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あなたの番になりたかった  作者: 片山絢森
4.番の資格

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26.別れ


    ***



 外に出ると、日差しのまぶしさが目に染みた。

 シェーラはどこへ行ったのか、ジェイドの姿も見当たらない。あとでお礼を言わなければと思っていると、別の人影に気がついた。


「話は終わったか」

「……ギルさま?」

 待ち構えていたらしいギルフェルドが、もたれていた壁から身を起こした。


「どうして……」

「前に言わなかったか。私にはお前の居場所が分かると」


 そうでした。

 それで納得したアイナだが、彼の変化に目を見張った。


 ギルフェルドの全身が輝いている。


 今までも十分まぶしかったが、今は直視できないほどだ。目の錯覚かと思ったが、どう見てもまぶしい。内側からにじみ出る輝きが彼を鮮やかに彩っている。


「あの……ギルさま?」

「なんだ」

「いえ、なんでも」

 どうしてだろう、彼から目が離せない。


「それで、狼との話し合いはどうだった」

「大丈夫です。多分、尋問にも答えてくれると思います」

「――そうか」

 彼は穏やかな顔で頷いた。


「お手柄だ、アイナ。忍び込んだのは不問にしよう」

「す、すみません」

「謝る必要はない」


 ギルフェルドは輝きを帯びた瞳でアイナを見た。

 その表情がこの上なく幸福そうに見える。

 どうしてだろうと思ったが、なんとなく理由は聞けなかった。


「そ……そういえば、帰る前に問題が片づいてよかったです」

「…………」


 それを聞き、彼はぴたりと動きを止めた。


「ギルさまのおかげです。家に帰ったら、家族にたくさん話しますね」

「……ああ……そうか」


 そうだったな、とギルフェルドが呟く。

 気のせいか、輝きが急に色あせたように見えた。


「家族に会うのは楽しみか?」

「はい、それはもちろん」

「帰ったら何をしたい?」

「そうですね……。まずは家のことを手伝って、お喋りして、畑に行って、森で木の実も探したいし、川で魚も獲りたいし、寝る時はみんな一緒だから、それもすごく楽しみだし……」


 指折り数えるアイナを、ギルフェルドは黙って見ていた。


「――それがお前の幸福か」

「え?」

「いや、なんでもない」

 ギルフェルドは静かに首を振った。


「できる限り手助けしよう。何があろうと、お前を人間の国に送り届ける。お前の大切な、家族の元へ」

「ギルさま……」

「それまでは、この城でくつろいで過ごすといい」


 ギルフェルドが目元を和らげる。

 やさしいのに、哀しく見える顔だった。



    ***

    ***



 そして、アイナが人間の国に戻る日がやって来た。


「アイナ様、どうかお元気で。旅の間、体調には十分に気をつけてくださいね」

「ありがとうございます、ファナさん」

「私のことをたまには思い出してくださると……やっぱり嫌、離れたくない」


 ぎゅうっとファナにしがみつかれ、アイナは苦笑してしまった。


「大丈夫。ずっと忘れません」

「アイナ様……」

「今までお世話になりました。本当にありがとう、ファナさん」


 ファナを抱きしめ返すと、細い体が硬直する。直後、感激したように縋りつかれた。なるほど、竜人は情が深い。


「ファナ、アイナが困ってるから」


 ジェイドが口を挟んだが、ファナは離れようとしない。それでも根気よく促されると、しぶしぶといった様子で身を引いた。目元をぬぐい、一歩下がる。


「僕たちもお別れをしたいけど、その前に用事を済ませようか」

「用事?」

「こっちよ、アイナさん」


 シェーラに手招かれ、アイナは小さな部屋に案内された。そのまま鏡台の前に座らされる。


「ファナに頼んだら、張り切りすぎてしまうでしょうから。わたくしがしてあげる」

「えっと、あの?」

「せっかくの里帰りだもの。可愛らしくしましょうね」


 丁寧に髪を梳き、爪を磨かれる。それだけでなんだか見違えた。


「ありがとうございます、シェーラさん」

「いいのよ。それよりも……」


 本当にいいのかという問いを呑み込んだシェーラに、アイナは頷いた。

 ジェイドも言いたい事を我慢している様子だったが、問い詰めはしなかった。


 二人の気遣いをありがたく思う。

 今の自分の気持ちを、自分でも説明できなかった。


「ところで今日、兄上は?」

「あ、まだ見ていなくて……」


 ギルフェルドに送ってもらうという話も出たが、アイナがそれを辞退した。

 家族に紹介したいと思っていたが、すでに面識はあるという。それなら別に構わないだろう。ギルフェルドも拒否しなかったので、彼とはここでお別れだ。


「じゃあ部屋にいるのかな。アイナ、よかったら会っていきなよ」

「えっ……」

「どうせ挨拶しないわけにはいかないんだし、せっかくだから。ね?」


 どうしようと思ったが、アイナは言う通りに部屋へ行った。

 だが、彼の姿はなかった。


 拍子抜けしたが、そんな事もあるだろうと思い直す。気を取り直し、アイナはギルフェルドを捜す事にした。

 それほど不思議に思わなかったのは、予感があったせいかもしれない。


 歩き慣れた廊下を通り、朝露の落ちた庭を歩く。

 この庭でギルフェルドと顔を合わせた。彼はなぜかアイナと一緒に、黙って小川を眺めていた。

 沈黙はあったけれど、不快ではなかった。話す事が思い浮かばなくて、それでも妙に心地良くて。今でも鮮やかに思い出せる。


 奥庭を抜けた先に、古びた建物があった。

 ギルフェルドはここにいる。

 なんとなく、それが分かった。


 階段を上り、いくつかある部屋を見回すと、アイナはひとつの部屋を選んだ。

 予感はあまりにもささやかで、それほど役には立たなかったけれど、ここまで連れてきてくれただけで十分だった。

 扉を開けると、ギルフェルドが振り向いた。


「………アイナ」

「いつもと逆ですね」


 彼は驚いた様子だったが、それほど表情には出なかった。


「どうしてここが分かった?」

「なんとなくです」


 目を伏せてアイナは微笑んだ。

 ここは使われていない建物で、人の出入りはないらしかった。掃除は定期的にされているようだが、どことなくうら寂しいものがある。別れにはぴったりだ、とアイナは思った。


 この城に連れてこられた日、アイナは何も知らなかった。

 ただ、救い出された事が嬉しくて、ほっとして。それだけで十分だった。

 それ以上を望む事など考えてもおらず、夢見る事もなかった。


 それが変わったのはいつからだろう。

 彼はいつから知っていたのだろう。それとも、気づかなかったのか。


 シェーラとジェイドの時とは違う。アイナはガルゼルの番だった。それなのに、ギルフェルドに「特別」を感じてしまった。

 獣人ならばありえない。これは種族の差だろうか。


 ――それとも、「心」が変わったのか。


「お別れを言いに来ました、ギルさま」

「……ああ」

「今までありがとうございました。本当にお世話になりました」

「構わない」

 ギルフェルドが首を振る。


「お前の役に立ったなら、それでいい。お前を連れてきたかいがあった」

「ギルさまのおかげで、私は――」

 そこで一度言葉が詰まり、アイナは小さく首を振った。


「……なんでもありません。ギルさまがいてくださって、本当によかった」

「……そうか」


 そこで会話が途切れ、沈黙が生まれた。

 二階の窓からは奥庭が見えた。瑞々しい葉が朝日を浴びて爽やかに光る。花々も色鮮やかに咲き誇り、やさしい風に揺れていた。


 ああ――とアイナは思った。


 この人が好きだ。

 抱えている思いが大きくて、重くなりすぎて。


 この人が好きだ。

 本当は、ずっと前からそうだった。

 自分でも気づかないうちからずっと、このやさしい竜人に惹かれていた。


 この人に幸せになってほしい。いつも笑顔でいてほしい。

 でもそれはきっと、今のアイナでは無理なのだ。


 目を上げると、ギルフェルドも自分を見ていた。

 彼もきっと知っている。その目を見たら分かってしまった。


 アイナは彼の番だ。


 ガルゼルとの糸が切れ、ギルフェルドとの絆が生まれた。けれど以前と違ったのは、その前から彼との絆を感じていた事だった。


 その時のアイナは彼の番ではなかったはずなのに、どうしてだろう。

 種族の違いか、竜人の特性か、それともただの気のせいか。


(それとも)


 アイナの心が原因か。


「お元気で、ギルさま」

「ああ……」


 ギルフェルドはずっとアイナを見ていた。

 互いに言いたい事が言えず、言い出すつもりもない。それが分かる沈黙だった。


 アイナは彼の番だが、そばにいるだけの覚悟はない。

 種族の違いも、立場の違いも、未だに二人の間に横たわる。何よりアイナは家族を置いて、ひとり生きる事が考えられない。

 そんなアイナは彼の「番」であっても、本当の意味での番にはなれないのだろう。


 だから、これでいい。


「アイナ」

 背を向けようとして、アイナは呼び止められた。


「忘れていた。これを」

「これは……?」


 差し出されたのは首飾りだった。

 中央に見た事のない宝石がついている。親指の爪ほどの大きさで、目を見張るほど美しい。藍色に金色の粒がちりばめられたそれは、ギルフェルドの目の色と同じだった。


「私の(うろこ)だ。持っていくといい」

「え、でも」

「いいから、受け取ってほしい。ただのかけらだ」


 そう言われては断り切れず、アイナはおそるおそる頷いた。

 そういえば、シェーラも似たような首飾りをつけていた。あれはジェイドの鱗だったのか。


 手を出そうとしたが、ギルフェルドがそれをつけてくれた。

 後ろに回り、慎重な手つきで首にかける。シャラリと音がして、アイナの胸で竜の鱗がきらめいた。


「思った通りだ。よく似合う」

「ありがとうございます……」


 自分の鱗を身に着けたアイナを、ギルフェルドは黙って見ていた。

 その目の奥に何かが瞬いて、消える。


 愛しさ。切なさ。焦がれる思い。別離の痛み。――そして、哀しみ。


 そのすべてを呑み込んだように、ギルフェルドが目を閉じる。次に目を開けた時、彼の瞳は普段の色を取り戻していた。


「お前と会えてよかった、アイナ」

「ギルさま」

「お前を家族の元に戻すことができて、私は幸せだ」


 彼は静かに微笑んでいた。何かと決別した顔だった。


「アイナ、こちらへ」


 ギルフェルドに呼び寄せられるまま、アイナは彼の元に近づいた。

 ふわりと清涼な香りがして、腕の中に抱きしめられる。ごく軽い抱擁が数秒、すぐに力は抜けたが、そのまま体は離れなかった。


「私はお前の平穏を望む」


 ギルフェルドは穏やかな声で言った。


「お前が願った、家族との健やかな暮らしを望む。いつかお前が夢見たような、平和で穏やかな日常を」

「ギルさま……」


「私はお前の安心を望む。いかなる時でも、誰にも冒されることのないように」


 静かで玲瓏とした声だった。


「私はお前の笑顔を望む。何があろうと、くじけることのないように」


 そして、と彼は口にした。


「私はお前の幸福を望む」


「――――……」


「どこにいても、何をしていても。お前が幸せであることを望む」


 目を上げると、ギルフェルドもアイナを見下ろしていた。

 もう見慣れたはずの瞳が、吸い込まれそうなほど深い。この瞳をこうして見上げるのは、きっと最後になるだろう。


 目の奥に焼きつけたいと思いながら、アイナは彼の目を見つめた。

 藍と金の混じる、綺麗な色彩。その輝き。


 きっと、一生忘れない。


「私の願いはそれだけだ。どうか幸せに、アイナ。私はお前の幸福を望んでいる」

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