040_0811 嬉し恥ずかし逮捕軟禁Ⅲ~運命の皮肉、またはいい湯を~
陽が落ちた頃合に、普段は住人たった一人しかいない十路の部屋は、人口密度が上昇した。
昼食の重箱と同様に樹里と南十星が合作した、フォークとスプーンを使う洋食メニューで、学生服姿のまま五人一緒に夕食を摂りつつ、別行動をしていた間の情報共有を行う。
「ナージャの着替えは準備できたのか?」
「はい」
十路が問うと、樹里はスプーンを止めて、部屋の隅に置かれたキャリーケースを、複雑そうな視線で示す。
「ナージャ先輩の部屋って、恐ろしいくらいに殺風景でした……服どころか、家財道具全部ケースひとつに入りましたし……」
彼女は日中、ナージャが生活しているアパートに赴き、着替えを取ってきていた。
十路もナージャを送った際、暗い時に一度見ただけだが、お世辞にも上等は呼べない安アパートの様子を知っているから、情報と合わせて考える。
(諜報活動拠点って意味なら、雨風しのげて寝起きできれば充分って考えか……)
今のような事態になる可能性を考えていたならば、即刻放棄や移動ができるように。もっと悪い事態も想定していたなら、身元などの証拠を残さないために。生活に関わる全てを最低限にしていたのだろう。
十路がそんなことを考えていたら、樹里の報告はまだ続いた。
「あと、七〇のFでした……」
彼女が虚ろな瞳と暗い顔でなにを言ってるのか、十路はとっさに理解できなかった。アルファベットへの想定はともかく、男ではその数字に馴染みがないから。
でも普段は人懐こい子犬のような樹里が、このような態度を見せる時は、コンプレックスを炸裂させた場面だと思い至った。きっとケースを検めた際にでも確認したのだろう。
「ナージャのブラのサイズとか、どうでもいい……」
「「どうでもよくないですよ!?」」
多少は反応に迷いながらも十路が返すと、樹里と、なぜかナージャが声を合わせて叫んだ。しかし彼女たちが叫んだ理由は、きっとそれぞれ違う。樹里は自分のバストサイズと照らし合わせて重大情報だと、ナージャは単に恥を感じたからだろう。
「それより、誰かいたか?」
十路が下着よりも重要性の高いことを問うと、樹里は真顔に戻して首を振る。
「や、それらしい人は……」
「そうか……」
ナージャの家に行くことで、仲間であろうロシア対外情報局の人員が、なんらかのアクションを起こす可能性も考えていた。
生身で脳内センサーが使える上に五感も優れた樹里に、その辺りの注意を言い含めて送り出したのだが、報告をどう捉えていいか、十路は迷う。
「兄貴。それがどしたん?」
「いやな? 拍子抜けというか、逆に怪しいというか」
行儀悪くスプーンをくわえた南十星が問うに、いつもの癖で首筋に触れようとして、右腕が手錠で繋がっていることを改めて思い出す。
(いくらナージャが三流非合法諜報員とはいえ、関わった仕事は表沙汰にできないだろうし、しかも《魔法使い》だぞ……アッサリ解雇にして手を引くか?)
現在ナージャは、敵とは言えないが味方にもできない、微妙な立場にある。
そして今後どうなるか不明だが、現状では支援部員たちが、彼女を守らなければならない。
だから十路はトラブルの芽は事前に摘んでおくか、可能な限りの用心をしたいのだが、あまりにも状況が不明だった。
(俺たちがナージャを捕まえたこと自体、なにかの作戦って可能性もあるんだよな……)
その辺りのことを今この場で、ナージャから情報を引き出し、樹里たちと注意喚起と対策立てを行いたいのだが、できない。非日常の会話をしているが、具体的な固有名称など出せない事態になっている。
十路はその原因を、サラダのレタスを突き刺したフォークで示して、誰となしに問う。
「今更だけど、なんでコレが俺の部屋にいて、一緒に飯食ってんだ?」
「コレとか言うな!?」
和真が米粒を飛ばして反論する。
部室での話し合いの後、十路とナージャ、そして南十星は、考えうる中で最も安全な場所であるマンションに帰り、経過観察をしながら学生らしく課題を片付けたり受験対策をしていた。
そして遅れて、ナージャのアパートに行っていた樹里が来た時、なぜか和真も一緒だった。
しかも、なにをするわけでもなく和真は部屋に居座って、夕食まで勝手に食べている。そして幽鬼のような重い態度になるのだから、全く意図がわからない。
「……なぁ、十路よ」
「なんだ、和真よ」
「お前の生活は羨ましすぎるぞ……」
「どこにそんな要素がある?」
「女の子率の高さ……」
「マンション内で男俺一人なのは偶然。この部屋のことならやっぱり偶然」
「女の子の手料理……」
「コンビニ弁当もパートタイムの妙齢女性が手作りしてるぞ」
「そして今夜もナージャさんと一緒ですかぁ!?」
「手錠かけられてるからな」
「お前はどんな羨ましい生活してんだぁぁぁぁぁっ!?」
「変われるものなら和真と代わりたいよ」
単に愚痴をこぼしたいだけなのかと、十路がウンザリ声を出すと、男泣きしながらカレーを搔きこんでいた和真は、手を止めて意気込む。
「じゃぁ代わってくれ!」
「だとさ。ナージャ」
手錠の解錠については触れず、話をナージャにパスすると、彼女はキョトンとした顔で和真を見る。
「え? 和真くんと一緒なんてヤですよ」
「すごいマジな反応された……!?」
嫌悪感を露にするのではなく、そして地獄突きを叩き込むのでもなく、真顔で言うところに本心が逆に表れている。
しかもそれでは終わらない。打ちひしがれる間もなく、和真に更なる追い討ちがかけられる。
「和っちセンパイ、これで兄貴たちのヨースわかったっしょ? だから食べ終わったらさっさと帰って」
「ナトセちゃんまで冷たい……!?」
「や、まぁ、その、こういうこと言いたくないですけど……高遠先輩、ちょっと邪魔なんですけど……」
「樹里ちゃんまで冷たい……!?」
《魔法使い》としての事情からなのだが、後輩たちにまで素気なくあしらわれ、和真が真っ白になった。
△▼△▼△▼△▼
和真がいるから、他愛ない会話で夕食時間は過ぎ去った。
「をををを……! 俺もナージャさんとぉぉぉ……」
「はいはい。行くよ、和っちセンパイ」
怨嗟の声を上げる和真を南十星が引きずり出し、重い玄関の扉が閉められて、部屋にホッとした空気が流れる。
ただの学生としての時間は先ほどまでで、これからは《魔法使い》としての時間が混じるというのに。
「皆さん、不思議な生活してますよね……」
ナージャがそれについて、呆れたようにも羨ましそうにも見える態度で、改めて感想を述べる。
「《魔法使い》さんなのに、普通の学生みたいに……」
「俺たちの情報をどこまで掴んでるか知らないけど、俺たちの生活っぷりは知ってるだろ?」
汚れた皿を台所に運び、ついでに手錠でナージャを引き連れながら、十路は確認する。
「学校ではともかく、マンションでの様子はよく知りませんよ……」
ため息混じりのナージャの返答を得て、このマンションのセキリュティが無駄ではないのは確認できた。
彼女は数度、部室に遊びに来る延長で、このマンションに入ったことがあるが、今の発言を信じるならば、別の機会に潜入を試みていないとは思えない。
今後はこの調子で、ナージャが掴んでいる情報を引き出し、対策を立てていくことになるだろうと十路は考える。彼女を部員として迎え入れるか否かの判断にもなるし、身の回りに不審人物の接近を許していた事実を考えると、それが一番優先されることだろう。
とはいえ、今すぐやろうという気分にはなれない。
「風呂入りたい……」
「わたしも……」
十路は昨夜深夜に作戦行動を行い、ナージャはそれで走り回り、汗まみれだった。なのにシャワーすら浴びず、夏の一日を過ごしていたのだ。
「確かにお二人とも、ちょっと匂います」
野生動物並の嗅覚を持つ樹里に言われても、逆にどのレベルなのかわからない。しかし汗臭さは十路自身もわかるから、相当匂うだろうと思う。
彼には未開の奥地に長期潜入した経験もあり、一週間入浴しなかったこともあるが、風呂場があるのに我慢しないとならない理由はない。そして女性であればもっと耐えられないだろう。
だが入浴には、大いに問題がある。
「……どうすればいいと思う?」
「……どうすればいいでしょう?」
十路とナージャは顔を見合わせ、手錠をかけられた腕を掲げる。
「おトイレと同じようにするしかないんじゃ……?」
半ば諦めたような樹里の提案に、二人はため息をついた。
△▼△▼△▼△▼
そしてナージャが先にシャワーを使うことになったのだが。
『見ないでくださいね!?』
「見るにしてもガラス越しだろうが……」
『それでも嫌なんです! 隙間からだって見えちゃうじゃないですか!?』
「はいはい……」
洗面所兼脱衣所で十路は目をつむり、扉を半分背にして座り、隙間に肩まで入れて、何度ついたかわからないため息をまた吐く。
トイレで用を足す時でも、それなりに気まずかった。ただ、それと比べてどっちがマシかと考えれば、風呂の方が幾分かマシのように思うが、ナージャにしてみれば全裸を見られるのもどっこいどっこいらしい。
『え? あれ……?』
「おい……なにやってるんだ?」
『いえ、ちょっと、これは……』
布ずれの音や手錠の鎖が鳴り、やがて水音が聞こえてきた。
どの程度の時間がかかるか不明だが、ひとまずナージャがシャワーを使い始めたことに、なぜかホッとする。
(参ったな……)
前髪をかき上げながら、十路は考える。
手錠のせいで生活が手一杯になり、《魔法使い》としてのナージャについて考える暇がない。
そして落ち着いて情報を引き出し、考える時間ができたとしても、やはり迷うだろうことは予想がつく。
(クラスメイトが《魔法使い》か……その可能性は考えなかったわけじゃないんだが)
もう今まで通りにはいられない。だから今後の選択肢は二つないし三つ。
(理事長の目論見通り、ナージャを支援部に引き入れるのが一番いいだろうが……)
だが敵だった者を味方にするなど、やはり忌避感が生まれる。先入観が信頼を結べなくする。十路だけではなく、他の部員たちも同じだろう。
(それが無理なら放免して、今後一切、俺たちに関わらないようにできればいいが……)
だがその可能性は、容易に打ち砕かれるかもしれない。
彼女は《魔法使い》なのだから、対外情報局から所属を変えて関わる可能性もあるのだ。
(……それも駄目なら、戦うしかない)
その末に、殺し合うことになるかもしれなくても。
(風呂の後で話を聞いて、今後は手錠に繋がれて大人しくしてるよう忠告――)
そんなことを考えていたら、浴室とは反対の扉越しに音楽が聞こえた。しかもそれが近づいて、重厚で迫力ある映画音楽だとわかる。
「先輩、お電話です」
脱衣所の扉が開き、充電器に挿してしていた十路の携帯電話を、エプロンをつけた樹里が手渡してきた。
十路は妙な気持ちでそれを受け取る。その音楽は、南十星の専用着信音に設定しているものだからだ。
「もしもし? どうした――」
『あんま話さないで、短い返事だけして』
洗い物に戻る樹里の背中を見送り、和真を追い出すのになにか問題あっただろうかと考えながら、電話に出ると、南十星は珍しく緊迫した声で警告する。
『ナージャ姉にこの話、聞かれる?』
「いや……」
『じゃ、このまま話すね』
一応は部屋を隔てている上に、シャワーの水音があるから、携帯電話の小さなスピーカーからの声は、ナージャには届かないだろう。南十星が狙って電話をかけてきたとも思えないが、深刻な話をしたいならば一番いいタイミングとも言える。
『兄貴はナージャ姉が言ってること、どう思ってる? 支援部に入部して問題ないって思えるほど、信用できると思ってる?』
きっと昼間、部室で口ごもって様子を見せ、問うても言わなかった話だろう。
ストレートに問われ、十路は少し考えてから、迷いを口にした。
「……わからん」
『どう判断する気?』
「まずは話してみてからだな……」
『昨夜ドタバタしてたから、それすらマトモに聞いてないのは確かだけど……』
南十星が言葉を途切れさせたため、しばし間が空いた。
こういう時に十路は困る。彼女は外見印象そのものの天真爛漫悪く言えばアホの子かと思いきや、真逆に近い、思慮深い慎重さを見せる時がある。
『……ついでだから、あたしの意見も言っとくね』
ややあって、考えがまとまったらしい。言葉を選ぶように南十星は再度口を開いた。
『あたしはあの人のこと、信用はするけど信用しない』
「……俺にも理解できる日本語を使え」
こういう時に十路は困る。彼女の思考回路は良く言えば天才型、悪く言えばバカを通り越して、常人が基礎から応用へと山登りのように理解していく論理過程を、本能的に飛躍して結論を出す。あと外国で生活していた時間もそれなりに長いので、日本語を忘れてしまったのかとも思えてしまう。
『ナージャ姉が所属してた組織を追い出されたのはホント。ヘボかったのもホント。あたしたちと同じ、ワケあり《魔法使い》になったのもホント』
南十星は断定で言う。これがなにかの作戦行動で、根底が崩れている可能性も考えるため、十路は迷っているのに。
しかし南十星の本能じみた感覚に、十路は一応の信頼を置いている。少なくとも判断材料にし、一蹴にはしない。なにも理解してないようで、彼女は意外と真理を突く。
『だけどあの人、ウソ言ってる』
「どこだ?」
『《魔法》のこと。どこまで知ってるかわかんないけど、全然知らないって態度と思えない』
それについては十路も同感だった。不可解な《魔法》の常識を超える能力を持って、当人が詳細を理解していないという言い分には疑いを持つ。ありえる可能性は持っているとしても。
ただし。
「ナージャが隠した理由は、わからなくもない」
ファミレスでナージャと話した時を思い出す。ロシアでの生活に話が及んだ時、彼女はあまり言いたくなさそうに口ごもった。
《魔法》の自動生成過程には、人生経験が大きく絡む。嫌な思い出から術式が生まれたとすれば、口にしたくないという気持ちもわからなくはない。
ただし、彼女はいわば捕虜だ。そんな自分勝手が許される状況ではないから、改めて訊く必要がある。
そこまで考えが及んで、十路は自嘲の笑みを浮かべた。
結局のところ、ナージャを信じたいのだ。明確な敵になり、直接戦っていたかもしれない存在なのに。
「やっぱり俺は出来損ないだな……考え方が甘い」
『兄貴はそのままでいてよ』
家族に対してだけ見せる弱みに、固かった南十星の声が、微笑でもしているかのように柔らかみを帯びた。
『―――――』
でも、なにか別の言葉を続けようとした様子を見せた。
しかしその時、背後の浴室から聞こえてきた水音が止まった。ナージャがシャワーを浴び終わったらしい。
「切るぞ」
『ん』
ナージャ当人に聞かせられる話ではないため、短いやり取りで通話を終える。
『すみません、タオル貸してもらえませんか?』
「あぁ」
直後に扉の隙間から、頭上に濡れた白い腕が突き出される。
十路が何気なく応じようとして、腕を伸ばして棚からバスタオルを取り、手渡そうとして。
「ん?」
疑問が湧いて動きを止めた。
ナージャが脱衣所に突き出しているのは、左腕だ。アクセサリー類は全く身につけていない腕が、肩近くまで隙間から覗かせている。
なのに十路の右腕には、緩みがない。引っ張れば鎖が鳴り、なにか重い反応がある。だから中腰まで立ち上がって体を精一杯伸ばさないと、棚に届かなかった。
「…………」
それが意味するところを少しだけ考えて、半分しゃがんだような中途半端な姿勢で、十路は脱衣所と浴室を隔てる扉を開け放つ。
「え゛」
横開きの扉を全開すると、ナージャが腕を突き出した姿勢で固まった。しかし十路は気にすることなく、その脇から覗き込んで浴室内を検めた。
浴槽の蓋に、彼女が脱いだ衣服が畳んで置かれている。
絶対にありえない状態が、そこにあった。
ならば確認しようと視線を移せば、当然十路の視界に入る。
すぐ目前の、ナージャの裸身が。
女性らしくあるが、鍛えているのがわかる体だった。しなやかさと力強さを併せ持ち、体を覆う脂肪分にも油断がない。ネコ科の猛獣を連想する体は、いわゆる『ぼんっ・きゅっ・ぼんっ』の理想的な肢体となっている。
そして何より目立つのは、胸部に装着された自己主張激しい軟式球形装甲だろう。体格からのバランスを考えると、やや大き過ぎにも思えるFカップ推定バスト九〇超の迫力ある質量は、やや前かがみの姿勢でも重力に負けず張りを保っている。
ただし、奇妙な裸体であった。
彼女の身体的特徴は白色人種のものだ。湯を浴びれば桜色に染まりやすいだろうが、まだら状に赤くなっている。長い白金髪を結い上げているので、余すことなく確認できるが、特に胴体に集中して軽度の火傷を起こしているような部分がある。
しかも胸の谷間付近、鳩尾から一直線に、ほんのわずか肉が盛り上がったピンク色の線が走っている。
(手術の痕?)
醜いわけではない。むしろ綺麗と言ってもいいだろう。しかしやはり目立ってしまう傷跡だ。女性ならば忌々しく思うかもしれない。
だから目を逸らすように更に視線を下げて、思わず十路の口から感想がこぼれた。
「……ナージャの髪の色って、地だったんだな」
天然の、しかも成長しても色を保った白金髪はかなり珍しいが、ゼロではない。眉毛も同じ色合いなので、想像できたはずでもある。
だから改めて下半身の体毛で確認し、しかも口に出す必要は全くない。その辺りが十路だった。
気配が変わったことに見上げると、ナージャはいまだ姿勢を変えぬまま、今にも泣きそうに目尻に涙をためて、フルフルと震えていた。
『前にもこんなことがあったな』などと十路がボンヤリと考えると。
「いやああああぁぁぁぁッ!?」
「を゛!」
ようやく起動したナージャの膝が、丁度いい場所にあった十路の顎を、下から突き上げて意識を刈り取った。




