040_0300 堤十路の受難な一日Ⅳ~今そこにある危機~
「――ぶちょー。《ミスティック・スノー》ってわかる?」
「わかりますけど、イキナリなんですのよ? それだけじゃリアクションに困るっつーの」
「……?」
舌足らずな少女の声と、少し険のある女性の声に、十路は目覚めた。同時にあまり寝心地がいいとは言えないが、柔らかな場所で寝かされていたことに、遅れて気づく。
「夏休みの課題で調べなくちゃならないんだけど、トショカンの資料あさっても、あんま詳しいのないんだよね。だからなんかない?」
瞼を開くと、逆光になる赤みがかった空を背後に南十星がいた。二人掛けのソファにバスケットシューズを脱いで座り、膝を机にしてルーズリーフに書き込んでいた。
それでここが、総合生活支援部の部室で、テーブルを挟んだ逆のソファに寝かされていることを理解した。
「あー。ありゃ発生件数の少ない、珍しい現象ですからね……英文ですけど、少しは詳しく載った本があったはず……」
もうひとつの女性の声は、背もたれに隠れた背後からだった。
身じろぎして首だけ起き上がると、背中まで波打つ黄金髪の後ろ頭が見えた。彼女は本やDVDのトールケースが詰め込まれた棚の前で、探し物をしている。
留学生が多く在籍する修交館学院ならば、金髪などさして珍しくないが、この部室にいるとなると、ひとりしか考えられない。
【トージ。目が覚めましたか】
先ほど聞こえなかった三番目の声に、二人が頭を動かして、十路を見た。
注目される中、十路は首筋をなでながら半身を起こし、部室には他に誰もいないことを確認して。
なんとなく、書き物をしている南十星に止まった。
「あ、ゴメン。書くモンなかったから、兄貴の胸ポッケにあったペン、ちょい借りてたよ」
「それは別にいいけど……」
非難のつもりで視線を送ったわけではないが、差し出されたボールペンを受け取った。
「てか、そのペン、めっさ書きにくい」
「書くためのペンじゃないからな……」
「?」
南十星が『書くためじゃないならなに?』と言いたげな顔をしたが、十路は気にせず三番目の声の持ち主に声をかける。彼女はこの部室に基本、二四時間常駐しているから、知りたいことを問うには、南十星よりも最適な相手だろう。
「イクセス。俺になにが起こった?」
【なにが起こったかは私も知りませんけど、ジュリがあなたを担ぎこんでから四時間一二分四八秒間、ずっと眠り続けていました】
「……あぁ。そっか。脳震盪を起こして気絶したのか」
怜悧な印象の女性の声による、機械らしい正確さで行われた報告に、十路は記憶がプッツリ途切れた理由と、太陽の位置がずいぶん低くなっている経緯に納得した。
ガレージハウスの壁際に駐車されたオートバイと会話すれば、普通ならば周囲は頭の異常を心配するが、《バーゲスト》と名づけられた赤黒彩色された車体の場合ならば心配はされない。特殊作戦対応軽装輪装甲戦闘車両《使い魔》――人工の人格と超最先端科学技術を搭載した、自律行動能力とコミュニケーション能力を有する《魔法使い》専用の軍事用ロボット・ビークルだからだ。知らない人間の前ではやはり頭の心配をされてしまうので会話しないが、今ここにいるのは素性を知る者ばかりだから問題ない。
「脳震盪って……大丈夫ですの?」
金髪頭の持ち主が、さすがに心配げに問う。
総合生活支援部の部長であるコゼット・ドゥ=シャロンジェだった。生まれつきの金髪碧眼白皙という、色彩だけで人類の数パーセントしか存在しないレアクラスなヨーロッパ人。しかも頭脳明晰・容姿端麗、社会的身分は王女という、神の不公平さを遺憾なく発揮したウルトラレアクラス。しかし部室では三下じみたガラの悪さを発揮したり、奇妙な丁寧ヤンキー語を操ったりと、神はちゃんとアンコモン辺りへのバランス調整を考えているっぽい人物だった。
ちなみに中高生部員は、夏休みでも標準学生服で登校しているが、大学二回生の彼女はそんな物を着ない。今日はフリルつきのTシャツに巻スカート、素足に革サンダルという、下に水着でも着ているのかという格好をしていた。
コゼットの問いに十路は、今さら自分の体調を確かめる。
自分の名前が思い出せる。頭痛や吐き気もない。身を起こしても目眩は起きない。しびれと呼ぶほどではないが体に違和感あるが、これはソファの肘かけを枕と足置きにしたせいと、その前の感電のせいだろう。意識が飛んだ原因の鈍痛も残っていない。
「安静にしていれば、問題ないと思います」
「そう……ま、いざとなれば、《治癒術士》がいることですし……」
脳震盪は、普通は数分間の症状だ。しかもせいぜい意識混濁で、意識不明になるのは重度になる。だからコゼットの心配も十路の用心も、当然のものだった。
「で、兄貴。結局なして気絶したん?」
南十星も一応の心配をしていたのだろうが、会話内容から問題ないと判断したのだろう。心配などしていなかったような口調で、そもそもの問いをする。
「木次は説明してないのか?」
「堤さんをここに置いて、次の依頼を片付けに行って、それきりですわ。代わりにクニッペルさんが一度、なにか知ってそうな顔して来ましたけど、堤さんが寝てるの見て帰りましたわ」
説明はコゼットが行い、南十星が持つ情報からの推測が出される。
「武道館の決闘でジュリちゃんに負けた、よくわかんない一撃のせい?」
「いや。その後、ナージャをパンツ一丁にして蹴られた」
十路があっさり答えたら、女性陣二名と一台の空気が変化した。
「スカートずり下ろしたのは、もちろん事故だからな?」
【事故でも怪しいのに、故意だったら完璧に犯罪です】
一応の言い訳を重ねても、イクセスの冷えたカメラ視線は変わらない。
「まさか、人前じゃねーでしょうね……」
「いや、俺と木次がいただけで」
頭痛をこらえるようなコゼットに、一応は事実を伝えておく。少なくとも近くに人はいなかった。
「ぶひゃひゃひゃひゃ! なにどーしたらナージャ姉を剥くのさ!」
「だから事故で、ナージャのスカートずり落とした」
「じゅりちゃんのオッパイもガッツリ触ってたよねー? あたしの兄貴も知らぬ間に成長したもんだ、うんうん」
「どんな成長だ」
爆笑しながら持ち出されたくない話を持ち出す南十星に、憮然とする十路を他所に、コゼットがイクセスと語り合う。コゼットのプリンセス・モード――ズボラでワガママな地を隠すため、絵本から飛び出た『王女様』のような表向きの作り顔を、イクセスは嫌っているため、ケンカ腰の会話が多い一台と一人には珍しい。
「……聞きまして?」
【はい。聞きました】
「堤さんって、もう少し硬派な方かと思ってましたけど」
【どこが硬派ですか。私に対しては変態性モロ出しです】
「バイクへの整備は置いとけっつーの」
【いえ、看過できない問題です。ついにトージは私以外にも、その変態性を全面に押し出すようになったのですから】
「とうとうこの部から犯罪者が……しかもよりによって性犯罪者とは」
【引くわぁ……】
「そこ黙レ」
勝手なことを言い合う一人と一台を、十路が軽く睨み付ける。
「まぁ、その問題は堤さん自身で解決してくださいな……」
冗談は早々に終えて、手を振って南十星を横にどかせ、向かいのソファに座りながらコゼットが言う。
「頭と体に問題ねーなら、ちょっと堤さんと話しときたいのですけど」
彼女の口調そのものは変わらないが、真面目な話だからこう言い出すのだろう。十路は気持ち背筋を伸ばす。
「夏休み前の戦闘から、わたくしたちを取り巻くの状況が、変わったじゃないですの」
「えぇ……世間が俺たちを見る目は、やっぱり変わってますね」
夏休み前の部活動――『神戸《魔法》テロ事件』と便宜上呼ばれているその事件を契機に、総合生活支援部の存在は、世間に広く知れ渡った。
更に連日テレビで放送され、特集番組が組まれるほどに、改めて《魔法使い》という新人類の存在を取りざたされた。個人で発信が可能なネットでの取り扱いは、公共放送の比ではない。
今までも存在を隠していたわけではない。しかし積極的な広報活動を行っていたわけでもない。
それがここに来て、学校に取材の申し込みが殺到したり、噂の《魔法使い》を捉えようと敷地の外に待ち構える者が後を絶たなかった。学校が夏休みに突入したため混乱が少なく、部員個人個人の報道が行われていないのが幸いだ。
それから一月近くが経過したため、オーバー気味だった熱は少し冷めた気配を感じるが、依然十路たちにとっては好ましない状況は存在している。
世間での扱いで支援部は、街と人々を守ったヒーローということになっている。
しかし逆の意見がないわけではない。行動そのものを非難されることはないが、その方法については、討論番組でもネット上でも、議論の対象となっている。
「それで、世間の危惧って結局のところ、わたくしたちの安全性なんですわよね」
「そりゃそうでしょうね」
コゼットの言葉に、十路は軽く頷いて賛意を示す。
表の顔は、一般社会に《魔法使い》を溶け込ませた影響を調査する、社会的影響実証実験チーム。
真の顔は、有事の際には警察・消防・自衛隊に協力する、超法規的準軍事組織。
そんな総合生活支援部の顔は関係ない。
「俺たちは結局は人間兵器。誰かが擁護してくれても、存在するだけで厄介ごとが生まれる『邪術士』に変わりないんですよ」
所属しているのが、たった一人で軍隊を凌駕する存在であることが、大問題なのだ。
化け物が隣にいれば、普通は恐れを抱く。守ってくれるうちはいいが、破壊の巻き添えを恐れるだろうし、直接向けられる可能性も考えて当然だろう。
それが事実であるため、コゼットも反論はしない。
「討論番組でもネット上でも、ウチの部が民間主導だから危険、ちゃんとした国家機関に再編するべきって、言われてるみてーですけど」
「国に管理されてる《魔法使い》が安全って保障もないですけど」
コゼットや南十星は、生まれて一度も管理される立場になったことはないが、十路はかつて国家の管理下にあったから、理解している。
破壊工作、暗殺。いま世界のどこかで、どこかの国に所属する《魔法使い》が暗躍しているとすれば、その国の意思を体言するために派遣されたからだ。国の意思を受けて、彼らは誰かを殺し、なにかを壊す。
そうではなくとも、力は人を惑わせる。もちろん組織的にも機械的にも、あらゆる可能性を考慮して、そうならないシステム作りがされているが、真面目だけが取り得の《魔法使い》が、突然暴走する可能性は存在する。
「それに、管理外の《魔法使い》が、世界で俺たちだけとも言い切れないですけどね」
先進国では幼児の《魔法使い》の適性検査は義務化されているが、発展途上国ではままなっていないのが実情だ。それに先進国の中でも、なんらかの事情で、その検査を受けていない子供がいる可能性がある。
そんな子供が、本人も誰も《魔法使い》としての適性を知らないまま、普通の人間と同じように成長するなら、まぁ問題はない。
しかし悪しき目的を持つものが、万が一そんな子供を見つけたら、利用しようとするだろう。
そのような経緯で、既に犯罪組織が《魔法使い》を抱えている可能性も、否定はできない。もし存在するとすれば、その危険性は総合生活支援部の比ではない。
ここは魔物や怪異がはびこり、英雄や勇者が活躍するファンタジーの世界ではない。誰もが共通する敵がいない世界で、国家の存亡を揺るがすほどの強大な個人の力など、必要としていない。
しかし存在している以上は、どうしようもない。彼らが暴走しないよう監視し、仮にそんな事が起こっても鎮圧できるよう、用心を備えるしかない。
それを十路は確認する。
「肝心な話は、要は俺たちが間違いを犯したら、誰が止めるかってことですよね?」
「えぇ……その手のツッコミが、なんかある度に来るらしくて、昨夜理事長と飲んだ時に、散々グチられましてね」
コゼットは二〇歳のため、部の顧問にして責任者である長久手つばめの酒に、時折付き合わされる。彼女はアルコールに強いため、そういう意味では平気だが、長話で拘束されるのが嫌なのだろう。ウンザリした息を吐く。
しかし断りはしなかったらしい。特殊で危険な組織であるが、部員たちにとっては『普通の学生生活』を送るための理由である、総合生活支援部を守ろうとしてくれているのだ。激しい突き上げで溜まった彼女のストレス発散に、部長であり唯一の成人として付き合ったのだろう。
「文句言う連中を黙らせる、いい言葉ないかって訊かれたんですわよ」
「それは無理でしょう……」
自分たちは存在するだけで問題だと、堂々巡りになる言葉は使わず、十路はただ事実のみを説明する。
「言えることがあるとすれば、この部は警察庁と防衛省に認可されてるってことです」
どんな裏技が使われたのか不明だが、総合生活支援部の活動は公に認められている。十路はそれを出し、疑問形で提案する。
「だから、なんか言われれば、そっちに話を回せばいいんじゃないです?」
「表立ってはいませんけど、その手の追求は、既にマスコミがしてるんじゃねーかと思いますけどね?」
「関係省庁で解決してもらう話で、俺たちは関係ありません」
コゼットの言葉にしても、関係省庁の心配をしているわけではなく、そう言っても追及され続けると言いたいが故の反論だろう。
だが、これは解決しようのない問題――今はまだ起こっていない問題が起こった時の話だから、総合生活支援部が存在する以上、どうしようもない。
「それにその関係省庁は、俺たちの管理を『できません』とは、絶対に言ってはならない役目を持ってます」
「認可したっつー意味で?」
「いいえ。もし本当に《魔法使い》のテロリストが現れた時にどうするか、警戒していないはずないでしょう?」
それも国家が《魔法使い》を管理する理由のひとつだ。
敵性勢力から最強の人間兵器で攻撃される場合を考えると、自分たちも最強の人間兵器を対抗策として用意するしかない。《魔法使い》の相手は、《魔法使い》にしか務まらない。それが次世代軍事学の常識だ。
そして警察庁や防衛省は、市民生活を守るために設置されている機関なのだから、《魔法使い》対策を考えていないはずはない。かつて過激思想の宗教団体が毒ガスを街にばら撒いたり、外国のことではあるがテロ組織が飛行機を乗っ取ってビルに突撃するような、それまで誰もが想定していなかった凶行でも、『想定外だったので市民の犠牲を食い止められませんでした』という言い訳をして、許されるはずはない。
しかもつい先日、世間的には《魔法》テロが実際に行われたため、その対策が世間的にも広く危険視されることは間違いない。
「俺たちには『保護者』がいるんです。守ってくれるって意味でも、叱ってくれるって意味でも。だからイチャモンつけられたところで、話をそっちに回せばいいんですよ」
公的機関に丸投げにすればいいと十路は言い切り、付け加える。
「それに、俺のは別ですけど、部で使ってる《魔法使いの杖》は民生用です」
「その言い分は説得力弱くねーです?」
十路の装備は秘密裏に修理した軍事用で、樹里の物も特殊ではあるが、他の部員たちの装備は違う。《付与術士》と呼ばれる《魔法》の物品の特殊生産能力者であるコゼットが管理している、書類上は民間人が使用してもなんら問題ない品だ。
だが言い分は正論だと認めつつも、それでは駄目なのだと、コゼットはため息をつく。
「二発しか装填できない狩猟用でも、銃は銃ですわよ。連発できる軍用アサルトライフルと違うなんつー説明して、納得しやしねーでしょう?」
「完全に納得させられはしないでしょうけど、言って無意味とは思いません。そもそも《魔法使いの杖》は兵器じゃないんですから」
《魔法使いの杖》を持つ《魔法使い》は兵器として見なされる傾向があるが、《魔法使いの杖》単体は『軍事利用も可能な電子機器』という扱いになる。言葉としては大差ないように思えるが、持つ意味は天と地ほど違う。
持つ理由があれば、誰でも持ててしまう代物なのだ。それその物には、爆薬を搭載しているわけでも、銃弾を発射するメカニズムが必須ではない。あるのは高出力な通信システムと、莫大な電力を有する電池だ。厳密な定義では運用体と呼ばれる兵器システムに当たり、管理や輸出入には大幅な制限がかけられるが、一般的に言われる兵器のカテゴリーからは外れてしまう。《魔法使いの杖》にかかる費用が一般的な兵器よりも高価なため、実際には『誰でも』とはならないが、所有そのものが問題になることは、建前上はない。
「あとはまぁ……問題が起これば、俺たち自身で片をつけるのをアピール?」
「それこそ説得力ねーでしょう?」
十路の思いつきを、コゼットは呆れ顔で手を振る。
「上位機関や第三者委員会とか、そんなのがよく設置されてるように、組織の自浄作用だけでは誰も納得しやしねーですわよ。しかもわたくしたちの場合、所詮は学生の集団ですわよ?」
社会的な保障がなにもない。そしてコゼットでも学生である以上怪しいのに、彼女以外の部員は未成年者ばかり。
「外部の人間が見れば、わたくしたちは危ないオモチャを振り回してる子供ですわよ。それで自浄作用なんて期待します?」
「でも実際問題、そうなったら俺たちがやるしかないんですよ。他の機関がどう動くかはさておいて」
「仮にわたくしたちの誰かが道を誤ったとして、止められます? そりゃ堤さんと戦って勝てる気しねーですけど、可否の問題じゃなくて、心情的な問題として行動できます?」
危惧が出されると、ずっと黙っていた南十星が、口を開いた。
「できるよ」
軽く驚いて隣を振り向くコゼットに、南十星はさしたる表情も浮かべず続ける。
「そーゆーモンっしょ? トモダチだからいつでも仲良しこよし、ケンカなんかするワケないなんて、それこそそんなワケないっしょ? 戦わなきゃいけないなら、あたしは手ぇ抜かずに戦うよ」
「ケンカと同レベルで考えるなっつーの……」
呆れるコゼットの息を聞きながら、十路は危機感を抱いた。家族なのだから、南十星のことは一番よく知っている。
彼女は子虎だ。ヌイグルミのような愛嬌を振りまくマスコットであると同時に、血のしたたる肉をむさぼる残酷な現実主義者でもある。
「ケンカで収まらないなら、そん時は――」
「なとせ」
たとえ正論だとしても、言わせてはならない。
危惧した通りの言葉を南十星は口にしかけたから、やや強めの呼びかけで十路は止めさせた。
「万が一、俺たちの中から犯罪者を出すことになったら、俺たちで止めなきゃいけないでしょう。本来《魔法使い》ができない普通の学生生活を送ってる以上、誰かがそれを壊した時には、俺たちには止める義務があると思いますし、軍事学的にもそうするのが正しい」
代わりに十路が口にする。冗談に聞こえない冗談ではなく、本気度百パーセントの平坦な声で。
その時が来たら、彼女たちに手を汚させたくはない。だから率先して自分が行うと。
「たとえ、殺してでも」
反論も非難もない。十路が明確に言葉にしたことに、南十星は心配するように少し顔を曇らせ、コゼットは驚いた様子を見せたものの、反論そのものは行うはずがない。
彼が言った通り、それが正しいことだから。過去には味方関係だった相手であっても、敵になって殺し合いをしなければならない場合もある。映画のようなフィクションは、彼女たちには現実として起こりうる。
【ナージャ。いつまで盗み聞きしてるつもりですか】
言葉を発さず、話をずっと見守っていたイクセスが、急に声を出した。
誰も気づいていなかったので、シャッターを開け放った出入り口に、三人は振り返る。
すると白金頭を覗かせて、壁際に隠れていたナージャがバツの悪そうな顔を見せた。
「いや~、盗み聞きするつもりはなかったんですけど……深刻そうなお話だったんで、入るのどうしようか迷いまして……」
【別に聞かれて困る秘密の話はではありません。聞いてて面白い話ではないでしょうけど】
守秘性の求められる話ではないので、部外者に聞かれていても気にしない。知らず知らずのうちに高まった緊張感をほぐし、南十星は宿題を片付け始め、コゼットは立ち上がって冷蔵庫を物色し始める。
そして十路は、だらしなく座ったまま、ナージャの方を眺める。
「……うっ」
視線が交わると、ナージャがうめいて怯む。スカートをずり下ろされたことを思い出したに違いない。
「あー……まぁ、悪かった」
あまり持ち出されたくはない雰囲気を察したが、謝らなければなるまいと、十路は短髪頭に触れながら、余計な話を持ち出す。
「ナージャをアダルティな黒パンツ一丁にして」
「なんで忘れたい話そのものズバリ出すんでしょうねぇ!?」
「物事ってハッキリ言わないと伝わらないから」
「むしろ少しは誤魔化してください!」
いつも通りな十路の平坦な言葉に、白い頬を紅潮させて声を荒げると、ナージャは一際大きなため息をついた。いつもは彼女のからかいに、十路の方が声を荒げがちのため、こういったやり取りは実は二人の間では珍しい。
あと『黒か……』と小さく呟き、南十星は改造学生服のスカートをめくって、コゼットは巻スカートを見下ろして、なぜかそれぞれ自分の下半身を確認していたが、意味不明の行動なので誰も突っ込まない。
「わたしが蹴飛ばして気絶したから心配してたのに……この調子じゃ、なんともなさそうですね……」
十路の様子を確認しに来ただけらしい。『心配して損した』とでも言いたげに肩を落とし、彼女は踵を返して歩き去っていく。
ナージャの背中が遠くなり、完全に視界から消える前に、十路は立ち上がりながら、コゼットに確認を取る。
「部長。先に上がってもいいですか?」
「え? そろそろいい時間ですし、木次さんが戻ったら解散しようと思ってたところですけど」
次いで、オートバイに振り向いて、声をかける。
「イクセス。ちょっと付き合ってくれ」
【また私を足にするつもりですか……】
「あぁ……まぁな」
棚に置いてあるヘルメットと、ハンガーで吊るした学生服のジャケットを手にしながら、ウンザリした機械音声に歯切れの悪い言葉を返して。
十路は決意するように言葉を吐いた。
「そろそろ潮時かもしれないからな」
【?】
意味深な言葉に疑問の雰囲気を出したが、人工知能はそれ以上は問わず、充電ケーブルを自力で引き抜いた。




