魔剣と聖剣の物語 5
階段を駆け上がり、屋敷の外に出ると南の壁の向こうにのろしが上がっていた。
「赤」
「……高位魔獣」
辺境伯領は、魔獣との戦いの最前線だ。
領地の中心部は壁に囲まれているが、南側の壁の向こうは魔獣の生息地帯だ。
魔力を持った子ども以外は、十三歳になるまで壁の外に出ることは許されない。
「――あ、また上がったよ!」
「赤い煙が三本! あ、今度は紫色だ」
「……紫、救援信号か」
すでに、作戦会議室が設けられていることだろう。
父様とイースト卿は、前線に向かっているはず。
それにも関わらず、救援信号が上がるなんて。
「旦那様……」
「君は、避難所に向かうんだ。一緒に行きたかったが」
「――大丈夫です。領民たちの避難誘導をしながら向かいますが、すぐに安全な場所につきますよ」
魔力が全くないにせよ、ロレンシア辺境伯家に生まれた者としての責務はある。
領民の避難誘導は、結婚するまで私の仕事だった。
旦那様はすぐに走り去るのかと思った。
けれど眉根を寄せて私を見つめ、何か言いたげな表情を浮かべた。
「――旦那様?」
「君の指先が傷ついただけで、あんなに胸が痛くなるなんて思わなかった。……君がいなくなったら、きっと戦う意味を見いだせなくなる。頼むから無事でいてくれ」
「ええ……できる限り早く避難所に行きます。旦那様こそ怪我をしないでくださいね」
「ああ、子どもたちを頼んだ」
旦那様が走り去る。
「ルティア、ハルト、絶対に私から離れてはいけないわ」
「「……わかった」」
二人は神妙な顔をして頷いた。
王都にまで魔獣が迫ってきてから、三百年の月日が経つ。
そのときは、辺境伯領の街道の途中にある黒い森から高位魔獣が現れた。
ルティアとハルトが魔獣の襲撃を体験するのは今回が初めてだ。
――王都に暮らす人々にとって、魔獣との戦いはどこか非現実的で遠い場所の話なのである。
幸いなことに、二人ともパニックにはなっていないようだ。
「大丈夫だからね?」
「――お母さまは、私が守る」
「……僕だって同じ気持ちだ」
「……ふふ、子どもは守られていればいいの。未来にあなたたちは誰かを救うでしょうから、今は」
私は、魔剣を手に二人を気にしながら、避難所に向かった。
* * *
すでに、避難所には人が集まりつつあった。
神殿の地下に向かう階段には大きな鉄の扉があり、よほどのことがなければ魔獣が侵入することはない。
もちろん、宝物庫に入れば自分たちの安全だけは守れたかもしれないが……。
「大丈夫ですか?」
「姫様! ありがとうございます……」
杖を手によろめいた老婦人に手を貸して、階段に向かう。
青みを帯びた黒髪に青い目をした少年が先頭に立って、避難を誘導している。
「ジェイルさま!」
「ああ、ルティア嬢じゃないか。早く地下に」
「……ジェイルさまは、子どもなのに手伝っているの?」
「……そうか、君たちは王都からきたんだものな……。こういったことは初めてか」
ジェイルは大人びた笑みを浮かべた。
彼はまだ、九歳だから外に戦いに行くことは基本的にはない。
だが、魔力が高い者は幼いうちから積極的に避難誘導や戦いの準備に加わることが推奨される。
ましてや辺境騎士団長であるシノア・イースト卿の弟なのだ。なおさらであろう。
「――さあ、中に入って。君たちが最後だ」
「……ジェイルさまは?」
「扉の前でいざというときのために待機する」
「えっ!」
ルティアはひどく驚いたようだった。
「……お母さま、ここではこれが当たり前なの?」
質問してきたのはハルトだった。
「そうね、あなたの言う通りよ」
「……そうなんだ。知らなかった」
「私たちが中に入らないと、扉を閉めることができないわ。行くわよ……?」
固まったように動けなくなったルティアの手を引いたそのときだった。
西側の壁の向こうから、オレンジ色ののろしが上がった……。




