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05:1 - この世の地獄にて

ピッチタール(pitch tar)

:舗装して間もない状態や炎天下に晒されている状態のアスファルト上を走ったときに車体やフロントガラスに付着する黒い油汚れのこと。一見すると鉄粉汚れにも見えるが、実態は回転するタイヤで巻き上げられたアスファルトの油汚れであり根本的に異なる。

 そこから先は地獄だった。



 この辺りの詳細な描写は割愛させて欲しい。まぁ説明するなら、砲火と悲鳴の嵐の中、ちぎれとんだどいつかの腕が血を撒き散らしながら地面にべしゃっと落ちたのが見えた、とだけ。

 名前も知らないヤツらが一方的に薙ぎ倒されていく様子なんて読むのも書くのもあんま気分の良いモンじゃないと思う、お互いにな。まして撃たれる側が意地を見せるとかそんな逆転劇もなく、為す術なく倒れていくだけなんだから尚更だ。そんで“処刑”の間じゅう、防塵マスクの向こうで撃たれる俺たちをフチザキは大した負傷も感慨もなさそうに見ていた。



 俺の現在位置はというと、削岩車の操縦席の足を収めるための空間に無理やり体を押し込んだところだ。この操縦席は先述のようにラッシュの足を使った操作に合わせて通常より下部空間が広く作られている。そこに一人分入り込む余地があると判断したラッシュに招き入れられ、俺は少々手狭なここにお邪魔している形だ。ちなみに、ラッシュ自身はちょこんと座席の座面の上で体育座りしている。肩に鉤爪が当たってちょっと痛いが、間借りしている立場なので黙っておく。

 というか元より、そんなこと気にしている場合ではない。


 機関砲の弾丸が右の装甲板を穿つ衝撃が脳天を震わせる。これは誇張ではなく、三方向からの絶え間ない銃撃で操縦席全体が直に揺らされているのだ。車酔いなんて目じゃないイヤな感覚に苛まれつつ、不意に、俺は“この重機の窓ガラスには強化ナントカで強度を大幅に向上させたナントカカントカを使ってあるから多少の落石どころか砲弾程度ではびくともしない”などと自身の改造の成果を自慢げに話すラッシュを思い出して思わず感謝した。

 ナントカカントカの正体についてはもはや記憶の彼方だが、もしもこれが改造無しのヤワな窓のままだったら、銃弾の暴風による割れガラスの雨霰(あめあられ)でズタズタに切り刻まれて、今ごろ俺の体はマトモな筋繊維も残っていなかったかも知れない。



「……ぅ、わぁぁ……」



 しかしそのラッシュが背後でマスクの下から小さな嗚咽を漏らす。

 ……忘れていた。先に自分の心配をしていた自らの短慮さを思わず怨む。この天才を自称して憚らない女は昨日で二四歳になった俺よりずっと歳下、まだ二十歳にもなっていないのだ。そして操縦席というものは、当然周囲の状況を常に伺えるよう広く見渡せる作りになっている。そんな歳で、こんな地獄を直に目撃してしまった精神的ダメージは計り知れない。……でも今更、場所を入れ替わってやれるような空間的余裕も時間的余裕もない。


 つまり耐えてもらうしかない。



「ラッシュ! 目ェ瞑って深呼吸だ‼︎ 何も見るな!」


 もう遅いのを承知で俺はラッシュへと語りかけるが、落ち着かせられるようにゆっくり喋ろうとしても、機関銃による三重の絶叫にかき消されまいとする喉とこの状況への焦りのせいでどうしても早口の怒鳴り声になってしまう。これでは明らかに逆効果だ。

 そうこうするうちに外の始末屋たちは全標的を撃ち終えたのか他の何かか、機関砲の唸りを満足げにピタリと止めて操縦席の激しい振動も無くなった。耳の奥に余韻のような残響だけが谺している。



『おいコラ、なに勝手に撃つの止めてんだ⁉︎ まだ残ってんだろうが!』


 フチザキがイラついたように声を張り上げる。


『ごめんごめん、対人用弾薬の在庫処分を先に終わらせちゃってさー。機関砲で人撃ってる時点で対人用もクソもねーけど。あとさー、今ある弾って対物用ばっかなんだけど』



 フチザキの叱咤に対して、クラフトの拡声器からは相変わらず異常に能天気な女の声で恐ろしい内容が告げられた。通常でこそ、高威力な弾丸は生物相手の使用を禁止されているため“対物用”など呼ばれるが、それはつまり……。


『ッく、国際法なんてエリア・ニュクス(ここ)じゃ関係ねぇだろ! 「人類未踏」だぞ⁉︎ オーバーキル上等だコラ‼︎‼︎‼︎』


了解()ぃ、換装でちょい時間かかるかんねー』



 ……つまり、この無法の地ではこうなる。ここは人類未踏領域(エリア・ニュクス)、何も無いがゆえに何かあったとしても何も無いことになる危険地帯。昨日の夜明けまでは違ったのかも知れないが、少なくとも今はそういう場所になってしまった。そうでなくても、もし実際に撃たれれば、今まで銃弾の雨を奇跡的に耐え抜いてきたこの車体ではひとたまりもないだろう。何でも良い、この意図しない小休止の間に打開策を見つけなければ……。

 しかし、こうも“マズい”ばかり言っていてはあまりに芸がないが、それでも状況は依然としてマズいことに変わりはない。時間が無さ過ぎるというよりも、さっきまであれほど欲しかったハズの“時間の余裕”は、手に入った途端にその姿を何をすれば良いのかわからないという“無力感”へと変えてしまった。お粗末もいいとこだ。


 ……イヤ落ち着け、焦って俺までパニックになってどうする。まず落ち着いて……イヤ急いで、ラッシュと場所を交代して外が見えないようにしなければ。落ち着かせるのはそれからでいい。しかし……。

 頭の中がドロドロと溶けていくような錯覚を感じた。

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