまま問うてきた。その口調は、少し固い。
「『射的でフィバー』なんて言い訳するからだ」
「やっぱり誤魔化せませんか……」
「誤魔化しか暗号か、わからなかったからな。仕方ないから俺が直接合流することにしたわけなんだが……」
ナージャの性格を考えると、本当に遊び呆けてる可能性も否定できなかった。しかし彼女は剣士で、以前銃の適正がなく訓練していないとも語っていたため、不信感の方が強かった。
やはり彼女ひとりでトラブルを解決しようとしていた。けじめをつけるために。
「それで、ナージャの方は? やっぱり反逆者の始末ってことか?」
事実なのは間違いないだろうが、オルグの最後の言葉を聞けば、本心では違うと、問うた十路自身も推測できる。
「それもありますけど……主な用件は、わたしへの個人的なものでした」
彼女もそれを隠さない。ただあまり触れられたくない話だと、声はやはり固いままだ。
「父が入院したって……あと、昔のことを謝っていたと、守れなくて悔いているようだと、伝えてきました」
「わざわざ顔合わせて言うことか?」
「あの人なりのけじめでしょう。色々ある家庭だったですけど、ある親から娘を引き離したってことは間違いないですし。それに家族を大事にした人でしたからね」
苦笑のような息が漏れた。きっと表情も類するものを浮かべているだろう。
「……でも……いま謝られるより、一〇年前に守ってほしかったですよ……お父さん」
「…………」
十路に聞かせるためではない、悲しみに染まっていた呟きは、聞こえなかったことにする。
けれども話は終われない。
(余計なこと言った方がいいか……俺のキャラじゃないだろうけど)
急かすことはもっての外として、十路は彼女の背中を見つめてアクションを待つ。
「それにしても、今さら昔のこと謝って、どうしようってつもりですかね?」
しばらくし、一度肩を大きく上下させてから、ナージャは振り返る。困ったような笑顔を浮かべているが、その程度ならいつもの朗らかな彼女に思えてしまうかもしれない。
「逆に訊くと、ナージャはどうするつもりだ?」
だが、まだ元に戻っていないと見た。戦闘と、言葉を伝えられた負の興奮が、まだ冷めやっていない。
本当にいつも通りの彼女なら、きっと話さず笑顔ではぐらかす。非公式諜報員として身につけた仮面を、いつも彼女はそうやって使う。
ならばやはり後回しにせず、口を噤まず伝えるべき。
「ナージャが親とどういう事があったか、俺は話半分しか聞いてないから、許せとは言わないし、口出ししようと思ってない」
どんな言葉を投げかけられるのかと、ネコ科の警戒を浮かべるナージャに、十路はいつも通りを心がけて首筋を撫でる。
「だけど、一言だけ言っておけば、線一本でも繋がりでも残しておいた方がいいと思う」
「まさか下らない一般論を振りかざしたり、家族の絆とかクサいこと言いませんよね?」
ビルの隙間から花火の照り返しを受けて、紫色の瞳が赤に染まった。
「単なる実体験だ。俺にはもう親がいないから、少しはわかるつもりだ」
対して瞼を閉じて、黒瞳と感情を隠す。
昔の人は上手いこと言ったものだ。
孝行のしたい時分に親は無し。墓に布団は着せられぬと。
「家族はやっぱ、大切にした方がいいと思うけど……できないなら、自分から捨てる真似はやめとけ」
そして、思案の案の字が百貫する、切る手遅かれとも。
「縁切ったら、恨み言を言える相手もいなくなるぞ」
負の色が濃い繋がりであっても、ないよりはいいだろう。憎しみとは少し異なる様子なのだし。
それすら十路には残っていないのだから、そう思える。
亡くなった両親に憎しみなどはない。とはいえ生きていた頃は相応に思うところがあったはずだが、そんな気持ちもなくなってしまった。
死者は人間ではなくなる。時間と共に風化し、曖昧模糊した良い記憶だけが残り、ほのかな温もりを放つ『神さま』になってしまう。
「部長が家族と仲悪いの、ナージャも知ってるだろ?」
「えぇ。《魔法》を忌避する国の王族として生まれ、実のお姉さんからは何度も殺されかけてるそうですしね」
「でもな? 電話番号、ケータイに残してるんだよ」
『なんで堤さんが知ってますのよ……見ましたの?』
割り込んできた声はナージャだけでなく、十路も思いもよらなかったので、二人同時に軽く驚いて振り返る。
イクセスの判断で、無線でこちらの会話を流していたらしい。コゼットの声が《バーゲスト》のスピーカーから届いた。
「見てませんよ。部長が俺の前で画面見て、すっごい嫌そうに電話出たことあるからですよ」
『あぁ、そういえば姉の時……よく見てますわね』
「で。なんで番号残してるですか? 別に今でも話してるわけじゃないでしょう」
『いつかあの姉に詫び入れさせるためですわよ。あと公宮殿の直通番号も残してますけど、似たような理由ですわ』
【さすがコゼット……性格悪っ】
『うっさいわクソAI!』
割り込んできたイクセスとコゼットの口ゲンカが始まった。この一人と一台が言い争うのは、今に始まったことではない。
なのでナージャは苦笑いを十路に向けてきた。そんな顔はあまり見せることはないが、今度こそいつもの彼女だった。
「……十路くんって、トラブル嫌いとか言ってる割に、お節介ですよね」
「放置した方が後々トラブルになりそうだからだ」
そして彼女は、また眉を困ったように動かす。
「そう言われても……今さら父にかける言葉なんてないですよ」
「ないならないでいいだろ。白紙の手紙でも、差出人に名前があれば充分だと思う」
当人ではないのだし、父親になった経験などあるはずもない。十路は憶測でしかものを言えない。
想像するなら、きっとナージャの父親は、言葉や許しが欲しいのではない。
「ナージャが元気かどうか知りたいだけだろうしな」
娘が存在している証が欲しいだけではないだろうか。再び親子として交わる希望は、二の次で。
「…………そうですね」
長い沈黙を挟んだが、固い顔を綻ばせて、彼女は微笑みを作った。
ならば話は終わりと、十路は回れ右する。
(車の後始末は部長に来てもらわんとならんし、なとせが車を飛ばした件、警察にどう言い訳したもんだか……)
今後のことを十路は考えて、無線越しにコゼットとまだ言い争っている《バーゲスト》に呼びかけようとして。
不意に左腕を取られた。何事かと思うより先に、花火とは異なる閃光と共にシャッター音が鳴る。
ナージャが不意打ちで、携帯電話でツーショット写真を撮影した。
「さすがに白紙だけはどうかと思いますし、せめて写真くらいは送りますよ。今のわたしを想像できる程度に、部のみんなとの写真にしましょうかね」
「そうか」
父親にそこまでの譲渡ができるならば、それでいい。
元非公式特殊隊員として、顔写真が残る危険性をチラリと考えたが、思い直して打ち捨てる。
普通の高校生は、そんなことを考えはしない。
「十路くん、ちょっとヘンな顔ですけど」
「不意打ちで撮られたからだ」
「えー、だって前もって言ったら、仏頂面しそうですもん」
「俺がにっこり笑うキャラだと思うか?」
「十路くんとのツーショットは、『新しい家族ができました』って書いて送ろうかと思ったのに……」
「…………」
温かい気持ちを台無しにする、イタズラな笑みを浮かべるナージャに白けた視線を送り、十路はポケットの財布を確かめて、オートバイを押して動かす。
「……そこらの屋台でちょっと焼きソバ買ってくる」
「ほえ? 唐突ですね?」
「ふざけた戯言言うなら、ナージャの鼻に割り箸突っ込むって言っただろ? それも焼きソバ食べる時に使ったソースべったり青ノリ紅ショウガ付きのを」
「それまだ有効な上に本気ですか!?」
慌てた足音が追ってくる。脱ぎ捨てた塗り下駄を拾ったか、途中でカラコロしたものに変わる。
柳に風の彼女を一方的にやり込めることなどまずないので、ニヤけたくなる口元を我慢してかみ締めて、十路はしばらく制止に応じないことにする。
夜空にまた新たな爆発が起こり、火が咲く。
花火大会は佳境で、十路たちのまだしばらくは部活動も続く。
だが担当地域に戻る道すがら、少しくらいはサボってもよかろうかと、足を動かす。




