ロレンシア辺境伯領 3
「おかえりなさい」
「只今戻りました」
母様と挨拶を交わしたあとは、父様と無言で向かい合う。
重苦しい沈黙を破ったのは旦那様だった。
「このたびはお招きいただきありがとうございます」
旦那様は父様の前に歩み出ると、固い握手を交わした。
ずいぶん長い握手だ。
旦那様は和やかに笑っているが、父様は軽く眉根を寄せた。
――まさか、旦那様は辺境伯領恒例の力比べを挑んだのだろうか。
辺境伯領には、変わった風習がある。
腹を割って話したい相手と握手をするとき、握力勝負をするのだ。
王都にそんな風習はないが旅立つ直前、家の図書室の机の上に『世にもおかしな辺境伯領の風習』という旅行記が開かれたまま置かれていた。
百年前の本なので廃れてしまった風習もあるけれど、握力勝負は今も残っている。
「はは……婿殿は細身に見えてなかなか」
旦那様は決して細身ではなく着痩せしているが筋骨隆々だ。
「義父上……お会いできて光栄です」
あまり光栄そうではない。旦那様の声はどこか勝ち誇っている。
「ふははは」
父様がこんなふうに笑うのを初めて見た。
なんだか悔しそうだ。
「はは……」
旦那様の笑いは乾いている。
もしや怒っているのだろうか。
ベルティナが旦那様の手に鋭い視線を向けている。
彼女も参加する気なのか。
「「おじいさま?」」
殺伐とした空気を壊したのは、可愛らしい二人の声だった。
「……君たちが、ルティアとハルトか」
「はい、辺境伯領のおじいさま。ルティアです!!」
「おじいさま……ハルトです」
ルティアは朗らかに、ハルトはルティアの影に隠れるように。
だが、ピッタリ揃った二人の礼は、高位貴族フィアーゼ侯爵家にふさわしい堂々としたものだ。
「ふむ、中々のものだ。二人は魔力が強いらしいな……何よりだ」
「「……」」
二人が赤い目をスッと細めた。
確かに今の言葉からは、魔力がない者への蔑みを感じたが、幼い二人にはそこまでわからないはずだ。
しかし、握手していた手を離し目を細めたのは旦那様も同じだった。
魔剣もなんだか光ってる……ギンギラギンだ。
旦那様が魔剣を抜いて、父様の足元に突き刺した。
王都では決闘を挑むとき相手に手袋を投げるが、この地ではもっと直接的な意思表示がある。
旦那様の行動の意味、それは『今すぐここで決闘しろ』である。
旦那様が怒ったのを見たことがない。死神騎士だなんて呼ばれるのは、旦那様が感情を表に出さないことも理由だと思っていたくらいだ。
こんなに血気盛んな人だとは思わなかった。
「俺の妻は魔力はありませんが、素晴らしい人です。妻の名誉のため、発言を撤回していただきましょうか?」
「……」
父様はしばらく黙り込んだ。
もしや決闘を受ける気だろうか。
「ふむ、孫と婿殿と争いたくはない。発言を撤回する。比べたわけではなく、孫が魔力が高いことを喜んだだけのこと」
「そうでしたか……感謝いたします」
決闘に発展しなくてホッとした。
しかし、ここはやはり力が全ての辺境伯領なのだ。
「そうそう婿殿……今度の祭でトーナメントがあるが、もちろん参加されるだろう? 優勝者は領主との一騎打ちがある」
領主とはもちろん、父様のことである。
「はあ……なるほど、もちろんです」
「ああ、そういえば婿殿は十年前……。あの時は私の勝ちだったな」
「……」
父様の言葉の意味はわからなかった。
十年前、二人が手合わせをする機会があったのだろうか。
「……おじいさま、私もトーナメントに参加できる?」
「子どもの部がある。ルティアももちろん参加できるだろう」
「おじいさま、僕も……参加します」
「ハルトもか……なるほど、楽しくなってきた」
父様は豪快に笑った。
ルティアなら参加したいと言いそうだが、ハルトも希望したのは予想外だった。
こうして実家への帰省は『力こそ正義』な辺境伯領らしく始まってしまったのだった。




