040_1420 影は黄昏に剣舞すⅩ~未確認生命体 M.A.X.~
『がぁっッ!?』
小規模の爆発と悲鳴と共に飛び出した市ヶ谷は、段上のスタンド席を転げ落ちた。無手の彼は体を丸め、うめく以外に動かなくなった。
一・二塁間で交戦していた南十星は、新たな展開にナージャが動きを止めたのを確認してから、振り向く。
スタンド席の出入り口から、鎧武者が出現した。陽はとうに沈み、時間ごとに暗くなっていく。だが衝撃波を放ったのだろう、右腕に展開した《魔法回路》の光と共に、最後の照り返しを受けて黒い巨躯を淡く浮き上がらせている。
「パワードスーツ 《サモセク》……」
《魔法》の残滓を宿した、和風の最先端科学技術――その名前が思わずといった風に南十星の口からこぼれる。
それが老年の域に差し掛かり、《魔法使い》であるはずのない源水が、《騎士》――《魔法使い》殺しと呼ばれる理由の一端。
パワードスーツと呼ばれるものは、SF作品の中だけではなく、現実にも存在する。しかし医療分野で、筋力を補助するために開発された部分的なものだ。歩兵の全身を包み、怪力と装甲と重武装を持たせる戦闘用強化外骨格は、まだ実用化に至っていないはずだ。
なのに、邪悪な竜と魔法使いを斬った魔剣の名を与えられ、場違いな球場に登場した。
「ンなモンがマジ出てくるとはね……しかもアメコミ鉄男じゃなくて、銀侍の方で作るとは」
驚きを趣味の映画になぞらえながら、南十星は源水の動きに注視する。なぜ市ヶ谷を吹き飛ばして現れたのか不明だが、ナージャを援護するために現われたと考え、気を引き締める。
彼が行ったのは、全く異なる行動だった。グラウンド側から見えなかったが、大きな篭手が引きずっていた物を、腕一本で軽々と放り投げた。
グラウンドにまで届き、力なく土に汚れた物体は、細身の女子高生だった。
「じゅりちゃん……!?」
「…………!」
南十星だけでなく、ナージャまでもが息を漏らした。
顔から地面に落下しても全くリアクションを取らず、壊れた人形のようにうつ伏せに倒れた樹里からは、生気が感じられない。離れて見ても首が紫色になり、変な方向に曲がっているのがわかる。
首を折られて死んでいるとしか思えなかった。
『ナジェージダ。その者を殺せぬか?』
固まる二人に構わず、源水は悠々と段を下り、腕の一振りでフェンスを破り、グラウンドへと降り立つ。着地音は重く、しかも衝撃を受け止めた地面に深々と足跡が残る。だが《サモセク》の衝撃吸収機能が優秀なのだろう。源水はほとんど膝を曲げずに、身の丈近い段差を降りた。
【あなた、代わってあげます?】
姿のない中年女性の声が、源水に語りかける。
その正体も南十星は知っている。《使い魔》――特殊作戦対応装甲偵察哨戒車 《ズメイ・ゴリニチ》に搭載されたAIのひとつ。車両制御システム『息子』と火器管制システム『娘』を統括し、戦闘用強化外骨格 《サモセク》の制御システムも司る『妻』。
今は別行動を行なっているが、本体車両と無線リンクしているため、あのパワードスーツは《魔法》が使えることも知っている。
『それでは意味がなかろう』
【あら、違いました? てっきりそのつもりで、あなたはここに来たのだと思いましたけど】
『我がこれ以上の手出しするのは、ナジェージダの今後にとって良くなかろう』
一人と一台が近づきながら行う会話に、ナージャがようやくと言った風に、覆面越しに返事をしぼり出す。
「……強行偵察じゃ済まさず、ここで支援部を殲滅させる気ですか?」
すると源水は少し困ったように、女性と会話する。
『それも一つの予定であろうが……』
【一応は了承得てるけど、《雪》を降らせずに済むなら、日本政府に恩を売れるでしょう?】
『とはいえ、完全には無理だろう』
【ルスランとアナが学校襲撃したけど、失敗した様子ですものね】
その情報は南十星も掴んでいる。先ほどコゼットが無線で伝えてきたので、交戦しながら声を出さずに状況も知らせている。
だが、今のこの状況をどう説明すべきか。『樹里が死んだ』などと伝えるべきか、南十星は迷う。
「ウ、ウゥ……」
すると、声とは呼べない唸り声が耳に届いた。更に夜の支配が開始された三塁ベース近くに、青白い光が発生する。
「グ……」
死んだと思っていた樹里が、身を起こした。治癒の《魔法》だろう《魔法回路》を首筋に光らせて、ゆっくりと立ち上がる。
「じゅりちゃん……? なんで《魔法》が使えるのさ……?」
復活したことも充分に驚きだが、南十星が驚いて問うたのは、その点だった。
《魔法》を使っているのはわかる。《治癒術士》である樹里ならば、一撃で体がバラバラになるか、脳を破壊されない限り、修復は可能だろうと納得できる。
だが彼女は、《魔法使いの杖》を持っていない。樹里の秘密を知らない南十星にとっては衝撃の光景だ。
『なんだと……?』
【あの子、首の骨が折れたはずなのに……】
『どういう、ことだ……?』
源水も、女性も、市ヶ谷も、驚きを漏らす。
そんな視線に構うことはなく、樹里は《魔法回路》が消えると具合を確かめるように、首を回して骨を鳴らす。
そして人形じみた不気味な動作で、源水に目を向けた。瞳孔が収縮し、琥珀を越えて金色に爛々と瞳が輝いているのが、離れている南十星にもわかる。
「グル……」
誰もが一挙一動に注目する中、樹里は緩慢な動作で右手を肩の高さに上げた。差し伸べるように中途半端に開いた手を、鎧武者へと向けた。
そして《魔法》の輝きを宿して、変化する。腕が彼女の身長よりも長く伸び、曲がり、太くなり、膨れ上がる。
《魔法回路》が消滅すると、現れた腕は、腕ですらなかった。皮膚は玉虫色の鱗が生え揃った皮となり、新たな関節が作られて肘でない部分から曲がり、指は接合されて口腔と化して二股の舌を出して笑う。あるものが決定的に足りないが、変化は終了した。
少女らしい細い右腕が、目を持たない大蛇と化した。
「ガァッ!」
樹里は肘を引いて溜めを作ってから、改めて突き出すと、源水向けて顎を開いた蛇身を伸ばした。
『ぬ!?』
さすがに人の領域を外れた行為に驚いたようだが、動きに遅滞はない。鎧武者は左腰に佩いた太刀を一瞬で抜き放ち、刃を正面に構える。
刃長は二尺六寸――約七九センチあまり、反りは少ない。確かに日本刀の形状をしているが、製法は日本刀とは異なるものらしい。特徴な波紋のない剛剣は、裏表で質感が異なる。複数の材質を重ね合わせ、タングステンカーバイトを刃先に塗布した、現代の科学技術で作られた片刃大剣だ。
鋭さはすぐさま目にわかる形で発揮された。野菜の皮むきのように、大蛇を縦に真っ二つにする。
しかし樹里の脅威性は、その上を行く。左右に分かれた蛇が更に変形し、細身の双頭蛇となって巻きつき、鎧の段差に牙を引っ掛ける。
【あなた!】
一人と一台がうめき、漆黒の鎧に紫電が弾ける。なにが起こってるか素人目にはわからないだろうが、《魔法使いの杖》と接続して、脳内センサーが起動している南十星には、理由がすぐにわかった。
電磁場発生の確認――つまり樹里の大蛇が源水へと高圧電流を流している。しかもその発電メカニズムは《魔法》とは異なり、デンキウナギやシビレエイと同じ、しかし威力は桁違いの生体電流と思われる。
鎧そのものも耐電効果を備えているだろうが、それだけでは耐え切れない高圧電流らしく、青白い線状の《魔法回路》が鎧に走り、地面へと流す。
しかもそれでは終わらない。細い蛇の体は源水をすさまじい勢いで、樹里の方へと引きずる。
「ガアアアアアァァァァァッッ!!」
樹里が人のものと思えない咆哮を発し、左腕までもブラウスの半袖を引き裂いて変化させる。太さは倍以上に膨れ上がり、長さも相応に伸び、背筋もその重量を支えられるだけ発達する。
少女の体格にはアンバランスな、ゴリラのような剛拳を、右腕の大蛇が引き寄せた源水に叩きつけた。
『ぬぅ!?』
響いた音は金属の質感にも関わらず、鎧武者は芝生をバウンドしながらライト方向に吹き飛んだ。
「な、なに……?」
あまりにも異質過ぎる。《魔法》でもありえない。南十星も自身の体を操作するが、基本的には自己修復だけであって、別生物のものに作り変えるなど論外だ。
「グルルル……」
そんな非常識な行為を行った樹里が、唸りながら首を巡らす。
いまだ腕が変異したままの樹里に、とても理性は見受けられない。どう見てもホラー映画で人間を襲うモンスターだ。金色の目と視線が合ってしまい、得体の知れない原始的な恐怖に震え、南十星の足は自然と後ずさった。
無意識の行動に気づくより前に、混乱から立ち直る前に、四肢全てを《魔法回路》で覆った樹里は動く。四速歩行に最適な形に骨格が変形し、肌は毛皮となり、ローファーを壊して長い鉤爪が伸び、チーターのように地面に突き立て駆ける。
「ひっ!?」
獣の挙動で、真っ直ぐにナージャへと向かい、地面を蹴って飛び掛った。
ナージャの《魔法》ならば、なんの問題もなく防御できるはずだ。しかし《魔法使いの杖》の操作を忘れたように、彼女は顔を恐怖に歪めて棒立ちになった。
樹里が身長よりも高く跳び、右手を空中で振り上げて変化させる。一瞬光っても変化は見受けられないわずかな変形だった。しかし指の付け根に筋肉とは異なる膨らみを見て、南十星は直感した。
(毒!?)
《魔法》で体組織を細胞レベルで変形させて、見かけだけ別生物に近づけているのではなく、完全に別の機能を宿している。
その毒がどの程度の効果を及ぼすものか不明だが、体内に注入されたナージャが無事であるとはとても思えない。
反射的に、今度は南十星の足が一歩前に出る。しかし樹里を止めるには遅すぎる。
『どらああああぁぁぁぁぁっ!』
代わりに、スタンド席で倒れていたはずの市ヶ谷が、いつの間にか起きて近づいていて、空中の樹里に飛び掛った。
彼は《魔法使いの杖》は持っていない。そもそも源水に負傷させられているはずだ。
『逃げろ! コイツはヤバい!』
それでも市ヶ谷は素早く馬乗りになり、背後から樹里の動きを封じながら叫ぶ。
だが、誰かが応じる前に、樹里が素早く切り返す。片足だけ細長く伸び、鳥のような節くれだったものに変化し、海老反るように更に市ヶ谷の背後から首を掴む。
『がっ!?』
足一本で大の男を背中からどかし、あまつさえ地面に脳天から叩きつけた。ヘルメットを被っているにしても、交通事故ではありえない衝撃だ。小さくないダメージを市ヶ谷が受けたのは想像できる。
樹里は人体を叩きつけた反動で起き上がった。しかも猛禽の足で首を掴んだままの市ヶ谷を引きずる。
そして《魔法回路》をまとわせて、両手を肩の高さに上げる。またも急成長して光が解除されると、またも異変と呼ぶべき成長をした腕が現われる。今度の腕は鈍い光沢を放つ甲殻に覆われ、指が二本に減っている。四指は不動指に、親指が可動指に、蟹のようなハサミとなった。
それで腰を屈めることなく、市ヶ谷の両肩を挟んで持ち上げる。道具としての鋏とは違うため、ある程度は肩が潰されても、完全切断されることはないだろう。
正気を失った樹里も、そのつもりはないらしい。足が浮き、束縛から逃れようと身をよじる市ヶ谷に顔を向けて口を開く。
犬歯だけでなく前歯までも牙のように尖った咥内から、《魔法》の光が漏れ出る。なにを行うつもりかは理解できなくとも、なにが起こるかが理解できる。
「!!」
だから、ようやく南十星の体が動いた。市ヶ谷の正体に対する懸念も、彼と戦って敗北した記憶も、この瞬間には脳裏から消える。
各所で固体窒素の爆発を起こして、亜音速で距離を詰め、引いた右腕をがら空きの脇腹目がけて突き出した。
トンファーを通じて肋骨を砕く感触が届く。致命傷にはならないまでも、とても無視できないダメージを与えたと、生体コンピュータが算出する。更に右拳で爆発を発生させる。南十星自らの拳も破壊しながら、樹里を吹き飛ばしたことで、市ヶ谷を拘束から解放させた。
樹里は受け身を取る様子もなく、レフト方向へ芝生を転がる。途中で吐き出された砲撃――収束した電流ビームと思われる光線が、外野席からスコアボードにかけて一直線に走り、表面を焼いて、夜になりかけの空に消えていった。
「……………………」
殴り飛ばしたのは無意識の激情によるものだったが、南十星は謝らない。自然と荒くなった息で肩を上下させながら、樹里を見守る。
懸念通り、これで終わりではなかった。回転が停止した樹里は、余裕を感じるゆっくりした動作で立ち上がる。
「ヒ、ケひヒ、グヒッひヒっひッ……」
そして南十星を見据えて涎と笑いを漏らす。感情を誤魔化すための愛想笑いが多い樹里からは想像できない、怖気を誘う狂笑だった。
変身能力。《魔法使いの杖》なしでの《魔法》実行。そしてそもそも彼女は医療行為を可能とする《治癒術士》なのだから、骨をへし折ったダメージは、とても期待できる姿ではない。
「なにがどうなってんのさ……」
壊れているとしか思えない樹里は、先ほどの一撃で南十星のことを、完全に敵と認識したことは察しがつく。
市ヶ谷が警告した通りだと南十星も思う。『コイツはヤバい』と。
脳内センサーの反応と目視で、二塁近くに立つナージャを確認する。彼女は携帯端末型の《魔法使いの杖》を握り締めているものの、衝撃から立ち直った様子ではない。
一塁付近に市ヶ谷が倒れ伏している。ケガを押して飛び掛ったためか、すぐには動ける様子ではない。
ライト方向には源水が佇んでいる。太刀を鞘に収め、空けた両手を下げて動かないが、鎧に異常が起きているとは思えない。戦況を観察している印象がある。
敵味方が入り混じったこの複雑な状況で、他の戦力はあてになりそうにない。むしろ邪魔される可能性だってある。
だから南十星が戦うしかない。手加減など考えていられない。
「じゅりちゃん、ゴメン……殺すつもりで殴るから、死なないでよ」
覚悟を決め、南十星は両手のトンファーを顎前に構える。
「あーらら」
そこに、まだ若い、のん気な女性の声が放り込まれた。
「ちょっと別の用事済ませてる間に、大変なことになっちゃってるじゃない」
今度は一塁側ベンチから、またも新たな人影が入場してきた。この場に相応しい様相で、しかし相応しくない異相で。
ヘルメットは被っている。
しかし野球用のヘルメットではなく、オートバイ用のフルフェイスヘルメットだ。
動きやすい格好をしている。
しかしオシャレ心を忘れていない街乗り女性ライダーの格好で、ユニフォームとは全く異なる。
長い棒を肩に乗せている。
しかしバットとは比べ物にならない、人間の身長を優に越える長さで、金属製だった。
「久しぶりに暴走しちゃったのね。樹里ちゃん?」
まるで観客の声援を受けて入場する打者のように、正体を隠した女性ライダーが、悠然とした足取りで戦場に乱入した。




