040_1800 紫電の雪降る夜、学舎にて狩人たちはⅤ~過去よりの呼声~
綺麗な女性だったと思う。可愛い娘なのだったと思う。
けれどもナージャが思い出す彼女たちの顔は、いつも醜く歪んでいた。
暗闇はその時の、過去の時間を思い出してしまう。
だから麓から学校に上がるまで、暗闇に包まれて坂道を登る道中、感情を表に出さないよう必死だった。
「う、あぁ……ぁぁ……」
自分のなにが、彼女たちの癪に障ったのか。推測はできるが、真実かどうかはわからない。確かめようと思ったこともない。
ナージャにとっての母親は、幼い頃に病死してしまった、たった一人しか存在しない。その時はまだ一人っ子だったため、姉は存在していなかった。
だから父親の再婚相手となった女性と、ある日突然姉となった少女は、幼いナージャにとって、家庭に侵入してきた異物でしかなかった。
きっと継母は、それを察したのではないだろうか。
だから血の繋がりのない夫の子を、我が子として愛する努力を放棄した。
そして母親の行為を、その子供も『正しい』と受け止めて、真似するようになった。
「ひ、ぐ……!」
顔も見たくないとばかりに、よく物置に閉じ込められた。
家の中にある納戸や収納ではない。冷暖房も断熱材もない。ただ雨風から物を守るためだけの、けれども密閉性だけは完璧だった頑丈な小屋に。
しつけの枠を超えていた。日付をまたぐことが当然の、監禁と呼ばれる拘束時間だった。
あくまでも『お仕置き』で、出された瞬間にはごく普通の生活を強いられ、表向きは平和なごく普通の家庭を築かされていた。
夏はまだいい。雪の降り積もる寒い冬でも、凍え死にしそうになっても容赦はなかった。
ほぼ食事はなかった。ヌイグルミの綿や木彫りの人形をしゃぶり、餓えや渇きを誤魔化していた。
同じ環境下にいれば、普通は慣れが生じるが、その感覚は決して慣れることはない。
幼心に明確な死の恐怖を味わい続けていた。自らを停止させ。内面を空白し。時間の感覚を失わせ。精神的な仮死状態になる術を手に入れるまでは。
そして父は――血の繋がった親であるはずの父親は、止めてくれなかった。
仕事が忙しく、家を空けがちなのだから、仕方ないとは理解している。けれども超能力じみた察知で、なぜ助けてくれなかったのかと、理不尽過ぎる裏切りの気持ちを抱いているのも事実だった。
「なんで……なんでぇぇぇぇっ!?」
故に彼女は狂気した。
概日リズムの乱れ――いわゆる時差ボケのような、体内時計の混乱程度の可愛いものではない。
時間感覚のなくなる環境に長期慢性的に、しかも不定期に正常な状況に置かれることで、生物としての正常は破壊される。
それに幼い時期に、そのような目に遭ったことで、人格形成に不備がないとは誰も言えない。
「い、や……!」
だから彼女は、暗闇を極度に恐れる。
否が応でも死の恐怖を思い出す。
誰も助けてくれない恐怖と絶望を思い出す。
検査を受けて、《魔法使い》だと判明することで、ようやくその生活が終息したが、それはただの偶然だ。
ナージャが《魔法使い》でなかったら。八年前の分岐点がなければ。
杞憂であるはずのifを、明確に暗闇へ幻想してしまう。
「いや……!」
そして今、彼女は胸に爆弾を収めてる。感情が暴れ出しそうな比喩表現ではなく、ナージャの体には、本当に爆弾が埋め込まれている。
人体は電波を通しにくいとはいえ、《神秘の雪》のランダムな強電磁波で、誤作動を起こさないとは限らない。
しかも無線が封じられても、光や合図で伝達される可能性はある。ナージャの裏切りを感知されたら、源水や《ズメイ・ゴリニチ》は《神秘の雪》を停止し、彼女の体に埋め込まれた爆弾を起動するかもしれない。
もしかしたら今、この瞬間にも爆発するのではないか。恐怖が常に頭を占める。
しかも環境が悪すぎる。《マナ》が瞬く光景は闇を塗りつぶし、彼女に安堵を与えているのではない。
軽度の光過敏性発作を引き起こし、肉体にまで及ぶ不快気分が拍車をかける。
過去と現在の恐怖が限界を超える。暴れ牛のように。鉄砲水のように。恐慌が無秩序に暴れ周り、決定的な一線を破壊する。
「もういやああああぁぁぁぁっっ!!」
現状を把握する理性も倫理も吹き飛ぶ。自らの命を守るための、見せ掛けの戦いであることなど、今の彼女では理解できない。
ナージャは完全にパニック状態に陥り、目前に立つ敵意を向ける相手に対し、本能的に手にした刀を振るった。




