040_1710 紫電の雪降る夜、学舎にて狩人たちはⅡ~ダイ・ハード~
窓ガラスが粉砕された。衝突した物体は屋内に飛び込むことなく跳ね返り、二階相当の高さから地面に落下した。
(うぉ……ちょっち兄貴ぃ、ビビるじゃんか?)
改造消火器を一本背負い、電磁波の刺激に顔をしかめながら、階下の様子を窺っていた南十星は、焦りを誤魔化すように内心文句をつける。十路がオートバイを使って、上の敷地から敵を投げ飛ばしてくるなど考えていなかった。
一瞬跳ね上がった心臓をなだめ、屋上から階下を覗き見る。敵は地面に倒れ、《神秘の雪》の静電気を弾けさせながら、痙攣するような動作をしていた。
戦闘用スーツが故障しても、きっと強制的に除装できる仕組みになっているだろう。しかし正常可動時には動きを強化する動力が破壊されれば、一転して束縛になるはず。装着者一人で装備を取り外すことができるかは怪しい。しかもただ壊れただけでなく、ランダムな強電磁波を受け続けることで、アクチュエータが制御不能状態に陥っていると思える。
十路にそのつもりはなかっただろうが、追加で敵を押し付けられずに済みそうだった。そして戦闘用スーツを装備した敵を、行動不能することは不可能ではないと確認し安堵する。
(そんじゃま、いっちょ兄貴のためにやりますか)
校舎内に侵入しているはずの敵が、首を突き出して先ほどの物音を確かめる様子がない。
だから南十星は当初の予定通り、階段から階下を窺ったタイミングで、ロープを投げ落とす。巻いたバンテージ越しにロープを掴み、摩擦で削りながら、中空に身を躍らせて滑り降りる。転入前に所属していたアクション俳優養成所で、特別に訓練させてもらっていたから、器具なしでも落下の恐怖はない。
強く蹴って壁面から離れ、振り子のように戻る時に手を離し。
「Yippee-ki-yay――! (いやっほぅ!)」
ネイティブな奇声と共に窓ガラスを突き破り、一五号館――大学部校舎の二階に足から飛び込んだ。
敵は二人、ほぼ目論み通りの位置にいた。やはり高度な戦闘訓練を受けた者らしく、突然の事態にも慌てず即座に振り返り、矢を番えて軽く引いた弓を向けてきた。
廊下の壁に接するまでの数瞬で、南十星は敵の位置関係と射線を把握する。足が壁面に触れると同時に、バスケットシューズの摩擦力と横方向のベクトルが充分であると、身体感覚が脳に伝える。いつもと違う消火器と改造学生服の重みは、きっと大丈夫と己を信じる。
「Matherfucker!! (クソったれがぁっ!!)」
そして、宙を駆ける。
限界以上の力を引き出すスポーツ選手のように、映画のセリフを叫びながら壁を蹴り、手前の敵に跳びかかる。飛び越えの要領で弓を軽く掴んで体を入れ替え、相手の腕と肩を駆けて再び跳躍する。狙うは後方の敵。途中で横に回転しながら壁を叩いて壁側宙。窓の桟から逆側の壁へ蹴り渡る壁走り。床に着地せず一〇メートル近い距離を詰めて、天井スレスレに敵の頭上を超えながらの前転宙返り。
火事場の馬鹿力的なものが働いているが、《魔法》なしでも不可能ではない。しかし運動神経とバランス感覚が優れている程度では、到底不可能。鍛えられた肉体を駆使し、アクション俳優の卵として培われた移動術の技で、兄とは異なる非常識さを見せつける。
「にひ」
きっと普通に走ったよりも速い移動に、敵は対応を遅らせた。仮に振り向いても、同じ高さにある上下反対の笑顔を見た時には遅い。
既に南十星は背負っていた消火器を、空中で構えていた。それは底を切断し、清涼飲料水のペットボトルを詰めている。
イギリスの軍事用品開発メーカー・BCBインターナショナル社の製品に、キネティック・インパクト・システムという物がある。
簡単に言えば、圧縮空気で発射する大砲なのだが、砲弾のひとつとして想定されているのが、水を入れたプラスティック製のボトルだ。
建物内の人間を傷つけることはなく、建材を『水の砲弾』で破壊する、警察や軍による突入作戦時の壁破壊が可能だという。
それと同じように、改造消火器のレバーが引かれると、圧を高めた圧縮ガスが内部を充填する。限界を超えるとペットボトルが、破裂のような音を発して、至近距離で発射される。
水は重い。一.五リットルのペットボトル入りならば、単純な重量は手榴弾よりもある。そして高い位置から落下すれば、水面はコンクリートと変わらないなどと言われる通り、速さに比例した流体抗力で水は一瞬『硬く』なる。
命中した瞬間にペットボトルは破裂するため、貫通能力は皆無に等しい。しかし衝撃力は、距離を隔てた散弾銃よりも強い。後頭部を叩かれたように前のめりに転倒し、敵は顔面を床に打ちつけた。
発射反動で更に距離を開き、背中で滑りながら着地した南十星は、手を使わずすぐさま身を起こす。
と、そこで背中に衝撃が走った。振り返れば、肩越しに突き刺さった矢が見えた。
「おぉう、ユダンタイテキ……」
後頭部に命中せず幸いだった。仲間の転倒に構わず、もう一人の敵が強い力で放った矢は、防弾繊維のジャンパースカートを貫通し、その下のセラミックプレートにまで届いていた。
「へいへいへい、かもーん」
南十星は挑発し、消火器の残骸を投げ捨て廊下を駆ける。向かうのは曲がった先にある階段だ。
しかし登る前に停止し、隅に置いていた消火器を拾い上げる。彼女がこの校舎での迎撃を決めた時、屋上に上がる前に用意したものなので、色テープで識別されている用途に間違いはない。
中身を消火剤から別のものに交換しただけで、本体に特別な改造は施されていない。ホースを廊下に向けてレバーを引き、詰めていた液体を床に撒いた。
それを踏み、追いかけてきた勢いそのままに、兵士の巨体が転倒しながら壁に激突した。
床に撒いたのは、ただのサラダ油だ。普通に踏んでも転倒するだろうが、戦闘用スーツの外装は、セラミックや金属繊維――皮膚よりも摩擦力が弱そうな物質で覆われている。一番摩擦力が高いであろう、足裏の接地が外れれば、手を突いて立ち上がることさえ容易ではなくなる。
念を入れてホースを向け、相手を油まみれにしておく。戦闘不能にしたわけではないので油断できないが、足止めにはなるだろう。
そして南十星は消火器を放り出す。残るもう一人――消火器で床キスさせたが立ち直り、油を飛び越えてきた敵を引き連れ、階段を駆け上がる。
「速っ!?」
成人と少女では歩幅が違う。しかも機械鎧は、予想以上に軽快な動きで段差を駆け上がる。危うくブラウスの襟首を掴まれかけたが、なんとか避け、最上階である五階に辿り着いた。
そこで片方だけ腰のトンファーを手にして南十星は振り返り、振り下ろされた手斧の刃と激突させる。
現代の兵士たちが持つ刃物と言えば、ナイフと考えられているのが普通で、手斧の存在は知られていない。時代錯誤に思えるかもしれないが、立派に現役を務めている。
ナイフに比べれば汎用性は低いものの、比較して重く頑丈であるため、障害物や扉の破壊、穴掘りにも使える。
そして接近戦の武器としては、投擲にも使え、ナイフ以上のリーチを発揮し、やはり頑丈さと重さによる破壊力を持つ。
敵の名前は斧部隊――ただの象徴ではなく、実用品として使っているのだろう。
「痛っちぃ……!」
きっとナイフであればへし折れた。頑強に作られているトンファーに凹みができた。機械動力で振るわれた手斧をまともに受け止め、南十星は右腕に走った痺れに顔をしかめる。
すばしこい小娘を捕えようと伸ばされる手を避け、振るわれる斧をトンファーであしらい、南十星は視界の隅で廊下の奥を確認する。
縦二メートル、幅一メートルほどの長方形に、一目でわかるよう色テープが貼られた一角がある。
そこに誘い込むよう連続攻撃をいなしながら下がり、最後には空けた片手を床に突いてバク転し、南十星はその領域へと足を踏み入れて。
「もっかいへいへいへい、かもーん」
今は亡きとある格闘家のように、手の平を上に向けて、指四本でクイックイッと挑発する。
なにか仕掛けられているのは、誰が見ても一目瞭然であるため、敵は動きを止めた。
しかし紐かなにかで罠を発動する仕掛けは、周囲にはない。見えないのではなく、存在しない。
校舎を倒壊させるような大規模な罠を仕掛け、逆に仕切られた領域が安全地帯だとしても、敵を誘い込む理由がない。
理解ができず迷いながらも、敵は装備と己を信じ、意を決したらしい。一気に少女を仕留めようと、斧を振りかざして領域に踏み込んだ。
対し南十星はまたもバックステップで避け、交代するように領域を出る。
「ばっははーい」
すると、床が抜けた。
相手が戦闘用スーツを装備しているとわかってから、十路が案を出してコゼットが追加した罠だった。一定以上の荷重がかかった時に壊れるよう、床を支える建材を調整して破断した。子供同然の南十星は大丈夫でも、倍以上重い全身装備を身につけた兵士ならば、確実に踏み抜く。
しかも五階だけではない。すべての階の同じ場所に同じ仕掛けがある。落ちた敵は次々と床に激突し、落下を繰り返し、一階に叩きつけられる音が響いた。およそ三.五メートルの落下を四度繰り返したことになるのか、一気に一四メートル分の落下衝撃を受けたのか不明だが、相応のダメージを与えただろう。
だが、まだ気は抜けなかった。落ちた敵の安否ではなく、五階廊下に敵の姿が現れたために。
油でもがいていたはずの相手だった。壁を支えにし、すり足で歩くことでなんとか行動していた。
「わぉ。そんなコンジョー入れなくても。休んでくれてていいのにさぁ」
緊張感なく南十星が周囲を見渡すと、支持具で壁に改造消火器が設置されていたため、取り外す。
テープの色分けによると、おあつらえ向きな機能であった。ただし自爆や不発の危険性を注意されたものでもある。
「火ダルマになるかもしんないから、気ぃつけなよー?」
一応は親切で、南十星は可能性を示唆した。ロシア特殊部隊兵相手に日本語が通じるか怪しいが、そこまでは知ったことではない。
普通ならばサラダ油は、灯油やガソリンほど容易に引火しない。だが電磁波が満ちて静電気が弾けている今、決定的なことを行い、油まみれの相手がどうなるか予想できない。
それでも手加減する理由はない。警告以上をするつもりもない。
南十星は封印を破って消火器のレバーを引き、すぐさま出来たばかりの床穴へ飛び込んだ。




