010_1400 それが彼らの宿命Ⅲ~それぞれの考え、それぞれの行動~
数日後の日曜日、時計はもうすぐ夕方を示す時刻。
神戸港中突堤旅客ターミナル駐車場には数台の車が駐車されている。そこに並ぶメタリックグレーのスポーツカーの隣に、黒のBMWが停車した。
ハンドルを握っていた男が一足先に車を降り、後部座席のドアを開けようとする。しかし同乗していたのは、日頃そういう扱いとは無縁の学生たちだから、自分でさっさとドアを開けて降りる。
「うわぁ……いつも遠くからは見てますけど、入るのは初めてですよ」
感嘆の声を上げるのは、スクールブラウスにベストを重ね着し、チェック柄のプリーツスカート――いつもの学生服を着た木次樹里だった。手にアタッシェケースを下げているのが、やはり少し無骨に思える。
「住んでる場所の観光地なんて、あまり足を運びませんものね」
反対側から車を降りたコゼット・ドゥ=シャロンジェは、象牙色のフォーマルスーツに身を包んでいた。いつも背中に流すだけのウェービーロングの髪は、今日は髪留めを使ってハーフアップにまとめている。加えてアタッシェケース型の空間制御コンテナを手にしていることで、清楚ながらも華やかなビジネスレディのような様相だった。
「あ゛ー……だるっ。休みの日くらい、ゆっくりさせろっつーの……」
地の性格を出さなければ。
結局、樹里はLLP社による食事会の誘い――と言うよりは、レオ少年のキラキラしたお願いを断ることができなかったため、今日マンションまで迎えに来た車に乗り、ふたりはやって来たところ。
「部長も巻き込むことになって、本当に申し訳ありません……」
「あの子は木次さんが来れば、あとはどーでもいいでしょうけど……他がそれで済むとは思えませんものね」
「大人の話になったら、私にはどうする事もできません……」
だから気は進まなくとも、コゼットも同行することになった。
ちなみに堤十路と長久手つばめは、それぞれに用事あると、招待を断っている。
「タダ飯ゴチになれっか、わかんねーですしね……しかも『とっとと帰る』と言えねー場ですし」
「船の上だから、好きな時に帰れませんからね……」
ふたりそろって、小さく嘆息する。
食事会の場所が用意されたのは、レストランシップだった。大阪湾を回遊し、神戸の風景と共に食事を愉しめることを謳った、日に三便運行する本格的なレストランを備えた旅客船で、今から乗船する便ならば夕暮れから夜景の変化を楽しめる。
ちなみに《塔》から百キロ圏内の立ち入りは禁止と決定されているが、その範囲内にある神戸には例外がいくつかある。淡路島への接近は海上保安庁の警備艇が見張り禁止されているが、こうした船の運行そのものは禁止されていない。
樹里とコゼットは世間話をする体で、接近することで大きくなる船を眺めつつ、案内する男について歩く。
「そういえばナージャ先輩も、あそこに一度行ってみたいって話してましたね」
「クニッペルさんは、食への探究心が旺盛ですわね……」
「あはは……料理研究部員ですから」
「あそこは食事代の他に、乗船料もかかりますもの。営業してるレストランも少々お高めですし、高校生のサイフでは厳しいですわよ」
「え……? そうなんです……?」
不意に樹里は自分の体を見下ろし、隣に立った略礼装のコゼットと不安そうに見比べた。
「部長……そんなお店に入るのに、こんな格好でよかったんでしょうか……?」
「学生服は正装ですわ。問題ありませんわよ」
「なんだか浮きそうです……」
「休みの日にその格好だと浮くでしょうけど、気にしても仕方ないでしょう?」
「あぅ~……」
没個性的な日本人の小市民として、学生服で来たことを樹里は後悔する。かと言って代わりに正装にできる服など持っていないのだが。
「……あれ?」
不安そうにしょげたかと思いきや、樹里は気づいて顔をそちらに向ける。
「どうしましたの?」
「や……あそこの人たち」
目で示す先には、波止場で背中を向けて話している二人の男だった。服装はジーンズやTシャツ、ポロシャツといった変哲のない格好で、さして注意を引く者ではない。
「私と堤先輩でぶっ飛ばした人たちですね」
「顔も見てないのに、よくわかりますわね?」
「まぁ……匂いですか?」
「匂いって……」
潮の香に満ちた場所で、しかも離れていて匂いもなにもない。『雰囲気』や『なんとなく』といった意味でコゼットは捉えたのだろう。
「今度は普通の服着てますから、お客さんに交じって警護するつもりですかね?」
「人がいるなら、いかにもボディーガードって格好した者の他に、紛れこますのもアリでしょうけど――」
『私服警官と同じですわよ』と言って、そこでコゼットは声のトーンを更に落として、案内する男に聞こえないように樹里に耳打ちする。
「油断しねーことですわ」
「堤先輩が警告した通り、やっぱり危ないですか?」
「あの方は独特の感覚を持ってっから、わたくしじゃわかんねーですわよ……でも、用心に越したことはねーですわ」
「はぁ……やっぱりそうですか」
うんざりしたような樹里の嘆息に、王女の威厳の垣間見せてコゼットは言う。
「わたくしたちは《魔法》という力を持っている。欲に目がくらんだ連中が寄って来るのも、仕方ねーことなんですわよ……迷惑極まりないってっんですけどね」
不老不死や永遠の美など、現実には不可能な超自然を求めた権力者など、歴史の上でいくらでもいる。そこまで突拍子なくても、知識や立場、経済力など、強い影響力を持つ者を、いつの時代のどこの権力者も欲している。
『邪術士』と呼ばれている者でも、だ。
「ただの食事会で終わるのを望みます……」
「相手次第ですわね」
それで会話を打ち切り、案内に大人しく従って歩く。
樹里は足を動かしながら、山の方角を思わず振り返った。
(こういう時に堤先輩がいてくれたら、私も落ち着いていられるんだろうけどなぁ……)
どんな時でも、どんな相手がいても、態度を変えそうにない怠惰な野良犬を思い浮かべて、子犬はオドオドと乗船所へと向かった。
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ところ変わって修交館学院の支援部部室では、今日も潰したダンボールを敷いて、入り口を背にして床に座り、十路が作業していた。
【なぜトージは、食事会に行かなかったのですか?】
その手が止まったのを見計い、イクセスが声をかける。
彼がやっていたのは、部室のダンボールにあった直径一センチの鉄の丸棒を、長さ二〇センチほどに切って電動工具で先を尖らせる作業だった。
「こういう時、普通の高校生なら、どうするんだろうな?」
【普通にありがたくゴチになるのでは?】
「相手が一度顔を合わせただけの人間でもか?」
【そこまで加味すると……どうなんでしょうね?】
「まぁ、俺はそういう席に、ホイホイ行くタイプじゃないってことだ」
【もっと明確な理由がある気がするのですけど?】
「なにを根拠に?」
【女の勘です】
「なんと便利で根拠のない理由……つか、AIに勘なんてあるのか?」
【他はどうか知りませんが、私にはあります】
人間くさいオートバイに呆れ、十路は工具を片付けながら、質問に答える。
「今回のことはキナ臭すぎる。コンサルティング会社の社長って、何人も護衛を引き連れるものなのか?」
当夜のことを思い出す。勘違いからではあるが、拳を交えることになったスーツを着ていた男たちを。
大企業のトップともなれば、危険にさらされることもあるだろうが、十路は首を傾げる。
【それはなんとも言えないのでは? カギや金庫と同じように、ボディガードもセキリュティの一種です。不要だと考える人もいますし、大枚はたいて厳重体制を作る人もいるでしょうし、依頼する側の考え方次第です】
「確かに『念のため』で厳重にしてても変ではないんだが……最低でも九人もいたから、物々しすぎる」
不意にいなくなったレオ少年を探すために、予備を含めた全員が集まった可能性もある。だが十路と樹里が叩き伏せた四人、後で現れた五人と、その人数は大物政治家の警備を思わせる。
【ということは、LLP社代表ヴィゴ・ラクルスは、実際に命を狙われている?】
「その可能性は充分あるが、そうでない可能性もある」
まず十路が思い出すのは、レオ少年との初対面だ。
(なんであそこで出会った? 本当に偶然か?)
続いて付き添いと一緒に学校にやって来た時のこと。付き添いの男は、壁に寄り掛かって立っていた。
鍛えられた体つきと雰囲気から、護衛も兼ねた人間と思うが。
(なんかなぁ……? あんな態度、普通は取らないだろ……?)
十路も専門外だから断言しかねるが、あれで護衛が勤まるのかと思ってしまう。
(護衛じゃないって考えたほうが自然なんだよな)
どうにも不信感を抱いてしまう。態度だけでなく、男が背負っていた細長いケースのせいで。
(まさかな……?)
普通ならば、その予想は当たらない。
だが、当たった場合は最悪の結果となる。
だから十路は、樹里たちに注意を促がしただけで、同行しなかった。
「……招かれたのは貴族の屋敷か、モンスターの巣か、今の時点じゃ予測つかない。だからもしもの予備に、俺は残っておいたほうがいいと判断した」
【町娘とお姫様が魔物にさらわれたら、騎士様が乗り込んで助けに行くつもりだと?】
童話のような例えを使ったのは彼自身だが、追従したイクセスの言いまわしに、十路は顔をしかめる。
【《魔法使い》の育成機関に通うと、全員トージみたいな考え方になるんですか? 危機管理に優れていると言うか、臆病なほど考えてると言いますか……】
「教練されるカリキュラムが個人個人で調整されるから、一言ではどうとも言えない」
イクセスの問いに、十路は苦笑した。かなり自嘲の色を濃くして。
「ただ俺の場合、臆病でなかったら、死んでる」
『騎士』など冗談ではない。
守りたいものを守れずにいて、そんな字で呼ばれたくない。
なにが『魔法使い』だ。
『出来損ない』には誰かの望みを叶える力などない。
そこまで彼女に話したことはないが、イクセスは困ったように、機械の体に存在しない口を閉ざしたので、代わり十路から訊く。
「ところでイクセス。口止めでもされてるのか?」
【気づいていたのですか?】
「この程度、前の学校で気づかなかったら、ひどい目に遭わされたからな……」
衣擦れを立てないようゆっくり動き、呼吸も浅く長いものにしているのだろうが、それだけでは不十分だ。十路でなくても少し注意深い人間ならば気づく。
「おいナージャ。気配消して背後取ろうとするな」
「あれ? バレました?」
振り向きもせずに声をかけると、ソプラノボイスが返ってきた。
次いで背後から肩を掴まれ、頭の上にずっしりしたものが乗る。温かく柔らかい感触と共に、バニラエッセンスに似た匂いが届く。
十路にこんなことをするのは、ナージャ・クニッペル以外にいない。
「注意したつもりですけどね~」
「それよか、人の頭に乳乗せすんな」
胸を押し付けてからかうどころか、長い髪の毛の先で耳元をくすぐってくる。鬱陶しいナージャを乱暴に払いのける。
「それで十路くん。ここに接着剤ってあります?」
「種類あるから用途による。つか、なんで休みの日に学校来てるんだ?」
「日頃部活出てないんで、お詫び代わりにプリンでも作り置きして、明日冷蔵庫開けたらサプラーイズ! なんて考えたんですけど」
「ウチの部室に入り浸ってないで、料理研究部に出ろよ……」
「それでプリン作ろうとしたら、鍋の取っ手が取れちゃったので、接着剤でくっつけとこうかと」
サボリについては華麗にスルーだった。一応は忠告したが、十路も彼女が聞くとは思っていない。
仕方なく立ち上がり、タブレット端末を起動させて、大量にあるダンボール箱のどこに金属用接着剤があったか検索する。
「接着剤でつけた程度じゃすぐに取れると思うし、買い換えたほうがいいと思うぞ?」
「確かに換えたほうがいいオンボロですけど、あのミルクパンで牛乳温めると一味違うのですよ」
「古くてヤバい物質が溶けてるんじゃないのか……?」
目当てのダンボール箱を下ろし、ガラクタの中から接着剤を探す。
「ところで相方は? 一緒じゃないのか?」
「和真くんの予定なんて、知りませんよ。どうして休みの日まで一緒にいると思うんですか?」
いつも一緒の印象があるので訊いてみたが、ナージャは不満そうに口を尖らせる。説明しなくとも相方=和真だと認識しているのに。
「十路くんこそ、休みの日に学校来て、なにやってるんですか?」
「んー。無駄になるかもしれない用意をしてるんだが……」
やがて目当てのチューブを探り当てた。
それを見ながら――否、一緒の箱に入っていた、気密や防水のために建材の隙間を埋める充填剤を見て、十路はしばし考えて、振り返る。
「ナージャ。調理実習室なら、アルミホイルあるよな?」
「もちろんありますけど?」
「どのくらい?」
「業務用が一〇本くらいあったと思います。何年も買わなくていいくらいに」
「それならなんとか……買って返すから、今あるやつ、全部持って来てくれ」
「……? 別にいいですけど」
クエスチョンマークを浮かべながらも、ナージャは部室を出て行った。
続いて十路自身も、部室を出て行こうとする。
【どこへ?】
「制服の予備取って来て、あと学校の消火器かっぱらってくる」
【……消火器?】
全く意図が読めない回答に、意思を持つオートバイは、前輪を動かすことで首を傾げた。
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同じ頃、修交館学院の理事長室で、つばめは内線電話で話していた。
「あのさー」
『面倒であります』
「まだなにも言ってないよ!?」
『厄介事を押し付けようとしてるのは、聞かなくてもわかるであります』
受話器から聞こえてくるのは、奇妙な言葉遣いの素っ気ない、音質は低いがまだ幼い少女の声だった。なんだか十路が普段出すような、やる気ない声と雰囲気が似ている。
『既にひとつ仕事を押し付けられてるのに、まだなにか押し付ける気でありますか?』
「わたしのほうじゃ限界だから、ちょっちキミの裏技を使って調べて欲しいんだよ」
『自分は情報屋ではないでありますし、ハッキングを甘く考えるなであります』
「前にやったんだからさ、エシュロンに裏道くらい確保してるでしょう?」
『そんな物、とっくに潰されてるであります』
つばめは朗らかに話しているが、通常ならば普通に話せる内容ではない。
話に出て来たエシュロンとは、軍事無線、固定電話、携帯電話、ファックス、電子メール、あらゆる通信を読みとる、全世界規模の通信傍受システムのこと。公には存在は否定されているが、実在する。
つまりつばめは電話の相手に、諜報機関から情報を盗み出せと言ってる。そんな事を頼むのも普通ではないが、電話の相手はそんな行為を以前にやった事があるような口ぶりだ。本当にやっていたら尚更普通ではない。
「LLPって会社の社長が、いきなり『《魔法使い》の力を貸せ』って言ってきたけどね。ちょっちからかってみたけど、怒って帰っちゃったから、目的がよくわかんないんだよ」
『今度はなにをしたでありますか?』
「いやがらせに生魚食わせてやった。もちろん箸を使わせて」
『SUSHI・SASIMIは世界標準になりつつあるでありますが、魚介類を生食するのは、世界的には嫌がる者も多いでありますよ』
「だからやるんじゃない。ちなみに相手、イヤな顔してたよ」
『……性格が歪んでるであります』
「策だよ策! 相手を感情的にさせて本音を引き出す! 話術の基本じゃない!」
それなりにはある胸を張るつばめに、受話器の向こうで相手は呆れている様子だった。どうやら支援部の部員たちと同じで、つばめに対して日頃からいい感情を持っていないらしい。
それでも彼女は、つばめの話に付き合う。『面倒』と言っていても、最初から関わる気がないという意味ではないらしい。
「それで気を悪くしたのに、また招待しようとするんだからねー。なに考えてるんだか」
『だから、総合生活支援部の面々が、危険であると予想されるでありますか?』
「《魔法使い》は国家に管理される貴重な人材。だから手駒にしようなんて、バカ考える輩がいるわけだけど……食事会の誘いも多分その口だと、わたしは見てる。最悪強引な手段を使うだろうと思ってるけど、確証がないんだよね」
『その確証を得るために、自分がハッキングして探れと?』
「うん。そゆこと」
『……嫌であります』
あまりの無茶ぶりに、平坦な声に明らかな嫌悪が混じった。
エシュロンは基本、無作為に情報を集め、高度な解析力と分別能力をもつ諜報プログラムDictionaryによって重要情報だけが抽出され、データベースに保存される。分類がされているとはいえ、時間ごとに増えていく情報量は相当量だろう。
つまり砂漠のどこかに落とした、しかもコインかメダルか懐中時計か不明な探し物を、砂嵐の中で探すようなもの。嫌がって当然だろう。
『理事長はヴィゴ・ラクルスに面会してるでありますよね? どういう感触を持ったでありますか?』
「なにかを企んで接触したとしたら、あまりにも率直過ぎるから、底の浅い人間って感じはするけど、だからこそって感じもする」
『確証には弱く、結局は絞る要素がないでありますか……』
「あ、探って欲しいのは、そっちの方面からじゃないよ?」
『?』
「レオって子がわたしの部屋に来た時、ケース持って一緒に来た、付き添いらしい男。そいつが何者なのかを知りたいんだよ」
『ケース……?』
「わたしの背くらいあったから、スキー板入れるケースじゃないかと思うんだけど」
それは十路が抱いている不審感と一緒だった。
「学校の監視カメラで顔を撮ってるから、それから調べて欲しいんだよ」
『……なるほど。そういうことでありますか』
嫌がっていた雰囲気だったが、電話の向こうの彼女は、つばめに手を貸すつもりらしい。
『それならば自分も、無視できないでありますね』
「頼んだよ、フォーちゃん」
『了解であります』




