040_2100 シンデレラは熾し火と共に灰に埋もれ
翌朝。夏ならば既に青空が広がるが、まだ世の営みが本格稼動するには、少し早い時間。
「……ナージャ? なにやってる?」
「……十路くんこそ、なにやってるんですか?」
マンション前の駐車場で待ち合わせていた十路とナージャは、互いの姿を見た第一声で同じことを訊いた。
季節を加味すればおかしいが、二人の格好は変哲はない。十路は学生服の上からライダースジャケットに袖を通している。ナージャはいつものカーディガンではなく男子制服のジャケットに袖を通し、スカート下にレギンスを履いている。いつもは十路も同じジャケットを着用するが、それを除けば学生服でオートバイに乗る時のスタイルだ。これから運転することを証明するように、十路は二個、ナージャは一個、ヘルメットを持っている。
問題は当人たちではない部分にあった。
「順番に片付けていこう。なんでここで和真が伸びてる?」
先に問う十路の視線の先には、染めたウルフヘアの男がうつ伏せに倒れていた。近くに転がる、普段は持ち歩いていない剣道の防具らしき荷物で、そういえば合宿中だったという話を思い出した。
ナージャが答えるより早く、倒れた当人が幽鬼のような声を出す。
「……十路よ」
「なんだ、和真よ」
「お前はどこまでハーレムを拡大する気だ……」
「完全男尊女卑社会でないと胃潰瘍の原因になると思う組織を創設した記憶はない」
「とうとうナージャさんまでハーレム入りですか……」
「ほぼ毎日部室に居座ってたし、今までと大差ないと思うんだが」
「もういいだろぉぉぉぉ……! 樹里ちゃんにお姫様にナトセちゃんに雫ちゃんまでいるだろぉぉぉぉ……! 小中高大と女の子取り揃えてまだコンプリートしてないのかよぉぉぉぉ……!」
和真が顔に敷いているアスファルトが、じんわりと水分で黒く染まっていく。
今の会話でおおよそ理解したが、それでも十路は、一応ナージャにも視線で話を求めた。
「わたしがここに立ってたら、登校してきた和真くんに捕まりまして……それでまぁ、なんでこんな時間にここにいるのかとか、色々聞かれて……わたしが支援部に入部することになったって話したら、錯乱して抱きつこうとしたので、地獄突きで迎撃しました」
結局いつものド突き合いがあったらしい。まぁ、そこはいい。
十路は顔を寄せて囁き声で、真剣味を込めて懸念事項を問う。
「入部の経緯を和真にどう話したんだ?」
総合生活支援部は《魔法使い》の部活動だ。そしてナージャは非合法活動員の任務として、正体を偽証して修交館学院に入学している。
対外的にはこの間までただの人間だったのに、急に《魔法使い》として入部するのは不自然な話だ。そして真相を明かすのは、普通の学生としては問題がある。
「小さい時の検査じゃ引っ掛からなかったけど、再検査してみたら《魔法使い》ってわかったと……」
「他にストーリーはないか……」
友人の多い彼女が、学内で有名になってしまった部に入部すれば、その手の話は絶対に訊かれる。今は夏休みなのでまだいいが、明けるまでにもう少し話を整えた方がよかろうと、小さく頷いて。
「あと、なんで和真は包帯だらけなんだ?」
「剣道部の合宿でずいぶんと扱かれたらしいですよ。主に薙刀部の女の子に」
「一緒に合宿したにしろ、別の部の女子に?」
「有志を募って、お風呂を覗きに行ったそうです……」
「本当に和真って節操なしでバカでドMだな……」
半袖Yシャツから覗く肌に、白い包帯が巻かれている。二の腕だけでなく、首筋や肩も同様なのが見て取れる。特有の匂いも鼻に届くから、湿布を貼って固定しているのだろう。
「………………ケガは合宿で、な」
しくしくとアスファルトを濡らす和真に、十路は不審の半眼を向ける。
疑うのが当然だと理解している。ナージャが『そう』だったのだから、和真が『そう』ではない理由などない。
「……和真。俺とお前の関係ってなんだ?」
だが、確認することに迷いが生まれる。
「ハーレム作るお前なんか友達なんかじゃない……ナージャを寝取るお前なんて友達じゃない……恋愛なんて興味ないとか言いつつ女をはべらせる十路とは友達じゃない……」
「そーか。だったらこれからナージャも常駐することになるけど、友達じゃない俺がいる支援部の部室に、和真は来ない方がいいな。頑張って男臭い剣道部で汗を流して、薙刀部女子の私的制裁を受けてくれ」
「すいませんでしたぁ!? 十路くん! 友達ですよね!? マブダチですよね!? なのでこれからも遊びに行っても問題ないですよね!?」
ハーレム・寝取り・はべらせるなどというツッコミどころは無視すると、和真はアスファルトに顔を埋めたまま土下座にトランスフォームした。そのプライドを完膚なきまでに捨てた態度に、十路は呆れることしかできない。
(……その時が来れば、嫌でも……なるか)
敵であった『彼』の思惑が奈辺にあり、今回の援護を行ったのか。きっとただ一人の思惑だけではなく、それを許し乗じるなにか別の力があったはず。
総合生活支援部には、敵が存在する。明確と呼んでいいのか、未だ不明確かはさておいて、とにかく戦わなければならない理由が存在する。
なのに常に受け身の戦いを強いられる。だから可能な限りの用心が必要なのは、当然のこととして捉えている。
(俺も甘ったれになったもんだ……)
だが、流す。
これくらいは彼女たちに頼ってもよかろうと。
『彼女』が当然調べたはず。一緒にいた『彼女』も調べたはず。『彼女』も知る術をきっと持っているはず。いざという時は『彼女』と『彼女』が容赦しないだろう。
今は部員たちの力を当てにし、なにかあれば言うだろうと信頼する。
あと、雄々しい全力土下座を見ていたら、剣道部員たちに聞けばわかる真相を確かめるのも馬鹿らしくなってきたので、それ以上は考えないことにした。
「それで」
和真を無視し、ナージャが十路の顔を見てくる。より正確には、横にずらして。
「十路くんが肩に担いでる、パンツ丸出しな木次さんのお尻はなんですか?」
「ふぇ!?」
諦めたように脱力して身を委ねていたのに、樹里が再びジタバタ暴れ始めた。足を動かせば余計にミニスカートがまくれるというのに。あと十路は『肌を露出するな』と言ったのだが、結局はいつもの半袖ミニスカ学生服スタイルだった。
落としては事なので、腰を屈めて樹里を下ろしてから説明する。
「部屋の呼び鈴押してもなかなか出ないし。出たと思えば一緒に外出るの嫌がるし。仕方ないから無理矢理連れてきた」
「私まで必要なんですか……?」
樹里が目を合わせることなく不満顔でこぼすのに、十路は顎を軽くしゃくる。
つばめの愛車横の駐車スペースに、青い《コシュタバワー》と赤黒の《バーゲスト》が並んで駐車している。
「借り物の《使い魔》は返さなきゃならんし、コア・ユニットを交換しなきゃならんし、あと昨日の戦闘で酷使したから、《バーゲスト》はフルメンテナンスってことになったんだろ?」
昨夜のうちに予定を話し、今朝方樹里からそのようなメールが届いたため、だから十路は運転できる格好のナージャと待ち合わせをしていた。
樹里の実家は十路も知っているから、運転だけなら二人だけでも事は足りる。
ただし樹里の家族には一度も会ったことがない上に、オートバイは普段、近くの貸ガレージに置いているので、そこに持って行く話になっている。
なので直接の関係者である樹里がいてくれないと、話が進まないか長引くのは目に見えている。
ナージャが持っている、普段使っているヘルメットと交換し、十路は青いオートバイを駐車場から引き出す。
【この機体、すっごく扱いにくいですから、《バーゲスト》に戻りたいですけど……でも、またシステム電源を切られるんですね……】
「嫌がっても仕方ないだろ? 諦めろ」
【部活発生しろー……私が必要になる緊急事態になれー……第三次世界大戦勃発ー……】
「恐ろしい呪いをかけるな……」
運動会前夜にてるてる坊主を逆さに吊るす体育嫌いの子供のような、けれども不穏すぎる怨嗟を漏らすイクセスに、ため息をついて跨る。
そしてヘルメットを被っていると、樹里が忘れず持ってきた追加収納ケースをアタッチメントに乗せた。彼女もヘルメットを被り、ポケットから洗濯バサミを出してスカートの前後を挟んで。
肩に手を置いてステップに足をかけ、リアシートに腰を落ち着ける。
動作は普段よりやや荒かったが、ごく自然に十路と二人乗りした。
「……木次さん、そっちに乗るんですね」
「ふぇ? えと……どういう意味で……?」
「いえ……まぁいいですけど」
ナージャは諦めよりも口をつぐんだ風情で、赤黒のオートバイを引き出して乗る。
「あぁ、和真。昨日のままだから、学校に行っても入れないぞ」
「なにをやった? というか皆様? こんな時間からどちらに行かれる?」
「大規模な戦闘したから、今から警察に――」
「ツーリング二股デート!? その後しっぽりねっとりコース!?」
「……轢くぞ?」
話を聞かずに妄想を膨らませる和真を置き去りにして、三人と二台は発進した。
△▼△▼△▼△▼
「昨夜なとせに拒否られたこと、まだ気にしてるのか?」
ヘルメットに組み込んだ無線機を使い、十路は運転しながら背後に語りかけると、沈んだ返答があった。
『当たり前ですよぉ……秘密がバレて引かれるにしても、あんなハッキリ言われるなんて予想してませんでしたよぉ……』
「気にするなって言っても無理だろうけど、あんまり深く考えるな。なとせが『しばらく』って言ったら、本当に一週間もすれば気持ち整理してケロッとしてるし」
『でも……』
「ナージャが離反する前に、なとせが戦ったのを見たろ? アイツ拒否った相手には本気で容赦ないからな。あんな言葉が出てくる程度なら、心配いらない」
『や、でもあれ、敵対したように見せかける演技じゃ……?』
「演技っていうか、あの時のなとせ、本気でナージャを殺す気だったぞ」
『…………まさかとは思ってましたけど、やっぱりなんですか』
「理屈は通ってるんだがな……演技の良し悪しってリアリティなんだし、本気で殺し合うのが一番とは理解できるが……」
だから十路は、南十星を戦わせたくない。覚悟は無限大、躊躇はゼロで、敵対するのも殺すのも死ぬのも、全部織り込み済みで行動するのだから。
それはさておき、話を樹里のことに戻す。
「ナージャはどう考えてるのか知らんけど、部長も整理する時間が要るだろうし、しばらくそっとしておけ。あとハブられる覚悟もしとけ」
『あぅ~……』
人智を超える能力を持つだけでなく、国家に管理されていない理由を持つワケあり《魔法使い》と言えど、樹里の異能は別格だろう。
彼女たちがどういう結論を出し、樹里との接し方を変えるのか。
それは十路が口出すことではない。せいぜいこうして樹里に忠告するのが関の山だ。
彼女たちが樹里を嫌悪するようになっても仕方はない。
仮にそうなったとしても、十路は樹里との距離を変えないだけだ。
「右に曲がるぞ」
一声かけてから、体と減速した機体を傾けて、交差点を曲がる。その曲がり方で、初めて路上運転する《コシュタバワー》と、普段乗っている《バーゲスト》の差を強く意識した。
「ん?」
カーブを抜けて直進に入ってから、樹里が姿勢を変えて、両手を回して軽く背中に抱きついてきた。
彼女が二人乗りする際は、膝で十路の腰を軽く挟み、後ろのグラブバーを掴んで、体を少し離して乗る。
普段と機体が違うことを、カーブを曲がる際に理解して、負担をかけない姿勢を変えたのか。
しかし推奨できる姿勢でない。オートバイの二人乗りは、同乗者も体重移動した方が負担が少ないため、前を見ておく必要がある。なのにヘルメットの硬い感触を背中に感じるので、樹里は顔を押し付けているはずだ。普段お手本通りに同乗する彼女らしくない。
『先輩は、私が怖くないんですか……』
不安な気持ちから、しがみ付いてきたと考えるにしても、やはりらしくない。
「怖がられたいなら、いじけた子犬みたいな態度取るな」
『や、普通なら、私の態度なんてどうでもよくなる問題でしょう……?』
前方の信号が赤に変わった。
長めの停止距離を使ってゆっくり減速し、縁石に足を置いて停車する。
「……イクセス。《バーゲスト》とナージャに、この無線が聞こえてるってことは?」
少し距離を隔てて停車する、追走するナージャをミラーで確認し、十路は無線越しの会話を聞いている話し相手を変える。
【……大丈夫です。《バーゲスト》には連絡しました。ナージャのヘルメットに無線機は存在しませんし、《魔法使いの杖》も起動状態にありません】
「念のためチャンネルを変える。俺と木次の会話を中継してくれ」
【了解】
これで無線越しの会話が漏れたとしても、他の者には理解できない。樹里の秘密を他の部員たちに知られて尚、これは二人の秘密にしておかないと危険だ。
信号が青に変わり、再び走り出してから、十路は背後に向けて口を開く。
「……実際のところはわからんが、俺は木次と一連托生だと思ってる」
『どうしてですか?』
「まさか忘れたとか言わんだろうな?」
五月の出来事だから、まだ時を経ていない。
きっと何年経っても、記憶が薄まることはない。
「俺の体で動いてるのは、木次の心臓なんだぞ?」
気づけば体に大穴が空き、死を自覚した瞬間のことは。
『そのことですか……』
「専門家でなくても、ありえないってわかる。血液型は、俺はO型、木次はAB型だ」
『心臓移植なら、移植希望者と臓器提供者の血液型が違うこともありえますけど……』
「逆なら、だろ? 今はありえないが、昔はO型の血はどの型の人間にも提供できる、AB型はどの型の血でも輸血できる、って言われてたからな。でも俺と木次の場合は逆だから、拒絶反応が起こるだろう? なのに正常に機能してる不思議現象が起こってるんだぞ?」
『や、多分大丈夫だと思いますけど……』
「《魔法》でなんとかしてるにしても、あやふやだろう? しかも木次は自分の体について詳しく知らない。『多分』じゃ連鎖的に死ぬ可能性が否定できないし、なにが起こっても不思議ない」
『あぅ……すみません、考えなしに心臓移植してしまって……』
「いや、そこは文句つける気ないけど。考えて移植されてなかったら、俺は今頃墓の下だし」
問い詰めるような口調になっていることに気づき、十路は一拍置いてから話を続ける。
転入以来、この話は意図的に避けていたが、いい機会だと。
「……ただ、なんで木次がそこまでして俺を助けたのか、疑問に思うわけだ」
『や、あの時は『なんとかしなきゃ』って必死だっただけです』
「だから自分の心臓を使おうって発想は普通じゃないだろ……」
『やー、心臓なんて臓器の中では一番単純ですし。細胞集めて擬似的に再現すれば、私は死にませんから』
とんでもない内容を、樹里は平然と語る。
十路自身も普通ではない自覚があるが、なぜ周囲の女性陣は、輪をかけて普通ではないのかと疑問を抱きたくなる。
「あの時の俺たちは、赤の他人だった。死なないとしても、そこまでして助けようとするものじゃないだろ」
『だったら先輩はどうなんですか?』
ただし同様に彼女も、自分以上に相手が普通ではないと思っているだろうが。
『あの時、暴走した私を殺しませんでしたよね? 記憶が飛んで覚えてませんけど、どう考えても暴れる私を正気に戻すより、殺してしまった方が早いですよね?』
「任務だったから、殺すわけにはいかなかっただけだ」
十路が修交館学院に転入する直前――まだ肩書きが陸上自衛隊育成校訓練生であり、非公式特殊隊員として行った最後の任務だった。
神戸に訪れ、ごく普通と思っていた、年下の女子高生を守ること。
それが彼女との出会いであり、転入の切っ掛けになった。
まだ一年も過ぎていない、けれども遠くなったように感じてしまう、転機となった過去の話。
『先輩が私を怖がらないのは、任務の延長だからですか?』
「さぁな……無関係とは言わない。あと、生き返らせてくれた恩ってのもあるが、自分でもそれ以上はよくわからん」
少し話が遠回りになった上で出した、彼女の問いへの答えは、曖昧になってしまった。
その事に関して、多大な不信感がある。だが彼女との関係を決定的に破壊してしまう気がして、さすがの十路も口にはできなかった。
樹里もそれ以上の答えは求めなかったので、十路は運転に専念する。
『先輩……私と堤先輩が一蓮托生だって言うなら、お願いがあります』
黙っていたが、ややあって、樹里が再び口を開いた。
『もしも私がまた暴走したら……どうやっても止められないなら――』
一度言葉を区切り、段違いの真剣味で、望んだ。
『私を、殺してください』
背後なので彼女の顔は見えない。けれども記憶の『彼女』と重なる。
あの時は、頼みではなく命令だった。
最強の《女帝》殺しを行ったあの時に、異なる口調で同じことを言われた。
――私を、殺しなさい。
思い出した苦味を表に出さないよう、十路は気をつけて返事をする。
「……さっき言ったけど、木次が死んだら俺も連鎖的に死ぬ可能性あるんだが?」
『や、これは保険です。私だって早々そうなるつもりないですから』
すると彼女は背後で微笑する。
『薄々理解してましたけど、今回ナージャ先輩の件で、強く思ったんです。私たち《魔法使い》は、どんなに普通に生きようと足掻いても、やっぱりどこかで非情にならないといけない場面が来る……』
彼女は甘い。
考え方が普通の女子高生と大差なく、親しいナージャが敵であることに躊躇いを見せていた。
その他面で彼女は非情にもなる。
回避できなければ、優先すべき守るべきものが存在すれば、きっと敵を殺す。
普通の学生生活を送るために、時に人間兵器として戦わねばならない、総合生活支援部において、十路が心配するよりもきっと覚悟を持っている。
『それに支援部は、ワケあり《魔法使い》同士、同じ境遇を慰め合って庇い合うような関係でもない……もし誰かが道を間違えたら、殺してでも止めなきゃならない』
総合生活支援部には、意外と馴れ合いは少ない。互いの事情を詮索しないという暗黙の了解も、それによるところが大きい。
気を遣って触れないのではなく、無関心なのだ。ただ同じ場所に集っているだけの、危険な寄せ集め集団に他ならないと、誰もが理解している。
だからこうして樹里とだけに秘密を持っているように、まだまだ他の部員たちに明かしていない秘密がある。必要に応じて秘密を明かした彼女たちも、きっとまだ隠している真実があるだろう。
なのに、そして、だからこそ、信頼がある。
触れずに済むなら暴く必要がないと。必要があれば話してくれると。
そう信じているから、道を共にしようと、道を違えてしまおうと、戦える。
『それに、私が暴走するきっかけって、結局のところ私の弱さです……でも、どんなに強くなっても、やっぱり万が一って考えちゃうと思うんですよ。だから止めてくれる人がいてくれないと、安心できません』
だから彼女は、放棄する責任の押し付け先を求めているのではない。
『だから、ごめんなさい。先輩に甘えさせてください』
ただ信頼を寄せてきただけだった。
仲間として。
「……心中の心配がないってわかったなら、引き受けよう」
ならば跳ねつけることなどできはしない。
条件をつけて、言葉も加えて、受け入れる。
「で。報酬は?」
『ふぇ?』
「だから、そんなとんでもない面倒引き受ける見返りは?」
『ややややや!? 見返り求めるんですか!?』
「当たり前だろう? 俺たちの立場考えろよ? 今回の部活だって、ケチつけられて過剰防衛で反対に訴えられても不思議ないぞ? 後で特殊部隊の連中も治療してるから、正当防衛が認められるだろうってのに。木次が暴走て殺したら、どんな証明したって、殺人罪でしょっ引かれて実刑判決確定だろ?」
『や、否定はできないですけど……』
「まさか『ボランティアで安楽死させてください』なんて言ってるのか?」
『や、さすがにそこまで言うつもりはないですけど……』
「だから見返りを。俺の人生と引き換えくらいのを」
『……何万円くらいですか?」
「殺し屋稼業する気ないから、金品禁止な」
『だったらどうすればいいか想像もできません!?』
「そのくらいムチャ言ってるんだって自覚しろ」
『先輩はなにを御所望ですか!?』
「自分で考えろ」
『あぅ~……』
求めるものなど決まっている。
彼女がずっと、木次樹里のままであり続けること。
殺す依頼に相反し、反故にできる報酬を。
彼女が今のままである限り、きっと十路もトラブルのない平穏な日常を送ることができる。
『それはぁ~~そのぉ~~えぇ~とぉ~~……』
でも彼女には伝っていない。自分で保険と言ったことも忘れ、想像に狼狽する様子を見る限り。
明確な言葉を使わずに理解を求めるのも酷だろう。
この報酬を払える自信があるなら、依頼などするはずもないのだから。
『体で払うとか……そういう意味、です、か……?』
「……………………………………………………」
『なんで黙るんですか!?』
「呆れてるって察しろよ……」
『私の体に価値なしですか!? バスト八〇未満は支払い能力なしですか!? 不良債権どころか空手形ですか!? 先輩の人生と引き換えにできると思ってませんけどいくらなんでもそりゃないんじゃないですか!?』
「だからその被害妄想ヤメロ」
彼女が答えに辿り着くまでは、きっと大丈夫だと思うから。
そんな望みを抱くから、答えは明かさない。
△▼△▼△▼△▼
二台の《使い魔》をガレージに格納すると、実家に戻ると別行動する前に電話連絡した樹里から、そこに保管してあった代車の鍵を渡された。
「ナージャ。ハーレー運転できるか?」
「普通に考えて、ロシア人がアメリカ車運転したことあると思います?」
「いや、そういう事を訊いてるんじゃないんだが……」
初めて運転したハーレーダビッドソンは、十路が経験したことのない乗り心地だった。
AI制御のアシストがないこと、偽装された電動オートバイにはないエンジンの振動だけではない。車高の低さや車体の重さ、ライディングフォームの違いは、違和感どころの問題ではない。
偏見かもしれないが、やはり大陸国で作られた長距離目的の大型車は、高校生の若造が乗るものではないと痛感する。
ガレージから兵庫県警察本部まで大した距離ではないが、借り物で転倒できない運転は、神経を使い非常に疲れる。
だから予定を変更し、海沿いの道路端で停車し、少し休憩することにした。
「騒がしくなってきましたね……」
「そうだな……」
風に吹かれながら見上げれば、複数のヘリが飛んでいる。下からではわからないが、きっと報道のものではないかと予想する。
世間的には《神秘の雪》という希少な自然現象が起こったことになっているから、一夜明けた朝を捉えようとしたのか。
それとも沈降したままの修交館学院の異常が、ようやく世間に伝わったのか。
「もっと騒ぎになってると思ってたんだがな」
昨夜、何度も爆発が起こしたのに、それでも警察が昨日のうちから動いていない。やはり現代社会に深刻な影響を及ぼすと報道された、《神秘の雪》から逃れようとした人々が多かったのか。それとも強電磁波で、近隣住民の電話が使えなくなっていたのか。
「でも、普段に比べたら静かですね……」
交通量もずっと少なく、騒音も少ない。始発時間を過ぎて尚、電車はまだ走っていない。
マンションを出てから、途中までは信号が稼動していなかった。街路灯は不明だが、やはり電気的に破損していると想像できる。
近畿圏全域とも言われた影響を考えたら、極小規模に押さえられているが、やはり完全に強電磁波の被害を食い止めることはできなかった。
「騒がしくなるのは、これから、ですか?」
「だな」
考えると、頭が痛い。
複雑な事情が絡む今回の件で、政府や関係機関がどう対応するか。少しは社会の暗部に通じていようと、高校生程度には完全には見通せない。
世間から総合生活支援部がどう扱われるのか、予想できない。
「ま、今日はともかく、明日からは、俺たちは普通の学生に戻る」
だから十路は考えることは止めた。トラブルは嫌いなのだから。
簡単な事後報告だけは警察に赴いて行うが、あとは責任者に押し付けようと心に決める。
すると風でなびく髪を押さえてナージャが振り返り、苦笑を向けてくる。
「割り切り方がすごいですよね……昨日、あれだけ派手な戦いをやったのに」
「支援部に潜入調査しといて、そんなことも気づいてなかったのか? これくらい神経図太くなければ、《魔法使い》が普通の生活送ろうなんて無理だぞ」
「十路くんなんて、半分死にかけたでしょう?」
「そのお陰で血が足りなくて体ダルいから、騒ぐ元気もない」
十路は飲み干したコーヒー缶を、自動販売機脇のゴミ箱に入れて、オートバイのシートに跨る。
「少なくとも昨日の件は、気分が落ち着くのにちょっと時間かかりそうです……」
感慨深そうに漏らしたと思えば、ナージャの紫色の瞳に妖しい光が浮かび、ソプラノボイスが悪戯めいた色を帯びる。
「十路くんに唇を奪れましたしー? しかも鼻血味で」
「あー、その件に関しては、スマンと謝るしかない。あの時は他の手段なんて考える余裕なかった」
「軽いですね」
「…………実は俺も、あれが初めてのキスだったんだ」
「ウソついて重くするなら、せめてバレない話にしてください」
自分にジョークセンスがあるとは思わずとも、冗談で誤魔化してみたが、やっぱり通用しなかった。きっとセンスとは異なる理由で。
「爆弾解除の方法は、十路くんに殺されるかと思いましたよ」
「その件は謝る気ない。他に方法がなかったのもあるが、ああでもしなければ不信感の塊みたいなナージャを、支援部に迎え入れるわけにはいかなかったからな」
「痛かったです」
「俺にもっと演算能力があれば、痛覚のことを考えられるんだろうけど、さすがに斬って治すのが精一杯だ」
「じゃあその時、ポロリさせた件は?」
「同じ理由。体だけでも精一杯なのに、服なんて考慮できる余裕なし。謝れってなら謝るけど?」
「別にいいですよ……文句言いたいだけですし」
――どうせ見られたの、師匠と十路くんだけですし。
口の中で呟かれた、そんな小声が聞こえた気もするが、ヘリの羽音でよくわからない。
源水はさておき、なぜ十路も見られていいのか。
気のせいかもしれないから、聞き返すことも、その理由を問い返しもしない。ナージャもリアシートに座ったために、顔色から窺うこともできない。
「ひどい人ですね」
「そうだな。俺も自分で最低だと思う」
他の者は、十路が立てた作戦は、ナージャを助けるためと思うかもしれない。
けれども彼自身は、そんな風には思っていない。
トラブルを最小限度にするため彼女を利用し、恐怖と苦悩のどん底に叩き落し、こうして道路端で缶コーヒーを飲んでいられる現在を作っただけのこと。
「だけど、そのお陰で、今のわたしがあります……師匠を殺さずに済み……もう、誰かを傷つけることを強いられなくていいように……」
ただしナージャを助けるための戦いであったのも、否定することのできない事実だ。
ずうずうしく近づいてきたクラスメイト。その実は国家に管理されない超法規的準軍事組織に属する、ワケあり《魔法使い》たちを調査する、『役立たず』と呼ばれた非合法諜報員。
いつしか十路の日常にも入り込んでいた、戦いを望まない彼女を、殺していたら。
さすがにこんな怠惰にしてられなかっただろう。
「ありがとう……本当に、ありがとうございます……」
柔らかな感触が、そっと背後に触れてきた。ナージャが抱きつき、後頭部に額を当てて、囁きで感謝を伝えてくる。
「……礼なんて言うな。ナージャ自身のことも、大変なのはこれからだぞ」
「……そうですね。脱走兵扱いになるでしょうし」
言葉とは裏腹に、彼女の声は悲観していない。小さな笑いすら含んでいる。
だから安心して、十路は回された手を跳ね除ける。
「あと胸押し付けてくるな。ウザい」
「……前から疑問に思ってたんですけど、十路くんって貧乳スキーな人ですか?」
「大きさの問題じゃなくて、明け透けに媚売られてるみたいで気持ち悪い」
「むぅ。役得とか思わないんですか?」
「大体なんでのしかかって胸押し付けてくるんだ? まさか色仕掛けのつもりか?」
思い返せば転入して以来、彼女はそんな接触をしてくる。
普段のナージャは、男女分け隔てなくフランクな態度で応じるが、男女の一線はやはり引いている。笑顔と親しげな態度でさせてしまう分はどうしようもないが、男を勘違いさせるような肉体的接触は行わない。
なのに十路だけは、無遠慮に体を押し付けてくる。
その割にそれ以上のことは、顔を赤らめて嫌がる。
「ま、そんなところです。《騎士》なんて呼ばれた、陸上自衛隊の秘蔵っ子が転入してきたら、非合法諜報員として接触するに決まってますよ」
返ってきたのは、肯定しているようで、実は明確な回答を避けた返事だった。
『元』となった身分を傘にして、今もどうして続けるのか、彼女は心情を語らなかった。
「だったら『あててんのよ』はもう古い。これからはセルフ胸タッチの時代だぞ。俺に仕掛けるつもりなら、せめてそれくらいしてみろ。元ヘッポコ非合法諜報員」
女性自ら異性の手を自分の胸部へ導く究極奥義。そんな時代の波が来ているかはさておいて、振り向きもせず十路が冷たく言い放つと。
「それじゃ、こんなのはどうです?」
長い髪とバニラの匂いがする吐息が首筋をなで、視界の隅で彼女が顔を近づけたのがわかった。
そして柔らかい――唇としか思えない感触が頬に触れた。
さすがに十路も驚いて振り向いたが。
「へっへー? キスされたって思いました?」
彼女が指で挟んでいた物体が、半開きにしていた口に放り込まれた。
普段持ち歩いているのは飴玉なのに、今日はグミを持っていたらしい。弾力ある食感と共に、果汁の香りが口に広がる。
頬に触れたのが菓子だった割に、湿り気と体温があった気もするが。
気にしないことにして、十路はヘルメットを被る。
「さーて。和真くんが言ってた二股じゃないですけど、事情説明が終わったら、どこかでデートしましょうか?」
「いや多分、一日中拘束されると思うぞ? 下手すりゃ東京まで行かないとならないかも。警察だけで対応できる内容じゃないし」
「うぇー!?」
継母と意地悪な姉のいる家を離れ、王宮に上がって尚、シンデレラは幸せになれなかった。
外交も戦争も無縁で、ただ耐え忍ぶことしか知らなかった娘が、戦上手の姫騎士になれるはずもない。
地位を捨てたくとも捨てられない。お飾りの傀儡にもできない。
誰も手にすることのできない神剣を持つ以上、武官たちはそれを許さない。
だから半ば見捨てられ、犬小屋番を押し付けられた。
そこに住まう野良犬たちと触れ合い、娘は剣だけを手に国を捨て、再び灰かぶりへと戻った。
裏切りの烙印を押され、しかし自由を得た娘は、どうするのか。どうなるのか。
それは知らない。彼女自身も知るはずもない。
ただ今この時に言えるのは。
シンデレラは再びの魔法で、安寧と暮らしながらも狩人には牙を剥く、白豹へと姿を変えようとしている。




