5.秘密
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それからしばらく体を休め――また眠ってしまった事には本当に驚いた――気づけば夜になっていた。
少し喉が渇いていたが、近くに果物の皿があるのに気づいてあ、と思う。おそらくファナの差配だろう。手と顔を洗うための水もそばにあり、数枚の布が重ねてあった。
ファナの心遣いに感謝して、簡単に身支度を調える。
床に座り、アイナはブドウを手に取った。
表面がつやつやして、一粒が大きい。
プツリと皮を噛み切ると、濃い甘みが広がった。
何粒か食べて喉を潤し、手と口をぬぐって息をつく。ザクロとパルも置いてあり、少し笑って一口食べた。
相変わらず、ものすごくおいしい。単体でも十分おいしいけれど、二つ一緒に食べると、とんでもなくおいしい。
ザクロだけ一粒食べて、パルだけ一切れ食べてみる。どちらもおいしいと頷いてから、両方一緒に口にする。うん、どうしてこんな味になるのか、本当によく分からない。でも、おいしい。ものすごくおいしい。
「ザクロ殺し、かぁ……」
――ガルゼルはこの食べ方を知っていたのだろうか。
ふとそんな事を思ってしまい、アイナは慌てて首を振った。
あの国での出来事は思い出したくない。それなのに、どうして考えてしまうのだろう。まだ怖いからだろうか、それとも。
もう一度首を振り、アイナはそれ以上の想像を追い払った。
窓を開けると、爽やかな風が吹き込んできた。
アイナのいる部屋は二階で、庭園を見下ろす位置にある。今は闇に沈んでいるが、昼間は色とりどりの花が咲き誇り、庭園を華やかに彩っていた。
空には月が出ていて、ぼんやりと緑の庭を照らしている。
「……あれ?」
その時ふと、アイナの目に何かが映った。
銀色の、かすかな光だ。
思わず身を乗り出し、そちらの方へ目を凝らす。
庭園の片隅、ここからかなり遠い場所。
そのずっと先で、何かの影が動いていた。
ふわり、ふわり。
その何かが動くたび、銀色の光も同時に揺れる。
よく見ると、影が手にしているのは灯りのようだった。それが何かに反射して、光って見えたのだ。
ふわり、ふわり。
灯りが揺れて、銀色の光もちらちら揺れる。その姿は幻想的で美しい。まるで月の光が地上に降り立ったような儚さだ。
あの銀色は何だろう。
一体何をしているんだろう?
不思議に思ったが、答えが分かるはずもない。
やがて、影は向こうの通路に出たらしく、灯りが建物に反射した。
ふわり。
大きく影が揺れ、闇の中でひるがえる。そこでようやく全体が見えた。
――銀色の、長い髪。
月の光のような銀髪がなびき、瞬きをする間に見えなくなる。
それは一瞬の出来事だった。
あまりに遠いため、相手の性別も分からなかった。
「……夢……?」
だが、そんなはずはない。
月光を浴びながら、アイナはしばらく呆けていた。
***
翌日、昨夜の出来事を尋ねてみたが、誰も知らないようだった。
「夢でも見られていたのではないですか、アイナ様」
ファナとは違う召使いの女性が苦笑する。ファナは別の人間に呼び出されたため、少し遅れるとの事だった。
ファナが戻ってきたら聞いてみようかと思っていると、女性がそっと声をひそめた。
「そのお話は、誰にもされない方がよろしいかと思いますよ」
「え……」
「わたくしも聞かなかったことにいたします。王子殿下方にも、言わない方が賢明です」
「あの、それって、どうして――」
「いずれお分かりになることかと。では、わたくしはこれで」
早口で囁いた後、女性はすぐに踵を返した。
脅すような感じではなく、単純にアイナへの忠告のようだった。
――でも、なぜ?
頭の中で疑問符を浮かべていたアイナの元に、ファナが駆け込んできた。
「遅れて申し訳ありません。急な来客の対応がありまして……アイナ様? どうされました?」
「ファナさん、あの……」
何か言いかけてアイナは黙った。
「……なんでもないです。お客様だったんですか?」
「ええ、もう。クソ面倒な客……いえあの、少々扱いが難しいお方だったもので」
そう言うファナの声にかぶり、遠くからヒステリックな声がする。
どうやらギルフェルドに会いに来た女性が、体よく追い返されて怒っているようだ。言葉の端々に、苛烈な罵り言葉が織り込まれている。
「……あの声の?」
「……そうですね」
ザグート家のレフリレイア様です、とファナがため息をつく。
どこかで聞いた名前だったが、アイナはそうですかと頷いた。
「……このお城って、私の知らないことがまだまだいっぱいあるんでしょうか」
「そうですね……。それが何かにもよりますが、私にも知らないことはあります。その方がいいこともありますので、そのままにしておりますが」
「ファナさんも、ですか?」
意外だという思いが顔に出たらしい。ファナが心得たように顎を引く。
「知る必要のあることなら調べますが、面倒事に首を突っ込まないのも王宮の処世術ですから。ああでも、アイナ様ならきっと、大抵のことは教えてもらえると思いますよ?」
「え、どうしてですか?」
目を丸くしたアイナに、ファナは自信満々に胸を張った。
「第一王子殿下のお客様ですから。もしかして、何か知りたいことがございますか?」
「それは……いえ、あの、いいんです」
あの銀髪の人物の事が浮かんだが、ふるふると首を振る。
余計な事に首を突っ込まないというのもあったが、下手な真似をして、ギルフェルドに迷惑がかかる事を恐れたのだ。
ファナは特に気づいた様子もなく、そうですかと頷いた。
「何かありましたら、いつでもお申しつけくださいね」
「ありがとうございます」
今は知らないままでいい。
この時のアイナは、本当にそう思っていた。




