♯1 邂逅
ここは、人の暮らしのすぐ隣に、妖怪・幽霊・怪異が当たり前のように存在する世界――柊都。
しかし怪異たちは人間に見つからないようにひっそりと陰の世界で暮らしているため、落とし物をしても自分で取りに来られないことが多い。
そこで生まれたのが──
『怪異遺失物取扱人』
怪異が落とした、不思議な落し物を保管し、持ち主を探し、必要なら事件を解決する役目を担う役所だ。
* * *
路地の奥、夕闇に溶けるように在る小さな木製の扉を前に、青年――未凪淳弥は一つ、深呼吸をした。
受け取った書類に目を通し、事前に住所を調べてルート検索まで済ませて来たのだから間違ってはいないはずなのだが……。
上司に急に呼び出され、クビを宣告されるかとドキドキしながら入った役員室で渡された一通の封書。
そこにあったのは、クビではなく――。
「貴殿を怪異遺失物取扱人に任命す」
という、正式な任用の知らせであった。
怪異遺失物取扱人は、柊都でもかなり人気の高い職だ。人気の理由は通常出会えない怪異と特別に会うことが許されるということであったり、怪異と戦えるスリルを味わえるといったものが多いが、一番の理由は報酬単価の高さだ。難しい任務であれば、一件で五十万は下らないと聞く。
だが。
「合ってるよね……うん、合ってる。合ってる……はず」
怪異遺失物取扱人の事務所は非常に入りにくい雰囲気だが、これから働く職場とあっては、怖気付いて入らないわけにもいかない。看板の墨の跡は古く、けれど不思議と風雨に削られた形跡がない。近づくと、外気とは違う冷たい空気が漂い、淳弥は思わず背筋を伸ばした。
「……あ、あのー」
淳弥が恐る恐る声をかけると、中からは涼やかな銀鈴の声が返ってきた。
「入れ。三分、遅刻だぞ」
「は、はい! すみません!」
深呼吸を一つ。自分の手が少し震えていることに気づく。
意を決し、扉に手をかけた。キィ──と、微かな音を立てて木戸が開く。
室内へと流れ込む風は外よりも冷たく、ほんのりと香木の匂いが混じっていた。
それと比べて、僅かに殺気立った気配も。
――!
雪のように白く透き通った髪に、特徴的な細い狐の尾。
瞳は夜の灯のように金色に揺れ、美しさを際立たせている。
妖の類いは通常人間とはあまり関わらないと聞くが……。
狐のお面を被っていて表情は分からないが、厳しそうな感じは伺える。恐る恐る内に足を踏み入れれば、いきなりパシーンと背を叩かれた。
い、痛い。遅刻したから怒っているのか。
「あ、あの……こ、ここであってますよね?」
「ここ以外に何処なんだ。話は聞いている。新人が来るとな」
「は、はい! 今日からここの配属になりました未凪淳弥です! 不慣れなところも多々あるかと思いますが、よろしくお願いします」
たどたどしく挨拶をすれば、狐の女性はふう、と鼻を鳴らした。
「私の名は紗羅。狐の妖だ。人間は嫌いだからあまり馴れ合いたくはない」
「えっ、初対面でそんな……」
「仕事は教えるが、雑談は不得手だ。無駄話はしない。覚えておけ」
ピシャリとそう言い切られてしまっては、返す言葉もない。新天地でも頑張ろうと思っていたが、こんな調子では骨が折れる。肩を落とす淳弥に、紗羅は特に気にする様子もなく続けた。
「早速だが仕事の説明をしよう。これが我々が取り扱う落し物だ」
そう言って、紗羅は引き出しから、小さな木箱をひとつ取り出す。
木箱の蓋を開けると、中には──小さな“炎の玉”が揺れていた。
「……え、火?」
「火だ。持ち主は“火喰い童子”。本来は人を襲わぬ良い怪異だが……火を失ったことで暴走している可能性がある」
淳弥の喉が緊張を映してゴクリ、と鳴る。
「ぼ、暴走……?」
「ああ。だから暴走を止めるために我々は動かねばならない。任務に失敗すれば、人の世だけではなく怪異達にも悪影響が及ぶ。それは避けねばならない」
紗羅は白い尾を揺らしながら立ち上がる。
「え、え!? ちょっと待って!」
淳弥の動揺に、しかし紗羅は気にした様子はない。
「安心しろ。私が基本的な手解きはしてやる。さあ、行くぞ」
狐の瞳が淡く光った。
そして淳弥の本当に奇妙な“初仕事”が始まった。




