040_0910 触れるに困る腫れ者Ⅱ~獣の剣~
いつもならばこの時間、既に裂帛の声と竹がぶつかる音が響いている。しかし今日の武道館は森閑として、外から聞こえるセミの声がよく届く。
広い板間の屋内に、剣道部員も薙刀部員もおらず、いるのは二人の人間だけだった。
一人は、胴着袴姿で竹刀を手にする、巨岩のような老人――剣道部外部コーチ・長瀬源水。竹刀の柄に手をかけず、刃部分の根元を左手で持ち、居合の姿勢で構えている。
もう一人は、いつも通りの改造学生服に身を包んだ、小柄な少女――堤南十星。握りが中途半端な無手を構え、踵をわずかに浮かせている。
空気は張り詰めているが、殺気立ってはいない。だから十路と樹里は、物音を立てないように中に入り、隅に置かれた南十星の空間制御コンテナを拾い上げ、二人の対決を見守る。
根拠はないのだが、止めなくても問題ないと思えた。そこにいるのは生死を分かつつもりはなく、ただ純粋に修めた技の優劣を競おうとしている、二人の武人にしか見えなかった。
屋外の音がなければ、時が止まったようにも思えるだろう。あと一歩で竹刀を持つ源水の、あと三歩で無手である南十星の、残る間合いを詰めずに制止している。
不意に、セミの声が止んだ。
それを合図に動いたのは、やはり源水だった。鞘がないため形式的なものでしかないが、踏み込みながら竹刀を抜き放ち、南十星の頭に振り下ろす。
南十星は動かない。いや、動く。
交錯が、高い天井に響いた。
南十星は避けずに、いわゆる真剣白刃取りを行おうとしたが、失敗した。昔のコントのように、竹刀が頭に振り下ろされた後に、頭上で合掌した。
三秒ほど、そのまま間抜けな時間が過ぎて。
「のぉぉぉぉっ!? 痛す! 痛いっす!!」
南十星が頭を抱えて板間を転がり回った。
「なっちゃん、大丈夫?」
「手加減されたから、コブができる程度……おーいて」
心配げに駆け寄った樹里に、南十星は頭をなでながら答えて起き上がり。
「なにやってんだ……」
「おっちゃんの剣術を見たかったのさ」
呆れる十路が差し出す空間制御コンテナを受け取りながら、説明する。
「初実剣理方一流――ネットで調べたら、甲冑装着の抜刀術なんつー珍しい剣があるんだってさ。だからどーゆーモンか体験したくて頼んだ」
「ここに置かれていた練習刀は壊れてしたまったから、見せたとは言えぬがな」
巨躯では短く見えてしまう竹刀を、杖のように両手で突き、源水が補足する。
確かに珍しい。さほど武術流派に詳しいわけではないが、甲冑装着の抜刀術など、十路は聞いたこともない。
もしも騙るならば、もっと知れ渡った流派を名乗るだろうから、本当に修めているのかもしれない。ただそれはそれで新たな疑問も生まれるが。
「そんで、兄貴とじゅりちゃんは、なにしにここ来たん?」
南十星が問うのを無視して、十路は源水に話しかける。
「剣道部員と薙刀部員は?」
「今日より合宿だ」
「あぁ、今日からなのか……」
ならば高遠和真は、しばらく部室に来ないかと思い至る。ナージャが支援部に入部となれば、なにか言われそうだともチラリと考えたが、先のこととして捨て置く。
今は部外者がいないことを、丁度いいとだけ考える。
前に話したときは丁寧語を使っていたが、今は無礼を承知で、普段の口調で語りかける。正確に言うなら、十路は無礼とも思っていない。
長瀬源水を名乗る男は、もはや礼節を守るべき相手ではない。
「アンタは行かないのか?」
「正式な顧問がおるでな、本来外部の者である我が行く要もない。それに短期の契約であったから、仕事は昨日で終わり、今日は片付けに来ただけだ」
「そんなところにウチの妹が無理を言ったみたいで、悪かったな」
「この程度は構わぬ。お主の妹も、なかなか面白いでな」
源水は熊のようなヒゲ面を歪めて、豪快に無邪気な笑みを浮かべる。
十路はそれに受けて、野良犬のふてぶてしい笑みを返し、言い放つ。
「じゃ、これからがアンタ本来の任務か? 旧赤軍参謀本部情報総局、特殊偵察班長。暗号名『蜂蜜を喰らうもの』――オレグ・リガチョフ元大佐」
野依崎が携えた調査報告にあった名前で呼んでも、源水の表情はさして変わらない。日本人にしか見えない顔は『ようやく理解したか』とでも言たげに、むしろわずかに笑みが深まった気もする。
「社会体制崩壊以前からの生え抜きってことで、前に資料を見たことあるんだが……二〇年以上前のピンボケ顔写真だったから、会っても全然わからなかった」
「それでも我だとわかる顔写真を撮られていたとはな。日本の諜報機関もなかなか優秀なようだ」
「あと、まだ現場に出てるなんて考えてもなかった」
「我も歳だ。とうに引退しておるわ。だが古い知り合いに頼まれて、仕方なく引き受けることもある」
「ご苦労なことで」
「ところで、ナジェージダが我のことを吐いたのか」
「いいや、別口からの情報だ。ナージャは何度訊いても、アンタのことを話そうとしなかった」
「拷問してもか?」
「そこまでやってない」
「お主も温いな。《騎士》などと呼ばれている割に」
「支援部の顧問が、部員として引き入れる方針だったからな。あんまり手荒なことができなかった」
きっと本来ならば出会わなかっただろう。過去に闇にまぎれて狩りを群れで行っていた熊と、孤独な戦いを強いられた元軍用犬の野良犬は、軍事組織という共通する小屋で飼われていたが、その性質と年齢が違いすぎる。
なのに共通する古強者の空気を放ち、十路と、源水と偽名を語る男は、親友の再会のように笑い合う。
長杖を構える樹里は、野依崎の報告を読んでいるから当然警戒している。
南十星は緊張感の欠片もない態度と口調で、しかし空間制御コンテナからトンファーを取り出しながら、兄に確認する。
「兄貴。つまり、このおっちゃんも敵なん?」
「それもとびきりのな。どこまで本当か知らないが、《騎士》だって言われてる」
「ふぇ? 《騎士》って……?」
野依崎の持ってきた情報にはそこまで書かかれていなかったため、樹里が険しかった顔を疑問で緩めて、源水の姿を改めた。
彼の年齢は、どう低く見積もっても老年の域に達している。つまり、最高齢でも三〇歳である《魔法使い》であるはずがない。
なのになぜ、不確定とはいえ、軍事兵器としての《魔法使い》の代名詞で、その男が呼ばれるのか。
「何人倒せばとか、どう倒せばそう呼ばれるとか、《騎士》って呼び方に正確な定義はないんだが……どういうわけかそう言われてるんだ」
十路もその理由は知らない。
ただ、絶大な力を発揮する超人であっても、《魔法使い》は人間である以上、弱点が存在する。
「《騎士》などとは、つまらぬ呼び名よ……中世に持てはやされた、戦場の誉などとは無縁だというのに」
そして特殊部隊員だった源水が、自嘲めいた言い方をするのは、きっとその弱点を突いたことで《魔法使い》を仕留めたからだろうと推測する。
「一応言っとくと、英語で騎士と騎兵が区別されるように、歴史上厳密な意味で『騎士』だった連中はごく一握りで、あとは一般市民より下っ端の浪人だったらしいぞ。あと職業軍人なんだから、諜報や暗殺に特化した連中もいて当然だ。アンタの考える『騎士』は飾りすぎてる」
十路も《騎士》という呼び名を嫌っている。だが彼とは理由が異なる。
だから余計な口を叩いて、本題に入る。
「ナージャがなにも言わないのは、アンタになにか恩義があるからか?」
可能な限りの情報を得ようと、十路は疑問を投げかける。
《魔法使いの杖》と接続した樹里も南十星も、警告しないことから、源水は火薬や金属の類を一切持っていないだろう。距離を開けておけば、ひとまずは安心できる。
「恩義を感じてるのかは知らぬが、ナジェージダは我のことを『ペダゴーグ』――師匠と呼びおるから、相応の敬意は持っているのだろう」
「師匠ね……イジワル継母と義理の姉にいじめられてた、哀れなシンデレラを見初めた王子様ってのは、アンタか?」
「あの娘をしかるべき場に連れていき、兵士としての根本を叩き込んだのは我だが、王子などという柄に思うか?」
寝物語に聞いた過去を確認できた。
だから未来の確認を取る。
「このままナージャは、ウチの部で引き受けるってことでいいのか?」
「ナジェージダはなんと言っておる?」
「そこのところがハッキリしないから、正直困ってる」
「そうか……あの娘も相変わらずで、困ったものよ」
話している間、ほとんど顔色を変えなかった源水が、ここに来て表情を動かし曇らせた。孫娘の優柔不断を心配する祖父にしか見えない。
「だが、こうなった以上は、我が出しゃばる問題ではない」
部室でのナージャと、同じ言い方だった。
やはり冷たい言い方に思えるが、先ほどの心配顔を見る限り、これが信頼の証なのかもしれない。
「ナージャが対外情報局をクビになったのは、アンタらの作戦の一環じゃないってことか?」
だが十路は用心を重ねる。答えは期待していないが。
「もしそうだと答えたら、お主らはどうする?」
「逆に聞きたいな。俺としてはトラブルご免だから、穏便に済むならそれに越したことはないんだが?」
「先ほど言った通り、今日は片付けをしに来ただけだ。大人しく引き下がるが、明日はどうなると思う?」
互いが問いに答えることなく問いをぶつけ、言葉が途切れると不敵に睨み合い、緊張が高まっていく。
手合わせ程度は避けられない。そんな空気が高まったところに、外から異音が届いた。距離がある分小さいが、まるで映画の中で、突進した車がバリケードを突き破る音そのままだった。
続いて火薬の爆発に似た音が響き、花火のようなヒュルヒュルと間の抜けた――だが正体に気づいた十路には、殺意を含んでいるとわかる音が届く。
「迫撃砲! 散開!」
何者かが学院に強行突入し、駐車場から砲撃してきた。そう推測した十路は、樹里と南十星に警告し、武道場の隅へと避難する。
そして砲弾が屋根に着弾した。
爆発の衝撃波は基本、上や横に広がるため、下方向へは弱い。盛大に屋根を破壊し、破片が板間に降り注いだが、さほどの被害はない。迫撃砲は口径の大きなものではなかったのだろう。もしかすれば更に榴弾の炸薬も減らしていたのかもしれない。
だが一発では終わらない。再度小さい砲撃音が数度、響く。駐車場から武道場までは、それなりの距離があるにも関わらず、破壊された屋根の穴から、砲手は正確に砲弾を撃ち込んだ。
今度は榴弾ではない。瓦礫に跳ね返って転がる砲弾は、白煙を噴き出し、視界を白濁させる。
「催涙ガスです!」
樹里の報告を聞いてか聞かずか、南十星が動く。
「そこかぁ!」
白い煙の中で人影が蠢いて、竹を打ちつける音が数度響く。
催涙ガスの中で、南十星と源水が戦っている。しかし《魔法使いの杖》がなく、脳内センサーが発揮できない十路には、戦況がわからない。
やがて、なにかが瓦礫に衝突する音と、源水の声が届いた。
「次こそ剣を交えようぞ、若き戦士たち」
つまりは宣戦布告。交戦の意思を伝えてきた。
口元を手で押さえて瞼を閉じて、催涙ガスを突っ切ろうにも瓦礫が邪魔をする。
十路が破壊された武道場から出た時には、巨躯の老人の姿は既にない。代わりに駐車場から一際大きなエンジン音が響いたため、襲撃者たちと合流して逃走したのだと見当つける。
「こっちは会いたくないっての……」
粘膜への刺激と、唾とを一緒に、十路は吐き出す。
今度は特殊部隊と戦わなければならないらしい。それもいつ、どこで狙われるかわからない状態で。
「ぶはぁっ!」
遅れて樹里と南十星が、催涙ガスの中から飛び出してきた。
「大丈夫か?」
「けほっ、けほっ……ばい゛……」
感覚が鋭敏な樹里には、催涙ガスは人一倍苦しいのかもしれない。涙をボロボロこぼし、あまり大丈夫には見えないが、気丈に返事する。
「兄貴、おっちゃんは?」
催涙ガスの中で打ち負けたのだろう。南十星は脇腹を押さえて顔をしかめている。
「逃げられた。やっぱり俺たちのトラブルは、戦りあって解決するしかないらしい」
「今に始まったことじゃないんじゃないの?」
「まぁな。むしろ宣言してくれた分、マシかもな」
自分たちの境遇を考えて、十路は早々に諦めをつけて、アッサリと言い切り。
(……でも、どうやって事態を把握した?)
外部からの攻撃タイミングに疑問を持った。
「木次。催涙ガスで大変な時に訊くのもなんだが、電波とか感知しなかったのか?」
「ふぇっひょん! ぐすっ……近ぐでぞれっぼい電波ば感じまぜんでじだ……ぷぴー」
乙女的に悲惨な有様になっているらしい。後ろを向いたまま樹里が答える。
となると、武道場内に盗聴器が仕掛けられていた可能性は、除外していいだろう。
あと考えられるのは、離れた位置からの盗聴ということになる。
携帯通信端末など、一人一台以上持っている時勢、電波はありふれてる。電磁波を放つ電子機器も、学校ならばそこかしこにある。
異能を持つ樹里がそれらを感知しても、盗聴してると認識していなくても不思議はない。
だが、校外から、しかも真夏の日中となると疑問に思う。距離がある上に騒音の中で、正確に屋内の会話を聞き取れるものなのだろうか。十路も専門家ではないので、最新技術にそこまで詳しくはないが。
それこそ《魔法》でも使わない限り、不可能な気がしてならない。
「兄貴、どうすんの?」
問う南十星に、首筋をなでながら答える。
「とりあえず、部長にご出馬願って、修理だな」
十路は破壊され、白煙を漏らす建物を振り返った。




