〈終〉傭兵と小説家
ターミナル前のその店先には、色とりどりの花が並んでいた。新商業区に店開くには少し背伸びをした感のある、こじんまりとした花屋だ。何人かの通行人が店先を覗き込み、その中の何人かが店内に入っていくのが見える。景気は悪くないようだった。
客の見送りをするためだろう、店頭に笑顔で出てきた男を見て、俺は思わず吹き出しそうになった。一旦堪えてから軽く右手を挙げると、彼は俺を見つけて顔を綻ばせた。
「よう、ソード」と、ハン首領は歩み寄る。「旅から戻ってたのか」
かつて『夕陽の組合』を率いていた傭兵たちの首領は、筋骨隆々とした肉体に花柄のエプロンをかけていた。俺は苦笑する。
「なんて恰好だよ、首領」
「心外だな。俺は気に入ってるんだ」
ハン首領は幾分怫然とした顔で自分のエプロン姿を見下ろす。やれやれ、本人が気に入っているのなら、これ以上余計なことは言うまい。
呆れる俺の顔を、首領は苦い顔で睨む。
「何だ、冷やかしにでも来たのか?」
「客として来たんだよ、花を買いにな」
俺の言葉に、首領は目を丸くする。
「花? おまえが?」と、そこでハッとする首領。「そうか、女だな」
ニヤニヤと笑いだす首領を前に、俺は舌打ちを挟んだ。まったく、下世話な親父だ。
「墓前に添えるんだよ」
「なんだ、墓参り用かよ」拍子抜けしたように顔をしかめる首領。「待て、それなら俺がとっておきを見繕ってやろう」
「十二輪だ」
と、俺は端的に言った。怪訝に小首を傾げる首領に、俺は続ける。
「花束じゃなくていい。同じ花を十二輪くれ」
やがて、彼は理解したようにふっと表情を緩めた。
……首領に対しても、俺はすべてを話したことは無い。
だが俺は過去の罪の一部を―――そう、十一人の友人たちを殺してしまったことを、一度だけ話したことがあった。
そして俺が、最後の一人を殺せなかったことも。
「そうか、十二、か」
首領が呟く。憐れみではなく、どこか安堵したような表情だった。
「ちょっと待ってな」
そう言って、彼は店の奥に消えて行った。しばらくして、首領は見事な白い花を十二輪、包んで持ってくる。
「綺麗だろう。カトレアの花だ」
それを見て、俺はどこか懐かしい気分になった。言葉が、無意識に口を突いて出る。
「……この花を好きだった女がいるんだ」
「そうかい」
「……ああ」
「きっと喜ぶぜ」
傭兵時代と同じ暑苦しい笑顔を浮かべて、首領は俺の背中をどんと叩いた。そして、告げる。
「―――ま、あんまり気張らずにやれや」
「あ? 何をだよ?」
「ヒュウから聞いたぞ。傭兵、続けるんだろ」
「……まぁな」
そう答えると、首領はどこか嬉しそうに再び俺の背中を叩いた。俺は顔をしかめる。
「痛ぇな」
「ははは、そうか。だが一人でやるのは大変だぞ。傭兵の行く先はいつだって荒野だ」
「そこを目指せって言ったのはアンタじゃねぇか」
「ま、改めて俺の有り難みを痛感するんだな」
鬱陶しさに舌打ちを漏らして、俺はカトレアの花束を親父の手から奪い取った。そのまま片手を上げて踵を返す。
「おい、代金!」
「出世払いだ、つけといてくれよ」
と、俺は不敵に笑ってみせた。首領の盛大なため息を背にして、俺は店を後にした。
目的地へ向かう道中、ふと旧商業区の裏路地を覗いてみた。予想外なことに、ポール書店には人だかりが出来ていた。店頭で客を捌く女店員に目が止まり、俺は思わず愕然とした。すると向こうも俺に気が付いたらしく、にっこりと微笑んで手を振ってきた。
「あら、ソードさん。お久しぶりですね」
「あんたは確か……ドロシー・オズワルド?」
そう、モントリアの街で俺とバーダに力を貸してくれた、あの書店員だった。思わぬ再会に戸惑いながらも、俺は訊ねる。
「何やってんだ、こんなところで?」
「私、前の書店を辞めてイクスラハに引っ越して来たんです。今はこちらで働いているんですよ」
「こちらでって……ポール爺さんの店で?」
「そうじゃ!」
威勢の良い老獪の声に振り向くと、店主のポール爺さんが得意げな顔で立っていた。
「見ろ、ソード。この店の繁盛っぷりを。大したもんじゃろう」
店内を覗き込むと、これまでに無いほどの客入りが伺えた。
「凄いな。いったい何をやったんだ?」
「ドロシー嬢は実にやり手の書店員じゃよ。なんとあのフォレスターのサイン入り新刊を大量に仕入れて来たんじゃ!」
俺が視線を向けると、ドロシーは無表情のまま、俺に向かってピースサインを送ってみせた。
―――なるほど、確かにやり手である。
「どうじゃ、ソードも読んでみんか。最新作は実に傑作じゃぞ!」
「……気が向いたらな」
俺は曖昧に言葉を濁して、書店を後にした。背後からはポール爺さんの客呼びの声が路地中に響いていた。
……まったく、長生きするぜ、あのジジイ。
路地を出て、道幅の広い参道に出る。駅馬車が行き交う道を、俺は沿岸方面へ下っていく。と、その道中、すれ違った箱馬車が背後で急停止をする音が聞こえた。怪訝に振り返るのと同時に、馬車の窓から四つの顔が飛び出した。
「「「「ソードの兄貴ィッ!」」」」
言うが早く、その四つの人影が次々と馬車から飛び降りてくる。あっという間に、俺はその四人に取り囲まれてしまった。
「やっぱりソードの兄貴だ!」
「うおお、本当だ!」
「お元気そうで!」
「何よりです!」
中肉中背、チビ、デブ、ノッポと、実に見た目豊かな連中である。参道でいきなり騒ぎ立てる連中に、通行人は奇異の視線を送っていた。居心地の悪さに、俺は頭をボリボリと掻いた。
「あー……久しぶりだな、おまえら」
「「「「はいッ、お久しぶりです!」」」」
―――うるせぇ。
一斉に怒鳴るんじゃねぇ、犬かてめぇらは。
顔をしかめながら、俺は改めて連中を見渡す。
それはかつてあの草原の街道で俺と小説家を襲った、元・野盗の四人組だった。しかし、今はまるで見違えたように、四人ともが小綺麗な燕尾服を身に纏っていた。
「何だ、おまえら、その格好? 誰かの結婚式か?」
俺の問いかけに対して、リーダーのジャンが得意げに胸を張った。
「ふっふっふ……実は俺たち、これから舞台挨拶なんですよ」
「舞台挨拶ぅ?」
「そうなんです!」
「実は俺たち!」
「今日が!」
「初舞台の日なんです!」
だから、うるせぇよ。
大声じゃなきゃ喋れねぇのか、てめぇらは。
「まさかこれほど早くスポットライトを浴びる日が来るとは思いませんでしたぜ……」
涙を浮かべた両目を拭いながら、ジャンは空を見上げる。
「……おい、ジャン。おまえ、眼帯はどうしたんだよ」
「これもすべてバーダロンの姉御とソードの兄貴のおかげッス!」
「ありがとうございやす、兄貴!」
「本当に感謝してやす!」
「兄貴ィ!」
「……いや、だから眼帯はどうしたんだよ」
「これ、今日の俺たちのチケットです!」
「姉御の分と二人分です!」
「是非、観に来てください!」
「待ってますぜ!」
「いや、だから眼帯……」
「おっといけねぇ、こんな時間だ。野郎ども、気合いを入れろ!」
「「「へいッ!」」」
「それじゃ、ソードの兄貴、お元気で!」
「「「お元気でッ!」」」
それだけ告げると、四人組は再び馬車に乗り込み、嵐のごとく去って行った。手渡された二人分のチケットを見つめながら、俺は思わず独り言を漏らす。
「……やっぱりあの眼帯、偽物だったのか」
◆
イクスラハ総合墓地は、海が見渡せる小高い丘の上に位置している。入り口の門扉をくぐってからしばらく歩を進め、真新しい墓標が立ち並ぶ一画に俺は足を踏み入れる。
墓標の数は全部で十二。これらを揃えるのに使った金額を思い出して、少しだけ気分が落ち込んだ。吐き出すため息と共に気持ちを切り替え、俺はその一つ一つに先ほど買った花を供えていく。
最後の一つには、既に花束が供えられていた。それを見て、俺は小さく微笑を漏らす。生きている彼女に会った人間は、さほど多くはない。
「……まったく、お人好しだな、あの女も」
独り言を呟いて、俺はその花束の中に自分の一輪を差した。
空は迫り来る初夏を予感させるように蒼く澄み渡り、雲雀たちがぐるぐると回りながら歌のような鳴き声を響かせていた。
目の前の墓標に再び視線を落とす。
「……俺の新しい名前、ソード、って言うんだ」
その墓標の下に、遺体は埋まっていない。それは他の十一も同じだ。
「今は傭兵をやってる。仕事はほとんど無いけどな。まぁ、何とか生きてるよ」
だが、俺はそこに屈み込んで語りかけていた。
この世界から去った、彼女に向けて。
「たまにおまえの作ったオムレツの味を思い出すんだが、なかなか似たような味を作る店に会えないんだ。レシピを聞いておけば良かったな」
他愛も無い会話が、独り言として俺の口からこぼれていく。
下宿先の女将への愚痴から、今日、街で会った連中のこと、そして、初めて読んだ小説のこと―――。
他に墓参りに来た人の気配を感じて、俺は言葉を止めた。立ち上がって胸ポケットから煙草を取り出し、火を点ける。紫煙を吹きながら、言う。
「俺はそろそろ行くよ」
何処へ、と自分の中で誰かが問う。
応えず、俺は不敵に笑ってみせる。
あの小説家のように。
「―――じゃあな、ペリノア」
去り際に言い残してから、俺は墓地を後にする。
◆
喫茶『緑の騎士』の扉を開けると、涼やかな鐘の音が鳴り響いた。続いて店主の声が聞こえてくる。
「やぁ、いらっしゃい、ソード」
だが、俺はカウンターに座るもう一人の男を視線に止めて、思わずしかめっ面を浮かべた。奴は俺の方にひらひらと手を振り、相変わらず口元に嫌らしいニタニタ笑いを浮かべていた。
「よぉ、ソード」
掛けられた言葉に舌打ちが漏れる。よっぽど踵を返してやろうかと思ったが、こいつに追い返されるのも癪だと思いとどまった。その男と一つ分の席を空けて、俺はカウンターに腰掛ける。
「なんだ、今日もまた気分が良さそうだな」
その男―――ゴルドは俺の方に身を寄せて、皮肉げに言った。俺は鼻を鳴らす。
「ああ、ついさっきまではな」
剣呑な雰囲気をまき散らす俺たちを見て、カウンター越しに店主のヒュウが溜め息をついた。
「まったく。またかい? 君たちはもう少し朗らかな会話が出来ないものかな」
「本気で命を殺りに来る奴と仲良くなれる奴がいるかよ」
「二通りいるぜ。正解は自殺志願者とおまえだ」
自身のくだらない冗談に、ゴルドはからからと笑った。
……やれやれ、付き合いきれるか、くそったれ。
うんざりした気分で頭を振り、俺は奴の無視に徹する。隣の席には誰も座っていない。その隣にも誰も座っていない。よし。
「それで、何か仕事の依頼は来たか?」
気持ちを切り替え、対面のヒュウに訊ねる。すると、彼は呆れたように首を横に振った。店内の一画に貼られた貼り紙を顎で指し、彼は言う。
「貼り紙を貼って一日じゃ、さすがに来ないよ」
「……ま、そりゃそうだよな」
想定していたことはいえ、少しばかり落胆する自分がいた。
貯えが全く無いわけではないが、十二の墓石というかなり大きな出費もあった。正直、そろそろ新しい仕事を見つけたいところだ。
溜め息をつく俺の横から掛かってくる声があった。
「なんだ、ソード。仕事を探しているのか?」
無視。
「もし良ければ、俺が紹介してやるぞ」
思わず視線を向けてしまった自分を、一瞬後に俺は呪った。ゴルドの野郎が勝ち誇った顔で俺を見下していたからだ。奴は嗤う。
「かかか、よっぽど切羽詰まってるみたいだな」
「うるせぇ。つーか、なんでおまえの所にだけ、そんなにポンポン仕事が飛び込んでくるんだよ。おかしいだろ、理不尽だ」
妬みも込めた非難の視線を向けると、ゴルドは肩を竦めてみせた。
「さぁな。実力の差じゃねぇか?」
……野郎、ぶっ殺してやろうか。
殺気立つ俺を諫めたのは、ヒュウが目の前に置いた一杯のコーヒーだった。彼は冷静に告げる。
「ゴルドは仕事を選ばないからね。その筋の需要はそれなりにあるんだろう」
「ま、そういうことだ」
ニヤリと嗤って見せるゴルドの瞳には、相変わらず流血を求めるような不穏なぎらつきが見えた。俺は右手をひらひらと振って辟易を示す。
「そんな仕事はこっちから願い下げだ」
「選り好みしてると、いずれ食いっぱぐれるぜ、ソード」
ゴルドの苦言に対して、俺は鼻を鳴らすだけに止めた。
やがて、店内の壁掛け時計が十五時を告げる鐘を鳴らした。それを確認して、ゴルドが席を立つ。
「さて、依頼の時間だ。邪魔したな、ヒュウ。良い時間潰しになったぜ」
「出来れば次からは何か注文して欲しいものだね」
ヒュウの皮肉に対して、ゴルドは可笑しそうにカラカラと笑うだけだった。俺は不審の目を向けながら訊ねる。
「……また例の聖女がらみの仕事じゃないだろうな」
「さて、そいつは機密事項だ」
ゴルドは不敵な笑みと共に答える。そして去り際、奴は俺の耳元に顔を寄せて呟いた。
「―――じゃあな、ソード。また何処かの戦場で会おうぜ」
俺の口からは、舌打ちしか出なかった。
ゴルドが出て行ってからほとんど間を置かずに、再び店内に鐘の音が鳴り響いた。いらっしゃいませ、とヒュウの声が響く。俺は視線を動かさず、珈琲を口に啜る。
煙草を口に咥え、ライターを探すためにポケットに手を突っ込んだとき、俺の隣に座る客の姿があった。思わず目をやる。
すぐ目の前に、女の顔があった。
硝子のように澄んだ鳶色の瞳が、俺の視線にぶつかる。
陶磁のごとく白い肌に、背中の中程まで伸ばした黒髪、そして彫像のように整った顔立ち。彼女は俺を見ると、不機嫌そうに眉を寄せた。
「―――まったく、探したぞ」
「……バーダ?」
突然現れたかつての依頼人に、俺は虚を突かれてしまった。会うのはおよそ一週間ぶりだ。バーダは俺を非難するように睨みつけ、言う。
「何処をほっつき歩いていたんだ、貴様は」
「何処って、俺の勝手だろ」
「下宿先に行ってみれば中年婦人の長話に付き合わされるし、ポール書店を覗けばまたもやドロシーの長話に付き合わされるし、まったく災難だ。およそ小説五十頁は書けるほどの時間の損失だぞ、どうしてくれる?」
……いや、知らねぇよ。
だいたい、それらは俺のせいじゃないだろ。
うんざりする俺を余所に、ヒュウが営業用の笑顔を浮かべて言う。
「フォレスター先生、よく来てくれました。新刊、読みましたよ。素晴らしい出来でした」
「やぁ、グリーン店主。貴方のような人間に読んでもらえれば、私も書いた甲斐があったというものだ」
バーダもまた、視線を変えると共に表情を微笑に切り替えた。相変わらずの百面相に辟易しながら、俺は煙草に火をつける。
「で、何の用だよ?」
紫煙と共に訊くと、バーダは懐から一通の封筒を取り出した。
「実はロアにいるオーリアから妙な手紙が来てな」
オーリア、という名前には聞き覚えがあった。たしか、バーダの学生時代の友人の一人だ。
「ロアというと」とヒュウが口を挟む。「大陸の反対側の街ですね」
バーダは頷く。
「ああ。彼女は今そこで画家として活動しているんだが、どうも最近、彼女のアトリエの近所で立て続けに奇妙な事件が起きているらしいんだ」
「奇妙な事件?」
俺が繰り返すと、バーダの瞳に煌めきが走った。
「そう―――その場所の名は『人形図書館』」
彼女の口元に微かに笑みが浮かんでいるのが見える。
……これはあまり良くない傾向である。
「これは半世紀前にとある物好きの大富豪が建てたものでね。膨大な蔵書と一緒に、何故か無数の人形が展示されている、実に奇怪な図書館なんだ。その富豪は数十年前に謎の死を遂げていて、現在の建物は州が管理している。図書館と呼ばれてはいるものの一般には公開されておらず、今は完全に封鎖されている場所なんだが……」
と、バーダはそこで勿体つけるような沈黙を挟む。
「此処数日、オーリアはその図書館の窓に映る無数の人影を目撃しているらしい」
「何だそりゃ?」俺は眉を寄せる。「清掃業者が掃除でもしてるんじゃないのか?」
「そう思ってオーリアも州に問い合わせたが、そんな記録は無いそうだ。加えてこの数年、あの屋敷に出入りした人間もいない。さすがにおかしいと思った役所の人間が調べに入ると、更に奇怪な光景が広がっていたらしい」
「奇怪な光景だって?」
「そう」と、バーダは何故か得意げに指を一本立てる。「館内に展示された人形が、何故か記録の二倍以上に増えていたそうだ」
その話に妙な不気味さを感じ、俺は思わず顔をしかめた。だが、その一方でバーダロンの瞳には興味の炎が爛漫と輝いていた。
「ふむ」とヒュウが関心深げに顎に手を当てる。「これは気になりますね」
「そうだろう!」
同意を得られたことが嬉しいのか、バーダは満足そうに頷く。
「富豪の死、封鎖された図書館、そこに蠢く謎の人影と、増えた人形……まさにミステリーだ。そこにはきっと、何か想像もつかない物語があるに違いない」
「ええ、まさにその通りですね」
と、ヒュウがにこにこ笑いながら、勢いに乗るバーダを更に助長させる。俺は無言で彼に非難の視線を送った。
ロアは大陸の反対側、真西洋に面した都市だ。距離に換算すれば、此処からイヴィルショウ山岳地帯までの道程のおよそ五倍以上はある。
「と、いうわけだ」
子供のような輝きを放つバーダの瞳が、俺に向けられる。対して、俺は虚ろな目でそれを見返した。
「……どういうわけだ?」
「出発は明日の朝九時、イクスラハ中央ターミナル前だ。遅れるなよ、ソード」
「ちょっと待て!」
と、俺は声を大きくする。バーダは不愉快そうに眉を寄せる。
「何だ?」
「何だ、じゃない。俺はまだその仕事を受けるとは言ってないぞ」
真顔で訴えると、バーダは意味が分からない、といった顔で首を傾げた。そして、おもむろに懐から三つに折り畳まれた紙片を取り出す。
「いや、受けているぞ」
「……何だと?」
「ほら、雇用契約書が此処にある」
バーダがその書面を俺とヒュウに開いて見せる。そこには何故か、俺の筆跡でサインが書かれてあった。ヒュウがしげしげとそれを眺めながら言う。
「……ふむ、間違いなさそうだね。これがある限り、ソードはこの仕事を断れないよ。裁判にでも持ち込まれたら君の大敗北は確定だ」
「そんな、馬鹿な……」
俺はバーダの手からその書類をひったくり、紙面に穴が空くほどの勢いで目を走らせる。そして、そこに書かれている内容に愕然としてしまった。
「『私、ソードは雇用主、バーダロン・フォレスターに期限を定めず護衛として従事することを契約する』……?」
……何だ、これは。
呆然とする俺に、ヒュウが含みのある笑みを浮かべて言う。
「半永久的な雇用契約書、つまりは専属の傭兵ってことかな。良かったね、ソード。就職先が見つかったじゃないか」
「いや、待て、俺はこんなものにサインをした記憶は……」
と、そこで俺の脳内に迸る、記憶の閃きがあった。
そうだ、あの日。
バーダと一緒に聖女の元に向かう直前に―――。
『それで、今日は何の用だ?』
『ああ、今回の仕事の雇用完了のサインを貰う為だよ。後から報酬を貰っていない、などとゴネられたら敵わんからな』
『そんなことしねぇよ』
……。
あのときの書類かよ!
ようやく自らの愚行に気づき、俺は顔を上げる。そこではバーダが「計画通り」と言わんばかりの悪魔の笑みを浮かべていた。
「これからサインをする時は、ちゃんと最後まで文面を読んでからにするんだな」
「てめぇ、謀ったな!」
どう考えたって、あの時のやりとりは確信犯じゃねぇか!
俺の糾弾に対して、しかしバーダは物怖じすることなく言い返す。
「ああ、謀ったとも。しかし、その契約書は法的に有効なものだ。破ってみろ、裁判にかけて貴様の尻の毛まで毟り取ってやるぞ」
「悪魔か、てめぇは!」
こいつが本気でそれをやりかねない女であることは、先の旅で充分に分かっている。俺はボリボリと頭を掻いて、胡乱な目を向ける。
「というか、なんで俺なんだよ。ゴルドの奴でもいいだろ」
俺の言葉に、バーダはやれやれと呆れた様子で首を振った。
「何も分かっていないな、貴様は」
「何をだよ」
「考えてもみろ、私は小説家だぞ?」
「……それがどうしたよ」
「そして貴様は、斬っても刺しても死なない不死身の傭兵だ」
「……だから?」
バーダはこの上無く真剣な顔で、答える。
「―――こんな面白いものを、私がそう簡単に手放すわけが無かろう」
「すげぇ説得力だよ、くそったれ!」
俺は行き場の無い憤りを拳に込めてカウンターの上に叩きつけた。
「おいおい、ソード。店を壊さないでくれよ」
「やかましい!」
「それでは明日な。くれぐれも遅刻はするなよ」
「おう、地の果てまで行ってやるよ、畜生!」
行き先は大陸の果てなので、文字通りの意味である。
もう、半ば自棄だった。
バーダが去った後で、俺はカウンターの上で目頭を押さえて落ち込んだ。そんな俺の前に、ヒュウが珈琲のおかわりを注いでくれる。
「随分とフォレスター先生に気に入られたみたいだね」
「気に入った化粧品と同じだ」と俺は自嘲的に口元を歪める。「あいつにとっちゃ俺は消耗品なんだよ」
ましてや、もうあの女は俺が不死身の体質であることを知っている。これからの旅で強いられるであろう無理難題のことを考えると、既に今から頭が痛い。
懊悩する俺を楽しそうに眺めながら、ヒュウが言う。
「まぁ、仕方ないじゃないか。どんな形であれ、これは君の選んだ道だ。それにいつの時代だって、傭兵の行く先は荒野さ」
今日の昼間にも同じ台詞を聞いた気がした。大きく溜め息をついて、顔を上げる。たしかに、今更何を喚いたところで、代わりの考えがあるわけでもない。
諦めがついたところで、俺はほとんど一息で珈琲を飲み干した。上着を羽織って席を立つ。
「さて、帰って明日の支度をするか」
懐かしい倦怠感を覚えながら呟く。懐から小銭を出そうとすると、ヒュウがそれを制した。
「就職祝いにしといてあげるよ」
「それじゃ、出世払いだ」と俺は怫然として言う。「おまえに借りは作らねぇよ」
「他人行儀だね、僕と君の仲だろうに」
「俺とおまえの仲だからだ」
ヒュウは諦めたように吐息をついて、再びにっこりと微笑んだ。
「分かったよ」
踵を返し、扉を開ける俺の背中に、ヒュウの声が掛けられた。
「いってらっしゃい、ソード。またのご来店を―――」
◆
翌朝は、変わらずの快晴だった。
イクスラハ中央ターミナル前。目の前の朝の雑踏は、幾人もの人生を静かに交差させ、人々をそれぞれの生活へと送り出していた。
ふと、喧噪の狭間を縫って、懐かしい名前を呼ばれた気がした。しかし、俺は振り返らなかった。きっとそれは聞き間違いだろう。それに、もうそれは俺の名前では無いのだから。
「どうやら、それなりに紳士の心構えは出来てきたようだな」
背後から声を掛けられ、振り向く。予想通り、そこにはバーダロン・フォレスターが腰に両手を当てて立っていた。相変わらずの不遜な佇まいに、俺の口からは小さく苦笑が漏れる。俺は言う。
「前に言われた通り、先に来て待っててやったぜ。もう学習能力が無いとは言わせないぞ」
「ほう」
と、バーダの目が細められる。にやりと笑いながら彼女は言う。
「それでは、列車内で飲む紅茶は水筒に入れて用意したか?」
今度は俺がにやりと笑う番だった。背嚢から水筒を取り出して見せると、バーダは一瞬だけ驚いたような顔を浮かべ、やがて可笑しそうに笑い出した。
バーダの足下には、いつものようにタイプライターの入った牛革の旅行鞄が置かれてあった。他の荷物は既に駅の構内に運ぶよう手配しているらしい。
「大陸横断鉄道、か」
目の前の巨大な駅を見上げながら、俺は呟く。バーダが悪戯めいた瞳でそんな俺の顔を覗き込んだ。
「なんだ、乗るのは初めてか?」
「まぁな」
「―――これは我が師、クルト・コヴァイン卿の願いの一つだ」
と、バーダは言う。
「先生だけじゃない。ビシャス卿、グレン卿、アトラ、或いはマルムスティーン卿まで……これには幾千、幾万の人々の願いが込められている。旧き時代から新たな時代への、尊い願いだ」
何処か懐かしむような目でバーダは言った。
しかし、その瞳は真っ直ぐに道の先を―――或いは、そう、この歴史線の先を見つめていた。
「ああ、分かってるさ」
分かっている。
俺が今立っている場所がいったい何処なのか、そして向かうべき場所が何処なのか、ということくらいは。
もちろん、これから先に何が待ち受けているのかは分からない。
だが、それが俺の歩みを止める理由にはならない。
それは、何故か。
……単純なことだ。
今になってようやく、俺は少しだけ信じられる気がしていたのだ。
そう―――救いの無い物語なんて存在しない、と。
これまでに自分が通り過ぎてきた場所を想う。
何処かでまた、誰かが俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。
その声に、心の中で静かに別れを告げる。
「そろそろ時間ね」
前方で小説家が振り返り、いつもの不敵な笑みで俺に手を差し伸べた。
「さあ、行くわよ、ソード」
その瞳に煌々と宿すのは、行く先への憧憬の光。
これから幕を開ける、未知なる冒険への期待。
自然と、俺の口元には同じ笑みが浮かんでいた。
「ああ―――行くか」
新たな鉄剣を腰に下げ、俺は溢れかえる雑踏の中に一歩を踏み出す。
―――彼方にある、まだ見ぬ荒野を目指して。
【傭兵と小説家】〈了〉
Ending Theme is "New Tale"
by OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND




