040_1100 触れるに困る腫れ者Ⅵ~あるいは裏切りという名の犬~
「…………」
総合生活支援部の部室から大型オートバイを引き出し、ナージャは小さく吐息をつく。
やはり暗闇は慣れることができない。速くなった動悸を鎮めるように、部室前の広場に出て、深呼吸をひとつ。胸中にわだかまった煙のような不安を吐き出し、夏の匂いのする空気を新たに吸い込んで。
緊張を誤魔化すように、舌で飴を転がして、歩き始める。
《使い魔》を持ち出したことは、一度や二度ではない。国際免許を持つ彼女は、お茶請けや備品の買出しに、支援部員になる前から《バーゲスト》を使っていた。
その時は十路に話を通していたし、最低限オートバイ当人に確認を取り、イクセスが否というのであれば遠慮していた。
そして勝手に持ち出したとしても、コゼットや十路は文句を言っていたが、『言っても仕方ない』と思われているのか、あまり強くは言われなかった。
だが今回は、その時とは異なる。事情も、反応も。
今の彼女は、長袖の防刃シャツに、下半身のラインを浮き立たせるフィットするパンツ。その上からタクティカルベストをつけ、左脚にはホルスターを装着している。
いつかと同じように、黒づくめの格好をしていた。覆面はないが、手足は軍用のブーツとグローブをつけているため、彼女の白い顔と白金髪だけが、夜闇の中に浮かんでいるように見える。部室に置いてある、いつも十路が使っている黒いフルフェイスヘルメットも持って来ているので、それを被れば白い露出も闇にまぎれてしまうだろう。
「……すみませんね、お付き合い頂いて」
ナージャは話しかける。だが、《バーゲスト》からの返事はない。
それが当然だ。彼女の行為により、返事がないのだから。そもそも話しかけたのは、自分の気持ちを誤魔化すためで、返事を期待したものではない。
彼女はそれ以上は黙って、大型オートバイを押して歩く。深夜の今、道行く者がいるはずないから、乗って出ても構わないのに、律儀に。
そして、学院の敷地最下部にある、校門前のロータリー兼来客用駐車場で、足を止めた。
修交館学院の表玄関には、部外者の出入りを制限するために、守衛室が設置されている。
その小さな建物は、設置された常夜灯により、夜に姿を浮かび上がらせている。夏の夜ともなれば、その光に誘われて、多数の羽虫が集まる。
たかられることを嫌ってか、光がギリギリ届く離れた場所に、小さな人影が立っていた。
学校外ではいつも髪を下ろしているのに、まだ横で短いサイドテールを作って揺らしている。
深くスリットの入った改造ジャンパースカートの腰に、ベルトを巻いている。そのホルスターには、一対のトンファーが収まっている。
昼間と同じ――そして武装スタイルでもある、学生服姿の南十星がスマートフォンをいじっていた。
もっと前から気づいていたのだろうが、ナージャの接近に顔を上げて、南十星はスマートフォンの電源を落とす。
「夜九時には寝るはずのナトセさんが、こんな時間にどうされたんですか?」
オートバイを駐車場の片隅に停めて、ナージャだけが歩み寄りながら問う。声には緊張も後ろめたさもふてぶてしさも乗せず、いつものままを心がけて。
ただ、来た、としか思わなかった。彼女の登場に意外はない。
「ほとんど勘だったけど、なーんかヤな感じがしてね……どーやら起きて待ってて正解だったようだね」
スマートフォンはポケットには入れない。足元に置いていたアタッシェケース型の空間制御コンテナに収めて置き去り、普段より気の抜けた様子で、南十星は歩み寄る。
「こんな夜中に、イっちー連れてどこに行く気なのさ?」
「説明すると長くなるので、見なかったことにしていただけませんか?」
「ダメだね」
「……困りましたね」
気のない会話を交わして、五メートルほどの距離を残し、二人はほぼ同時に歩みを止める。
南十星の幼さを残した中性的な顔には、なにも浮かんでいない。
怒りは出さない。赤い感情は判断力を鈍らせる。
憎しみは出さない。黒い感情は目を眩ませる。
冷たくも燃え盛っている青い感情は、茶色い瞳からしか覗けない。
普段の女子中学生とは一線を画す、戦士としての南十星の姿に、ナージャは小さく感心する。
(さすが、本職ですね)
その手の訓練は受けたとはいえ、自分以上の。
「…………ふぅ」
迷いで心を乱すのは、これが最後だと、決意を示すように飴を噛み砕く。
覚悟は決めた。もう引き返すことはできない。
彼女が修めた武術・システマの基本原則は、四つ。その教えを忠実に再現する。
呼吸法。細く長いものに変え、力まず呼吸を続ける。
直立姿勢。不自然な力を入れない程度に、背筋を伸ばす。
リラックス。すぐさま反応できるよう、肩の力を抜く。
移動。相手のリズムを乱すため、ゆっくり横に動いて円を描く。
さぁ、一世一代の大勝負。
裏切りを始めるとしよう――




