040_1110 触れるに困る腫れ者Ⅶ~白い豹の影~
先制攻撃は南十星からだった。
なんの衒いも小細工もなく、無造作に間合いを詰めて、拳を突き出す。
応じてナージャも動く。
円を描くように腕を動かし、手の甲を打ち付ける弧拳でいなす。
破壊力よりも速度を。一発食らえばテンポが乱れ、続く技を防げなくなる。
考えて動いていたのでは間に合わない。ほぼ条件反射で技が駆使される。
二人の無意識の心理が合わされば、秒間一〇発近い連続衝突に発展する。
南十星が膠着に痺れを切らせば、二段構えの空中回し蹴りが繰り出される。
初撃は空を切らせ、ナージャは連撃にベクトルを加えて叩き落す。
難なく足から着地すると、半歩詰めると同時に拳を突き出す、形意拳の崩拳。
たまらず両手で受け止めて、ベクトルに逆らわずに距離を開く。
そして、一時停止した。
二人はまだティーンエイジャーの学生だ。年齢からはハイレベルすぎる攻防だが、彼女たちはこれでも全力ではない。格闘技を得意とする南十星の練習相手に、ナージャも時折付き合っているため、この程度ならば組み手練習と大差ない。
《魔法使い》の真骨頂、《魔法》をまだ使っていない。
「あたし、言ったよね? 兄貴の信用を裏切るなら、絶対に許さないって」
全く乱れていない息で、南十星は問う。
「そういえば、そうでしたね」
平素の呼吸へ戻し、ナージャは応じる。
「だけど、裏切るんだ?」
両手でトンファーを握り締める。
ジャンパースカートを残し、光る幾何学模様のボディスーツが、小柄な体を覆う。
「そうなっちゃいますね」
左手をホルスターに突っ込む。
見もせず操作すると、ひと回り大きい漆黒の鎧が、長身の体を覆う。
「あっそ」
気のない言葉と爆音と共に、南十星が突撃してきた。
圧縮冷却した固体窒素の爆発で、亜音速まで加速したあびせ蹴りなど食らえば、見た目子供の打撃とはいえ、殺人的な破壊力になる。
しかしナージャは身じろぎひとつせず、一回転しながらの肩口への蹴りを、甘んじて受け止める。小さな爆発を利用し、作用反作用の法則を無視したように、空中で振り下ろされる拳の連撃も。重力を無視したように、真横になっての側頭部へのかかと落としも、全て。
《魔法》で発する散発的な破裂音と、肉がよじれる歪な音が響く、激しい一方的な攻撃は、仕掛けた南十星が止めた。
「気が済みました?」
「まだまだ――っと?」
《魔法》を解除するナージャの問いに答えつつ、南十星は着地と同時によろめいた。膝に力が入っていない――というより、関節が奇妙な状態になっている。
「なるほろ。結局固い壁殴ってんのと同じわけね。手ごたえなくても、強制的に運動を止められると、反作用でこっちが潰れんのか」
足だけではない。足首や肘や肩も脱臼を起こしている。一見無事な関節も捻挫を起こしているのは想像に難くない。
南十星が動く左腕を右肩にかけて、小さな爆発を起こした。どうやら外れた関節を、無理矢理元の位置に押し込んだらしい。普通の少女ならば激痛に泣き叫ぶだろうが、彼女は顔色ひとつ変えない。
他の関節にも乱暴極まりない応急処置を施していく南十星に、ナージャは舌を巻く。彼女の《魔法》は垣間見たが、実際に相対するとやはり強く思う。
堤南十星は狂っている。人としての倫理はひとまず正しくあるが、生物として大事ななにかが欠けている。
敵に回せば、厄介すぎる。
「その《魔法》……反則だっての」
不意に話題に出され、ナージャは思い出し、驚いた。
「そういえば有耶無耶になって話してませんでしたけど、わたしの《魔法》のこと、わかっちゃいました?」
「いくら《魔法》でも、まさかって思ったけど、他に考えられない」
肩や足の動きを確かめながら、南十星は推論の根拠と断片を披露する。
「超音速行動は、自分が速く動いているっつーか、回りと違う時間の流れに身を置いて、ふつーに動いてるだけなんしょ」
だからナージャを捕まえる際、車を追い抜く速度で行った鬼ごっこは、南十星と走り方が違っていた。
固体窒素の爆発で無理矢理加速するのだから、南十星は足を速く動かす要がなかった。
周囲よりも早い時間の中を疾走しているのだから、他の者が見れば、ナージャは倍速で動いているように見える。
「あたしの《躯砲》とは違うだろうし、加速する時には、さっきの影っぽいのを身にまとう必要あんだろうね」
そもそも生身での超音速行動は無謀すぎる行為だ。
一番の問題は、人間の骨格と筋肉では、そこまでの力を出せないからだが、それが可能だとしても、防御性能が問題になる。静止している時に銃で撃たれるのと、宙に放り投げられた石に音速で突っ込むのは、同じことだ。風に舞う木の葉に触れただけでも、高速機動する人間には致命的になる。
これを防げない以上は超音速行動など不可能だが、南十星の場合、防御は捨て、代わりに自己修復機能を備えて対応している。
だが、そんな考え方は普通ではない。
「時間を停滞させてる空間は、物体も熱も粒子も放射線も衝撃も、通さないってことなん? だから光を通さず黒く見えるし、センサーの反応なんてなくなるし、デタラメな防御になんのかね?」
黒鎧をまとったナージャの姿は、周囲との光学的差異――つまり目視以外では確認できない。
以前、樹里が放った戦略攻撃術式の直撃にすら耐えた。
時間と空間は不可分だ。そして空間は物質・エネルギーと不可分だ。
限定空間内の時間経過を限りなくゼロに近づけるという、数学上の仮想条件下でしか起こりえない現象が起こるならば、それは絶対的な防御能力となる。
「相対性理論だと、時間の流れを変えるには、ブラックホール級の重力が関係するんじゃないっけ? だけどそーいう影響はないように思うんだけど?」
「わたしも勉強しましたけど、その辺りは本当に理解できてないんですよ。ロシア軍部でもトップシークレット扱いで研究されてましたけど、匙投げてたみたいですし」
「そか。ま、あたしの頭じゃ説明されてもわかんないけどね」
「そこまで理解してて、ですか?」
「あたしは本ナナメ読みした程度だから、ここまで。兄貴とぶちょーも勘づいてるっぽいし、二人ならもっと詳しいことわかってるかもね」
抱えていた疑問と意見は、おおよそ出し終えたのだろう。南十星は苦笑のようなものを浮かべ、しかしそう呼ぶには凶悪な表情で結論に至る。
「さすが二一世紀の《魔法》はオーバーテクノロジーって感心するけど……それよか、ナージャ姉がそういう術式を持ってるってのが怖いね。なんか笑ってる裏で、すっごいドス黒さとか持ってそう」
「その評価はちょっと頂けないですね」
苦笑を浮かべて反論しながらも、ナージャは内心でその言葉を肯定する。
デンマークの理論物理学者ニールス・ボーアは『量子力学がわかったと思えたら、あなたはまだそれを理解できていない』と言った。
そして二一世紀の科学史において、時間は証明も観測もされていない。一般的に時間と思われているものは、地球の自公転を、振り子の周期運動を、水晶の振動数を、原子のスペクトルを基準して、『時刻』に置き換えて定義しているに過ぎない。
つまり時間の物理学的証明は、イメージすら困難な領域なのだ。そんなことができるのは、天才か、その逆だけだろう。
「ナトセさんの推測は正解です。わたしの能力とこの《魔法使いの杖》は、時空間制御に特化してます」
だから自身の狂気も、明確に肯定する。
家族。義母。鬼心。偏狭。幽閉。暗黒。錯乱。酷寒。恐怖。飢餓。慟哭。遅滞。空白。絶望。停止。
《魔法使い》の能力は、人生経験から作られるならば、なにを糧にこの狂気が育まれたか、思い出したくない過去から推測できる。ただ幸いにも幼子の頭では、理不尽は感じても憎悪にはならなかった。
「特化してると言っても、応用範囲はけっこう広いんですよ」
笑顔でナージャは、ホルスターから取り出した《魔法使いの杖》を左手に握り、右手はタクティカルベストのポケットを探る。
異形の電子機器の液晶画面を、手馴れた様子で左手親指一本でスワイプし、タップする。
右手で取り出したのは、紙に包まれたままの飴玉だった。中指と親指で輪を作り――いわゆるデコピンの形にして、人差し指と薬指で飴玉を挟み持ち、手の甲を向ける。
「?」
南十星の眉が、疑問で動く。きっと飴玉の出現理由にも、奇妙な持ち方にも、現象にも。
《魔法回路》は青白い光を帯びる。《マナ》に命令とエネルギーを伝える過程で、電気火花や稲妻と同じ理屈で輝線を放つからだ。
なのに飴玉が、純白に染まった。
そしてその上から、夜闇よりも黒い《魔法回路》が発生して、光を完全に覆い隠す。
「こんな事もできます」
直後に離れた場所に立つ木が、半ばから折れ飛んだ。《魔法》を付与して加速させて弾き飛ばし、衝突変形など無視する硬度を持つ飴玉は、散弾銃の一粒弾並の破壊力があるらしい。
だが南十星は、指弾を感知する前に、爆音と共に動いていた。
応じてナージャも黒鎧をまとって、自分から踏み込む。
きっと近くで見る者がいたら、二人が瞬間移動したと錯覚しただろう。肉体を砲弾に静止状態から超音速へ。そして速度はそのままに鋭角な移動をして。更にはトンファーと四肢がぶつかる瞬間に。不出来なコマ送りのように、離れた場所で輪郭を明確にする。もっともその観測者は、撒き散らされる衝撃波と、砕かれてめくれ上がったアスファルトの破片で、無事でいられるはずないだろうが。
「こちとら必死こいて内臓潰しながら加速してんのに、ヒキョーだっての……」
靴底を削って急制動し、南十星は血の混じった唾を吐き捨てる。
対するナージャは静かに佇む。
なにも変わらない。これまで三合。実際に手足が衝突した回数は一〇倍以上だが、三度衝突してどちらも痛打を与えられていない。南十星が一方的に自爆負傷しているが、同時に回復しているので実質ノーカウントとする。
「あ。そうそう。ついでにもうひとつ、わかったんだよ」
「まだなにかありました?」
四合目が開始する。そんな瞬間に南十星が思い出したように口を開く。
油断を誘うためのブラフとも取れるタイミングだ。不意打ちはありえないと考えたものの、気は抜かず、だけど普段と同じようにナージャは問い返す。
「ナージャ姉と何回か組み手してっけどさぁ、テンポとか間合いの取り方が、なんかミョーだなーって思ってたんだ」
ブラフではないらしい。なにを理解したか想像できず、彼女の洞察力にナージャは耳を傾ける。
「システマとかいう軍隊格闘術のせいかと思ってたけど、そーじゃないんだね。源水に相手してもらって、やっとわかった」
想像できた。
ここらで潮時だろうと、ナージャは地面に片膝を突く。南十星の話を聞きつつ《魔法使いの杖》を操作し、その上部をアスファルトに押し付ける。
「ナージャ姉の本領は、素手と違うんじゃない? たぶん――」
そして、抜く。
「剣」




