初めての家族旅行 4
湯船はとても広く、縁からは湯があふれ出していた。
「これは中々のものね」
感心しながら、まずは身体を洗い、湯に浸かる。辺境伯家の屋敷内には大きなお風呂があるし、公共浴場も設置されている。
だが、王都にはそのような文化はない。
こんなに広いお風呂に入るのは、五年ぶりのことだ。
そういえば、こうして一人きりで落ち着いてお風呂に入ること自体、ルティアとハルトが生まれてからなかったかもしれない。
故郷に思いを馳せる。
ロレンシア辺境伯領では、力が全てだ。
そうでなければ、魔獣との戦い、決して肥沃とは言えない過酷な大地で生き残れない。
領民はおおらかで優しい者が多く、力ある者は、弱い者を助けることが美徳であるとされている。
私はいつでも、守られる側だった。
強い魔力を持って生まれた弟妹たちは、年下であっても皆、私より遙かに強かった。
「……」
守られる側の、迷惑をかけるばかりの存在である私に、関心を示す者などいなかったはずだ。
子ども心にずっとそう思っていた。
「でも、本当にそうだったのかしら」
ベルティナが私に伝えてきた詫びの言葉……。父と母の目はいつも、私以外の弟妹に向いていた。
しかたがないと思いながら、切なくも思っていた。
「でも、もしもルティアとハルトのどちらかに魔力がなかったら、私は……」
もちろんどちらも可愛い。
しかし、魔獣と戦う以外に生き残ることができないこの大陸において、力を持つことは戦う義務を負うことでもある。
どちらかだけが戦わねばならぬ宿命を負っているというのに、平等に接することなどできるだろうか。
「もしも、など現実にはございませんよ」
そのとき、聞き慣れた、しかし普段よりやや低い声がする。
驚いて横を見ると、いつの間にやらアンナが私の隣で湯船に浸かっていた。
「アンナ」
「奥様が優しいのは素晴らしいことですが――もしもなどという言葉で全てを許す必要はないのです」
「……」
「事実は事実でしかないのですから」
そう言って、アンナは笑った。
彼女自身の人生も、決して平坦なものではなかっただろう。
しかし、私にはそれより気になることがあった。
アンナは入浴中も眼鏡をかけたままだ。
眼鏡がなければ見えないというなら理解できる。
けれど、今までの様子を見るかぎり、彼女は眼鏡がないほうが見えるようなのだ。
「……なぜ、眼鏡をかけているか、でございますか?」
私のもの言いたげな視線に気がついたのだろう。
「心穏やかに過ごすには、私の目は見えすぎてしまうからでございますよ」
「……?」
「ああ、でも奥様のそばであれば、眼鏡をしなくても良いのかもしれませんね」
「それはいったい」
「……」
アンナは誤魔化すように笑うと、湯船から上がった。この話はこれで終わりのようだ。
「それでは、ごゆっくりどうぞ。奥様の安全は私が守りますから」
アンナはそう言うと、浴室から去って行った。
バスタオルで隠しきれなかった背中には、無数の傷痕がある。彼女も戦いに身を置いてきたのだろう。
「私も上がろうかしら」
湯船から上がると、アンナはすでに侍女のお仕着せに着替え、いつものように明るい笑みを浮かべていた。
お付き合いいただきありがとうございます。下の☆を押しての評価やブクマいただけるとうれしいです。




