魔剣と聖剣の物語 4
私は両方の手に剣を持って振り返った。
「エミラ……」
「旦那様」
皆の視線が私の手元に集まっている。
なぜだろう――繰り返し兄様の声が聞こえてくる。
兄様はこう言っている。「泣くな」「大丈夫だ」と……。
「泣かないでくれ――エミラ」
「旦那様、私……」
聖剣を手にした瞬間、思い出してしまった。
二十年前のあの日、私は聖剣の前に立っていた。
そして、今のように薔薇のとげで指を傷つけたのだ。
『アンドレイ、エミラとベルティナを地下の避難所に連れていけ』
『父様は』
『……当然、この場所を守る』
父様の笑顔には、ほんの少しの緊張が混じっていたかもしれない。
だが、四歳だった私は、いつものように父様が倒してくださるから大丈夫、そう思っていた。
けれど、あの日、壁を越えて辺境伯領の中心地に侵入してきた魔獣は知性があり、子どもたちが集まっていた避難所を狙った。避難所を守っていた騎士たちは倒され、戦える者は兄様だけになった。
――あの日の兄様よりも、私はいつの間にか八つも年が上になっている。
涙で曇ってしまった目で、ルティアとハルトを見た。
二人とも心配そうに私のことを見つめていた。
子どもたちの命を背にかばい戦った兄様……まだ、十六歳だったのに。
「――兄様」
「アンドレイ・ロレンシア殿か……」
旦那様が私の右手に触れて、聖剣を手にした。
「……いや!」
あの日、兄様が私から聖剣を受け取ったように。
「大丈夫だ」
あの日の兄様と同じ言葉、気遣うような優しい声。
「泣くな」
再び同じ言葉が繰り返された。
大好きだった兄様は、最後まで笑っていた。
だから聖剣を台座に戻した日、もう泣かないって決めたのに。
全て忘れてしまったのは、聖剣を台座に戻した瞬間溢れた、淡い水色の光のせいだろうか。それとも、幼心に受け止めきれなかった兄さまがいないという現実のせいだったのか。
――同じ言葉を口にして、笑わないで。あなたまで帰ってこないんじゃないかって、思ってしまうから。涙が一筋頬を伝った。
そのとき、上の方で何かが爆発したような鈍い音がした。
「ああ……やはり関連があったか」
父様の表情は苦々しかった。
何と何が関連しているというのか。
だが、嫌な予感ばかりが胸中を埋め尽くしていく。
「決闘の勝者は婿殿だった。だから、どんな質問にも答えるつもりでいたが……後回しになりそうだ」
「先ほど伺った話が一番気になっていたことなので問題ありません」
「そうか」
父様は大剣を背から降ろして手にした。
そして、旦那様に晴れやかな笑みを見せた。
「エミラが婿殿に愛されているようでなによりだ」
「……ええ、愛しています」
その言葉を旦那様が口にした直後、父様は踵を返し地上への階段を駆け上がっていった。
母様とベルティナも、収納魔道具の腕輪腕輪からそれぞれの武器である弓と矢を取り出して父様のあとを追いかけた。
「――旦那様」
「今辺境伯領にはイースト卿までいるんだ。王国で一番安全だろう」
旦那様は笑みを浮かべたが、私が手にしたままの魔剣を見つめ眉根を寄せた。
「一緒に行かない? どういうことだ、レイブランド」
魔剣は光ることもなく沈黙している。
「ここにいる……? 確かにフィアレイアは、お前と同じ造りをしている……使いこなせるだろうが」
確かにレイブランドとフィアレイアは、宝石の色が違う以外は同じように見える。
だが、慣れ親しんだ武器を手放すことの危険性は、戦えない私にだってわかる。
「ここにお前が残っても、鞘から剣を抜くことができるのは俺だけだ」
そのとき、ルティアとハルトが私が手にした魔剣に抱きついてきた。
「やだ、魔剣さん……!」
「どうしてそんなこと言うの?」
「どうしたの、二人とも……」
三人は魔剣と会話ができるけれど、私には何も聞こえない。
旦那様が手にした聖剣も、私が手にしたままの魔剣も、光ることもなく……何か覚悟を決めてしまったみたいだ。
「嫌だよ! 宝石を壊したら魔剣さんどうなっちゃうの!」
「……あくまで最終手段って、どういう意味なの!」
魔導具を動かすためには、魔石や魔獣の素材などの核が必要だ。
素人目に見ても、魔剣にとっての核が宝石部分であることは想像に難くない。
「……はあ、どちらにしても状況を把握する必要があるな。避難所まで案内してくれるか、エミラ」
「ええ……わかりました」
一番近い避難所は、屋敷に隣接した神殿の地下だ。
あの日の惨劇以降、魔導具を配備してさらに堅牢になっている。
「ルティア、ハルト……まずは、避難が先よ」
「うん……行こう、ルティー」
「そうだね……ハル」
二人は黙り込むと、手を繋ぎ旦那様の後に続いた。
――カチャカチャと微かな音があとからついてくる。
振り返るが、視界には動く物は何もない。何かの魔導具が音を立てているのだろう。
宝物庫を出て、階段に続く扉を閉めようとしたとき『ガッチャン!』と激しい音がした。
扉の隙間から飛び出してきたのは、旦那様とベルティナが話していた魔導具だった。
宝物庫に戻そうとしたのだけれど、八本のアームを器用に動かして捕まえることができない。
ルティアとハルトが魔導具を見つめる。
特にハルトの目はキラキラと輝いている。
「ハル、あれって蜘蛛さんかな?」
「そう、蜘蛛型魔導具だ。現存する物はもうないって文献に書いてあったけど今でも動くなんてすごい!! あれはたぶん神代技術搭載蜘蛛型魔導具第三世代改良型だよ。遠距離操作系魔導具としては特殊で、契約者と出会うまではあらかじめ設定されたプログラム通りに行動するんだ、ルティー!!」
「蜘蛛と魔導具以外、これっぽっちもわかんなかったよ、ハル……」
私にも蜘蛛と魔導具という言葉以外は聞き取れなかった。
ハルトとルティアの言うとおり、八本のアームには関節部分があって、まるで蜘蛛のようだ。
小さな赤い魔石が二個ついていて、その部分がまるで目のように光っている。
「――旦那様」
「俺もそこまで詳しくない。義父上に聞けば詳細がわかるだろうが……天井に張り付いてしまった。時間がない、放置するしかなかろう」
捕獲を諦めて扉を閉める。
私たちは、あとからついてくるちょっとうるさいガチャンガチャンという音とともに、階段を駆け上がるのだった。




