040_1200 影は黄昏に剣舞すⅠ~ミッション:インポッシブル~
昼近くになり、盛大に鳴くセミの声以外は静かな修交館学院で、スキニーパンツの上にチュニックを着たコゼット・ドゥ=シャロンジェが、部長らしく切り出した。
「理事長も不在な上に、今更な内容もあるでしょうが、情報共有のため、状況を整理しますわよ」
いつかのように、総合生活支援部の面々は部室に揃い、四人掛けのソファとパソコン前の椅子に着席して、真剣な面持ちで部会を開く。
ただ、あの時とは違い、駐車されているオートバイの姿はない。
そして部員たちの顔には、疲労と複雑な感情が浮かんでいる。昨夜の出来事と、ほぼ夜通しでの作業が、彼女たちに陰を落としているように思える。
テーブルの上には、湯気をたてる紅茶とピロシキがある。日本でピロシキと言えば揚げた惣菜パンだが、皿に並んでいるのは珍しく焼いたものだ。
紅茶を淹れた者がいつもと違うためか、コゼットが一口すすって眉を動かしたが、それに触れることはなく、緊急部会の議題を口にする。
「まず、《神秘の雪》ですわね……昨夜からトップニュースで報道されてますけど」
『その事』には触れず、コゼットは別の大事から切り出す。
昨夜、緊急会見で伝えられた情報は、テレビでも新聞でも大きく扱われていた。今朝の報道では、その会見の繰り返し、急遽ゲストに招かれたのだろう識者による解説、注意喚起を行っていた。
だから十路たちは学校にいた。理事長である長久手つばめの判断で、学校を閉鎖することに決めて、野依崎を除く全員が夜中のうちから動き、対策を行っていた。
「夏休みの宿題で、ちょーどその《神秘の雪》を調べてたけどさぁ……」
応じて堤南十星が背もたれに体を預け、緊張感ない調子で口を開く。彼女の気の抜けた態度は、むしろ真剣味がある時のものだ。
それは、あまり一般的に知られている言葉ではない。《魔法》が現われるより前には一度として観測されたことない、そして発生は極めて稀だとされている現象だからだ。
《魔法回路》のように、しかし明確な機能情報を持って形成されない状態で、大気中の《マナ》が青白く発光し、幻想的な光景を作り出す。
だから《神秘の雪》と呼ばれる。
「太陽フレアとか磁気異常の関係で、家電製品がぶっ壊れる自然災害とかなんとかってあったけど、詳しい原因は不明じゃ?」
近畿圏で《神秘の雪》と呼ばれる現象が発生する可能性が高く、衛星通信やGPSへの影響だけでなく、電子機器そのものも破壊される危険がある。
強い太陽フレアや、それによって引き起こされる磁気嵐だけでも、人工衛星や地上の電子機器に深刻な影響を与えることが、確かにある。
昨夜から報道各社は視聴者にそう注意喚起し、対応策なども報道している。
だから今、市内中心部では、大騒ぎになっているだろう。電磁パルス対策で一番簡単なのは、電子機器を金属で覆い、接地を取ることだ。トタン板やアルミホイルを買い求めるため、ホームセンターに詰めかける人々の様子も、朝のニュースで放送されていた。
「自然現象で起こる可能性は否定できないが、今回のは確実に違う。人為的なものだ」
南十星が疑問を抱いたのとは違う理由で、堤十路は、確信を持った否定をする。
十路は前の学校――陸上自衛隊特殊育成機関で、その機密情報を見ている。
昨日の夕方の時点では結びつかなかったが、こうなれば源水からナージャに発せられ、樹里が訊いたであろうメッセージ――その中の『明日』『雪』という内容は、これを示していたと考えている。
「俺が知ってる《神秘の雪》は、電磁パルスを使った、広範囲型の電子攻撃だ」
それに木次樹里が、驚きを浮かべて問い返す。
「まさか、核攻撃ってことですか?」
大量破壊兵器である核兵器を、非殺傷兵器として利用する方法――高高度核爆発と呼ばれるものは、一応の実用性が証明されている。
空気が希薄な高度一〇〇キロ以上の高層大気圏で、核兵器が爆発しても、深刻な被害をもたらす熱線や衝撃波はほとんど発生しない。その代わり、強力な電磁パルスが発生し、範囲数百キロにまで拡散して地表に降り注ぐ。
理屈上は人体に無害だが、強電磁波が電子機器を破壊する。通信・製造・交通・流通・送電・金融・医療、人の営みのあらゆる場所にコンピュータが介入している現代では、ある意味では直接的な攻撃よりも悲惨な結果を生む。
神戸も一五〇万人が暮らす大都市だ。しかも数百キロもの効果範囲があるならば、近畿地方全域を巻き込む。
いくら大量殺戮が目的ではないとはいえ、使用するのは核兵器だ。そしていくら《魔法使い》が相手とはいえ、大都市圏の経済活動を停止させる攻撃を行えば、国際問題に発展するに決まっている。
「違う」
彼女が驚く理由は予想はできたが、そもそも原理が違うと、十路は小さく首を振る。
「こいつの目的は《マナ》を常に稼動状態にさせて、かく乱状態を持続させる複合電子対抗手段だ。一応は《魔法》だから、効果範囲もある程度は任意で絞れる。副作用でやっぱり通信網はかく乱されて、一部の電子機器は破壊されるだろうが、むしろそういう電磁波的破壊を抑えたいがために考えられた方法なんだ」
「《魔法》を使った《魔法使い》への電子攻撃ってことですか?」
「あぁ。電子機器が大量にある大都市圏で、敵性戦力に《魔法使い》がいる場合を想定した、対テロ・対クーデター軍事作戦計画……それが通称《神秘の雪》だ」
《魔法》が使えなくなる場を作り続け、最強の軍事兵器《魔法使い》の手足をもぎ取る作戦。
昨夜はさほど詳しい説明をしていなかったので、十路が改めて話すとすると、軍事事情に詳しくない部員三名は息を呑んだ。
「アメリカ軍のデータでありますが、過去にホールデン州のケインフィールドという地域で実験が行われ、ひとまず成功したのであります……微妙な結果でありますが」
十路と共に例外であろう野依崎雫も、離れたOAデスクでパソコンを操作しながら補足説明をする。この異常事態のために、株価が変動しているのだろう。口調はいつもと変わらないが、額縁眼鏡越しの視線はオンライン株取引画面から離れず、手は別の生き物のように動いている。
「広範囲の《マナ》に、無作為な信号とエネルギーを与え続けることで、約一〇キロ範囲の《魔法》を使えなくする場を作ることは、実証できたのであります。しかし実験には複数名の《魔法使い》と同数の《魔法使いの杖》、更に予備バッテリーが必要だったそうでありますよ」
イタズラ電話を絶え間なくかけ続けて、相手の電話機を使えなくさせるような状態を、数千万規模の《マナ》に作るのだ。
普通に《魔法》を実行する時とは違い、効果を発揮させないよう、しかも止めどなくその状態を保ち続けるのだから、《魔法》を使うよりも遥かに労力が必要になる。
「更に一番の問題は、暴発の懸念でありますよ」
《魔法使い》が《魔法》を使えなくなっても、無力化したわけではない。その段階に問題があるため、実験は『微妙な結果』でしかないと、野依崎が続ける。
「作戦実行中、《マナ》はランダムな反応を示し、電磁波や静電気を放出するであります。そんな強電磁環境下では、一部の砲弾は使えないでありますし、銃弾や爆薬だって万全の保障はないであります。そもそも静電気の刺激で、うっかり銃の引金を引いても不思議ないであります」
暴走に近い無作為無差別な反応が起これば、効果範囲内にいるものは、敵味方関係なく影響を受けてしまう。
《魔法》を封じたとしても、敵《魔法使い》を制圧・無力化するための手段が限られ、事故の危険を伴う。影響を受けないために、範囲外から有効な攻撃ができるのであれば、そもそも能力を封じる意味もあまりない。
「これでは使いどころが非常に難しく、しかも周辺への破壊が不完全でありますから、アメリカ軍ではお蔵入りになった作戦なのであります」
「ですけど今回のお相手は、それを使うおつもりのようですわね……」
野依崎がまとめた話を、憂鬱そうにコゼットが引き継ぐ。
「そもそもなぜロシア軍がわたくしたちを狙うのか、背後関係が全く見えねーですけど……こんな大規模な作戦を、日本政府は秘密裏に容認してるってことでしょうし……色んな意味で厄介ですわね」
「しかも相手は特殊部隊。対人戦闘能力は、最強と言ってもいいでしょう」
「《魔法》なしで、そんなの相手にしていられませんわよ……」
状況分析に冷淡な十路の言葉に、コゼットは苛立たしげに金髪頭をかく。
彼女もまたこの事態に、冷静ではいられないように見受けられる態度を見て、十路はひとりごとに近い案を出す。
「……逃げるか」
難しい顔をしていた部員たちが、一斉に彼に注目した。野依崎だけは、右手にマウス、左手にピロシキを持ち、片時もディスプレイから視線を動かさないが。
猛獣の喉笛にでも平気で食らいつく彼からは、その言葉を意外に思ったような顔色を女性陣は示す。だが十路は態度を変えずに、怠惰な物言いを続ける。
「それが一番の選択だろ?」
《魔法》を封じられば、自分たちはただの学生でしかない。子供よりは多少は力があるが大人とは呼べず、社会の中ではまだなにもできない、なにかの卵でしかない。
今さらどの口で言っているのかと、十路自身も思うが、その選択もまた彼らしい。
トラブルはご免だから。解決できないほど複雑で大きな問題ならば、逃げることも辞さない。
「社会実験とはいえ、もともと民間人と一緒に《魔法使い》が生活しようなんて、無理があるんだ。ここらで普通の学生生活は終わりにする時が来たのかもしれない」
逃走が一時的か永続的かはさておいて、選択肢としてはあり得るため、付け加えておく。
特殊部隊が総合生活支援部と交戦する理由は不明のため、それも視野に入れておく必要がある。仮に今夜の交戦を避けたとしても、それ以後も付け狙われる理由は充分にある。
考えうる一番の行動だ。だから十路は提案したのだが。
ほんのりと怒気を込めた声で、樹里が問う。
「堤先輩。どこまで本心ですか?」
彼女の質問の意図は、なんとなく理解はできた。以前そのことで、樹里を怒らせたのだから。
「どういう意味だ?」
だが十路は、あえて気づかない振りをした。
「…………」
樹里は言葉で返さずに、不満そうに口元を曲げ、警戒の視線を真正面からぶつけてくる。
「…………」
彼女が不機嫌なのは当然わかるが、十路は気にせず視線を真っ向から受け止める。コゼットは不思議そうに、南十星はやや不安げに、視線を向けているのがわかったが、そちらは無視をする。
しばし視線を衝突させ続けると、樹里は『仕方ない』とでも言うような小さな息を漏らし、険しかった目元を緩めた。
「……じゃあ、質問を変えます。逃げられますか?」
だが、終わりではなかった。声もまだ理性的な不機嫌さで固いままだ。
やはり彼女との関係は多少変わった。以前の彼女なら、そもそも十路の考えに気づきもしなかっただろうから、踏み込んでも来なかっただろう。
「私たちは特殊部隊の人たちに、監視されてるんじゃないですか? 神戸市内から逃げ出せないようにするために」
「……確認はしてないけど、だろうな」
仕方なく、肯定する。
北部の山側には既に陣地を敷いて、既に自分たちを監視し、いつでも襲撃できる体制が作られて当然だろう。
「私たちが逃げようとしたら、街中で交戦することになるんじゃないですか?」
「そうなる可能性は高い」
これもまた肯定する。
南部の街側も手を抜くはずはない。陸上兵器を用いた大規模部隊運用は不可能でも、特殊部隊らしい隠密部隊運用は、既にされて当然だろう。
「バラバラに逃げれば、なんとかなるかもしれませんけど、堤先輩はどうやって逃げる気ですか?」
この話の流れでは、やはりそれに言及するかと、十路は内心でため息をついた。
「《バーゲスト》があれば、話は別でしょうけど……相手の戦力がわかってない今の状態じゃ、先輩が逃げるのは難しいですよね?」
樹里が疑問形の断定口調で言うように、十路だけは逃走が難しい。
十路の《魔法使いの杖》は突撃銃だ。支援部員が一般人として生活しているのに、一般市民の見ている前でそれを使って戦うわけにはいかない。
《使い魔》があれば、誤魔化しながら交戦することも、強行突破も充分に可能だが、今はない。
《魔法》を使う様子を見せない野依崎にも同じことが言えるが、小さな彼女ならば一緒でも負担になりにくいだろう。
しかし十路が非戦闘員と化すと、完全な足手まといになる。近接戦闘に特化している南十星はもちろん、樹里やコゼットでも、一般市民の被害を考えながら、尚且つ彼を守りながら逃走するのは、難しいだろうと考える。
だから十路は、逃走を提案したのだが。
「そんじゃ、やる事はひとつっきゃないじゃん?」
南十星が歯を見せて笑いながら、やる気を見せる。
「やりたかねーですけど……やるっきゃねーですわね」
コゼットは金髪頭をガリガリと搔いて、憂鬱そうに賛意を見せる。
「おいおい……」
十路にとっては望まぬ方向に話が進んでいることに、呆れることしかできない。無茶をしがちな彼自身が、彼女たちに文句を言えるはずないが、ソファに座る他三名は、正気とは思えないことを前向きに検討し始めている。
「となると、どこでどうやって戦うか、ですけど」
「一般市民には秘密裏に、迅速に対処しないとならねーってことですけど」
「人間兵器丸出しってワケにもいかないんだよね、このブカツ。めんどくさー」
一般人に混じって生活する社会実験チームとしては、《魔法使い》は緊急時には有用な、そうでない時は無害な存在でないとならない。
たとえ正当防衛だとしても、それとわかる形での対抗や反撃も好ましくない。以前の部活動では一般市民を巻き込んだ戦闘を行ったが、それは大規模な小細工を仕組んだ上でのことで、今回も通用するかは怪しいと十路は判断する。
総合生活支援部員たちは、国家に管理されていない《魔法使い》であるために、戦う宿命を持っている。
同時にその戦いには、多くの束縛がある。
そしてこの戦いにも、大きな束縛が予想される。
「相手がどこに何人いんのか、わかってないんだよね」
南十星が言うように、相手の部隊規模がわからない。
「だから街中でうかつに高出力の《魔法》とか使えば、わたくしたちが危険視される、対外的な突っ込みどころを作ってしまいますわ……いっそ大陸間弾道ミサイルでもブチ込んでくれた方が楽ですわね」
コゼットが言うように、戦闘規模が予測できない。暗闘で終わらせられるか不明だ。
「そもそもわたしたちが動いても、《神秘の雪》を発動されると意味がないですし……」
樹里が言うように、切り札の使われどころがわからない。自由に発動できるのであれば、部員たちがノコノコ出てきたところを無力化し、容易に返り討ちにできてしまう。
議論が行き詰り、敗北が免れない予感に、半屋内のガレージハウスには重苦しい空気が満ちていく。
「ミスタ・トージ。一番効果的な戦場と戦闘タイミングを、ハッキリ言ったらどうでありますか?」
そこに野依崎が、振り向きもせずに言葉を放り込んだ。
(余計なこと言うなよ……)
また向けられた女性陣三人の視線に、十路は小さく舌を打つ。
このまま『打つ手ない。だから逃げよう』という流れにするのが一番のため、あまり言いたくはない。彼女たちが戦う気になっているから、これを教えると本当に引き返せなくなってしまう可能性がある。
とはいえ口をつむぐ事は許されそうにないために、十路は考える限り最良の、絶望的な危険策を教えることで、彼女たちが折れることに期待した。
「……一番いい作戦ポイントは、ここ。一番いいタイミングは、相手のタイミングで《神秘の雪》を発動した時」
「ふぇ? それって……」
察したらしい樹里の声を聞き、なぜか自然と十路の視線は、壁際のコンセントを彷徨った。
これくらいは言っても問題ないかと判断し、そして黙っても今更だと、十路は息を吸って明言する。
「学校におびき寄せて、《魔法》なしで特殊部隊を迎撃するしかない」




