030_1600 兄の戦った昨日、妹の戦う明日Ⅰ~隠し味は愛情と狂気~
南十星は感情を欠片も乗せていない声で、市ヶ谷に確認する。
「本物の不発弾なんて最初からなくて、あたしのことを言ってんしょ?」
軍事兵器を上回る人間兵器が、国家の管理を外れて街中で生活をしている。
第三者的に見れば、いつ甚大な被害をもたらしてもおかしくない要注意人物が、一般人にまぎれて生活しているのだ。
南十星を不発弾と呼ぶのは、ある意味では正解だった。
「こんな事件をでっちあげて、待ち合わせ場所に街中に指定したのは……もしもあたしが来なければ、ここでなにか起こすつもりだったとか?」
たとえば大爆発を起こす。不発弾処理に失敗したと言い訳することも不可能ではない。それで何人もの無関係な人間が巻き込まれようと、真相に気づくのはごく限られた人間しかいない。
無視すればこうなると、警告の意味を正しく理解できなかった南十星も、その一人に数えられるだろう。
南十星の推測に肯定はしない。それが本当だとしたら許される行為ではないから。ただ心持ち満足そうに、市ヶ谷は感想を述べるに留めている。
『まんざら馬鹿じゃないようだな』
「ホントなら、ただのアホのコでいたかったけどね……《魔法使い》である以上は、そうも言ってられなかったから」
『最初から《魔法》が使えるのに、それを隠していたのも、そういう考えからか』
「…………」
南十星は沈黙で答える。黙っていても無駄だと理解しているが、肯定しなければならない理由もない。
彼女は最初から正常に《魔法》を使えた。ただ、それを隠していたと。
「まぁ、なんだっていいけど……やろうか」
気だるげな態度で、南十星は手すりから身を起こす。
傍から見れば、これから起こる超人同士の戦闘の、前触れだとは思えない。
『まぁ、待て。少し話をしよう』
市ヶ谷は手にした槍を半回転させ、穂先をコンクリートタイルの隙間に突き立てる。非戦闘の意思を示して手放し、二歩ほど離れた。
『八時までもう少し時間がある。処理するって発表した時間より前にやり合うのも、都合が悪いんでな』
「ふぅん……? で、なんの話?」
市ヶ谷と南十星の位置関係は、ほぼビルの屋上の対角線上に立っており、一〇メートル近く離れている。なにかアクションがあったとしても、対応できる間合いだろう。
だから南十星は、油断はしないものの、話に付き合う。再度手すりに寄りかかることはしないが、軽く腕を組んで、やはりすぐには戦う気はないというポーズを作る。
『お前の兄貴、堤十路のことだ』
出された言葉に、南十星は無反応だった。この場で出てきそうな話題といえば、南十星当人のことでなければ、それ以外ない。
市ヶ谷はなぜ戦わなければならないのか。それを南十星に今一度、知らしめたいのだろう。
『俺たちの業界じゃ、あいつはちょっとした伝説だ』
「《騎士》だから?」
『ろくな装備を使わずに《魔法使い》を狩り殺した《魔法使い》殺しってのも、理由のひとつじゃあるが……どっちかというと、そう呼ばれる前の、独立強襲機甲隊員って役職の方で有名だな』
『独立』と付くのだから、活動は常にひとりで行われていた。
『強襲』とは強引に攻めること。専守防衛を掲げる自衛隊の本分からは外れる。
『機甲』とは兵力の機械化。戦車や装甲車、自走砲などを意味する場合が多い。
そんな言葉が積み重なった《魔法使い》――それも希少な装備を扱う《使い魔》乗り。
それが十路の、育成校で生活していた時の、ひいては陸上自衛隊特殊隊員だった時の役職だった。
『自衛隊の中でも秘匿されてる、非公式の役職だ。どんな仕事してたか、知ってるか?』
一般人に答えられるはずない。だが南十星は、スラスラと諳んじる。
「海外で誘拐された日本人重要人物の救出。日本に損害を与えると判断された人物や組織の暗殺や壊滅。日本人を傷つけたテロ組織への報復……他にも同盟国の軍事支援も請け負ってたみたいだね」
『ほぉ……機密なのに、よく知ってるな?』
「お節介なメル友がいたから」
一般人であった南十星が知るはずもない情報は、全てつばめのメール経由だ。彼女がどうやってそんな情報を得たか不明だが、南十星は知ろうとも思っていないし、それをここで説明する気などない。
市ヶ谷も情報の出所には興味ないらしく、十路の話を続ける。
『俺も直接の面識ないから、資料からの受け売りになるが、あいつは海外派遣が多かったようだな。最近だとほとんど中東とアフリカだ』
『アラブの春』と呼ばれる世界的大事件がある。チュニジアで起きたジャスミン革命を発端として、独裁政権の多かった北アフリカ・中東アラブ諸国に波及した、政策への民主化要求運動のことだ。
鎮圧不可能なほどの大規模な市民デモが行われ、中には政権派と反政権派が、大規模な武力衝突をした国もある。
『他にも、アデン湾やソマリア沖の海賊対策にも、よく借り出されていたらしい』
アフリカ近隣での海上交通の要衝は、当然日本船籍の船も利用する。しかしそこには二一世紀の現代に尚、船と乗組員に対する身代金を目的とした、銃火器で武装した海賊が出現し、大きな国際問題に発展している。
『そこで堤十路がどういうことしてたか……言うまでもないだろう』
海外に渡航する日本人の安全だけでない。利権や航路確保のために、彼はそのような場所に派遣されていた。
世界有数の治安を誇り、一般市民の武装が認められていない、日本の常識にかけ離れた世界。そこに十路がいたことを考えれば、なにを行っていたかなど想像に難くない。
『わかっているだけでも五〇〇人以上。死体や記録が残っていないのも含めれば、千人を超えるだろう……まず間違いなく、歴史上最も直接人を殺した高校生だろう』
そこまで語って市ヶ谷が口を閉ざす。南十星の反応を窺っている。
言葉の余韻に浸るように、南十星はしばし瞼を閉じてから、見開き。
「だからなに?」
無表情に言葉を返した。
「そりゃ許されないことだと思うよ? 兄貴が殺した人の家族は、兄貴を殺したいほど憎んでるだろうね」
誰かを仇なす敵だったとしても、十路が命を奪ったことに変わりはない。
莫大な熱量で戦車ごと灼いた兵士も。
絶対零度で凍りつかせた海賊船に乗っていた元漁師も。
粒子ビームを放った時に中継基地にいた人々も。
誰かの子であり、誰かの友であっただろうし、誰かの兄や姉や弟や妹や恋人や夫や妻や父や母だったかもしれない。
命を奪った者たちが悪だったかが問題ではない。十路が正義を行ったかも問題ではない。
命を奪えば、相応に誰かに恨まれる。奪われた者は奪い去った者を、等しく悪と判断する。
相手が悪者ならば倒していいなどと、子供じみた勧善懲悪で判断できる社会でないと、南十星も現実を理解している。
「だけど兄貴は、そのことでずっと苦しんでる。今でも普通の生活を送ろうとしても、自分は普通じゃないって悩んでる」
しかし弁護はする。彼女は知っているから。
どこへ向かおうと、どんなに速く走ろうと、決して振り切ることができない血みどろの過去が手を伸ばし、十路を引きずろうとしている。
それに。
「そもそも兄貴にそういうこと、やらさせたの誰?」
十路は自分のために誰かを殺す連続殺人犯ではない。任務として、目的のために仕方なく誰かを殺していただけだと。
『堤南十星。お前は無関係だと言うつもりか?』
市ヶ谷に言われ、初めて南十星の表情が動いた。眉と口元がほんの少し震えただけだが、能面のようだった無表情が変わる。
「……そんなわけ、ないじゃん」
出される言葉は憎々しげに濁り、後悔が混ぜられている。
「兄貴がそんな任務に就くことになったのは、全部五年前のあたしが原因だ……」
『それも知ってたのか』
「別に知らなくても、簡単に想像できるでしょ……」
十路が『独立強襲機甲隊員』という肩書きを持ったのは、五年前――南十星が旅立った直後だった。
堤南十星にオーストラリアでの安寧とした、ごく普通の、一般人と同じ生活を約束する引き換えに、堤十路は過酷な任務を要求された。
いわば、彼女は人質にされた。南十星の生活を静観させる代償に、十路は一番危険な任務に赴き、不可能とされる作戦に参加することになった。
いつ死んでもおかしくはない。いやむしろ、それが望まれた立場だったのかもしれない。命令する権力者たちにとって、平然と命令を背く彼は、危険視していてもおかしくはない。
だが、十路は作戦の全てを成功させ、帰還した。
彼は理解していた。自分が足を止めたら、今度は南十星が同じような目に遭うと。
だから《魔法使い》二人分以上の働きを行い、作戦を遂行し続け、勝ち続け、生き続けた。
ほんの少し前、修交館学院に転入するまで。
十路はそのことを悔いている。南十星の安寧とした生活を守るためには、二重国籍の限度である彼女の二二歳の誕生日までは、続けなければならなかったが、できなくなった。
しかし南十星は、経緯はどうであれ、兄が自分の束縛から離れたことに、安堵している。
「日本政府は、今度はなにをする気?」
だから彼女は、声に薄い怒りを混ぜて問う。
「せっかく普通のガクセーセーカツ始めた兄貴を、またやりたくもない汚れ仕事に就かせる気?」
『俺も詳しくは知らないが、上層部の連中にその気はないと思うぜ?』
「じゃあやっぱ……兄貴にやったことを、今度はあたしにやる気なんだ……?」
『多分な』
国のため、組織のために、《魔法使い》を働かせる。
かつて鎖で繋いで大人しくさせた野良犬を、今度は逆に首輪にして、子虎にはめる。
『まだ俺もよくわかっちゃいない。だが、お前はとりあえず《魔法》が使えていた。これも仕事だし、『なにもありませんでした』なんて報告書に書くわけにもいかないんでな』
今朝、南十星は《魔法》で自爆した。
その意味を市ヶ谷は、ある程度は理解している様子だった。
『一応、勧告してないとマズいから、言っておこう』
屋上の床に突き立てていた槍を、市ヶ谷は引き抜いた。
『堤南十星。大人しく国の方針に従え。そうすれば悪いようにはしない』
そして槍の穂先を向け、『大人しく従わなければ――』と言外に宣言する。
「お断りだね」
組んでいた腕をゆっくりと横に下ろしながら、南十星は即答した。
「人質にされる気分って、アンタわかる……?」
だから、彼女は慙愧と苛立ちと後悔を抱えて。
「あの人があたしのせいで傷ついてても、なにもできなくて……」
だから、なにも知らない被保護者を演じて。
「情けなくて、泣くことしかできなくて……」
だから、隠れて心身を鍛えて、勉強をして。
「顔を合わせれば、バカみたいに笑うしかなくて……」
だから、心配かけまいと、無知で無邪気な少女になって騙し。
そうして過ごした五年の歳月が、今の南十星を作り上げた。
「あんな下らない思い、あの人にさせてたまるか……!」
知らず知らずに作られた拳が、強く固く握り締められる。
『じゃあどうする?』
「戦いたいわけじゃない……あの人も望まないだろうし、今の生活が続くなら、別にどうこうしようと思わない……」
問う市ヶ谷に、南十星は腰に下げていたトンファーを両手に構えて見せる。
「だけど、手出しするなら、あたしは戦う」
それがアイリーン・N・グラハムが、堤南十星として、日本に帰ってきた本当の理由。
堤十路の現在を守るために。
人と同じ扱いをされるよう、長靴を履かせた三男坊への、猫の恩返し。
そのための五年間が、いま発揮される。
『そうこなくっちゃな』
彼が言った通り、降伏勧告は立場上の『一応』なのだろう。戦闘こそ望むところだと嬉色を浮かべ、市ヶ谷は槍を左に構えた。
《魔法使いの杖》が測定している標準時は、午後八時を過ぎている。建前の上では、民間人を避難させた不発弾処理は、開始されている。
《魔法使い》同士の戦闘は、既にゴングが鳴らされている。
「《kuhoh》――load」
たったひとつしか持っていない術式起動で、南十星の脳が大絶叫した。
同時にジャンパースカート以外の服を巻き込むように、体は《魔法回路》の淡く青白い輝きに覆われ、彼女を中心にして猛烈な旋風が巻き起こる。
目に映る風景が変化する。ニュートン力学的ベクトル観測により、視界内に映る物体のおよそ一秒先の移動予想が計算され、網膜投影で矢印にて表示される。更に小さな窓が開き、断片的な高速度撮影による映像が、人間が持ち得ない動体視力を実現させる。
脳内物質の分泌と、物理的な神経伝達の変化により、知覚速度と運動神経が加速したため、水中のような違和感を覚えながら、動く。
トンファーを握ったまま地面に手を突く、異形のスタート態勢を取る。
極端な前傾姿勢になって、踏み込んだ一瞬、右肘と両肩と両横脛と足裏の《魔法回路》が変形する。
取り込んだ空気を圧縮冷却して、固体窒素を作り、急速加熱で爆発を起こす。
その衝撃を後方へ収束すれば、推進力として南十星の体を加速させる、正真正銘のロケット・スタートとなる。それも加速度変化に耐え切れず、内臓が破裂するほどの強烈さで。
しかし構わない。脳の全力駆動の影響がひどいのだから、痛みがこれ以上増えても知れている。一秒にも満たない短時間、気を失いかけたのだから構う余裕もない。
加速した視界に急速接近した市ヶ谷に向けて、腰を入れて拳を振るう。
前哨戦は超音速で、朝の繰り返しとして開始された。




