030_1310 嘘つきは《魔法使い》のはじまりⅢ~豪州風子虎のあぶり焼き 五年ものの後悔を添えて~
同時刻、南十星は五時に起床し、日課のトレーニングをこなしていた。
彼女は神戸市の山側に建つマンションから海側まで往復し、ポータブルプレイヤーから流れる映画音楽をイヤホンで聴きながら、走っていた。厚手のTシャツに膝丈のレギンスという軽装は、すれ違う早朝ランナーと大差ない。
ただし南十星のランニングは、普通のジョギングとは大きく異なる。
マンションから海岸まで、ほぼ一直線に走っているのだ。障害物は跳び越えて、ブロック壁があれば登り、その上を走る。背の高い建物は、配水管を使って登り、屋上から屋上へと移り、庇を掴み落下速度を調整しながら飛び降りる。
ある邦画を参考にした訓練で、その映画の主人公は射出型ワイヤー・ロープを使っていたが、彼女にそんなアイテムはない。万一のためにすぐ使えるよう、彼女の《魔法使いの杖》であるトンファーが、ベルトで腰に下げられているが、《魔法》も命綱も使わず身体能力のみで危険な走破を行っていた。
それはフリーランニングやパルクールと呼ばれる、アクション映画などでも使われる、いわば都市の地形を利用した障害物走だ。
「あーらよっ、とぃ」
そうして南十星は、まだ静かな住宅街を突っ切り、塀から宙返りで降りて、公園の側に差し掛かる。
そこで明らかにランニング目的ではない人影が、行く手をふさいだ。
その人物は、黒いライダースーツで全身を包み、シールドにシェードの効いたフルフェイスのヘルメットを被っている。要所のカラーリングが銀色の、オフロードも走れる大型オートバイにもたれかかってきたが、明らかに南十星が目的で立ち上がる。
たびたび南十星の前に姿を現していた、正体不明のライダーだった。
「……そろそろ来るんじゃないかと思ってたけどね」
南十星は驚きもせずに、足を止めてイヤホンを外す。顔はいつもの微笑を浮かべているが、瞳には冷徹な闘志を野性の光として輝かせ、明るい場所で初めて見た相手を観察する。
背の高さは目を見張るものではなく、鍛えられたシルエットを持っているが、ボディビルダーのような筋肉隆々とした体格ではない。
南十星ならば、十路との共通点を見出す、戦闘のための肉体を持ったアジア人だ。
ここで話すのも具合がよくないと顎をしゃくると、男も承知したらしい。オートバイの後部横に載せられていた追加収納ケースの片方を外し、先に立って歩き始めた。
スズメの声が聞こえるのどかな公園の小道を、五メートルほどの距離をはさんで歩きながら、南十星は前を行く背中に、口調だけはにこやかに語りかける。
「で、どちらさん?」
『国家公務員のお兄さんだ』
振り返りもせず発せられたのは、男の声だった。それは誰でも理解できる。しかし複数人が同時にしゃべっているような、奇妙なエコーがかかっていて、当人の声がまるでわからない。
特殊なボイスチェンジャーだろうと、南十星は予想する。ただ声の周波数を上げ下げする程度では、生体コンピュータを持つ《魔法使い》は簡単に元の声を割り出すため、複雑化させているのだろう。
『匿名希望と言いたいが、呼びにくいだろうから、市ヶ谷とでも呼べ』
「役人の割には、ずいぶんイカした格好じゃん?」
面体を隠すような格好をし、待ち伏せをして接触を図る相手を、公務員と呼ぶには似つかわしくない。それに男の口調はまだ若い雰囲気があり、連想するような威厳や重々しさが感じられない。
『現場の人間ってのもあるけど、そこはあれだ、残業? 全然違う管轄なのに、おまけで仕事回されて、掛け持ちしてんだよ』
「大変ですな、国家公務員の《魔法使い》さんは」
しかしヘルメットの男は、黒い樹脂で覆われたケースを提げている。それは南十星も使っている、空間圧縮を行うアイテムボックスと同じものだろう。
総合生活支援部員たちとは違う――きちんと国家に管理される同時に、公にできない仕事を義務を背負った、日本国所属の《魔法使い》としか考えられない。
「で、あたしに何の用?」
南十星は気楽な口調で問いかけると、男からも仕事だとは思えない、気楽そうな口調が返ってくる。
『まずは総務省と外務省の仕事。さっさと日本国籍取って、《魔法使い》の教育を受けろってよ』
「またそれぇ~? オーストラリアにいた時も、たびたび来てた役人が言ってたんだけど」
『何度も言われたくなければ、言われた通りにしてろ』
「でもさぁ、まだ決める必要ないじゃん。日本は二重国籍を認められてないからって、国籍選ばなきゃいけないリミットはまだ先だし。イッショーものの選択なんだから、こっちもじっくり考えなきゃなんないの」
一応と言った雰囲気で、話をしていた市ヶ谷の足が止まり、振り返った。
そこは築山が盛られ、低木が生い茂る遊歩道の中。朝早い公園とはいえ、老人が散歩している姿もある。だから他人からは見えない、植え込みに隠れた場所を選んだらしい。
それはただ、公にすべきではない、半ば裏社会に属する《魔法使い》の話しをするために、人目を避けたというだけではない。
『いいぞ、国家公務員は。クビはないし、給料いいし』
「だけど代わりにヤな仕事させられて、人並みの自由はない」
『それは仕方ない。《魔法使い》はそういう存在だ』
「先はそーなるかもしんないけど、今はいーじゃん」
ライダースーツにヘルメットという露出度ゼロの市ヶ谷は、あまり熱心とは思えない勧誘をし。
対し涼しげなジョギングスタイルの南十星は、朗らかながらどこか危うさをにじませる。
傍目にはそう見えないが、奇妙な取り合わせに二人の会話は、緊張の糸が徐々に徐々に張り詰めていく。
「そんなわけで国籍の件は、今んトコ保留。お役所さんにそう伝えておいて」
『わかった、伝えておく』
南十星が話を打ち切る結論を出し、市ヶ谷はそれに応じる。
しかし二人は動かない。
「……それで、あたし帰っていい?」
『言ったろ。管轄外の仕事まわされて、掛け持ちしてるって』
「あぁ、そだっけ。で、他はなに?」
話はまだ終わっていないと、わかっていたから。話を聞かずに帰ることもできるが、相手に背中を見せることを南十星は危険視した。
『防衛省が、お前が使い物になるか、見極めてこいってよ』
合成された音声ではわかりにくい。しかし市ヶ谷はどこか嬉々とした雰囲気で、機械動作音を立ててケースを開き、中の装備を取り出した。
機械の腕が差し出す引き出しから抜かれたのは、ケースの大きさよりも遥かに長い柄だった。
ゆっくりながらも相手が臨戦態勢を整えていても、南十星は眉ひとつ動かさず――ただし手はすぐ動かせるよう、腰の横で力を抜いて、先ほどまでと変わらぬ口調で問いかける。
「あたしのアタマの悪さ、調べてんしょ? だからたぶん無理だよ? 今でもマトモに《魔法》使えたことないし」
『あぁ、そうだな。上層部の連中はそれを知ってるから、今後のお前への方針を立てるためにも、使えないなら使えないなりの確証を得たいんだろうけど……」
そして最後に、ケースから引き抜かれた長柄の先端についているのは、左右にも湾曲して伸びる、巨大な刃だった。
戦国武将を主役とした時代劇に登場しそうな、古風な大身の両鎌槍が出現した。
それが市ヶ谷と名乗った男が使う、二一世紀の《魔法使い》たちが持つ《魔法使いの杖》――アビスツールに違いない。
『俺個人として、お前にものすごく興味があるから、戦ってみたいんだがな』
そして飢えた狼の本性を顕にした。ただ腹が減っているだけではない、狩りによる自尊心を満たすことに飢えた、狩猟生物の闘争本能。
しかし南十星は動かない。顔から表情が抜け落ちているが、まだ動かない。
今ここで戦うのが得策でないと、理解していた。
「あたし、一般人として生活してたから、おにーさんみたいに戦闘訓練してないけど?」
『刃物見ても平然としてて、よく言うな』
不戦の意思を示す言い逃れも、市ヶ谷は小さく呆れたように軽くいなす。
確かに普通の人間ならば、刃物を見せられれば、警戒して身を固くするようなリアクションを行うだろう。
しかし南十星は、逆に体の力を抜いた。すぐに対応できるよう、過度な緊張を意識して抜くなど、慣れていなければできることではない。
『堤南十星。お前がオーストラリアで所属していたのは、スタントマン養成所だろ? 確かに軍事訓練とは違うが、それなりの荒事はやってるだろ?』
市ヶ谷の言は質問ではなく、確認のための疑問形だった。
だから南十星は誤魔化しても無駄だろうと悟り、どこか諦めたように言う。
「……無理言って拝み倒して、あたしの歳じゃフツーやらせてもらえないことも経験してる。基本は床運動と格闘技とパルクール。ロープ降下とかロッククライミング、車に轢かれるのも飛び降りもやった。あと火ダルマにもなったっけ」
『槍との戦い方は、教わったか?』
「殺陣師の講習受けて、ひと通りの武器は一応勉強した」
実戦的な戦闘術と、エンターテイメントのためのアクションは、似ていても動きは異なる。
現代軍事学の戦闘では、隠匿性と即応性を重視した、小さく速い地味な動きが多い。
対してエンターテイメント性を追求するアクションは、観客を意識した大きく激しい派手な動きだ。
実際に傷つけるつもりで戦えば、実戦的な訓練を行っている方が、大抵の場合は勝つだろう。
ただ、自ら走る車の前に飛び出す者など、普通はいない。下にクッションがあるとしても、ロープなしで建物から飛び降りる訓練は行わない。着衣に火をつけるなど、撮影以外では狂気の行動だ。
国家の管理に狭まれる二重国籍の《魔法使い》である南十星は、どちらかの国の育成校に所属して、戦闘訓練をした経験などない。しかし見世物のためとはいえ、そういった危険な訓練を行っている彼女の心身は、常人以上に鍛えられてる。
市ヶ谷はそれを挙げて、彼女は新兵よりも経験豊富で危険と判断していた。
「……おにーさんさぁ、モテないでしょ? 待ち伏せなんてして、オンナの過去ほじくりかえしてさぁ。やる事がストーカーじみてるよ?」
義兄のように首筋をかいて、南十星は小さく呆れたように言葉を紡ぐ。
『気になる女には、いつも素気なくあしらわれている』
対する答えは、色の濃いヘルメットのシールド越しに、市ヶ谷が小さく苦笑したと、南十星は感じる。
「しかも、しつこけりゃヨケーに嫌われるよ。モテるようになりたきゃ、あたしにこれ以上関わんないで」
『そうも言ってられないんでな』
見えない小さな笑みが、深く不快なものに変わる気配を南十星が感じた時、市ヶ谷はコーラスのような声で、彼女が戦わざるをえない言葉を吐く。
『ま、お前がやりたくないってなら、それでいいけど』
全体の長さは三メートルほど。長大だが槍としては標準サイズのそれを、ケースを投げ捨てた市ヶ谷は、左手を前に出した半身に構え、穂先を南十星へ向ける。
二人の間合いは、五メートルほど。踏み出して槍を突き出せば、届いてしまう距離だ。
『お前の兄貴に――』
直後、言葉が終わるより早く、甲高い金属音が朝の空気を震わせた。
『ほぉ……いい踏み込みだ』
楽しげに、市ヶ谷が嗤う。
彼の目前では、立てられた長柄に交差する形で、南十星の右腕に握られているトンファーが、鍔のない獲物同士でせめぎ合っている。
南十星は腰からトンファーを抜いた腕を突き出して、一気に市ヶ谷の懐に飛び込み、先端でヘルメットのシールドを突き破ろうとした。槍の柄が払ったが、命中すれば失明は免れなかったかもしれない。
人を傷つけることに、遠慮も躊躇も容赦も良心もない突撃だった。争いなど無縁で暴力慣れしていない一般人では、取れる行動ではない。
「アンタたちはまた、兄貴を巻き込むんだ……?」
トンファーを押しながら、南十星は感情を押し殺した声を絞り出す。
既に切られた間合いは槍のものではない。手足が届く南十星のものだ。
だから左手に握ったもう片方のトンファーで脇腹を強襲するが、競り合っていた長柄が外されて防がれた。
「――っざけんな! これはあたしの問題だ! あの人を巻き込むな!」
連続で振るわれる異形の双短杖。
『ははっ! やっぱりお前が日本に帰国したのは、そのせいか!』
応じて振るわれる奇形の槍杖。
間合いを開こうと市ヶ谷は下がるが、南十星は許さず連撃する。
トンファーが一方的に攻め立て、槍は旋回してそれを払う。
骨董品の形をした、超最先端技術の電子機器が、金属音を立てて衝突する。
「五年前のあの時のせいで――!」
南十星は空手の中段突きで槍を弾き。
「兄貴は何度も死ぬような任務に就かされた!」
キックボクシングのハイキックにシフト。
「あたしを人質にするようなマネして――!」
続いてカポエイラの側転かかと落とし。
「大人たちはあの人を都合のいい道具扱いした!」
そしてテコンドーの 跳び後ろ横蹴り。
「なんなの!? ねぇ!? あたしたちをなんだと思ってんの!?」
荒削りで。部分的で。未完成で。
無力感と慙愧を接着剤に、五年の年月をかけて積み上げた、スクラップの塔のような南十星の格闘技は、かなり鋭い。
しかし戦闘の玄人までには、通用するものではない。
激情を吐き出したせいか、市ヶ谷に大きく間合いを取られたせいか、南十星の連撃は一度停止する。
『……《魔法使い》ってのは、権力者どもの道具だ』
槍を改めて脇に構え、市ヶ谷は静かに語る。
それは《魔法》というものが存在しながら、子供が夢描く世界とは異なる現実であり。
彼自身の実体験だろう。
『上層部の連中が、道具を気にかけてくれるなんて期待するのは、間違いだ』
「……じゃぁせめて、これ以上、あの人を巻き込むな」
『とりあえず、俺はお前が遊んでくれたら、今はそれで充分だ』
市ヶ谷は、演舞のように槍を振り回す。《魔法》の発現にポーズなど不要だが、南十星をからかっているのか、気合を入れているのか、朝の空気が切り裂かれる。
そして槍を振りかぶる姿勢で、ピタリと制止した。
『《魔法回路》展開』
言葉と共に、二一世紀の《魔法》を行使するための『魔法陣』が形成される。槍の特性に関連するかと思いきや、それは鎌槍の横に伸びる刃の延長のように、長柄に対して垂直に出現した。
根元の円形は、本来ならば直径数キロという巨大施設となる粒子加速器を、強引な出力発揮でコンパクトにまとめたものだろう。
そこから一〇メートル以上も伸びる、先端が細くなる円錐形は、なにかを発射するための砲身だと予想できる。しかしより遠くに届かせるための点の攻撃ではなく、発射しながら動かして線の攻撃を行うために、長柄に対して垂直に形成されている。
まるで巨大な死神の鎌だった。
《魔法》の詳しい効果はわからないながらも、小手調べとは全く違う気配に南十星は息を呑む。
ここは公園、すぐ側には人家もある。無関係な人間を巻き込みかねない場所で、強力な《魔法》を使うはずない――などという甘い考えは即座に捨てた。
自分も相手も常識を覆す二一世紀の《魔法使い》なのだから、一般論だって通じるか怪しい。
「《kuhoh》――load!」
《魔法使いの杖》起動。同期と同時に圧縮された術式《Kuhoh.scop》を解凍展開し、実行。
直後に頭脳が悲鳴を上げたが構わない。
使用を禁止されているが構わない。
一秒未満で戦闘準備を終えて、腰のホルスターにトンファーを収めて。
南十星は地面に手を突いて、クラウチング・スタートの姿勢を取った。




