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近ごろの魔法使い  作者: 風待月
 《魔法使い》の家族
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045_0010 【短編】灯に暈ける祭の追懐・弐 暇乞


 若者たちからすれば遥か昔。祖父母たちが生きた、曾祖母たちが戦った時代、『シベリア抑留』と呼ばれる歴史的事件が起こった。

 日本人の多くはニュースなどでその名を見知っているだろうが、どのような内容かはあまり詳しくは知られていない。


 大戦末期、今のようにロシアと呼ばれていなかった国は、疲弊しきっていた。

 時の最高権力者は、豊富な資源が眠るユーラシア大陸北東部・シベリア地方の開発を推し進め、国力回復の足がかりにしようとした。しかし深刻な人手不足でままならない。

 そのため大戦終了直後、当時日本が支配していた満州国に侵攻し、日本軍捕虜及び民間人を、労働力として各地に移送隔離した。

 特にシベリアでは、真冬には零下三〇度を下回る酷寒で、森林伐採や炭坑発掘など、過酷な奴隷的強制労働を課されることになった。


 更にはかの国が当時推進していた社会主義政策を、抑留者にも思想教育を行い、日本への影響力を強めようとした。

 思想に染まった者を優先的に帰国させたために、抑留者たちは忠誠を競い合う。それどころか貶めるための密告や裏切りが横行し、反乱分子という名の生贄を吊るし上げた。

 そうして多くの抑留者たちが命を落とした。


 ある男が生まれたのは、そんな歴史的背景が存在した。

 日本陸軍将校だった男が抑留者として流れ着き、現地の女性と結ばれ、その男は生まれた。

 しかし父となった男は、家族と築くことなく、妻となるはずであった女の前から消えた。

 当時政府により進められていた帰国事業で、日本に帰ったためだった。


 子供の時分、男は母である女性に問うたことがある。

 父で、夫であるべきであった男をどう思っているか、つたない言葉で。

 すると母は、少し困ったような笑顔を浮かべ、仕方ない、納得しているといった言葉を伝えてきた。


 子供心に男は納得できなかった。

 他所の家庭を見れば一目瞭然。両親は揃って当然という価値観が彼にはあった。

 なぜ母を、自分を捨てたのか。

 日本という国がそれほどいいのか。

 彼にとっては母国が基準であり、故郷となるべき場。

 日本という国は海を隔てた、先の大戦で負けた国。

 『父親の生まれ故郷』という概念は、言葉以上の理解はなかった。まだ生まれ育った土地を離れたことのない幼さも合わさり、望郷の念も理解の範疇外だった。

 その国が高度経済成長を経験した後ならば、世界に名立たる技術大国の地位を確立した後ならば、まだ理解は違ったかもしれない。

 しかし当時は、山林と焼け野原ばかりの、ちっぽけな島国でしかなかった。

 だから母を捨てててまで、そんな国に帰ろうとする父のことを、全く理解できなかった。

 そうして男はある意味では、日本という国と父親に、ただならぬ関心を抱いて育った。


 男は青年と呼ばれ始めるようになると、軍に入った。

 そのような言葉は使われないが、世界の覇権を争っていた、軍国主義の色濃かった当時は、珍しいことではなかった。

 更には莫大な軍事費が国内経済を圧迫し、社会主義が広めていた『国民全員が平等』は『国民が等しく貧しい』というべき状況への予兆があった。

 無理してまで自分に輝かしい学歴を作り出させた母に報い、少しでも裕福な生活を送らせるためには、司法・政治・軍事のいずれかで、特別になる必要があった。


 だから男が選択した道は、ただの一兵卒が成果を挙げて昇進する、ほとんど夢物語に終わる道ではない。

 軍事外交アカデミー。情報幕僚、駐在武官、非合法諜報員を育成する教育施設へと足を踏み入れた。

 駐在武官とは、在外公館に駐在し、外国の軍事情報収集を任務とする、軍人でも外交官でもある特殊な役職だ。情報収集は合法的な手段に限られるが、時には非合法手段を取ることもある。

 その身分を目指し、男は体と戦闘技術を鍛え、最新の軍事を学びながら、言語と外交政治手腕を磨いた。

 そして卒業し、希望した任務先は、日本だった。


 当時の日本は、かの戦勝国に影響と庇護を受けて、焼け野原から復興を遂げていた。

 資本主義社会のモデルケースとして。社会主義政策の逆ケーススタディとして。

 当然も注目する必要があった。


 そして母の特徴はヨーロッパ人だったが、男の見た目はアジア人のものだった。

 世界一の面積を誇り、アジアでもヨーロッパでもある国なのだから、このようなケースは珍しくない。しかし男は父親の血を色濃く引いていると解釈し、母もまたそれを否定しなかった。

 なので日本人にしか見えない顔は、潜入する際には優位に働くであろう。


 そうして男は、駐在武官として、初めて日本に降り立った。


 職務の隙間を縫い、男は父を探し始めた。

 あくまでも任務を優先してではあるが、時間と人脈や情報をついでのように使って。


 なぜそこまでして。

 そうと問うと、きっと今の男は、少し困った顔をするだろう。

 父という存在に恋焦がれていたわけではない。

 単純な憎悪に衝き動かされていたわけではない。

 会って話がしたいわけではない。


 ただ、知りたかった。

 父がどんな人物であったか。ただそれだけの気持ちで片鱗を追い求めた。

 男にとっての家族は母一人で、それは普通の形ではないと知っていたから。

 姿は全く記憶になく、写真の一枚も残っていなかったが、それでも男の人生には、父という存在が深く刻まれていた。

 落ち着きが生まれ始めていたが、まだ若さに溢れていた男は、純粋な探究心が存在した。


 そうして男は、さほどの時がかからず突き止めた。

 目的の人物は、旧日本軍の将校であるのがわかっていたために、職務と応用が効いた。

 帰国した父は、小さな島国の西方、その山里にいるとわかった。

 行って、そして会って、どうこうするつもりもなかった。

 ただ知りたかった。

 男は余暇を使って、その地を訪れた。


 あったのは、田舎(ゆえ)に大きなものではあったが、寂れた家だった。

 茅葺(かやぶき)の母屋と土蔵、あまり手入れのされていない畑――そして小さな道場。

 きっと戦争が行われていた最中は、まだ人が出入りしていただろう。サムライなる軍人官僚たちが生きた国、ヤマトダマシイなるものが再び(とうと)ばれていた時代であったのだから。

 だが政治にも教育にも戦勝国の手が入り、日本という国から徹底的に牙を抜いた戦後には、見た目にも薄汚れた建物の風情に、武を尊ぶ空気は存在しなかった。


 男は短いおとないと共に、足を踏み入れた。

 そこにいたのは、老年の域に達した、小さな男一人だった。

 頭髪はすっかり薄くなり、代わりのように白髭を伸ばした、肩も背筋も丸まった、痩せ衰えた老爺。

 若い頃と比べれば不明だが、かつての母の言葉とは裏腹に、鏡に映る自分の顔とは共通点を見出すことはできなかった。

 しかし理屈や根拠を越えて、父だと直感が理解した。


 その瞬間、男の心に(いきどお)りが火を吹いた。

 これが父という存在なのか。こんな小男に見捨てられたから、母は苦労してきたのか。

 熱量を持った感情に突き動かされ、一発くらいは殴るつもりで拳を固め、男は道場に踏み込んだ。


 そして軽くあしらわれた。衝撃は同時に感じたが、痛みは遅れて感じた。

 だから、なぜ自分が板張りの床に倒れ、(はり)がむき出しになった天井を見上げているのか、とっさには理解できなかった。

 官僚として働いているが、武官であるのだから、本格的な軍事訓練はできずとも、体をいじめることは欠かしていない。それに身の丈も目方も段違いに自分の方が多い。

 なのに投げ飛ばされたと理解したのは、老爺が目を細めて手を差し出したからだった。


 それから、道場破りじみた無頼漢とでも勘違いされたのか、剣術の基本を叩き込まれることになってしまった。

 男も軍人として当然武術を修めていたが、武道というものには触れていない。

 身につけているのは、ただ身を守り、敵を殺傷する技術でしかなかった。軍人としての節度と常識は当然求められたが、殺傷能力を通じて精神性を高めるなど、理解不能な領域だった。

 それを見抜かれた(ゆえ)に、稽古をつけられたのかもしれない。手段と目的を履き違えぬよう、ただの暴虐者と理性ある戦士とを別つ境界線を作るために。


 そして経緯が理解できないながらも、男も口を挟むことなく、手本の動きをなぞることにした。

 居合いという戦闘技術は、異質であったために、興味を持った。

 利点が少なすぎる。もちろん実戦的に考えれば不意打ちへの素早い対処法なので、通常の剣術と合わせて修練していくものだろうが、それでも異なるものを感じた。


 スポーツでも武術でも、あるレベルまでは、筋力や瞬発力などが優れていれば、なんとかなってしまう。

 しかし居合いは初期の段階から、正確さを求められる。刀の長さを理解し、自らの肉体を理解して動かさないと、鞘から刃を抜くことすらできない。

 加えて効率。無駄な力や動きを極力排除し、効率的な身体操法を練磨し、強力な力を働かせる。

 そして正速強威。境地は、抜かずして天地万物と和する。『(どう)』という人生観を持ち、ただの戦闘技術ではないという考え方。

 拳銃の早撃ち(ファストドロウ)と通じる部分が存在するが、それとも異なる戦闘技術を、学ぶことになった。


 もちろん任務があるために、常には無理な話だ。しかし半年に一度、一年に一度になろうとも、時間を作って『師』となった老爺の元に通った。それ以外の時間は、起床後と就寝前の自主練習で補った。

 そこまで居合にこわだった理由は単純で、越えるためだった。

 男にとっての父親とは、幼き頃は守られ、歳経れば守ろうと思う、保護者ではなかった。

 初めて出会った次の瞬間に舐めさせられた辛酸を、今度は逆に味わせてやる。

 もちろん東洋の武術に対する興味もあったが、そんな気持ちが刀を振るい続ける原動力となった。

 そして(おもむ)(たび)に今日こそはと。()つ時には次こそはと。

 歯がゆい思いを重ね続け――ついぞ、父という壁を越えることはできなかった。


 それも思い出と化した。セピアに色()せれば苦笑いと共に思い出す、良きものになってしまう。

 男は、自身の身元は明かさなかった。ただ道場をふらりと訪れた、どこかの日本人ということにしてある。

 それでももしかすれば、自分の息子と理解していたのかもしれない。思い返せばではあるが、言動の端々に愛情らしきものが見え隠れしていた。

 しかし明確に関係を明かす言葉は、ついぞ口にすることはなかった。男も、老爺も。道場ではもちろん、酒を酌み交わした時も。


 時間は移ろい、今。


 長く風雨を受けた石は(こけ)()しているが、辛うじて『佐之助』と刻まれているのが読み取れる。

 古びた墓石に線香と花と、『酒一筋』と書かれた一升瓶。そして『棒』を包んだ布袋を供え、男は手を合わせる。

 いや、『手を合わせる』という表現は、意味はともかく、見たままの説明としては適切ではない。


「…………」


 口にも心中にも言葉なく、ただ黙礼する男は隻腕であるため、片手拝みをしている。


 数百年前には美作(みまさか)津山と呼ばれた地。

 居合いを中心とする武術流派・理方一流の末が今も尚残る地。

 父親の故郷であり師が眠る地。

 今後訪れることがあるどうかわからない場所に、オレグ・サノスケヴィチ・リガチョフと名づけられた、年老いた息子が訪れていた。


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